タイトルは、他のブログを見て表現をパクリました肖りました(笑)
前回、佐渡金山を見ました。
佐渡金山から大佐渡スカイラインを西に下ると、かなり海に近くなります。
赤〇で囲った部分に行ってみましょう。
※国土地理院地図
ここを、北沢浮遊選鉱場跡と言います。
浮遊選鉱とは、細かく砕かれた鉱物を化学物質を入れた液体に浸して分離し、有用な鉱物を収取する方法を指します。
余す事なく有用な鉱物を取れるため、効率が良かったようです。
入り口にあるのは、明治41年に作られた火力発電所跡。
後ろにめっちゃ足場ある。
非常に広大な遺構があります。
1937年(昭和12年)に作られた施設で、日中戦争開始による金銀の需要増に対応する為に作られました。
1940年(昭和15年)には、年間に1,537㎏の金が採れ、過去最高を記録します。
その後、1952年(昭和27年)には戦争の激化によって金山の規模を縮小、この北沢浮遊選鉱場を始めとして周辺施設が数々閉鎖されます。わずか15年間の利用でした。
2010年、本格的に観光施設化を始め、現在は新潟県をはじめとして、ユネスコ世界遺産としての登録を目指して様々な団体が活動しています。
逆光もあってか、あまりいい写真がありません…緑だらけで全体の感じがつかみにくいです。
春か冬が良さそうです。夜はライトアップされるそうで人気が高い。
私が今いる芝生の部分も、鉱山全盛期は大きな建屋で敷き詰められ、工業地帯だったようだ。
そして工業地帯が更地になり、1970~90年頃はここが佐渡初のゴルフの打ちっ放し練習場だったというから驚きである。今の駐車場側から打てたようだ。
画面中央の凸型の遺構は防球ネットの基礎の名残であり、往年の施設とは何ら関係がない!
ここからよく、ユネスコ世界文化遺産候補に持ち直したな(笑)
今でも探せばゴルフボールの1つくらい出てきたり。
当然ながら内部は立ち入り禁止です。
不特定多数の出入りする観光施設の一部となっていますので、入るのは止めておきます。
昔の北沢浮遊選鉱場は屋根があり、今の光景とはだいぶ違ったようです。
選鉱場は広く、奥側にも似たような施設がありますが、管理外のようで緑に埋もれています。
どことなく、海外っぽいかな。ラピュタ感という中では、一番それっぽいかも。
こっちの方は操業停止後からあまり手が入っていないようだ。
すぐ近くに現役当時の写真や、佐渡の文化を展示している相川技能伝承展示館があります。
ここに来た時、中に入りませんでした…。こういう所にある資料館なんて一番大事だよね…。
ピンク色のハコスカと思しき車両に、手前の白いのは何でしょう。4灯にセリカ1600GTのようなリアバンパー。
そして右には、北沢浮遊選鉱場がゴルフ打ちっ放しだった頃の防球ネットが映っている(笑)
この相川技能伝承展示館がいつからあるのかはよく分かりませんが、1976年時点では存在せず、1985年にはあったようだ。もちろん、2019年現在も普通に利用できる。
ここは選鉱場だけではありません。
他の施設も見てみましょう。
鋳造工場跡。
すぐ隣に鍛造工場もあったらしい。
鍛造工場は、1952年の操業停止後、1964年(昭和39年)に、すぐ近くの県立相川高校の50mプール建設の為に解体・撤去されました。
1988年(昭和63年)にプールの漏水が見つかり廃止、1999年に更地になり、今のような芝生になっています。
鍛造工場の15年間より、プールの使用24年間の方が長いんだなぁ。
いつもの国土地理院地図より。
左が1976年、右が2014年頃の写真です。
左側は+辺りが50mプールになっているのが分かると思います。
そして南の北沢浮遊選鉱場に防球ネットがある事も。
最奥に位置する、ローマのコロッセオのような円形の施設。
もちろん立入禁止である。
写真には写っていないが、左奥には前述の県立高校プールがあった時代の観覧席が残っている(笑)上にある写真を見ると、何となくわかると思う。
製材及び雑作業場跡は、元々この案内看板中央の平場を指すようですが、既に緑色に覆われていて分かりません😅
50mシックナーという、こちらの建物だけが目立ちます。
このシックナーによって鉱石から水分を分離し、対岸の北沢浮遊選鉱場で金銀を採取されたようである。
分離というと遠心力、このシックナーは回転するのか?なんて思いたくなってくる。
ちなみに、昔は3基あったらしい。
これは2017年に自分で撮影した秋田県の尾去沢鉱山ですが、左にある円形の施設がやはりシックナー。
これらの施設に立ち入れないのは大変残念であるが、何せ観光施設の一部であり産業遺産、そんな大それた事は出来ない。そして現地ではプールや打ちっ放し練習場があった事を知らなかった(相川技能伝承展示館に入れば知る事が出来た)ので、そういった筋の写真も殆ど撮れていない。
駐車場には無名異焼という佐渡独特の焼き物があり、製作体験も出来る。
すぐ近くの大間港跡へ移動します。青森の有名な港ではありません(笑)
ここも鉱山施設の一部で、1892年(明治25年)に開発されました。
主に火力発電所の燃料である石炭の受け入れや、鉱石等の生産品搬出を行っていた施設です。
画面右にある、戦争で使うトーチカのような施設はクレーンの台座です。
ちゃんと案内看板があります。
上記の写真の台座は1914年(大正3年)頃のものですね。
トラス橋は1945年頃と設置はやや遅かったようですが、さすがに腐食が激しい。
誰かが忘れたキャプテンスタッグのっぽい折りたたみイスを見ると、この橋脚の大きさがわかると思います。
本当は、この上に橋があった。
この施設は何?
救命ボート?
とりあえず86を持ってきた。車の進入についての制限はない。
ぎりぎりまで行けんじゃね、の精神で未舗装路ぎりぎりに入ってみました。
ロマンを感じる。
車種によっては
護岸の終点まで行けるんだろうけど、世界遺産の登録を目指している場所で車を転覆なんて、さすがにヤバい。
大間港跡から少し離れてみる。
謎の平場。
海苔を育てる施設らしい。
よーーーく見ると、岩の上に釣り人が居る。瀬渡しという手段で、孤立した場所に好き好んでいるらしい。
釣り師、山屋、沢屋、養蜂家は皆、冒険家の類である。
帰ってきた。
もう13時過ぎてるけど、まだ今日は8か所くらいは行かなきゃいけないんだ…。先を急ぐぜ。
私は、昼にどこかでご当地グルメを…というのを殆どした事がない。せわしい…。
対岸から。
よく見ると、86がいるのが見える。金山関係はここでいったん終わり。
次回は隧道メインかな?