旧五輪教会堂(五島市〔旧福江市〕)
現存する木造教会堂としては最古の部類に入る旧五輪教会堂
2025年05月16日

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが、信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちの一つです。18世紀後半以降、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持しました。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えました。
旧五輪教会堂は、牢屋の窄事件を乗り越えた久賀島の潜伏キリシタンが、島内で初めて建てた教会堂です。
明治14(1881)年久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6(1931)年に現地に移築されました。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われます。
建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りです。内部は3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げています。
大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わります。
海辺に建つ木造建築であるため老朽化がしく、昭和59(1984)年新しい教会堂建設のため解体の危機にさらされたことがありますが、関係機関の努力で修復・保存されることとなりました。
長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めました。
旧五輪教会堂は、久賀島の潜伏キリシタンの伝統に終わりを示すのみならず、彼らが250年もの間、継承してきた信仰の証として価値づけられている貴重な遺産でありその当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財です。
キリスト教解禁後に、各集落に建てられた最初の木造教会堂がそのままの形で残されているのは、日本全国でも珍しく、大変貴重な建造物となっています。
平成11(1999)年5月13日、国の重要文化財に指定されました。
平成30(2018)年、「久賀島の集落」は世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になりました。
現在は貴重な文化財建造物として市が所有・管理しています。
教会のある五輪港の集落は直接車で乗り付けることができないため、アクセスは浜脇港または田ノ浦港に上陸して車またはタクシーで移動して途中から徒歩で行くか、海上タクシーで直接乗り付けることになります。
(現地説明板などより)
拝観 ホームページからの事前予約制
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.5.4
住所: 長崎県五島市蕨町993-11
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