鍋島直正公銅像(佐賀市)
佐賀城に再建された鍋島直正公銅像
2025年12月17日
佐賀藩第10代藩主・鍋島直正(閑叟)は、内憂外患の幕末の世にあって、数え年17歳の若さで襲封し、明治維新に至る激動の30年間にわたり藩主の座にありました。この間、公は逼迫した藩財政を立て直したほか、産業を振興し、藩校・弘道館を拡充、西洋の科学技術や医学を積極的に導入しました。幾多の改革を他藩に先駆けて断行した、幕末屈指の名君でした。
とりわけ、幕府の長崎警衛を通じて得た西洋列強のアジア進出の動向把握、国際情報の収集と分析、海防を軸とした国土防衛の必要性の認識とその気概においては、諸藩の中でも抜きんでた存在でした。
佐賀藩は、西洋の科学技術を基礎に医学や軍事技術の刷新を次々に打ち出し、日本で初めての洋式反射炉を築造し、鉄製大砲の鋳造、蒸気船の建造などを成功させました。明治維新の立役者としては薩長土肥が知られていますが、佐賀は流血の藩内抗争の歴史もなく、その開明性、統制力、技術力において他をはるかに凌駕する実力を有していました。まさに、公が好んだ古典の言葉「先憂後楽」を実践した姿であったといえます。
直正の遺徳と業績を顕彰し、その英姿を後世に伝えるための銅像は、明治末期に大隈重信を建設委員長として発議され、直正生誕100年にあたる大正2(1913)年、佐賀市松原の地に建立されました。高さ10メートルを超える偉容は広く県民の尊崇を集めましたが、先の大戦の際、国の金属供出令によりその姿を失いました。
戦後、何度か有志による銅像再建の県民運動が立ち上がったものの、実現には至りませんでした。生誕200年を迎えた平成26(2014)年、県内に直正の銅像再建の機運が高まり、民間主導の銅像再建委員会が募金運動に着手しました。
平成29〔2017〕年3月4日、除幕式が行われました。台座は直正が日本初の実用反射炉として藩内に建設した築地反射炉をモチーフとした。「三重津海軍所の図」「大砲鋳造の図」「種痘の図」「精煉方(せいれんかた)の図」といった佐賀藩の業績も合わせて紹介しています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.11.22
住所: 〒840-0041 佐賀県佐賀市城内2丁目14
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