土方歳三最期の地〔一本木関門〕(函館市)
土方歳三が最期を遂げたとされる一本木関門跡
2006年05月27日
新選組副長として京都の町に勇名をはせた土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が指揮する脱走軍艦隊と合流しました。
明治元(1868)年10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立し、土方はその陸軍奉行並の要職につきました。
翌明治2(1869)年4月、新政府軍の箱館総攻撃にあたり、榎本軍は各地で敗退しましたが、土方が守った二股口(現北斗市)だけは最後まで落ちませんでした
しかし、同年5月11日、ついに箱館も新政府軍の手に落ちました。弁天台場が包囲をされ孤立したことを受け、土方は、箱館奪回を目指し、約50名の兵を率いて出陣した。一本木(現若松町)の関門を出て、箱館の市中に向かい、敢然と切り込んでいったが馬上で銃弾に当たって倒れ、壮烈な最期で波乱に満ちた生涯を閉じました。時に35歳でした。
(現地説明板などより)
土方歳三の最期の地は、諸説いろいろありますが、有力なのが一本木関門のあった若松町とされており、「燃えよ剣」の著者司馬遼太郎はじめ多くの作家がこの若松町説を採用しています。
若松緑地公園には記念碑が建てられています。
H17.7.15
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.16(写真差し替え)
住所: 北海道函館市若松町33
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