金泉寺(板野町)
四国八十八箇所の第三番札所・金泉寺(こんせんじ)
2024年10月23日
金泉寺(こんせんじ)は、山号は亀光山(きこうざん)、院号は釈迦院、高野山真言宗の寺院で四国八十八箇所の第三番札所です。
天平年間(729〜749)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられています。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したといわれています。
弘仁年間(810〜824)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られました。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」としました。
その後、亀山天皇が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在されました。
その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)にならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めました。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったといいます。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇の御陵も本堂裏にあります。
また、元暦2(1185)年、源平合戦の屋島の戦いの際、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと「源平盛衰記」に伝えられています。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ですが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられています。
天正10(1582)年には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至ります。
境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.9.28
住所: 徳島県板野郡板野町大寺亀山下66
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