頭ヶ島天主堂(新上五島町〔旧有川町〕)
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の「頭ヶ島の集落」に包括される教会・頭ヶ島天主堂
2025年05月22日
頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「頭ヶ島の集落」に包括される教会です。
「頭ヶ島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す4つの集落のうちの一つです。19世紀、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、病人の療養地として人が近づかなかった頭ヶ島を移住の適地として選び、仏教徒の開拓指導者のもとで信仰をカモフラージュしつつ移住し、ひそかに共同体を維持しました。
明治6(1873)年に禁教が解かれた後、カトリックに復帰した信徒は、禁教期における指導者の屋敷の近くに多くの教会堂を建てました。かつて上五島には35のカトリック教会堂がありましたが、現在でも29の教会堂が息づいています。
二代目の現・頭ヶ島天主堂は、潜伏キリシタンの指導者屋敷跡や木造の初代教会堂跡に隣接しています。現教会堂は鉄川與助の設計・施工によるもので、明治43(1910)年に建設が始まり、乏しい建設資金のため近傍の砂岩を利用し、大正8(1919)年に完成しました。
外観は、表面が粗い切石を積んだ「ルスティカ」という手法で造られており、力強く男性的な印象を与えます。一方、内観は花模様を多用した柔らかで女性的な空間であり、外観と対照的です。折上天井は二重の持送で支えられており、柱がないため、思いのほか高く、広く感じられます。
この集落のシンボル的な教会堂は、歴史ある場所に立地し、キリシタンからカトリックへと引き継がれた信仰の歴史を象徴しています。頭ヶ島天主堂の境内地には、潜伏期から復活までの歴史を物語る証として、殉教碑などが設置されています。
平成13(2001)年11月14日には国の重要文化財に指定され、平成15(2003)年12月25日には境内地が重要文化財に追加指定されました。さらに、平成30(2018)年には世界遺産への登録が決定されました。
(現地説明板などより)
見学は事前予約制
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.5.5
住所: 長崎県南松浦郡新上五島町友住郷頭ヶ島638
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