佐賀の偉人モニュメント〔中林梧竹〕(佐賀市)
唐人町まちかど広場の唐人神社に隣接して設置されている中林梧竹の銅像
2025年12月15日

佐賀県では、明治維新150年を記念して、平成30(2018)年3月17日から平成31(2019)年1月14日にかけて佐賀市城内エリアを中心に県内全域で佐賀の歴史、食、文化、アートを楽しむことができる「肥前さが幕末維新博覧会」を開催しました。
佐賀市内にある佐賀ゆかりの偉人25名の等身大モニュメントは、この博覧会を訪れた人に佐賀駅からメイン会場までの通りを楽しんで歩いてもらうために設置したものです。佐賀市のメインストリート(中央大通り)です。
また、25名のうち佐賀市以外にゆかりのある11名の偉人の等身大モニュメントは、佐賀を訪れる人に偉人のゆかりの地にも足を運んでもらいたいとの想いから博覧会終了後に偉人ゆかりの地にも追加設置しました。
唐人町まちかど広場には明治時代を代表する書家、中林悟竹の銅像も設置されています。
天正19(1591)年、佐賀藩に召抱えられた高麗人李宗歓は、秀吉の朝鮮出兵の際、通詞訳として、また陶工たちの招聘にも重要な役割を果たしました。宗歓は利敵行為をしたため故国に帰ることができず、佐賀に留まることになりました。
藩主鍋島直茂はこのことを不満におもい、佐賀城下の十間堀川以北の愛敬島村に、慶長4年(1599)年、宗歓が連れ帰ってきた高麗人の一団を住まわせました。その中にはのちの鍋島更紗を創始した九山道清もいました。唐人(異国人)の住む町として、唐人町と名づけました。
宗歓の功績に対して、苗字帯刀を許し、十人扶持と海外貿易の永代御用達商の免状を与えました。
宗歓は、唐物の繊維品、陶磁器、金物類、荒物など日本にはないめずらしい物を輸入し、これを扱う商人が集ってきて、今日の唐人町の基礎ができました。
唐人町まちかど広場には唐人神社があります。
宗歓は自宅の一角に石碑を建て故郷を偲びこれが「唐人塚」と呼ばれるようになりました。この石碑が昭和30(1955)年に道路拡張の為に現在地(唐人一丁目)に移転され「唐人神社」として祀られるようになりました。昭和43(1968)年7月には、鳥居も寄進され今日に至っています。
唐人神社に隣接して明治を代表する書家・中林梧竹の銅像が建てられています。
中林梧竹は、近代書道の祖と称される書家で、「明治三筆」の一人です。現在の佐賀県小城市の出身です。小城藩の藩校「興譲館」で学び、多久の儒学者・草場佩川(はいせん)に師事しました。幼少期から書の才能を発揮し、10代で江戸に遊学して、山内香雪や市川米庵から書を学びました。
帰藩後は興譲館の指南役などを務めましたが、45歳頃からは一切の職を辞し、書に専念しました。明治15(1882)年には中国に渡り、北京で潘存(はんそん)に師事し、六朝書体や墨絵の技法を学びました。これにより、従来の書風にとらわれない、芸術性豊かな独自の書風を確立し、明治書壇に新風を吹き込みました。
明治24(1891)年には、副島種臣の勧めにより、王羲之の「十七帖」の臨書を明治天皇に献上しました。さらに明治31(1898)年、72歳(数え年)の時には、自ら揮毫した「鎮國之山」の書を陽刻した銅碑を富士山頂に建立し、その名声を不動のものとしました。
(現地説明板などより)
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R7.11.21
住所: 〒840-0813 佐賀県佐賀市唐人2丁目5
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