
Dream Come True
To Those
Who Didn't Give Up
1982年。
航空機整備士免許取得したけど仕事が無くて。
日本に帰る気も起らなくて。
しょうがないから、日本食レストランで働いて食いつないで。
ある程度調子よく生活が出来る様になったけど。
勤めてた店が、調子悪くなっちゃって。
アルバイト的な仕事を転々とした86年頃。
調子悪くなった店で一緒に働いたことの有るWTNBさんが。
独立して自店を構えた。
夜に人出が足りないから手伝ってくれって。
その店には、北へ片道45分かかる。
チト遠い。
でも頼まれれば、「お手伝いさせていただきます。」と返事。
通勤には、インターステート95(州間高速道路)を使う。
それは、FLL空港滑走路の直ぐ西側を南北に通る。
当時は、道路から旅客機は勿論、夜は青いTaxi way lightsの光っているのが見えた。
とても綺麗な青いライト。
高速で走りながらも見つめてしまった。
危ない、危ない。
「今に見とれ。俺は、そこへ行くからな。そこで、働くからな。」
青い光を見る度、根拠のない呟き。
ラジオには、Van Halen。
音量目一杯。
数か月後前出の調子悪くなった店で一緒に働いた別の人、IZTNさんの奥さんの紹介で。
FLL空港で働く事になった。
しかもデルタ航空で。。。。
客室掃除員だったけどね。
( ´∀` )
楽しかった。とにかく。
空港で一般人が入れない扉の向こうへ通過できる。
そんなしょうもない事が、とてもエキサイティング。
毎日旅客機に乗れる。飛ばないけど。
やる事は機体掃除。
それでも、ウキウキ楽しかった。
L1011(?)の機内エレベーター。
用もないのに乗ってみた。
( ´∀` )
日替わりで、班長さんもやらされた。
無線機持たされたけど、何しゃべるのさ。
そんな、班長さんだった。
( ´∀` )
6か月後機体掃除は、委託業社にさせる事となった。
そしてデルタ航空キャビンサービス部門は、無くなった。
退職、オヨヨ。
日本食業復帰。
他にも退職理由は、あるけど、、、、。
僅かな期間だったけど、とても楽しかった。
なにが言いたいかって、、、、。
根拠のない呟きは、実現するんだわ。
って事、、、、。
本当に、願っていればね。
願いをきいてくれるんよ。
誰かがね。
諦めたらだめ。
Give upしたらその時点で、終わり。
負け。
ワタシ、今の仕事(自社航空機整備)が出来る様になる迄、17年かかったよ。
他の仕事していても、胸の奥に「いつかは、航空業界に返り咲き、、、」って思いを秘めて。
「風前の灯火」でもいい。
消さなきゃいい。
いつか、炎の種になる。
そう思ってる。
🅼
Posted at 2020/10/13 11:35:56 | |
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