武田信虎公之像(甲府市)
甲府駅北口にある武田信虎公像
2025年04月17日
武田信虎は、甲斐国の守護職を務める武田家の第17代当主・武田信縄の嫡男として生まれました。初名は信直です。永正4(1507)年、信縄の死により、信虎は14歳で家督を継ぎ、甲斐国の統一を果たし戦国大名へと成長しました。
永正16(1519)年12月20日、川田(甲府市川田町)から躑躅が崎の地に館を築いて移り住み、同時に館の周囲には家臣や商職人らの移住を図り、多くの寺社も配置し甲斐国の新たな府中である「甲府」を開きました。
天文10(1541)年、娘婿であった今川義元訪ねた際、晴信(信玄)によって帰路を絶たれ、駿河国に留まり隠居、まもなく出家し無人斎道有と名乗りました。
義元の死後上洛し、将軍家に奉公しました。天正2(1574)年息子信廉が在城した信濃国高遠城へ身を寄せ、81歳で死去しました。葬儀は、甲府市古府中町の大泉寺で行われました。後継者となった信玄・勝頼が戦国大名として飛躍できたのは、甲斐国を一つにまとめ、甲府を開いて勢力基盤を整備した信虎の功績に寄るところが大きいです。
平成30(2018)年12月20日、JR甲府駅北口「よっちゃばれ広場」で20日、甲府商工会議所が設置した「武田信虎公之像」の除幕式が行われました。令和元(2019)年は甲府開府500年にあたることから、甲府商工会議所から甲府市に寄贈されたものです。
銅像の高さは2.1m、重さは400kg、右手に軍配風の扇子を持ち、左手は拳を胸の前で握っています。当時の館の方向を背に、顔を富士山に向けています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.4.5
住所: 山梨県甲府市北口2丁目2−1
関連リンク
地図
関連情報