
前のブログの続きです。
西公園を後にして、広瀬通りへと向かいました。
歩道橋の上から広瀬通りをパシャり!
ミニチュア風に撮ってみるのも面白いですね(^_^)
広瀬通り沿いにある小学校の校門にはこんな看板が出ていました。
「荒城の月」の作詞をした土井晩翠(どいばんすい)の母校です。
作曲の瀧廉太郎には知名度では負けますが、この詩があったからこそ、名曲として残っていると思います。
晩翠が晩年に暮らした家屋が「晩翠草堂」として、青葉通りに残っています。
広瀬通りをそのまま進みました。
こんな天気のいい日にポタリングできるとは、とってもラッキーでした。
この先を進んだところで、左の路地に入りました。
この道は・・・
仙台一の繁華街、「国分町通り」です。
学生時代は、この街の居酒屋で飲み食いしたものでした。
でも、高級なお店には入る金などない貧乏学生でしたので、当時はそれほど訪れることはありませんでした。
大学の先生に連れられて入ったお店もありましたが、高級なお酒に驚いたものでした。
この道をどんどん北上すると、前日の夜にいた・・・
定禅寺通りと交差します。
この通りは、今までブログに何回かあげているので、詳しいことは省略します。
東京エレクトロンホールが見えます。
前日の演奏会の余韻がまた蘇ってきました。
日差しが暑かったので、この木陰でしばし休憩・・・(^_^)
さて、ポタリング再開です!
国分町通りをさらに北上します。
このあたりはまだこれくらいの道幅があります。
歩道を歩いている人が余裕で歩けます。
しかし、この先の北四番丁通りを通過してさらに北上すると・・・
急に道が狭くなり、歩道も無くなります。
ここはもう「国分町通り」とは呼ばれません。
昔ながらの道路が今でも残っていました。
かつては、この狭い道を路線バスが走っていました。
現在は新しい道路がこの西側にできたため、この路線はなくなったようです。
この通りにある和菓子屋さん。
実家に帰省するときに、お土産にお菓子を買った覚えがあります。
通り沿いには、昭和の雰囲気がまだ残っていました。
通りはさらに狭くなり、車がすれ違うのに苦労しそうな幅でした。
時間帯によりますが、対面通行ができます。
国分町とは一本道にあるのですが、雰囲気が全然違います。
懐かしい風景。
この氷屋さん。
私が住んでいた頃のままです!(^_^)
さらに進んでいくと・・・
見覚えのあるパンション。
私が住んだ下宿先は、この建物の先にありました。
当時、私は実家からこの町の下宿屋に2年間お世話になりました。
朝夕二食付き、風呂・洗面・トイレは共同でした。
母屋には女子学生が住み、離れのアパート様の建物に男子学生が住んでいました。
母屋で食事をとり、夜に決められた時間帯に風呂に入ったものでした。
下宿屋さんの家族→女子学生→男子学生の順で風呂に入るので、私たち男子は夜9時から11時の間に入ることになっていました。
この時間のしばりが結構窮屈で、帰りが遅くなると風呂に入れなくなることもありました。
当時は男子学生が6人ほど、女子学生が5人ほどいました。
タイミングが悪いと風呂が空かず、冬などは寒空の外で待たされたりしたものでした。
日曜日には風呂も食事もなかったですし、部屋にはキッチンもなかったので不自由でした。
そういう時は、コンビニ弁当を買ったり、近くにあった銭湯へ出かけたりしました。
ん?・・・
あの銭湯は今もあるのだろうか・・・?
気になったので、記憶をたどって行ってみることにしました。
新しい道路ができていたので、もしかしたら銭湯も立ち退いたのかも・・・
と思いながら、裏道を進んでいくと・・・
青葉湯
ありました。
でも廃業して久しいようで、建物は荒廃していました。
周りは新しい一戸建て住宅やマンションがありましたが、この銭湯だけは当時の面影を残してポツンとたたずんでいました。
冬の冷え込んだ夜に、この銭湯から下宿へ歩いて帰ると、たった5分くらいで濡れていた髪がカチンコチンに凍ってしまい、スーパーサイヤ人のようになったものでした(^_^;)
あの頃にタイムスリップしたような気分で、この看板をぼんやりと眺めていました。
なんだかちょっと寂しい・・・( ; ; )
さて、さっきの国分町からの道路に戻ります。
自転車店がありました。
当時はバイク店でした。
引っ越してきてすぐに、ここで原付のスクーターを購入しました。
大学へ通うには、路線バスよりも融通が利くので学生たちにスクーターは必須アイテムでした。
今はもう別の経営者になっているようで、お店の名前も変わっていました。
時間の流れを感じました。
道をさらに北上すると・・・
正面に木々に包まれた丘が見えてきました。
この通りの突き当たりにある、「青葉神社」です。
レンタサイクルを停めて、鳥居をくぐって階段を登りました。
鬱蒼とした雰囲気です。
周囲の木々が風で揺れる音が、車の音を消し去り、静寂や雰囲気が漂っていました。
御神木でしょうか?
立派なヒノキが立っていました。
明治になって建てられた、比較的新しい神社。
藩祖 伊達政宗公を祀っています。
昔はもう少し明るい雰囲気だった気がするのですが、今はひっそりとしてどこか寂しい印象でした。
秋になったのに、この日の日差しは暑くて、しばらく木陰で休みました。
紅葉はまだまだ先・・・
ここからまた自転車に乗って、JR北仙台駅方面へ移動。
仙台駅に比べて、こぢんまりとした駅です。
私はほとんど利用しなかったのですが、何か懐かしい思いがしました。
こうしてポタリングしているうちに、12時が近づいてきました。
昼食はラーメン・・・という気分にこの日はなれなかったので、木町通りから定禅寺通り方向へ戻ることにしました。
昔住んでいた町に別れを告げて、移動しました。
ここまでは、私の住んでいた通町(とおりちょう)界隈の様子でした。
このポタリング道中は、もう少し続きます。
次回は、懐かしい喫茶店と様変わりした街の風景について書こうと思います。
もうしばらくお付き合いをお願いします(^_^)