宮城県のレアなダムから、福島市と米子市の境にある、大滝宿に来ました。
なお、今回の資料の殆どを「
わが大滝の記録」様を参考にさせて頂いております。
実際に居住されていた方のサイトですので、かなり濃厚です。
大滝は、かつて山形県~福島県の通行を大きく変えた萬世大路の施工基地として作られました。
明治天皇が行幸(外出)された際、この大滝に宿をとられた事で知られています。
青看板にも、行先に名前が記されています。
入り口では、かつて経営されていたであろうお土産・飲食店の廃墟が出迎えてくれます。
後述しますが、昭和54年(1979年)に無人化した後、昭和59年から「大滝宿」の観光化を計ったようですが人気が出ず、平成3年(1991年)頃には自然消滅したそうです。
ここから未舗装路です。国道13号の旧道に当たります。
明治時代末期、ここの左手には饅頭屋さんがあり、近くの大滝銅山に販売されていたそうです。
未舗装路をトロトロ走っていると、対面から悪路の王者ジムニーが。
道無きところへ避けて走ってくれました。王者の余裕さすがです、ありがとうございました。
ちょっと路肩で一休み。
通称「かど」と呼ばれる場所のようです。
割と整理されている未舗装道でも、自転車も載せてへろへろです。
山菜・きのこのお店。
ふるさとを想う。
今は画面真ん中の分岐路のやや南側にいます。
この道は1934年(昭和9年)に失業対策工事で施工された通称「救済道」です。
ひたすら南に行き山を越えると、秘境駅として有名な赤岩駅までたどり着けます。
当時の方は、福島の市街地に出るためにここを歩いて赤岩駅まで通ったのだとか。
大滝橋という橋を渡って…上の地図でいう、赤い屋根の建物がある箇所に来ました。
大滝分校跡です。
路駐しているうちに、レクサスCT200が1台通過しました。
後ろに見える坂道は、分校へ入るためにあったそうです。
分校跡に、大滝記念碑があります。
立派な記念碑があり、大滝の歴史が記されています。
かいつまんで記載しますと
「大滝は明治10年(1877年)、萬世大路の建設基地として生まれた町で、開通後は難所の栗子峠を越す前の宿場町として栄えた。」
「明治33年(1900年)、奥羽本線の開通により徒歩の客足は激減。30年足らずで宿場町は終焉を迎えた。」
「以降、大正、昭和初期を平和な山村として過ごした。昭和10年(1935年)、266名、43世帯が暮らした頃が最盛期となった。」
「しかし、終戦後は高度経済成長期を迎え、都市との経済格差が著しくなった。昭和41年(1966年)は新道(現在の国道13号)が開通し、主要道からも外れてしまった。」
「加えてエネルギー革命が興り、主産業の木炭が廃れ、昭和54年(1979年)に無人となった。しかし、明治天皇が宿泊し祖父親子三世代に渡って築いてきた大滝の文化に万感の思いがあり、記念碑を残す」
この記念碑自体も昭和54年のものだそうで、ちょっと驚き。
離郷十周年時の記念碑。
平成元年(1989年)に改修した記載有。
平成25年(2013年)、奉納の山神神社鳥居。ついこの間ですね。
山神(さんじん)神社。
山神神社の由来が記載されています。
明治43年(1910年)に三ツ石(光石とも)三平なる浮浪の人物が、萬世退路を通行中に良質な鉱脈がある事に気付き、一攫千金を得た。氏は、ここに神社を建てて山の安全を願った。」という事が由来のようです。
しかし、大滝銅山は鉱床極めて浅く、大正時代には閉山しました。
感じるのは、どの記念品もキレイである事。
定期的に大滝に住んでいた方の集いがあり、手入れをされていらっしゃるようです。
道まで戻ります。分校のすぐ近くに旧ポンプ小屋があり、現在は大滝を管理される方々の事務所となっています。
すぐ横にある旧太見邸。
冒頭の大滝宿観光化の際に福島県の商人が空き家を買い取って、芝居小屋等として営業していたそうですが、長くは続かなかったようです。
向かいは同じく空き家(旧須田邸)を買い取り、大瀧屋という食堂があったそうです。
悲痛な叫びが書かれています。
不法投棄・窃盗は、廃墟・廃道に必ず付いて回る問題です。
こからは、86を棄てて歩きます。
すぐ近くにも建物があり、こちらは茶屋だったようです。
こちらのHPを見ると2006年には「コーヒー1杯500円」等の看板があったようです。
先に進みましょう。
楜沢橋が見えてきます。
昭和11年竣工。
建屋が見えてきました。
旧渡辺清治邸。
右にある萱は、冬の間に家の周りに敷き詰めて防寒効果を高めたそうです。
軒下まで雪が積もる事が多かったんだとか。
一枚失敬。
掃除機は昭和60年(1985年)で、無人化後のものでした。
明治天皇が宿泊された、旧渡辺要一邸。
明治14年(1881年)、明治天皇が宿泊した事を記念して作られた碑。鳳賀註蹕の蹟と刻まれ、
二ツ小屋隧道と、ここの2つに建てられています。
(前回、二ツ小屋隧道で見逃しました)
昭和になり、御影石で改めて建てられました。
この渡辺邸に宿泊されたわけですが、本来は隣の高野邸に泊まるところを渡辺邸が増改築する等して明治天皇に泊まってもらえるように嘆願した結果、渡辺邸に泊まる事になったとの事。
当然、高野家と渡辺家の仲は険悪となったようですが、子孫の方はそういったわだかまりはないそうです。
>(高野邸は現存せず)
この先も萬世大路、旧国道13号線が続くのですが、家屋が無いため急激に廃道化していきます。
少しわかりにくいですが…
この旧西川橋を渡ると、大滝の集落は終わりです。
先はかなりの藪なので、行きません。
旧西川橋をスルーすると、後から出来た現国道の建設などで使われた作業道と思われる道が続いています。
車で来たら、ここで転回しましょう。
現:西川橋。国道13号線。
新しく出来た、東北中央自動車道の新西川橋。
謎の足場。
謎の足場の対面は、足場を撤去した跡が残る。謎の足場側にも、撤去をした跡が残る。
ストリートビューで見ると、単に空き地に足場がかかっているだけに見える。
対面のトンネルも4車線にするためにあるわけではないようだった。
道がなくなるが、現:西川橋が架かるまでは農作業道があったらしい。
その後、補償としてかなりの幅員を持つ道が出来ましたが、現地では確認出来ませんでした。
1966年時点の大滝。
左上の橋が現:西川橋。下にかかっている小さな橋が旧西川橋。
画面中央やや右にある大きな家屋が渡辺邸。
右に見える分岐路のうち、現道に上がっていくのが補償で出来た作業道です。
86を棄てた茶屋まで戻ってきました。帰ります。
左手に、大きく傾いた金属の門のようなものが見えます。
ここ元々の木炭倉庫で、その残骸と思われます。
大滝の入り口まで戻ってきました。
廃墟と御地蔵様のいる水汲み場。
蕎麦屋だったらしい。
御地蔵さんの涎掛け等は新しくなっているものもあります。
東北中央道。
岩を削りまくった物凄い力技を感じさせます。
登れるようです、疲れた。
連絡道になっており、この区間は国道13号から入る場所で、高速道路ではありません。
特に何もない行き止まりだけがあります。
では、大滝を離れます。2019年秋の東北の旅はやっと終わりました😅