「福江武家屋敷跡」に遺構を活かして造られた観光拠点施設・福江武家屋敷通りふるさと館
2025年05月11日
五島市の福江地区は、五島藩の城下町として発展してきた寛永11(1634)年、第2代主五島盛利は、五島における中央集権体制を目指し、各地に散在していた五島藩士170余家を福江に定住させを福江城下に強制的に住まわせ城下町を形成しましした。これは五島における中央集権制のはじまりで、家中屋敷の配置及び市街区割等は今尚残存しており、仲町と南町の武家屋敷通りは中級武士階級が居住していたところです。
いわゆる「福江直り」です。
この時造られた武家屋敷通りが今なお、福江地区内の各所に石垣として残されています。
福江の中心部には上級武士の屋敷が造られ(現在の商店街通り)、周辺部に中・下級武家屋敷、さらに商人町・職人町などができました。
市内で最も保存状態の良いこの武家屋敷通りは、中級階級の武士が住んでいた通りである。
約400m続く石垣は、溶岩塊の石垣を積み上げ、その上にこぼれ石といわれる丸石を積み重ね、両端は蒲鉾形の石で止められ、全国的に見ても類例をみない造りとなっています。門は、ほとんどが薬医門とよばれる門揃えになっています。
通りの西端には、二つの市指定文化財があります。
一つは史跡「福江武家屋敷跡」(現在のふるさと館)で石垣、庭園が残されています。五島家家臣の1人藤原氏の屋敷跡で、居宅自体は明治末期に建て替えられ、その後の台風等の被害により解体されましたがが、庭園、石垣等はよく保存されています。
庭園は、五島家庭園と同じ林泉式庭園であり、庭園文化的価値は高いものです。また敷地内には、梅の古木、日本では珍しいナンヨウスギが植えられていて築山を築き、三当石組みを配するなど、見事な庭園構成になっています。
石垣は、上部にこぼれ石と称される丸い小石を半円型に積み重ね、その両端はかまぼこ型の石で止め、全国でも類例を見ない造りとなっています。
もう一つは有形文化財「武家屋敷松園邸」。文久3(1863)年建築以来幾度か修理を重ねてきているが、藩政時代の武家屋敷が当時のまま保存されてきています。
福江武家屋敷通りふるさと館は、市指定史跡「福江武家屋敷跡」に遺構を活かして造られた木造平家建ての観光拠点施設です。
写真パネルで福江の歴史を紹介する展示コーナーや、バラモン凧の絵付け体験、貝殻フォトフレーム作り、ステンドグラスキーホルダー作りなどの体験コーナーがあります。また、林泉式庭園を眺めて休憩ができる和室があり、喫茶コーナーでは五島名物の「五島うどん」「かんころ餅」や「五島海鮮」「五島ビーフ丼」をいただけます。
営業時間 8:30~17:00(7月~8月は8:30~18:00)
喫茶コーナー 11:00~16:00
休館日 毎週月曜日(7〜10月は無休)
12/29〜1/3
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.5.3
住所: 長崎県五島市武家屋敷2-1-20