上官殿!
ワタクシ二等兵の故郷である群馬県に、外部から侵入できない可能性がある事が判明致しました!
(上官殿)(。´・ω・)ん? どういう事だ?? 報告をせよ。
はっ! (`Д´)ゞ ビシッ!
早速報告を行います!!
時は11月3日、文化の日。
ワタクシ二等兵は、冒頭にある通り「群馬県に外部から侵入できない」という諜報部隊からの密告を元に、
関越自動車道を北上。
当然ながら、あっさり群馬県への侵入に成功。
渋川伊香保ICにて一般道に。
国道17号から
国道353号、
国道145号と進む。
天気は晴天に恵まれ、我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」の基地周辺ではまだ見られない紅葉も、こちらではかなり色付いている。
《志賀草津高原ルート》
全国区の温泉「
草津温泉」街を通り抜け、
国道292号に入ると、木々も一層色付き、ワタクシ二等兵の目を楽しませてくれる。
国道292号の草津町(群馬)~山ノ内町(長野)区間は「
志賀草津高原ルート」と呼ばれており、噴火監視対象となっている
草津白根山など、2,000m級の山並みを越える山岳ルート。
偵察日(2022/11/3)時点での白根山 噴火警戒レベルは1でしたが、登山などの入山規制は継続されています。
”
殺生ゲート”という物々しい名前のゲートを越えると、これまでの美しい紅葉風景から一変。
硫黄臭ただよう火山性ガスが噴出し、黄色がかった地面が露出する地域へ。
(この辺りは駐停車すら禁止)
草津白根山付近のお山も、緑ひとつないまっ茶色。
草津白根山(標高2,160M)
この向こうに火口である”湯釜”があります。
もちろん周辺は立入禁止、道路から外れて歩くことすら禁止です。
草津白根山を過ぎると緑が戻ってきますが、日本とは思えないような風景の中を進んでいきます。
まるで、アメリカの荒野を走っているような気分。
渋峠
日本全国の国道で、一番標高の高い場所です。
その標高は、何と2,172M!
先日、
往復9時間を掛けて登り降りした巻機山(1,967M)より高い。
車で楽に来れる場所ではあるが、しかしそこは2,000M超えの高地。
見える景色は、とんでもない絶景です。
渋峠の絶景に満足したワタクシ二等兵。
ただここで、ある事を思い出す。
「群馬県に外部から侵入できない」偵察任務
おお忘れていた!
危うくこのまま帰る所であった。
楽しい事があると、その他の事をすぐ忘れてしまう悪い習性。
上官殿!
基地から離れた地ではありますが、ワタクシ二等兵、反省致します!! (`Д´)ゞ ビシッ!
渋峠から、少しだけ来た道を戻ります。
《長野県道・群馬県道466号 牧干俣線》
ここを右折。
《群馬県道・長野県道112号 大前須坂線》
案内標識が出ていないため分かりにくいですが、群馬方面から来ると左折します。
冬季閉鎖前、ギリギリのタイミングでしたね。
一旦、長野県へと侵入。
進めば進むほど道幅は狭くなり、道路状況も悪くなりますが、気を付ければ乙三三式車両改のようなシャコタンでも走れます。
しばらく進むと周囲が開け、車両が複数駐車しているのが見えて来ます。
すぐ近くにそびえる破風岳(はふたけ)への登山者のものです。
この駐車車両の前を通過した先が、再び群馬との県境。
そしてその県境で、ネットを賑やかした、とある光景を目にすることが出来ます。
《毛無峠》
ここから先は「
群馬県」です、という県境看板の横に「
この先危険につき関係者以外立入禁止」という看板が。
さらに看板の下には「
遭難多発区域」と。
これはどう見ても、群馬県に行ったらヤバいぞ、と言いたくなる配置(笑)
もう結構前ですが、ネットで「グンマー」という言葉が話題になり、グンマー(群馬県)は未開の地で、ヤバいところ、という画像がたくさん出回りました。
群馬県庁が、ティピーみたいな民族風の建物になっていたり、
別の国の画像に、群馬のテロップを載せたものだったり、
テレビの天気予報の誤植(本当)で、群馬県だけ最高気温56℃と表示されたり。
その騒ぎの中で、先ほどの実在する看板も有名になりました。
私は地元がグンマーなので、関係者でよいのだろうか?
実際はここから先は、年間を通して通行止め。
その理由は、この県境の地から見えるこの風景が関連しています。
《小串鉱山跡》
かつて存在した、日本で2番目に大きな硫黄鉱山です。
小串鉱山が位置していた毛無峠は、とても風が強く、冬でも積もった雪が吹き飛ばされるほどの厳しい場所。
そのため先の画像の通り、峠の周囲は木が1本も生えていない所謂”ハゲ山”状態で、600年以上前の南北朝時代から、この地は”毛無峠”と呼ばれて来ました。
そんな厳しい環境の山奥にあった小串鉱山。
かつては今も一部が残るこの索道を使い、空中を大量の物資が行き交っていました。

(米子・小串鉱山写真集より引用)
索道の先を見ると、一帯が茶色くなっている場所があるのが分かります。
あの辺りに、工場・住居・学校などが建っていました。

(米子・小串鉱山写真集より引用)
いまは見る影もありませんが、最盛期の1950年代には、2,000人を超える人々が暮らしていたそうです。

(米子・小串鉱山写真集より引用)
小串鉱山は、1971年に閉山。
関係者は跡地を活かそうと考えるも、考えている間に毛無峠・鉱山跡は地滑りにより崩壊。
夢を絶たれた関係者は、既に無人となった小串鉱山を後にします。

(米子・小串鉱山写真集より引用)
今は見晴らしの良い、登山やラジコン飛行機の人気スポットとなっている、毛無峠。
グンマーこと群馬県ネタの代表例とされる毛無峠ですが、その陰には日本経済を長きにわたり支え続け、皮肉にもその経済発展により硫黄の需要が無くなり、最後は消滅した1つの産業、そして鉱山があったことを知ってもらえれば幸いです。
(おわり)
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Posted at
2022/11/12 21:35:35