富貴寺(豊後高田市)
富貴寺大堂(阿弥陀堂)は現存する九州最古の木造建築物・富貴寺
2025年01月22日

富貴寺は、山号は蓮華山、天台宗の寺院です。
富貴寺境内は、平安時代後期に創建されたと考えられる寺院境内で、のちに国東半島に所在する天台宗寺院の集合体である「六郷満山」の一つとなりました。
国東半島中央部に源を発し、西北に流れ周防灘に注ぐ桂川の支流蕗川の作る蕗谷に位置します。
奈良時代の養老2(718)年、
仁聞が開基したと伝え、貞応11(1223)年の文書に「蕗浦阿弥陀寺」と見えるのが初見です。
当時は宇佐大宮司家累代の祈願所でしたが、その後、南北朝時代になると、天台宗の六郷満山の一末寺となっており、肥後の菊池氏とともに懐良親王を支えた調(つぎ)氏の影響下にありました。この調氏が大堂の大惨理を行っていました。江戸時代後期の史料によると、境内には大堂(講堂)、院主坊、客殿のほか、鎮守六所権現社(現・白山社)、薬師岩屋などがありました。
また、同じ史料によれば、その周辺には大門坊や妙蔵坊など六坊や末寺の清音寺がありましたが、ほとんどが当時、百姓屋敷となっていたと記されています。
現在の境内には、平安時代後期建立の建築として国宝となっている大堂を中心として、その西に宝暦11(1761)年建立の六所権現社、東には正徳5(1715)年建立の本堂・庫裏、創建の時期は不明だが奥の院が存在しています。
六郷満山の寺院は、講堂の背後に六所権現社と奥の院を配するのが通例ですが、富貴寺の場合はこれと異なっており、創建当初は六郷満山に組み入れられていなかったことを物語ります。
このうち大堂(阿弥陀堂)は、正面三間、側面四間の本瓦葺宝形造です。内部は中央やや後方に四天柱が立ち、その中に須弥壇があります。須弥壇の上には本尊阿弥陀如来坐像を安置しています。周囲の壁や四天柱には阿弥陀浄土図などが描かれ、浄土世界が表現されています。
大堂は宇治平等院鳳凰堂、平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつに数えられ、現存する九州最古の木造建築物です。
大堂の周囲に目を向けると、大学側建時の古瓦が出土しているほか、鎌倉時代の笠塔婆五基や、国東塔二基などの石造物があります。笠塔婆の種字には阿弥陀仏ないし阿弥陀三尊が多く、浄土信仰に根ざして造立されたものです。また、大堂東側には南北朝時代の板碑があり、これも先に述べた調氏による大修理に関係するものです。このように、石造物から富貴寺の歴史をたどることができる点でも貴重です。
以上のように、富貴寺境内は、平安時代後期建立の大堂を中心とした伽藍であり、六郷満山寺院の構造の一形態として貴重な事例であるとともに、平安時代以降の浄土肩仰を考える上でも貴重な遺跡であるため、史跡に指定し保護を図るものです。
大堂は国宝、笠塔婆、板碑、石殿は大分県指定文化財、国東塔は豊後高田市指定文化財になっています。
平成25(2013)年10月17日、富貴寺境内は国指定史跡になっています。
拝観時間
8:30〜16:30
拝観料
一般・高校生500円 小・中学生150円
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.12.29
住所: 大分県豊後高田市田染蕗2395
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