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さとちん@のブログ一覧

2025年09月06日 イイね!

旧国道17号 三国隧道

上官殿!

本日はワタクシ二等兵の地元である群馬県と新潟県を結んでいた、かつての国道17号 三国隧道(=トンネル)を偵察して参ります!!

(上官殿)三国トンネル!そういえばまだ私と二等兵が若い頃、新潟に行く際に何度も通っているな。

はい!

(上官殿)でも今は新トンネルが出来て、私達が通っていた旧トンネルは通れないだろう?

その通りです!
ですが・・・知られざる ”抜け道” から、旧トンネルの目前まで行けるのであります!!






《関越自動車道》
晴天に恵まれた休日。
ワタクシ二等兵と乙三三式車両改は、関越道を北上。


月夜野ICで下道に降り40分ほど走ると、朝露の残る上越国境に到着です。


山の斜面には大きな穴が2つ。
左が現道の「新三国トンネル」、2022年(令和4年)3月開通。


そして国道としての役割を終えた「三国トンネル」は、トンネル手前に架かる「上越橋」から立入禁止。


現役時代に幾度も通り抜けたトンネルですが、こうして見ると全く印象が変わります。


通常の偵察部隊であれば、ここで偵察終了。
もしくは新トンネル手前に架かる新橋の上から、少しでも旧トンネルに接近するに留まるだろう。



しかし!
ワタクシ二等兵は知っている・・・




「三国トンネル」の直ぐ手前まで行けるルートを!!



しかも柵を乗り越える事も無く、立入禁止区域に入る事も無く、完全合法で最接近できるルートを!!!



《新上越橋》
まずは普通に新橋を渡る。
隣にはつい3年前まで国道橋としてバリバリ活躍していた「上越橋」がよく見えます。




《新三国トンネル》
長さは1,234mと、旧トンネル(1,218m)より少し長め。
幅員が広く、大型車も安心して通れます。


ここで皆様ご注目!
上の画像で、何か気付くことはありますか?

答えは、、、








近寄ってみると、こんな感じ。


一体何の穴なのか?
これは、、、



三国山への登山道入り口



入口付近に案内は一切ないのですが、登山趣味・・・じゃない、山岳訓練を行っているワタクシ二等兵は知っていた感じです。

トンネル脇に開いた穴を通ると、先には丸太の簡易的な橋。


そしてその先に姿を見せたのが、、、




《三国トンネル》


長きに亘り、太平洋側と日本海側を繋ぐ交通の要でした。
他に上越国境の道として、関越自動車道「関越トンネル」がありますが、こちらは危険物積載車が通行禁止となっています。

当然ながら照明は消され、トンネル内は闇に覆われている。


入口より直ぐに幅員が狭くなっていますが、手前のシェッドは後付け。
トンネル本体はかなり狭く(1.8車線)、大型車は運転に細心の注意が迫られた。


元々戦後に近い古い車体規格で掘られた為、現代からするとかなり手狭なトンネルとなっていました。

三国トンネル」の開通は、1959年(昭和34年)6月。


このトンネル開通には、まだ新人議員だった田中角栄氏が強く関わっており、演説で「三国峠を爆破し雪雲を吹き抜かせ、佐渡島まで埋め立てる」と唱えた。
彼は多くの土木官僚に働きかけ、法整備を研究し、三国トンネル建設へと動き出します。
実は今、我々が払っているガソリン税こそ、角栄氏が道路建設の為に成立させた法案である。


潤沢な財源を得て、道路建設は一気に加速。
当時は一部の都市以外ほとんど未整備だった道路が、次々に建設・改修されていきます。


時は流れ、関東と北陸を結ぶ大動脈として機能してきた国道17号と三国トンネルですが、半世紀が過ぎ老朽化。


特に大型車の往来が多い三国トンネルと、その手前に架かる上越橋は、限界に近づいていたようです。


この辺りは気象条件が過酷で有名。
加えて迂回路も無い上越国境に架かるこの橋の責務は、大変重いものだったろう。


更に地中からは、酸性の地下水が染み出し、内部壁や鉄骨が劣化。


最終的に「幅員の狭さ」と「腐食の進行」が、新トンネル建設へと向かう事になった。




旧トンネルから上越橋の東京方面を臨む。


現役時代は一瞬で駆け抜けて、立ち止まることも出来なかった場所の、ど真ん中に立っている。
何かすごく新鮮な気持ち。


ふと上を見上げると、何かが足りないのに気づく。


隧道名を掲げた額が無くなっている。
現役時代は、青バックに白抜きの額が掲げられていました。


せっかくなので、新トンネルを通って新潟側へ。




国境の長いトンネルを抜けても、太平洋側と同じく蒸し暑い我ら大日本帝国であった・・・




旧道上に出来たスペースに乙三三式車両改を停めると、新旧三国トンネルが仲良く並んでいる光景があった。


時は遡って2019年12月、新トンネルがまだ工事中の頃。
煌々と明かり照らされる旧トンネルの姿が、なつかしく感じる。


現在に戻り、封鎖され暗闇を落とす旧トンネル。
あの時とは逆になっています。


トンネル上部には、巨大なパイプが通っている。
実はこのパイプの中には、国土交通省の通信用光ケーブルが通されており、これが移設されていないので、旧トンネルも暫くは使用し続けるのだろう。




新幹線と高速道路の開通により、”準主役” となった三国峠越えだが、重要なルートなのは今も変わらず。
先代トンネルに見守られ、新トンネルも多くの人々を迎え、通していくだろう。
(群馬県側より撮影)


(おわり)
Posted at 2025/09/06 20:54:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年08月23日 イイね!

夏季山岳訓練

上官殿!

お申し付けいただいた通り、送り盆だけではありますが、ワタクシ二等兵の実家(グンマー)に戻って参りました!!

(上官殿)うむ、ご先祖は大切にしなければな。

2泊3日、とは言え1日目は夜に実家到着となったので、活動を行えたのは2日間のみでしたが。

(上官殿)まぁ仕事もあったし、仕方が無いだろう。

3日目は我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」基地へ帰るだけでしたが・・・

(上官殿)お!?何か偵察して来たのか??

久しぶりの山岳訓練を行って来たのであります!!(`Д´)ゞ ビシッ!






《上信越自動車道》
早朝にワタクシ二等兵の実家を出発、あっという間に長野県へ。
やっぱ近くていいなーヾ(○´▽`○)ノ彡☆
でも天気は・・・




《高峰高原ビジターセンター》
登山口にほど近い駐車場に着いたが、ご覧の通り。


今回の訓練地は、浅間山外輪山の最高峰である「黒斑山(くろふやま)」。標高は2,404M。

まず浅間山ですが、富士山と同様に観賞用の山として非常に見栄えがする山です。
遠くからでも一目でそれとわかるそのプリンのようなシルエットは、目の前で見れば迫力満点!

と言うことで、巨大プリンを眺める山岳訓練に繰り出しましょう!



《黒斑山登山口》
黒斑山への登山道には、「表コース」と「中コース」の二つのルートがあります。


表コース」・・・展望が良いが、道中は登り下りを何度か繰り返す。
中コース」・・・最短距離のコースだが、樹林帯の中を進むため展望皆無。
ここは当然、表コースへと進みます。

基本コースタイムは、
登山口 → 槍ヶ鞘    1時間20分
槍ヶ鞘 → トーミの頭  20分
トーミの頭 → 黒斑山  20分


と、片道2時間くらい。
さぁ久しぶりの山岳訓練、がんばるぞい!




《表コース》
まだ朝の時間である樹林帯は、静けさに包まれています。
自分の息づかいと足音以外、わずかな風の音と鳥の鳴き声のみが周囲に響きます。


歩き出しは、緩めの上り。


歩き始めて30分ほど、森の中から視界の開けたガレ場に出ました。
何も見えねー


天気予報では晴れ予想なので、希望を捨てずに登り続けるワタクシ二等兵。
しかしここは登山道。
傾斜は徐々にきつくなっていく。


この長い階段を登り切れば、樹林帯を抜け一気に眺望が開けます。




《槍ヶ鞘》
何も見えねー(2回目)


目の前には浅間山が、その雄大な姿を見せつけるはずだが・・・(꒪д꒪II ガーン


と絶望していると、雲が急激に動き出した!(↑と同じ画角です)


この先のルートも見えて来ました!!


俄然やる気が湧いて来たぞぉぉぉーーー!!!
これまでの手入れされた登山道から一転して、ガレ場の急登を進みます。


この流れなら、ここを上りきれば浅間山の雄大な姿を見れるはず!



《トーミの頭》
何も見えねー(3回目)


トーミの頭からは、浅間山の全体の姿を拝むことが出来るのですが・・・
ちなみに足元はこの通り、断崖絶壁。


ここでの眺望は諦め、黒斑山へと向かいます。
左に見える黒いのは、黒斑山山頂付近に設置されている火山活動観測施設の電気・通信ケーブルです。




《黒斑山 頂上》
何も見えねー(4回目)




(*Ծ﹏Ծ) ぐぬぬ・・・



やっぱり今日は眺望を楽しむのは難しいか・・・
ただ、黒斑山山頂から先にも登山道は続いており、そちらを見ると少し雲が切れている。


基本コースタイムはここまで2時間だが、トーミの頭でしばし滞在したのでその時間を除くと1時間30分くらいで到着。
足も体力も、まだ全然残っている。



よっしゃ!もう少し先まで行くか!!



するとすると・・・






浅間山が姿を現した!!!


この先のルートにも雲は掛かっておらず、進めば進んだだけ浅間山がその全容を現すだろう。


この道が本当に気持ちイイ!
浅間山を右手に望みながら、最高の稜線歩きを楽しめます。


しかしちょっと先に進んだだけ(20分くらい)で、ここまで変わるとは・・・


ちなみにトーミの頭付近は、雲が掛かったまま。
あの辺りにだけ、雲が滞留しているようです。


眺望をたっぷり楽しめたので、そろそろ引き返します。


黒斑山山頂も、往路と同様に視界なし。
そのままトーミの頭へ。



《トーミの頭》
・・・・・・・・・・


往路では全く見えなかったが、今はその雄大な姿を、惜しげもなく見せつけ続けています。

「うわー!すごーい!!!」

と、初めて黒斑山に来たと思われる登山者たちが、歓声を上げている。
その嬉しそうな声を顔を見ていたら、往路で見れなかった事は、どうでもよくなってきました(笑)



さて、ここからはサクサク下山。


帰りは「中コース」を通ります。


コースタイム的にはこちらのルートが最短。
展望皆無な樹林帯の道ですが、もう展望はお腹いっぱい。


快調に飛ばして、トーミの頭からは一時間かからずに、高峰高原ビジターセンターまで戻ってきました。




黒斑山における山岳訓練は、結果として大成功のうちに終了。

例え浅間山本体に登ることが叶わずとも、外輪を巡るだけでも十二分に満足の行く登山が可能です。
目の前にそびえ立つ浅間山を見上げれば、「大きいことはいいことだ」と言う言葉が持つ迫真性を、ひしと感じることが出来るでしょう。
「鑑賞用の山」として、非常にオススメします。


(おわり)
Posted at 2025/08/23 22:14:59 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察訓練 | 日記
2025年08月11日 イイね!

この一枚は・・・?

上官殿!

ワタクシ二等兵の友人から、一枚の写真を預かりました!!
この場所を探して欲しいとの事です!!!


(上官殿)ほう。これまでのように100年前とかではないが、結構前の写真っぽいな。

はい。1988年(昭和63年)頃と聞いております。
友人の奥様の子供の頃の写真で、思い出のある場所らしいのですが、どうやら横浜という事しか覚えていないらしく・・・

「今どうなっているか、もう一度行ってみたい!」という熱い思いも聞いておりますので、早速偵察に行って参ります!(`Д´)ゞ ビシッ!





《保土ヶ谷駅》
横浜市保土ヶ谷区にある、JR東日本の駅です。


ちなみにこれは、今から110年以上前の保土ヶ谷駅。
1911年(明治44年)頃の姿。



当時は「程ヶ谷駅」という名前でしたが、1931年(昭和6年)に現在の駅名に改称されています。



1978年(昭和53年)頃。



こう見ると改めて、駅は時代を映す鏡と感じますね。
そろそろ探している場所へと向かいます。



《ビール坂》
大日本麦酒株式会社が、近くの湧水を利用してビールを製造していた事が由来とされています。


ちなみに大日本麦酒は、現在のアサヒビールやサッポロビールの前身であり、当時「アサヒ」「サッポロ」「エビス」等は、大日本麦酒のラインナップのひとつでした。


ここからは、写真の場所を探して歩きまわります。



ここは・・・どうだ?



似てるけど、ちょっと違う感じです。



この階段は・・・?



階段入口の雰囲気は似てますが、奥の風景が違いますね。



ここは・・・?








この階段でした!!!



たまたま通り掛かったお爺ちゃんに話を聞きましたが、この場所で間違いないそうです。

左側に家が建ち、階段は少し狭くなっていますが、電柱はそのまま。
また画像右側に見えるブロックが、まだ少し残っています。





偵察結果を友人に共有すると、奥様はかなり喜んでいたそう。
早速このお盆に立ち寄る予定の様です。

写真から37年という年月が経過し、写真の少女たちも今は立派な大人。

ワタクシ二等兵も、もう少し年を取ったら、こういった子供の頃に行った場所や、我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」隊員である長女・長男が子供の頃に一緒に行った場所などに、もう一度訪れてみるのも良いかもしれません。



とか言って、もう行っちゃってますけどねー (〃⌒ー⌒〃)ゞエヘヘ
えーっと・・昔の写真はっと・・・

( ゜Д゜) ハッ!!

(上官殿)勝手に私の写真載せようとすんな!
(っ・д・)≡⊃)3゚)∵ゴフッ! ←二等兵

(おわり)
Posted at 2025/08/11 15:14:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年08月02日 イイね!

こんなクルマがあったら・・・

上官殿!

直近では仕事が多忙のため、全く偵察活動を行えておりません!!
また我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」の主力偵察機材である乙三三式車両改は、遠距離偵察・野営訓練(=キャンプ)・サーキット走行とステージを選ばず頑張ってくれていますが、初年度登録から20年以上経過。
そして走行距離も間もなく18万kmと、偵察活動最前線での活動ではなく、第二防衛線としての役割に変更する時期も近いと感じております!!!

(上官殿)つまり・・・?

公費にて新たな偵察車両の購入を・・・

上官殿→ (っ・д・)≡⊃)3゚)∵ゴフッ! ←二等兵

し・・・失礼致しました・・・
ではワタクシ二等兵が新たな偵察車両を探索している際、ちょっと面白かった動画があったので、そちらを報告させていただきます!(`Д´)ゞ ビシッ!

それは・・・






ワゴンRのCM






現行型である6代目がデビューした当初、2017年~2018年に放送されていたCMで、「#はじめてのドライブ」という設定で広瀬すずさんが登場します。

ただそのCMに "ちょっとだけ" 手が入れられていて、 "ちょっとだけ" 設定が変わっています。

その名も、






「#はじめてのロータリー」


しかも4ローター!
そりゃエンジン始動も緊張しますよね(笑)



このCMはネットでオモチャにされており、
「#はじめてのV12」
「#はじめてのRB26ツインターボ」
「#はじめての2st・乾式クラッチ」

しまいには
「ジェットエンジン搭載」
「74式戦車のエンジン搭載」
「はじめての京急1000型」←草
など、やりたい放題。



でも、これを初めて思いついた人はホント面白い発想してるなーと、思わず関心。

ワタクシ二等兵、そして我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」も、新たな偵察活動に決意を燃やすのだった!

上官殿→ ソンナワケネーダロ (っ・д・)≡⊃)3゚)∵ゴフッ! ←二等兵

(おわり)
Posted at 2025/08/02 21:54:58 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日次報告 | 日記
2025年07月19日 イイね!

遠地偵察活動 其の七

上官殿!

過去6回に亘り行って来ました、横浜から北海道への遠地偵察活動。
ついに最終報告となります!!! (`Д´)ゞ ビシッ!

■ここまでの報告まとめ
其の壱 大洗港~苫小牧~日高町~然別湖~ぬかびら温泉郷
其の弐 タウシュベツ川橋梁~美幌峠~開陽台~北19号~納沙布岬
其の参 納沙布岬~根室駅~落石岬~標津町~道の駅 知床・らうす
其の四 知床横断道路~オシンコシンの滝~網走監獄~能取岬
其の五 紋別~北見神威岬~エサヌカ線~宗谷岬~宗谷丘陵~稚内駅
其の六 宗谷岬~日本海オロロンライン~オトンルイ風力発電所~お馬さん巡り(苫小牧市・新冠町・浦河町)
其の七 ←今回






7日目 【6月1日(日)】
《浦河町》
偵察最終日は、天気も良き!
国道235号・236号を東へ向かいます。


向かっているのは・・・



《黄金道路》


国道336号内の、えりも町から広尾町までを結ぶ、約28km区間の通称です。


日高山脈が海岸まで迫り、その断崖絶壁からは頻繁に石が崩れ落ちる。
そして冬には雪崩が多発するこの区間は、交通の難所として知られていました。


その断崖を切り開くのに掛かった8年もの歳月と、黄金を敷き詰められるほど莫大な費用を投じたことが由来となっています。


一方、切り立った崖を縫うようにトンネルと覆道が連続し、覆道の合間から時おり見える海岸線が美しいルートでもあります。


今回ワタクシ二等兵は、黄金道路の ”古い絵葉書” を入手

黄金道路が竣工して間もない1950年代~1960年代のものなので、今では見られない景色が多く写っています。

その場所が今どうなっているのか探りながら、黄金国道の歴史に触れるのが、今回の遠地偵察活動における最終任務となります! (`Д´)ゞ ビシッ!






まずは、この1枚からいきましょう。
左上に「ルベシベツ市街及第一號隧道」と書いてあるので、場所は直ぐに分かりました。


ここですね。
ちなみに現道は、一番右に見える「タニイソトンネル


絵葉書に写る「第一號隧道」は、残っていれば小屋の後ろに隠れているはず。
確認してみましょう!
(前に見えるのは旧道の重蔵トンネル


海岸沿いを歩いていくと、小屋の後ろに何か見えて来ます。


ありました!




《第一號隧道》
1934年竣工、延長20m。


場所も分かりやすかった上に、当時の姿も結構残ってましたね。





《紅葉覆道》 ※右側
黄金道路は、繰り返しの道路改善・修復により廃道となった場所がとにかく多く、


柵の向こうを覗き込んでみると、


いかにここが過酷な環境なのかが、よく分かります。


《黄金トンネル》 ※右側


《ビタタヌンケ覆道》


今にも向こうから車が走って来そうですが、ここも廃道。


《岬第一覆道》




《咲梅トンネル 手前》
そんな中、トンネルが開通しているにも関わらず、いまだに走れる旧道もあります。


当たり前ですが、みな現道のトンネルに進むので交通量皆無。




《白浜トンネル 手前》
もう1カ所、旧道を走れる所があるので、そちら(左側)へ侵入。


この旧道には、かつて「立岩」という観光名所がありました。
絵葉書には、「立岩隧道ヨリ目黒岬ヲ望ム」と書いてあります。


隧道内から撮影された大きな岩は、


当時は相当有名だったのでしょう、複数の絵葉書が見つかりました。




こちらは隧道内からではなく、反対側から撮影した一枚。
この場所は、現在どうなっているのでしょうか?







ここです。


沖合にある岩礁の形が一致するので、ここで間違いないと思います。



写真の通り「咲梅隧道」が出来たことで、「立岩」も「立岩隧道」も開削により、残念ながら現存していません。
ですがその痕跡は、覆道の外に残っています。

立岩跡


立岩隧道から立岩を撮影した絵葉書と比較しても、やはり岩礁や背景が一致しました。



こちら側にも、かつての立岩隧道の一部が残っています。


矢印の岩が残っている感じです。



立岩隧道の上あたりから撮られた写真。



道路の拡幅と線形改良のため、岩体を大幅に削ったのが分かります。
試行錯誤と改良・改修を繰り返し、安全に、そして安定した交通網を整備しようとしているのですね。

それにしても、岩礁に当たる波の音の大きいこと!
撮影中、ちょっとコワかったです。


東  映


立岩跡、そして立岩隧道跡の偵察を終え、乙三三式車両改に乗り込もうとすると・・・


何かイカニモな隧道が!!!




《フンコツトンネル》
右側は、現フンコツトンネル。


トンネルへと続く道は、当時のまま残っています。
黄金道路初期の特徴である、継ぎ目のあるコンクリート舗装。


【参考】




《旧フンコツトンネル》
1930年竣工、延長8.6m。


トンネルの先は、ほぼ同じ目線で海が広がっており、現役時代はさぞかし良い眺めだったでしょう。


ただしトンネルの先にあったはずの道路は、長年打ち付ける波によって、ほとんど破壊。


道路があった痕跡(道路の縁)が、わずかに確認できる程度です。




こちらは先ほどの「旧フンコツトンネル」が現役だった頃の絵葉書。


えりも町側の黄金道路起点にある石碑のあたりから、撮影したと思われます。


絵葉書と同じアングルで見て見ると、絵葉書に写っている道路が残っていました。








いかがだったでしょうか?
絵葉書に写る、黄金道路の旅。

美しい景色、過酷な地形に築かれた道路。


絵葉書を通じて見る昭和時代の黄金道路には、日本の飛躍的な発展を支えた先人たちの思いが写し出されているように感じました。




「古い絵葉書に込められた、過去からのメッセージ」



そんな思いを巡らせながら、黄金道路を、そして北海道を後にした、ワタクシ二等兵であります。




《おまけ》
今回の遠地偵察活動だけで、走行距離は3,000km超!
我ながらよく走りました。
そして乙三三式車両改も、よく走ってくれました!!


(おわり)
Posted at 2025/07/19 21:27:00 | コメント(7) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記

プロフィール

「@チョコレース 木曽駒ですか!中岳超えて頂上まで行ったのかな?」
何シテル?   07/22 19:08
車歴・・・AE86レビン⇒FC3S(前期)⇒Z16A⇒FC3S(後期)⇒FD3S⇒SF5フォレスター⇒フェラーリ456GT⇒SG5フォレスター⇒BMW335i⇒...
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