石田城〔福江城〕(五島市〔旧福江市〕)
幕末に築かれた城として貴重な石田城(福江城)
2025年05月10日
石田城は、別名福江城、福江藩五島氏の居城です。
五島氏の17代藩主五島盛定が大永6(1526)年に築いた江川城は慶長19(1614)年22代五島藩主盛利の時に焼失しました。その3年後の元和3年(1617)から工事が始まり、寛永15年(1638)に石田の浜に「石田陣屋」が完成しました。設計は唐津城主寺沢志摩守広高です。
五島藩主五島氏は、江川城を焼失して以来、長らく石田陣屋(石田城の前身)で過ごしていました。
幕末には、五島近海に外国船、いわゆる黒船が出没し始め、福江藩は幕府に対し築城の願いを幾度も提出しましたが、約半世紀もの間、築城許可は下りませんでした。
しかし、幕府はついに嘉永2(1849)年、30代藩主盛成の時、「海岸防衛を厳重にせよ」との趣旨で築城を許可しました。
その後、14年の歳月と2万両にのぼる工費をかけて、文久3(1863)年に福江城が完成しました。城は石田の浜にちなみ、石田城とも通称されます。
城郭は、東西160間(約291m)、周囲740間(約1,346m)に及び、本丸、二ノ丸、三ノ丸などを備えています。築城当時は三方を海に囲まれた、いわゆる海城でした。
石垣は「野面積み」と呼ばれる技法で、自然石を巧みに積み上げています。また、海防を目的として築かれた城らしく、各郭の要所には石火矢台場が設けられています。
表門と裏門には、それぞれ櫓門が建てられておりましたが、現在は礎石のみが残っています。
かつては、城の石垣が外海に面しており、波が打ち寄せ、潮風に揺れる松がその風情を一層引き立てていました。
現在は本丸跡に長崎県立五島高等学校、北の丸跡に五島観光歴史資料館や五島市福江文化会館が建てられ、二の丸跡には五島氏庭園が往時の姿を今に伝えています。
平成29(2017)年4月6日、続日本100名城(187番)に選定されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.5.3
住所: 長崎県五島市池田町1
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