
ラルゴを手放す前だからこそ
このブログで伝えたいことがあります。
* * *
以前、
ラルゴで走行中に発生するあの激しい異音をどうにかしよう、
直してくれる整備屋さんを浜松市から比較的近いトコロで探そう、と困っていた時期があったのは、みんなご存知だと思います。
しかしあの時は、ただ修理代のコトを考えて修理を躊躇ったワケでもなくて、
「このまま直しても大丈夫なのか?」
「本当に直るのか?」
「というか、一体ドコが壊れてるんだろう??」
「ダメになった部品、ちゃんと新品で出るかな?」
と、思ってもいましたし、
あの時は、幾らオケネ注ぎ込んでも直らないとさえ思っていました。
と言うのは、過去の経験からは想像を超えた故障で、自分的にも前代未聞の故障だったし
走行中にデフロックのインジケーターランプが点灯したり、旋回中に異音がするなんて
駆動系なのは分かっていたけれど、異音の原因が特定できなくて困っていたましたし、
あの時は、まさに疑心暗鬼でしたから、激しくラルゴの修理に悩んでいました。
というのも、闇雲に修理代を注ぎ込むのはカンタンです。
というかそれは慣れました。(爆
完全に直るなら4,50万円でも修理代を捻出しよう、それを超えるならローンさせ覚悟して
いましたし、払っていく決心も当然ながらありました。
しかし、これまでの経緯、これまでの結果、これまでの故障から考えると
やっぱりラルゴはあの当時の日産車。オーナーに断りもなく壊れてくれます。
それこそ、完治させようと思ったらパチスロみたいに呑まれていくオケネは、必死になって
仕事して稼いだ大切なオケネなのに、吸い込まれていくというコトに現実味がなかったコトも
少なからずありましたし、私の口座から一気にオケネが無くなるコトにも、逆に『清々としていた部分』でもありました。ww
しかし、悩んでいたのはソコじゃなくって、
いい加減、修理に入れたりするのに疲れてもいたんです―。
必死になって「ラルゴのある生活」を守ろうとしていました。
しかし、必死になり過ぎてもいましたし、自分のキャパや努力を持ってもスグに解決、克服ができず
自分の限界と不甲斐なさ、そして悲しさだけが、私を絶望に包むには充分なモノでした。
と言うのは、実はアノ時は、動くクルマと使えるアシがラルゴしかなくて
私の通勤はラルゴに頼っていたので、乗れば乗る度にガタガタ言う異音が悲しくもなっていたし、
そんなクルマで乗らないと仕事に行けない悲しさもあったし、
仕事に疲れても、肝心のラルゴに乗って帰っていても癒されもされなかったぐらい―。
でも、叶うのならばと、あの当時は「私はラルゴに乗って居たい!」と思い続けてもいましたし
その気持ちは、誰よりも強く、熱かったモノだと自負させしている部分でもありました。
しかし、どうすれば直るんだろう・・・。
ショボーン(´・ω・`)
* * *
そんなある日、特別仕事で遅くなっちゃう一日があって、次の日は確か休みだったと思います。
頭のOHでも必要なんじゃないか?と思うような上司の失態を埋めるために、
その日は身が擦り減るような思をしながら、時刻は軽く深夜2時になったときに、やっと仕事が終わり
ボロボロの体になりながら、私はラルゴのシートに身を埋めて、自宅に向かって帰りました。
しかし「いい加減、ラルゴをどうにかしよう」と、異音が出るラルゴを運転しながら強く思いました。
というのは、修理を諦めたときに廃車というコトを睨んで「自分の中にラルゴを廃車にする決意はあるか?」と思ったのも正直なトコロです。
ですので浜松のとある場所にある、夜景がバツグンに見える場所で止めて、ホント誰も居ない中、
これからについて考えようと、長期戦に備えてマックでテイクアウトしてきた大きめサイズの
レギュラーコーヒーを飲みながら、何気にFM聞こうかと、ラジオのスイッチ入れたとき、
思いがけず、この曲が流れたんです。。。
このピアノのイントロの入り方は、私の好みだったし、あの時の雰囲気に合っていました。
しかし、この曲が尚更、知っていた曲だと分かったときは驚きましたし、
「このタイミングでこの曲ですか!!」と、割れながらナイスなタイミングに驚きましたし、
「この曲が入ってるCDは買おう」とも即決していたぐらいでした。w
が、私には木蘭の涙の歌詞の影響力の方が大きく、
「いつまでも側に居ると言ってた。あなたは嘘付きだね。私を置き去りに。」
という歌詞が、妙に心に刺さった。
その曲を聞きながら、私が今のラルゴを手にした時の初々しい気持ちを思い出したりしていました。
「修理屋さん探すの、もう少しガンバろう・・・。」
それから、スグでしたね。
トランスファーOHなんてやってくれる上に、ボラない整備屋に巡り合えたのは。ww
で、私の携帯には、アノ時聞いた木蘭の涙が入っているんですが、不意にこの曲を聞いたり
ニッカウヰスキーのCMソングとして聞いたりすると、
ハッとしたように、あの時あの瞬間で悩んでたコトを思い出したりしています。
今となれば、総てが良い思い出だったし、あの時の苦労も、これからの礎とおもなる経験にもなるだろうし、あんなラルゴであっても、それにチャント面倒見てくれる整備屋が近所にできたというのが最大の収穫かもしれません。
これからもラルゴが故障したって、その整備屋にお願いしちゃえば
無理な整備もやってくれるでしょう。
* * *
だと言うのに、私は来月、ラルゴを手放します―。
今は手放すコトになったコトを後悔しています。
どんな魔法に掛かったら、こんなコトになってしまったんだろうと、嘆くコトもあります。
自分でも、剥がれたラルゴへの気持ちを戻そうとしていますが、
どうやっても戻りません。
親しくしている友達には各々にメールしましたが、
故障でも諦めなかった私に、あんな事を言ってサヨナラするキッカケ作った方を、私は許せそうにありませんし、例えそれを許せる時が来たとしても、二度と忘れるコトはないだろうと思います。
ただ、好きなままラルゴが降りれるのならば、
私は、耐えようと思います。