和泉式部公園(嬉野市〔旧塩田町〕)
9歳まで塩田町(嬉野市)で育ったという伝説がある和泉式部を記念して設置された和泉式部公園
2026年01月05日

平安朝を代表する歌人和泉式部が9歳まで塩田町で育ったという伝説を生かし整備されたこの公園には、多目的広場やアスレチック、草スキーなどの施設があり、また、平成7(1995)年度には、高さ5mのブロンズ制の和泉式部像が建立されました。公園に隣接して吉浦神社があり、歴史を感じながらの憩いの場、野外活動の場としてたくさんの人たちが楽しんでいます。
平安朝きっての歌人として名高い和泉式部は杵島の福泉寺で生まれ、すぐ塩田郷の大黒丸夫婦に引き取られて育てられました。
和泉式部は幼少名をお許丸といい、小さい頃から評判の器量よしで、利口この上もなく、成長するにつれ誰に教わることもなく歌を詠みはじめました。
或る時、お許丸が木綿を摘む手伝いをしていると、通りかかった勅使が駕籠の中から「この綿は売るのか」と問いかけたところ、お許丸はたちどころに
君が望むその木の綿は川瀬住む
鮎の腹にぞ宿りぬるかな
と木の綿と鮎のこのわた(腹わた)をかけた即興の歌を詠じて応え、勅使を驚かせました。
また、即吟十句を詠じ、その優れた天性は村人達を感嘆させることしきりで、今でもその場所が"十句"という地名となり残っています。
このようなお許丸の評判は京の宮廷でも知られるところとなり、宮廷の召し上げたいとの要望に大黒丸夫婦はお許丸の才能と将来を思い応じることにしました。それはお許丸が九歳の頃でした。
宮廷に仕えたお許丸は和泉式部となり、優れた才覚と美貌の為波瀾に満ちた生涯を送りますが、宮廷の才女として紫式部や清少納言らとともに平安の歴史に残る存在となり、五歌仙の一人に数えられています。
宮廷に仕えた和泉式部は一度も故郷へ帰ることはありませんでしたが、大黒丸夫婦や故郷を忘れることができずその心情を
故郷に帰る衣の色柄ちて
錦の浦や杵島なるらん
と詠じました。この歌に天皇はいたく感動され、褒美をとらせようとされたところ、孝養心の厚い和泉式部は「故郷の年老いた父母が、余生を安心して過ごせるよう田圃を下さい。」と申し出て、天皇は五町歩の田圃を下賜されました。それからこの塩田に五町の田圃−五町田の地名が起こったといわれています。
(現地説明板などより)
令和6(2024)年11月11日(月)、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で大河ドラマ「光る君へ」で和泉式部を演じた泉里香さんと鶴瓶さんが待ち合わせし、和泉式部像の後ろに設置されている草スキーに泉里香さんが子供たちとチャレンジしていました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.11.22
住所: 佐賀県嬉野市塩田町大字五町田甲
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