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ニスモ命のブログ一覧

2021年10月17日 イイね!

東京モーターショー歴史と車(第1回)

東京モーターショー歴史と車(第1回)もしコロナでパンデミックが起こっていなかったら、今年の東京モーターショーは来週から開催されていたと思います。
そこで不定期ですが、東京モーターショーの歴史等を振り返りたいと思います。
なお車の紹介は、主にインターネットが発達する前の過去の車(2000年以前)を取り上げたいとおもます。

第1回目は、モーターショーの名称と開催場所の歴史について取り上げます。

東京モーターショーの前身は1954年開催の全日本自動車ショウですが、その前年にプレイベントで自動車展示会を実施しています。
その翌年に正式イベントとして、全日本自動車ショウが日比谷公園で毎年開催されました。



第6回目開催の1959年に、晴海埠頭に会場を移して開催されました。
そして1964年開催に、全日本自動車ショウから現在と同じ東京モーターショーに名称変更されましたが、この年にはオリンピックもあったので名称変更されたとも言われてます。
あと晴海会場で開催の1973年以降は、オイルショックが発生し隔年開催となりました。(1974年開催は当時、休止扱いで、その後に隔年開催へ決定)



1987年まで長い間、東京晴海で開催していきましたが老朽化や交通機関不便等により、新設された幕張メッセ(千葉県)での開催となりました。
当時はバブル経済のまっただ中で、来場者数も多くなりました。
いまでも、大規模なゲームショーやシーテック等の見本市等が開かれており屋内展示場では最大級の規模です。


2011年から、24年開催してきた幕張から東京・有明のビックサイトに場所が変更されました。
前回は、リーマンショックの影響で海外勢や部品メーカの不参加が相次ぎ、3月には東日本大震災の復興も相まって現在の有明に移転となりました。


そして今回2021年の開催は、コロナの影響で東京モーターショー初の中止となりました。
次回の開催はまだ正式に発表(アナウンス)されていませんが、次回に期待したいと思います。
Posted at 2021/10/17 15:06:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | クルマ
2018年12月10日 イイね!

なぜを5回繰り返せ。(第7回)

なぜを5回繰り返せ。(第7回)ゴーンの再逮捕で拘留期間が更に延長となり、色々と泥沼化してきています。
今回は約1年ぶりにゴーン逮捕の件について、なぜを繰り返してみたいと思います。

はじめに、ゴーンが突然逮捕されたのが始まりです。


何故(1回目)、今回突然に、ゴーンが逮捕されたのか?
「内部通報で社内調査の結果、役員報酬報告書の虚偽記載が発覚したから」です。

何故(2回目)役員報酬報告書の虚偽記載を行ったのか?
「ゴーンの報酬が、あまりにも高すぎるので批判を浴びるから」です。

何故(3回目)ゴーンの報酬が、あまりにも高すぎるのか?
「90年代後半のどん底の日産から、経営危機から日産を救ったから」です。

何故(4回目)日産は経営危機に陥ったのか?
「ヒット車が出ず、ユーザに魅力がない車両を開発していたから」です。

何故(5回目)[ここが真実]ユーザに魅力がある車両開発出来なかったのか?
「過去の経営陣と労働組合の対立で、日産の組織自体に問題があるから」

→ゴーン氏は90年後半の日産経営危機がなかったら、おそらく日産には来なかったと考えます。
日産は「技術の日産」をスローガンにしていたため、自分の技術に奢っていたためユーザに合った車を開発できなかったのではないかと思います。
特に80年代、90年代は経営側と組合側との対立があり、どんどんシェアを落としていったのではないかと考えます。
そして90年後半に経営危機をもたらし、ゴーンが日本にやってきてしまいました。


今回のゴーン逮捕の顛末において、日産の西川社長や志賀取締役(元日産COO)のインタビュー発言の言葉の歯切れが悪く、まだ何かを隠している風潮が見られます。
そもそも90年代後半の経営危機も日産の経営体質が風通しが良くなく、隠蔽体質から発生したと思います。
今回のゴーン逮捕で日産の経営を透明化して、全てを明らかにしたら役員は全員総退陣して新たな経営者を選出して欲しいと思います。


ゴーンさんの逮捕で、ルノーとの経営統合が表に出てきました。
日産は国策の自動車会社合併の歴史を有している企業です。
今後は日産の経営を透明化することが、ルノー・三菱とアライアンスを計りながら自主性の経営を目指して欲しいです。


あと日産には、売れる車ばかりを残すのでなく、ユーザに魅力ある車を出して欲しいですね。
ゴーンが日産の経営を引いた今だからこそ、ユーザの意見を無視した車開発をして欲しくないです。
そして過去に日産車ユーザだった人たちが戻ってくることを、今後に期待します。
Posted at 2018/12/10 19:03:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | 日記
2017年10月24日 イイね!

なぜを5回繰り返せ。(第6回)

なぜを5回繰り返せ。(第6回) 7年ぶりに、今回の起きた未認定の検査員が実施していた件についてなぜを繰り返してみたいと思います。






はじめに日産がこの検査問題を担当責任者(部長クラス)公表したのが始まりです。

何故(1回目)、今回、日産で検査問題が起きたかのか?
「国土交通省が日産の工場を抜き打ち検査したから」です。

何故(2回目)国土交通省が日産の工場を抜き打ち検査したのか?
2016年の三菱燃費偽装問題で自動車メーカーもチェック対象となったから」です。

何故(3回目)自動車メーカーもチェック対象となったのか?
一般整備工場は検査員の抜き打ちチェックをしているのに、自動車メーカの工場はチェクが無く不公平があるからです。

何故(4回目)不公平があるのか?
今までは自動車メーカーを信頼していたからです。

何故(5回目)[ここが真実]、自動車メーカーを信頼していたのか?
国が自動車メーカーへは通達(書面)だけで、検査を正しく行っているだろうと安心しきっていたからです。

→今回の日産自動車の未認定検査の問題は、社会的には法令違反なので決して許される問題ではありません。
しかし、自動車メーカー任せの国の検査問題のやり方の型式指定制度にも問題があるように思えます。
確かにこの制度があるから、登録自動車や品質も担保されて安全を確保出来るのも事実なので、今後はこの制度の運用変更も必要でしょう。
※認定検査員は自動車整備資格のように、国が認定して許可した人以外は検査できないとか。。。

今回の日産の会見を見ても最初9月末の責任者の会見以降に社長がすぐにお詫びしたのは良かったのですが、同じことを2回繰り返したのは企業のコンプライアンスを疑われても仕方ないですね。
日産の2回のお詫び会見でも社長は真摯にお詫びしているとは感じられず、本音は上記の何故のように国の制度が旧態しているのが問題であることを指摘したいと言いたいのでしょうね。
型式認定制度については、今後の自動運転技術で足かせになる制度のため、自動運転をアピールしたい日産にとっては障害となる制度でしょう。

とは言っても日本は法治国家なので、日産は原因を正しく究明し改善報告した上で、型式認定制度の問題を指摘しなければ、社会も納得しないと思います。

自分は今日人間の検査引っ掛かり、また来月に人間の再車検を受けます。(涙)
Posted at 2017/10/24 17:52:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 企画物 | 日記
2013年01月03日 イイね!

フェアレディZの歴史[第5回:Z33進化・Z34登場・未来へ]

フェアレディZの歴史[第5回:Z33進化・Z34登場・未来へ]Zの歴史を記載してきましたが、今回が最終回です。
2002年に登場したZ33は最初はクーペのみでしたが、1年後にオープンモデルのロードスターも登場しました。
その後も毎年のようにイヤーモデルを登場させて、毎年進化していきました。



2度のマイナーチェンジも行いエンジンも、初期型の280馬力から294馬力そして313馬力(VQ35HR)とアップし2回目のマイチェンでは、バージョン・NISMOも登場しました。
スポーツカーでは国内でライバル不在の状態で、Z33は人気が高い状態が続きました。


そんな矢先2007年10月の東京モーターショーで、同じ日産からあのお化け車が登場します。
日産GT-R(R35)の登場です。
この段階でZ34の次期型コンセプトが登場してもおかしくない状態でしたが、GT-Rの登場によりその姿は見ることが出来ませんでした。
そしてGT-R登場の2008年秋に、世界を震撼させる経済ショック(リーマンショック)が発生し、その直後にZ34は登場します。
Z34はZ33の正常進化モデルチェンジでしたが、Z34登場の直後にZ開発責任者の湯川CPSが日産を去りました。
Z開発責任者が去った後のZ34は、GT-Rの毎年進化を尻目にZ34の毎年進化が無くなりました。
レースにおいてスーパーGT等でZ33で戦ってましたが、GT-R登場でその活動も一変していきます。
Z34はリーマンショックなどの影響もあり、Z33発売時の勢いは無く2012年夏のマイナーチェンジを行い現在に至ります。


現在は次期型の開発が行われてるのか判りませんが、Z33とZ34を乗ってきた私にとてはZ34はZ33と比べて間違いなく速いですが、少し車両重量が重過ぎですね。
過去のZでは排気量を大きくしてきましたが、次期Zはまずダウンサイジングを行い、排気量をダウンし車両軽量化でGT-Rと差別化することが重要だと私は考えます。
次期Zの理想は排気量は2.5から3.0ℓ位で、車両重量も1.3トン台に抑えると非常に面白い車になるではないかと私は思います。
ハチロクやBRZの小型スポーツ登場で、Zの存在意義を示すにもスポーツカーの開発は、車の理想と情熱は重要だと思います。
いつの日か、Z35が登場するのを期待し今回の企画を終了します。

今回5回に渡たり、日産フェアレディZの歴史を記載してきました。
またZを語り合うとき、お会いしましょう。

この記載の件については、さまざまの参考文献(雑誌・書籍・TV放送等)を参考にしております。
Posted at 2013/01/03 17:34:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 企画物 | 日記
2012年12月24日 イイね!

フェアレディZの歴史[第4回:フェアレディZ(Z33)の復活]

フェアレディZの歴史[第4回:フェアレディZ(Z33)の復活]990年後半に北米向けのZが製造中止・販売停止されましたが、その件である人が本社に殴りこんできました。
北米でダットサンブランドを立ち上げた、Mr.kこと片山さんです。
80年に日産ブランドの統一で影を潜めていましたが、さすがにZの製造中止には本社に直訴しました。


その当時の日産社長は、北米等の工場を主担当してきた塙社長です。
この頃の日産は経営がどん底の状態で、とてもスポーツカー開発できる雰囲気ではありませんでした。
それでも塙社長は日産として、スポーツカーを造ろうと決断します。
ご時勢だけにスポーツカー開発を極秘で託されたのは、湯川さん含め3名の開発者で進められました。
そして日産はルノーに再建支援を求めて、あの日産再生のリバイバルプランが発表されます。
その直後にフェアレディZ(Z32)は国内でも販売停止となり、次期Z33登場まで姿を消しました。

しかしそのリバイバルプランの発表直後から、湯川さんが開発責任者となり密かに次期Zの開発がゴーとなります。
この開発と前後して、Mr.kこと片山豊さんもニスモ嘱託(名誉会員)として日産グループに復帰を果たします。
Zの生み親が同じ社内グループにいるとのことで、お互いに意見を出し合い開発していきます。
そして2001年北米ショーでプロトタイプが登場し、その年の東京モーターショーでは生産タイプの参考展示もありました。

Z完全復活に向けてすべてが準備され、2002年7月に日産のV字回復とZ33として華麗な復活を果たしました。
Z33では日本でも350Zとしてフェアレディの名前を外そうという動きもありましたが、開発責任者の湯川さんの強い意思で国内ではフェアレディの名前はそのままとなりました。
この頃は環境による排ガス規制もあり、R34GT-Rやスープラ/RX-7等のスポーツカーが生産中止となりスポーツカーを選べるのはZのみで価格も庶民のスポーツカーの価格ということでヒットしました。
また片山さんがニスモの嘱託になったこともあり、ニスモはGT-Rイメージが強いでしたがZ33用のパーツも拡大していきます。
そしてZ33は、GTやS耐レースにも出場して活躍していきました。
開発責任者の湯川さんが、毎年進化させるとの公言通りZ33は年々進化して、少しずつスポーツカーファンを確実に増やしていきます。

今回は、ここまでです。(今回の補足1補足2
次回はフェアレディZ歴史のシリーズも最終回です。
次をお楽しみに・・・・。

この記載の件については、さまざまの参考文献(雑誌・書籍・TV放送等)を参考にしております。
Posted at 2012/12/24 14:27:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 企画物 | 日記

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