
まもなく東京モータショーですね。
日産の新型車も販売好調です。GT-Rばかりが話題ですが、志向を変えて今回は「日産の企業情報」を特集します。
1.What’s日産(生い立ち)
日産自動車は、1933年にダット自動車製造所に戸畑鋳物(日産コンツエルンの日本産業)が出資する形で誕生しました。(会社登記上)
ダット(DAT)は、当時の快進社の「田 健治郎」,「青山 禄朗」,「竹内 明太郎」の頭文字を取ったものです。
その後に何度か改名(商号変更)を行い、現在の日産自動車となっています。
戦前の財閥では旧安田財閥(現:芙蓉グループ[旧:富士銀行系(現:みずほFG)])に属しており、歴史的には日立製作所と深い関係を持っています。
1963年には特振法(特定産業振興措置法:翌64年に廃案)の影響でスカイラインやグロリアを有するプリンス自動車と合併しました。
そして1990年の経営危機を抱えながら、1999年にルノーと提携し現在に至ります。
2.その他関連会社の生い立ち
<ニスモ>
1984年、日産自動車からモータスポーツ部門の分離独立により誕生したモータスポーツ専門会社。
当時日産モータスポーツ活動拠点の追浜ワークスと大森ワークス(現本社)が統合される形で誕生しました。
初代社長は難波靖治さん(当時:特殊車両実験課・課長)で、あの日本一速い男もこの人には頭があがらないみたいです。
<オーテックジャパン>
ニスモ設立の2年後の86年に、日産自動車の特装車部門として分離・独立しました。
初代社長はあのスカイラインを育てた親と知られる、桜井眞一郎さん。
その1年後には、スカイライン・オーテックバージョン(R31)を出しています。
その他、パトカーやタクシ又は救急車など特別装備を必要とする、日産車の架建作業も行っています。
特にエアロをまとったライダーや、福祉用のLVが好調のようです。
3.これを知っていれば日産マニアック
<プラズマエンジン(PLASMA)>
Powerful&Econonomic-Lighnweight-Accurate-Silent-Mighty-Advancedの略の通り高性能・低燃費・小型・軽量・静粛性と耐久性の全てを考慮したエンジン名称。
80年代のエンジンには、このプラズマエンジンの技術が搭載されています。
<アテーサ(ATTESA)>
Advanced Total Traction Engineering System for Allの略で、日産フルタイム4輪駆動の総称になっています。(初採用はU12ブルーバード)
E-TSは電子制御トルクスプリットの略で、R32GT-Rで一躍有名になった機構です。
RV系はATTESAと言わず、「オールモード4×4」といっています。
<VWサンタナ>
80年代に日産自動車がVWと提携して、日本で販売するために日産にライセンス生産された車である。
部品などはドイツ本国から輸出されており、組み立てが日産座間工場(現在は工場は無い)で行われていた。
このVWと提携がなかったら、プリメーラは生まれていなかったとも言われています。
<技術の日産>
プリンスとの合併後、このスローガンが良く使われています。
1990年代前半まではこのスローガンを良く目にしたのですが、最近は・・・・・SHIFTですね。
<ラリーの日産>
1970年、510ブルバードでサファリラリー総合優勝をきっかけにその後、1970年代前半240Zで2回の総合優勝を記録し「ラリーの日産」と呼ばれた。
その言葉の原動力になったのは、PA10バイオレットで1979年からサファリラリー4連覇と言う偉業を成し遂げ「ラリーの日産」が確固たるものとなった。
<901運動>
1990年代シャーシ・サスペンション・ハンドリング性能を世界一を目指すを合言葉に車の80年代後半からの車開発を行っていったスローガン。
このおかげでR32(スカイライン)やP10(プリメーラ)など、ハンドリングの良い車が生み出されました。
この運動で日本車の技術が向上したと言っても過言ではありません。
<熱血業界宣言>
1990年頃、最初は企業CMとしてCM放送していましたがその後にドラマ化されました。
柳葉敏郎と森尾由美などが日産のディーラマンに扮して、営業役を演じてました。
CMは柳葉敏郎の後、パート2で吉田栄作に引き継がれましたが、半年位?で自然に終了となりました。
<輸出車名>
セントラ(日本名:ブルーバードシルフィ、サニー)
マキシマ(日本名:ティアナ、セフィーロ)
アルメーラ(日本名:パルサー)
インフィニティ(Q45:シーマ、M45:フーガ、G35:スカイライン)
マイクラ(日本名:マーチ)
4.思い出の日産車
<ラングレー>
スカイラインミニとも呼ばれていました。
なんとCMに出ていたのは、鈴木亜久里(現:ARTAオーナ)です。
1990年前半まで売られていました。
<レパード>
あぶない刑事(初代)で有名な車ですが、実はこの前のF30では4ドアもあったんですよ。
特に世界初や日本初の技術が盛りだくさんの車でした。
その後Jフェリーなどを出しましたが、むなしくも消滅してしまいました。
今はマーチでもおなじみの、キーレスエントリーシステムはF31レパードが世界初搭載した技術なのです。
<ローレルスピリット>
ミニローレルというのが正解かな。外側サニーで中身がローレルの小型で高級感が味わえる車でした。
1.5リッターのエンジンで、車が重かったので燃費は比較的に悪かったようです。
まさにバブルの賜物です。
<エクサ>
オープンとTバールーフに切り替えれる脱着式のルーフを持つ七変化できる車でした。
パルサーをベースに開発されたたためFFでしたが、アイデアに満ちた車でした。
実はパルサーシリーズと共に、日本カーオブザイヤーを日産で初受賞した車でした。
<ガゼール>
西部警察の小暮課長車ですが、これはオープン用に改造しています。
シルビアの兄弟車でありますが、シルビアの高級版として位置づけられました。
世界戦略車として、240RSのといった方がわかりやすいかもしれません。
日本初のドライブコンピュータを内臓し先進性もアピールしましたが、S13登場で消滅しました。
その後の180SXが、事実上の後継車かもしれまませんね。
まだまだ書きたいことはありますが、今回はここまでです。
機会があれば、パート2も行います。
(ご注意)
ただし本情報については、事実に基づいた情報です。
参考文献は昔の資料を、いろいろ参照したので省略します。