閑谷学校(備前市)
名君池田光政公が開いた閑谷学校
2006年07月04日

閑谷学校は、備前岡山藩主池田光政が、庶民の教育を目的として寛文10(1670)年に設立した郷学です。
藩営としては日本最古の庶民学校です。池田光政は、藩政の目標を儒学の教える仁政の実現におき、寛永18(1641)年には、岡山花畠に儒者をつぎつぎと招き、家臣の教育のため全国にさきがけて、寛文9(1669)年には岡山藩校を城下西中山下に開設しました。
さらに庶民の子弟に及ぼすため、寛文8(1668)年、領内123ヵ所に手習所を設置したが、延宝3(1675)年にはその全てを廃止してこの地に統合しました。
寛文6(1666)年、光政は領内を巡視してこの地にいたり、「山水閑静にして読書講学」にふさわしい場所であるとし、寛文10(1670)年仮学校を開設し、この地の旧名「木谷村延原」を「閑谷」と改め、家臣津田永忠に命じて後世にまで残る学校の建築をはじめさせました。
現在目にすることのできる閑谷学校の姿が完成したのは、光政没後の元禄14(1701)年、2代目藩主綱政の治世のことで、江戸時代の学校の規模をもっとも完全に残しているものとして特別史跡に指定されています。建造物は講堂が国宝に指定されているほか、重要文化財に指定されているものが25件を数えます。
学校は四周を延長765mに及ぶ石塀で囲み、南側に校門(鶴鳴門)・公門・飲室門・校厨門の4門が開き、なかに聖廟・閑谷神社(芳烈祠)・講堂・小斎・習芸斎・飲室・文庫などが配置されています。
かつては火除山をへだてて西側に学房(寄宿舎)がおかれていましたが、現在は明治38(1905)年建築の旧私立・公立中学校の校舎であった資料館があり、国の登録有形文化財として関係資料の展示を行っています。
石塀の南には東西にのびるはん池があり、重要文化財指定の石橋がかかっています。さらに1.2km南方には当時の校門であった石門が4分の3ほど土に埋もれて現存しています。
ところで、綱政は、元禄13(1700)年、閑谷の田畑山林高279石の地を永代学田学林とし、万一国替などの際にも学校経営にいささかも影響をうけないようにとの保証を与えました。
しかし、明治の廃藩置県・学制の改革等による大変革によって、閑谷学校も他の全ての藩校同様、廃校となりました。同時にまた、閑谷学校の歴史を閉じてはならないとする旧藩士や民間有志によって、明治6(1873)年、山田方谷を迎えて閑谷精舎として再発足し、さらに明治17(1884)年、西薇山らによって閑谷學として復活を見てからは、明治37(1904)年私立閑谷中学校と改称、大正10(1921)年には岡山県閑谷中学校となり、多くの俊秀を世に送りだしてきました。
戦後、岡山県立閑谷高等学校につづいて、和気高等学校閑谷校舎となり、昭和39(1964)年までその中等教育の場として学校の歴史をつないできました。現在は和気本荘の地に県立和気閑谷高等学校がその伝統を受け継いでおり、孔子の徳を称えまつる釈菜(せきさい)も、その教職員によって執行されています。
平成27(2015)年4月には「近世日本の教育遺産群」として特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、史跡咸宜園跡などとともに最初の日本遺産に認定されました。
(現地説明板などより)
営業時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
入場料 大人400円 小中学生100円 65才以上200円
Photo Canon EOS 30D
H18.7.1
住所: 岡山県備前市閑谷784
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