上官殿!
本日は前回に続き、酷道走破訓練の後半を報告させていただきます!!
今回訓練地として選択した、
国道152号。
長野県上田市を起点として、ほぼ真っすぐ南下。静岡県浜松市を終点とする、総延長269kmにも及ぶ長大国道です。
ところがこの国道152号、100番台とかなり初期に国道指定された路線にも関わらず、約70年もの間、分断箇所(=国道が途切れている区間)が2ヶ所もあり続けています。
しかもその2ヶ所とも、今後どころか未来永劫、国道を開通させる予定すらないという。
前編では1つめの分断箇所である「
青崩峠(あおくずれとうげ)」前後の報告を致しました。
今回の後編では、なぜその青崩峠に国道を通す予定すらないのか。
そしてもう1つの分断箇所である「
地蔵峠」についての報告をさせていただきます!
前編にて報告した通り、青崩峠は「
あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と一般に販売されている道路地図に書かれていた場所です。
なぜ標高もそれほど高くない峠(1,082M)に、道路を通すことが出来ないのか?
それは国道152号に沿ってある、世界最悪レベルとも言われる岩盤崩落地帯「
中央構造線」が理由となっています。
中央構造線とは、九州西部から関東まで横断する世界第一級の断層のこと。
静岡県・長野県あたりでは、浜名湖北部から急激に北上し諏訪湖まで伸びているのが分かります。(黒線で囲んだあたり)
この線形って何かに似てませんか?
そう、国道152号のルートとほぼ同じなのです。
つまり国道152号は、世界第一級の断層に沿って走る道路だと言うこと。
更に掘り下げると、その断層上に国道が分断されてしまっている「
青崩峠」と、そこを避けるためにトンネルを掘ろうとしたものの地盤が軟弱なため結果困難と判断された「
兵越峠(ひょうこしとうげ)」があります。
下の地図は、国土交通省が2005年に兵越峠の下にトンネルを通すことを断念した後、それに替わる新ルートを検討した時の図面です。
※細いオレンジ色・・・国道152号
※細い紺色・・・兵越林道(前回報告で偵察)
図面にはA~Dの4ルートが書かれています。
A・・・断念した兵越峠トンネルの開通前提
C・・・工事難度は一番低いが、遠回りする上に費用は一番かかる
D・・・Aより短いトンネルで兵越峠を通過するが、その後は現在の兵越林道(細いクネクネ道)を活用するためメリットが少ない
結果、地質調査から固い岩盤が多く、費用も半分以下で済む、中央構造線の西側を通るB案が採用となりました。
そのB案が、前回報告で登場した「
青崩峠トンネル」(画像左・静岡県側)
国道152号の延伸ではなく「
三遠南信自動車道」として進められています。
ではその青崩峠トンネルは、大丈夫なのか?
これまでの経緯からすると、今度こそ開通出来るのか不安な状態ではありますが、実は既にトンネルの貫通は完了しているのです!
正確には開通したら避難用通路に転用される”調査用トンネル”は既に貫通しており、現在は車が通る”本坑”を掘っている最中です。
とは言えこの青崩峠トンネル、難工事であることに変わりありません。
何せ断層が27本近くあるのですから。
しかも岩盤は、どこに何があるのか分からないレベルでグチャグチャに折り重なっている上に、場所によっては岩が ”Ω” のように曲がりくねっています。
それだけではありません。
これ以上の計画失敗は許されないため、かなり慎重かつ念入りに調査をしたにもかかわらず、掘り始めて直ぐにトンネルが変形し始めたのです。
その力は凄まじく、トンネルが崩れ落ちないように支えるぶっとい鉄柱(支保工)ごと曲がったほどです。
その後、もう1本支保工を追加する事で何とか調査抗を開通させ、現在はこれらの経験を元に本坑を掘っています。
さてそんな青崩峠トンネルの長野県側出口は、こちらも前回報告で登場した兵越林道と、国道152号との交差する付近となります。
《
飯田市南信濃八重河内》
画像右側の森林地帯の向こうで、三遠南信自動車道として工事が行われています。
ちなみに現在通行止めとなっている、乙三三式車両改の向こう側に伸びる国道152号は、整備される予定はありません。
長野県側から青崩峠へのアプローチはこれ以上出来ないので、大人しく国道152号の通行可能区間へと進みます。
進み始めて直ぐ、大きな工事現場が。
三遠南信道が開通すれば、「
小嵐IC」となる場所です。
《
和田バイパス》
この後はしばらくの間、片側1車線ではあるが広々とした快走路が続く。
この辺りは、三遠南信道の開通後もそのまま利用される区間です。
下市場トンネルを抜けると、国道418号との交差点に差し掛かる。
ちなみにこの国道418号は、
日本最凶酷道として全国にその名を馳せており(酷道マニアの間のみ)、この交差点がその終点となります。
※日本最凶酷道の偵察記録はコチラ→
☆
《
飯田市上村上町》
直進方向は、三遠南信道の一部開通区間である
矢筈トンネル。国道474号としても指定されています。
ワタクシ二等兵の目指す国道152号は、左斜め前方。
ちなみに標識には、しらびそ高原と大鹿と案内されているが、林道経由であり決して国道152号がそれらに繋がっている訳ではない。
国道152号へと進むと、右にカーブを描きながら上村川を2回渡り、三遠南信道(国道474号)の下をくぐります。
高架をくぐった先で直進するのが国道。
案内標識には国道表記こそ無いが、152号と記されている。
通行不能の文字と共に。
左が林道、直進が国道。
知らない人からすれば、どう見ても直進方向が国道とは思えないだろう。
林道との交差点から奥は、普通車同士で離合(すれ違い)すら出来ない、完全1.0車線幅の狭路となります。
しかし途中には、山間部の狭路においては信じがたいようなストレートが。
両側を木々などで視界を塞がれているが、人が飛び出してくる心配はないだろう。動物が飛び出してくる可能性は否定できない。
しかしこの先は行き止まりのはずなのに、何故か対向車が来る。
また狭路ではあるが路面は比較的安定しており、管理されていることが伺える。
ストレートを過ぎると、左側に人工物が見えて来ると共に、センターラインが現れて片側1車線道路となります。
そして見えてきた人工物は、かなりの規模のキャンプ場であると判明。
《
大島河原河川公園》
しっかり国道標識も設置されています。
そしてキャンプ場を通り過ぎると、図ったかのように道幅が狭くなり・・・
舗装状況もどんどん悪くなります。
1つのキャンプ場のためだけに整備されている国道、152号・・・
そしてあっという間に行き止まり。
ここが国道152号の2つ目の分断箇所(=国道が途切れている区間)の端点。
道幅もこんな感じ。転回すら出来ない。
通行止めとなっている先は路面に多くの堆積物があり、管理しているようには見えません。
確認出来る限りでは、2014年くらいまではこの先に進めたようだ。以下、知人からの拝借です。
ゲートのあった場所。
ワタクシ二等兵が行けなかった先へ侵入。
路面はアスファルトからダートに変化し、
この上りを越えると
目の前が開け、現れたのは河原・・・
例えゲートを通過出来たとしても、国道は河原に吸い込まれるように消えていきます。
さてワタクシ二等兵の偵察活動に報告を戻します。
林道との交差点まで戻ってくると、ここにも国道152号の標識が。
来るときには見えなかったので、これを見るのは先のキャンプ場利用者が帰るときだけである。
一部開通している三遠南信道および国道474号へと戻ると、いくつかの橋脚が建っているのに気づく。
トンネル工事をしている様子の一切ない森林帯の先に建てられているが、矢筈トンネルを含む三遠南信道の一部として計画されていたのだろう。
橋脚はかなり前に建てられたようだが、以来工事が進んでいる気配はない。
《
長野県大鹿村》
先ほど飯田市側では、地蔵峠へ向かう国道152号は河原へと消えていきました。
ところが峠の向こう側である大鹿村では、地蔵峠まで国道が開通しているのです!
道自体はこの先も続いていますが、地蔵峠から先は蛇洞林道となり、国道ではありません。
では国道152号線の道筋はどこへ続いているのか?というと、地蔵峠から谷底へと真っ直ぐ下っているのである・・・
もっと具体的に言うと、このガードレールの切れ目から下るのが正しい道筋のようです。
本来なら、更にここから調査を進めるのが我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」であるが、今回はここで時間切れ。
何しろ今夜は、上官殿と隊員一号(長女)、そして二号(長男)を焼肉にお連れする任務を仰せつかっている。
中央道の渋滞に巻き込まれながらも、何とかお財布としての役割を果たし、上官殿ご満悦の表情を見て安心する、ワタクシ二等兵であった・・・(泣)
(おわり)