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ニスモ命のブログ一覧

2021年11月28日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(最終回)1990年代

この企画して、今回がいよいよ最終回です。

1980年代の自動車全盛期の後半は日本車のエンジンパワーが上がっていき、280馬力自主規制が出来ました。
そんな自主規制もあるので、車に求められる性能は環境やユーティリティ性の高い車が求めらルようになってきました。
今までは、車=移動手段を目的としていましたが、多目的な車も登場したのもこの90年代です。
そして280馬力制限があったからこそ、日本車は制約のある中で開発したため技術力の高さは世界に冠たる物となりました。
なお最終回は、未来の車も沢山登場した1990年代ですが、東京モーターショーのユニークな車の数台を取り上げます。

【1.[1991年]いすゞ:ナギサ】


RV車と小型クルーザを融合させた、コンセプトカーである。
水上でもクルーザとして、20ノットの性能を誇っていた。

【2.[1991年]スバル:リョーマ】


こだわりを持つ若者をターゲットに開発された、小型クーペのコンセプトカーである。
リョーマの名称は、坂本龍馬をイメージに重なることから来たとか。

【3.[1995年]スズキ:UT-1】



アメリカンスタイルを持つ、小型ユーティリティのコンセプトカーである。
3つのスタイル(牽引モード、ピックアップモード、カーゴモード)に変える事が出来る。

【4.[1995年]ダイハツ:タウンキューブ】

移動販売で、ユーザ側からの意見を元に使い易さを追求したコンセプトカー。
バスのように四角のデザインは物を積めるようにし、低い床は荷物の出し入れをしやすいように工夫されている。

【5.[1995年]ダイハツ:ミゼットⅢ】

前年のミゼットⅡは、2人乗り(MT車は1人)のピックアップであったが、荷台を無くし後席2席を設けて3人乗りとした。

【6.[1995年]トヨタ:モーグル】

環境活動においての森林植樹活動により、山林でも走行可能なように開発した車両。
油圧サスにより前後の調整や、傾斜地で1輪が埋まっても走行出来るように工夫されている。
タイヤは、クローラ(キャタピラー)に変更することも可能となっている。

【7.[1995年]ニッサン:キックス】


キックスは現在のe-powerで販売されているが、当時は別物としてのコンセプトカーであった。
長いホイルベースに、セダン風のスタイルを纏っていた。
このスタイルは、その後のエクストレイルに受け継がれていった。

【8.[1997年]スズキ:C2】

カプチーノの軽オープンで成功したスズキであるが、さらに上のクラスを目指したコンパクトオープンカーである。
V8では最小排気量の1.6リッターエンジンを持ち、リヤ駆動で6MT採用していた。
もし市販されていたら、マツダ・ロードスター(当時:ユーノス)のライバルになっていたかもしれない。

【9.[1999年]マツダ:RX-エボルブ】

4ドア・4シータの新しい環境対応したロータリーエンジンを積んだコンセプトカーである。
4人乗りながら、重量配分を50:50の理想的なバランスを誇っていた。
その後のRX-8のモデルとなる車となった。

【10.[1999年]ホンダ:不夜城】


この年のモーターショーで最も話題となった車で、スケボー感覚で街を駆け抜ける新感覚のビークルである。
ステアリングはレコード盤をイメージ下感じで、DJのような感覚で車を乗れるようになっている。


そして、21世紀の未来へ・・・・・・。
2000年以降は電気モーターを使う車が多くなり、自動運転車や電気自動車もあと10年位で普及していくでしょう。
そんな未来の日本のモータリゼーションは、明るいと信じてます。
次回は、2023年の東京モータショーで。
Posted at 2021/11/28 15:26:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ
2021年11月23日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(第5回)1970年代

この企画を初めて1ヶ月になります。
第5回目は、東京モーターショーの1970年代の代表的な車について取り上げます。
この時代は日本のモータリゼーションの発展期に向かっていましたが、オイルショックにより自動車産業の転換期を迎えます。
特にアメリカでの排ガスによる公害問題で、マスキー法が成立され排ガス基準が厳しくなりました。
そん中で日本の自動車技術は凄まじい勢いで進化し、画期的なエンジンや世界にも通用する車も造られていきました。
一方、自動車の性能向上で交通事故等も問題化され、自動車の安全技術も大事な開発要素になっていきます。
そんな中、オイルショックにより73年以降は隔年開催となりました。
環境変動の時代の70年代のモーターショーの車を紹介します。
※コメント記載については時間の関係上、補足が必要な物のみ記載していますのでご了承ください。

数が多いので以下をクリックしてください。

東京モーターショー1970年代(その1)
東京モーターショー1970年代(その2)
東京モーターショー1970年代(その3)
東京モーターショー1970年代(番外編)
Posted at 2021/11/23 21:59:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ
2021年11月14日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(第4回)1960年代

この企画を始めてから、なんかマスコミ各社もSNSで、同じようなネタが出てきている感じがします。
第4回目は、東京モーターショー(全日本自動車ショー)の1960年代の代表的な車について取り上げます。
この時代は日本のモータリゼーションの初期の時代で、東京オリンピックも開催され景気が上向いていましたが、国産自動車文化はまだまだ発展途上の時代でした。
また国策により外国からの、国内自動車産業の保護育成により、自動車製造撤退や会社統合などもあり自動車文化の醸成形成が整ってきました。
そのおかげか60年代後半には、海外にも輸出するようになりました。
しかし、まだまだ欧米の技術にはほど遠く日本車の知名度は、世界には冠たる物ではありませんでしたが、ここから世界に追いつけ追い越せが生まれ70年以降の発展が始まります。
そんな激動の時代の60年代のモーターショーの車を紹介します。
※コメント記載については時間の関係上、補足が必要な物のみ記載していますのでご了承ください。

数が多いので以下をクリックしてください。

東京モーターショー1960年代(その1)
東京モーターショー1960年代(その2)
東京モーターショー1960年代(その3)
東京モーターショー1960年代(その4)
東京モーターショー1960年代(番外編)
Posted at 2021/11/14 20:57:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ
2021年11月09日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(第3回)1980年代

今回の第3回目は、東京モーターショーの1980年代の代表的な車について取り上げます。
この時代は日本のモータリゼーション全盛期の時代で、日本車が世界を席巻していた時代でした。
特にデザインは流線型となり空力やデザインの凝った車も登場してきました。
あと当時マイコン(現在のパソコン)が出てきた時代、電子制御の始まりの時代でもありました。
近未来のコンセプトカーもありましたが、市販に近い形でのモデルも登場した80年代のモーターショーの車を紹介します。
数が多いので以下をクリックして見てください。

東京モーターショー1980年代(その1)
東京モーターショー1980年代(その2)
東京モーターショー1980年代(その3)
東京モーターショー1980年代(その4)
Posted at 2021/11/09 19:57:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ
2021年10月31日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(第2回)1950年代

少し間が空きましたが、第2回目は東京モーターショー(全日本自動車ショウ)の1950年代の代表的な車について取り上げます。
まだ当時は朝鮮戦争での特需が終了した直後のモータリゼーションの発展初期であり、手探りでの自動車(乗用専用自動車)の開発でした。
この年代は、今では存在しない自動車メーカもありますので、気になる車を紹介します。

(1.住江製作所:[1954年]フライングフェザー FF7)

住江製作所は織物(カーペット)のメーカーでしたが、日産(ダットサン)のボディを製造していました。
その後元日産自動車のデザイナー富谷氏が住江の重役とってから自動車を作ろうと、何回も試作してこの2年後に製品化に漕ぎ着けたた車がこのFF7です。
FFは駆動のFFでなく、車の名前のフライングフェザーの試作車7号目を指します。
ちなみにエンジンは後部にあり、バイクの部品を流用しているためハンドルはセンターにあるのが特徴です。

(2.いすゞ自動車:[1954年]ヒルマン・ミンクスPH10)

トラック・バス専門のいすゞ自動車ですが、英国の自動車メーカーと提携して製造されていたのがこの車です。
当時は大型車(トラック・バス)は国内で製造していましたが、この車はノックダウン生産(部品を海外から調達して国内で組み立て)方式で、現在のパソコン製造みたいな感じで作ってました。
ノックダウン生産ためハンドルは左ハンドルであり、国内乗用車として開発ではありませんでした。
このおかげにより乗用車製造の技術を学び、徐々に国内で自動車部品を製造するようになっていきました。

(3.新三菱重工業(現:三菱自動車):[1954年]ヘンリーJ)

戦後の財閥解体により三菱財閥は各部門に会社分割され、自動車部門は新三菱重工(現:三菱重工)となりました。
この車はアメリカのヘンリーJを日本で製造したもであるので、ヒルマンのヨーロッパスタイルでなくアメリカンスタイルが特徴的です。
当時の三菱重工は業務用ジープをラセンス生産しており、乗用車もアメリカ重視となったといわれています。

(4.日産自動車:[1955年]ダットサン110)
(5.トヨタ自動車工業(現;トヨタ):[1955年]トヨペットクラウン)


国産乗用車発展を目指して国民車構想を打ち出したこの年、小型乗用車として誕生したのがこの2台です。
日産は英国オースチン社と提携して開発、トヨタのクラウンは独自で開発されました。
ようやくハンドルやワイパー等も国内の工業規格に合わせて右仕様となり、部品も国内で製造されていきました。
これにより他メーカーも、国内で本格的に乗用専用自動車の開発を行っていくようになりました。
なおトヨペットクラウンは観音開きドアが特徴ですが、タクシー用のトヨペットマスターは観音開きでなく通常の後方ドアを採用しています。

(6.プリンス自動車:[1956年]BNSーJ)

前身はたま自動車で電気自動車で、戦後は航空機事業が解体された中島飛行機(富士精密工業)と合併して先進技術を自動車に盛り込む開発を行っていました。
自動車開発においては、先行していた日産・トヨタには無い先進技術を投入してインパクトを与えてました。
このBNSーJはショウモデルとして開発された専用モデルであり、今で言うコンセプトカーの先駆けとなった車です。
BNSーJの技術が3年後に発売するスカイラインやグロリアに、フィードバックされています。

(7.オオタ自動車:[1956年]PK3)

オオタ自動車・・・・・聞きなれない名前ですが、戦前より存在していた自動車メーカーです。
戦前より小型車ではダットサンとのライバルであり、モータスポーツにも力を入れており日本発のサーキット場(多摩川サーキット)が完成すると、即時にレースに参戦するほどの自動車メーカでした。
小規模ながらも小型自動車を製造して主にタクシーで使われいたが、量産開始したダットサン110やクラウンに押され、この車が最後のオオタ車となった。
その翌年にオオタ自動車は経営破綻し、開発技術者等は富士重工業(現:スバル)やエンジン部品メーカに移籍していきました。

(8.鈴木自動車(現:スズキ):[1956年]スズライト)

鈴木自動車は二輪車メーカであり、ライバルは同じ浜松のホンダです。
二輪メーカでは初の軽4輪車を登場で、意外にもホンダよりもかなり早く4輪に進出していたのである。
このスズライトは日本初の軽自動車でFF車でもあり、サスペンションも独立懸架式(ストラット式)を採用した車である。
スズライトは、まだ4人が快適に乗れる軽自動車ではなっかたが、軽自動車の礎を作った車である。
鈴木自動車はその後、軽自動車ナンバー1の地位を30年以上わたり、軽自動車の地位を確立することになった。

(9.日産自動車:[1957年]ジュニア)

乗用自動車では車名にダッサンを付けていたが、小型トラックはダットサンではなくジュニアとして展開していた。
小型トラックとしては当時デザインが良く纏まっており、オースチン社と同じく提携していたBMCからもサンプルとして送ってほしいなどと言われたほどの車であった。
現在は当時日産が提携していた、オースチンもBMCのブランドは消滅している。

(10.富士自動車:[1957年]フジキャビン)

もともバイクを生産していた富士自動車であったが、その技術で3輪車を製造したのがこのフジキャビンです。
前2輪・後1輪駆動でのユニークな構造で、キャビンは当時では類をみないFRP製のボディを採用して非力な125cc、5.5馬力のエンジンでも軽快に走ることが出来た。
生産や販売等に難があり又同時期登場の東洋工業のオート三輪登場により、わずか2年で生産終了となった。

(11.富士重工業(現:スバル):[1958年]スバル360)

航空機メーカーであった富士重工業は戦後、国産での航空機製造が出来なくなっため自動車へのシフトを進めていった。
そして車のブランドをスバルとし、このスバル360は軽自動車でありながらエンジンはリヤにあり、大人4人が窮屈なく軽快に乗ることが可能な車となり、まさに国民車構想に近い車となった。
てんとう虫との愛称で親しまれ当時では車は高値の花であったが、比較的に買いやすい価格で購入でき「マイカー」という言葉が出たのもこの頃からである。

(12.岡村製作所:[1958年]ミカサ ツーリング)

岡村製作所といえば、オフィス機器・家具の製造・販売で知られてますが、当時は鉄道などでのトルクコンバータ式の自動変速機も生産しており、それを応用し自動車を製造したのがこのミカサです。
主にサービスカー(ライトバン)として販売してたが、一部少数であるがスポーツカーやオープンカーも製造していた。
わずか数年で岡村製作所は自動車製造から撤退するが、この車が現在のオートマチック車の礎を築いたに違い無いと思われる。

(13.日産自動車:[1959年]ダットサン[310系] ブルーバード)

このブルーバードは、現在では当たり前になっているシャーシ+ボディ一体構造(モノコック)を採用した、初の量産乗用車になった。
このモノコック構造によりサスペンションも進化し、ダブルウィッシュボーン+コイル式(現在のマルチリンク式)を初めて採用することが出来た。
サファリラリーにも参戦し完走することはできなかったが、この車でのチャレンジから後の「ラリーの日産」という言葉を生むことになる。

(14.東洋工業(現:マツダ):[1960年]マツダ R360クーペ)

昨年に創立100周年を迎えたマツダですが、前身は意外にも初めはコルク製造でした。
車名のマツダは、創業者(初代社長)の松田重次郎の苗字から取ったと言われています。
その東洋工業が初の量産乗用車(軽自動車)となった。特にクーペを日本で初めて名乗ったといわれデザインを重視して、軽量化に拘ったモデルでもあります。
乗車定員は2名であるが後部にも席がありかろうじて4人乗れる程度であった。なお当時のスバル360よりも価格が安いこともあり当初は売れ行き上々であったが、一時伸び悩みの後に4ドアが追加された。
この車はマニュア車が基本であったが、オプションでミカサで採用されたトルコン式の自動変速機も設定していた。

(15.トヨタ自動車工業(現:トヨタ):[1960年]トヨタ パブリカ)

最初の全日本自動車ショウ出品時は、国民車構想による大衆向けの実験車としての参考出品であったが、翌年にパブリカと命名し市販化されました。
特にこの車が重視したのが、車重580Kgの軽量化による低燃費で、当時は実用燃費で25Km/ℓ以上の燃費ただき出したと言われています。
エンジンは意外にも水平対向式のエンジンで、この車の販売のためにパブリカ店(現:カローラ店)を設けた車でしたが、コストにより室内装備が質素であったため販売では苦戦した車でした。
今のトヨタがハイブリッド車や水素自動車を手掛けているのも、この車から始まったのかもしれません。

(16.新三菱重工業(現:三菱自動車):[1960年]三菱500)

国民車構想から、三菱で自社開発した初の国産生産車がこの車です。
軽自動車のボディサイズながら、車名の通り500ccのエンジンを搭載してパワフルで性能は申し分なかったが、思うように人気が出ず2年半で生産終了となった。
次期モデルは車名がコルトになり、その後の三菱の小型車の主力となっていった。

この当時の車は、今のように自動車の安全基準が確立していなかったため、サイドミラー(フェンダーミラー)やサイドウィンカー等が無い車でも自動車販売が出来ていました。
今では考えられない時代ですが、まだ自動車が持てる人が少ない時代で車は憧れの物でした。

今回は以上です。
次回のモータショー車の年代をお楽しみに・・・・・・。
Posted at 2021/10/31 07:32:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ

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