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さとちん@のブログ一覧

2025年09月06日 イイね!

旧国道17号 三国隧道

上官殿!

本日はワタクシ二等兵の地元である群馬県と新潟県を結んでいた、かつての国道17号 三国隧道(=トンネル)を偵察して参ります!!

(上官殿)三国トンネル!そういえばまだ私と二等兵が若い頃、新潟に行く際に何度も通っているな。

はい!

(上官殿)でも今は新トンネルが出来て、私達が通っていた旧トンネルは通れないだろう?

その通りです!
ですが・・・知られざる ”抜け道” から、旧トンネルの目前まで行けるのであります!!






《関越自動車道》
晴天に恵まれた休日。
ワタクシ二等兵と乙三三式車両改は、関越道を北上。


月夜野ICで下道に降り40分ほど走ると、朝露の残る上越国境に到着です。


山の斜面には大きな穴が2つ。
左が現道の「新三国トンネル」、2022年(令和4年)3月開通。


そして国道としての役割を終えた「三国トンネル」は、トンネル手前に架かる「上越橋」から立入禁止。


現役時代に幾度も通り抜けたトンネルですが、こうして見ると全く印象が変わります。


通常の偵察部隊であれば、ここで偵察終了。
もしくは新トンネル手前に架かる新橋の上から、少しでも旧トンネルに接近するに留まるだろう。



しかし!
ワタクシ二等兵は知っている・・・




「三国トンネル」の直ぐ手前まで行けるルートを!!



しかも柵を乗り越える事も無く、立入禁止区域に入る事も無く、完全合法で最接近できるルートを!!!



《新上越橋》
まずは普通に新橋を渡る。
隣にはつい3年前まで国道橋としてバリバリ活躍していた「上越橋」がよく見えます。




《新三国トンネル》
長さは1,234mと、旧トンネル(1,218m)より少し長め。
幅員が広く、大型車も安心して通れます。


ここで皆様ご注目!
上の画像で、何か気付くことはありますか?

答えは、、、








近寄ってみると、こんな感じ。


一体何の穴なのか?
これは、、、



三国山への登山道入り口



入口付近に案内は一切ないのですが、登山趣味・・・じゃない、山岳訓練を行っているワタクシ二等兵は知っていた感じです。

トンネル脇に開いた穴を通ると、先には丸太の簡易的な橋。


そしてその先に姿を見せたのが、、、




《三国トンネル》


長きに亘り、太平洋側と日本海側を繋ぐ交通の要でした。
他に上越国境の道として、関越自動車道「関越トンネル」がありますが、こちらは危険物積載車が通行禁止となっています。

当然ながら照明は消され、トンネル内は闇に覆われている。


入口より直ぐに幅員が狭くなっていますが、手前のシェッドは後付け。
トンネル本体はかなり狭く(1.8車線)、大型車は運転に細心の注意が迫られた。


元々戦後に近い古い車体規格で掘られた為、現代からするとかなり手狭なトンネルとなっていました。

三国トンネル」の開通は、1959年(昭和34年)6月。


このトンネル開通には、まだ新人議員だった田中角栄氏が強く関わっており、演説で「三国峠を爆破し雪雲を吹き抜かせ、佐渡島まで埋め立てる」と唱えた。
彼は多くの土木官僚に働きかけ、法整備を研究し、三国トンネル建設へと動き出します。
実は今、我々が払っているガソリン税こそ、角栄氏が道路建設の為に成立させた法案である。


潤沢な財源を得て、道路建設は一気に加速。
当時は一部の都市以外ほとんど未整備だった道路が、次々に建設・改修されていきます。


時は流れ、関東と北陸を結ぶ大動脈として機能してきた国道17号と三国トンネルですが、半世紀が過ぎ老朽化。


特に大型車の往来が多い三国トンネルと、その手前に架かる上越橋は、限界に近づいていたようです。


この辺りは気象条件が過酷で有名。
加えて迂回路も無い上越国境に架かるこの橋の責務は、大変重いものだったろう。


更に地中からは、酸性の地下水が染み出し、内部壁や鉄骨が劣化。


最終的に「幅員の狭さ」と「腐食の進行」が、新トンネル建設へと向かう事になった。




旧トンネルから上越橋の東京方面を臨む。


現役時代は一瞬で駆け抜けて、立ち止まることも出来なかった場所の、ど真ん中に立っている。
何かすごく新鮮な気持ち。


ふと上を見上げると、何かが足りないのに気づく。


隧道名を掲げた額が無くなっている。
現役時代は、青バックに白抜きの額が掲げられていました。


せっかくなので、新トンネルを通って新潟側へ。




国境の長いトンネルを抜けても、太平洋側と同じく蒸し暑い我ら大日本帝国であった・・・




旧道上に出来たスペースに乙三三式車両改を停めると、新旧三国トンネルが仲良く並んでいる光景があった。


時は遡って2019年12月、新トンネルがまだ工事中の頃。
煌々と明かり照らされる旧トンネルの姿が、なつかしく感じる。


現在に戻り、封鎖され暗闇を落とす旧トンネル。
あの時とは逆になっています。


トンネル上部には、巨大なパイプが通っている。
実はこのパイプの中には、国土交通省の通信用光ケーブルが通されており、これが移設されていないので、旧トンネルも暫くは使用し続けるのだろう。




新幹線と高速道路の開通により、”準主役” となった三国峠越えだが、重要なルートなのは今も変わらず。
先代トンネルに見守られ、新トンネルも多くの人々を迎え、通していくだろう。
(群馬県側より撮影)


(おわり)
Posted at 2025/09/06 20:54:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年08月11日 イイね!

この一枚は・・・?

上官殿!

ワタクシ二等兵の友人から、一枚の写真を預かりました!!
この場所を探して欲しいとの事です!!!


(上官殿)ほう。これまでのように100年前とかではないが、結構前の写真っぽいな。

はい。1988年(昭和63年)頃と聞いております。
友人の奥様の子供の頃の写真で、思い出のある場所らしいのですが、どうやら横浜という事しか覚えていないらしく・・・

「今どうなっているか、もう一度行ってみたい!」という熱い思いも聞いておりますので、早速偵察に行って参ります!(`Д´)ゞ ビシッ!





《保土ヶ谷駅》
横浜市保土ヶ谷区にある、JR東日本の駅です。


ちなみにこれは、今から110年以上前の保土ヶ谷駅。
1911年(明治44年)頃の姿。



当時は「程ヶ谷駅」という名前でしたが、1931年(昭和6年)に現在の駅名に改称されています。



1978年(昭和53年)頃。



こう見ると改めて、駅は時代を映す鏡と感じますね。
そろそろ探している場所へと向かいます。



《ビール坂》
大日本麦酒株式会社が、近くの湧水を利用してビールを製造していた事が由来とされています。


ちなみに大日本麦酒は、現在のアサヒビールやサッポロビールの前身であり、当時「アサヒ」「サッポロ」「エビス」等は、大日本麦酒のラインナップのひとつでした。


ここからは、写真の場所を探して歩きまわります。



ここは・・・どうだ?



似てるけど、ちょっと違う感じです。



この階段は・・・?



階段入口の雰囲気は似てますが、奥の風景が違いますね。



ここは・・・?








この階段でした!!!



たまたま通り掛かったお爺ちゃんに話を聞きましたが、この場所で間違いないそうです。

左側に家が建ち、階段は少し狭くなっていますが、電柱はそのまま。
また画像右側に見えるブロックが、まだ少し残っています。





偵察結果を友人に共有すると、奥様はかなり喜んでいたそう。
早速このお盆に立ち寄る予定の様です。

写真から37年という年月が経過し、写真の少女たちも今は立派な大人。

ワタクシ二等兵も、もう少し年を取ったら、こういった子供の頃に行った場所や、我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」隊員である長女・長男が子供の頃に一緒に行った場所などに、もう一度訪れてみるのも良いかもしれません。



とか言って、もう行っちゃってますけどねー (〃⌒ー⌒〃)ゞエヘヘ
えーっと・・昔の写真はっと・・・

( ゜Д゜) ハッ!!

(上官殿)勝手に私の写真載せようとすんな!
(っ・д・)≡⊃)3゚)∵ゴフッ! ←二等兵

(おわり)
Posted at 2025/08/11 15:14:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年07月19日 イイね!

遠地偵察活動 其の七

上官殿!

過去6回に亘り行って来ました、横浜から北海道への遠地偵察活動。
ついに最終報告となります!!! (`Д´)ゞ ビシッ!

■ここまでの報告まとめ
其の壱 大洗港~苫小牧~日高町~然別湖~ぬかびら温泉郷
其の弐 タウシュベツ川橋梁~美幌峠~開陽台~北19号~納沙布岬
其の参 納沙布岬~根室駅~落石岬~標津町~道の駅 知床・らうす
其の四 知床横断道路~オシンコシンの滝~網走監獄~能取岬
其の五 紋別~北見神威岬~エサヌカ線~宗谷岬~宗谷丘陵~稚内駅
其の六 宗谷岬~日本海オロロンライン~オトンルイ風力発電所~お馬さん巡り(苫小牧市・新冠町・浦河町)
其の七 ←今回






7日目 【6月1日(日)】
《浦河町》
偵察最終日は、天気も良き!
国道235号・236号を東へ向かいます。


向かっているのは・・・



《黄金道路》


国道336号内の、えりも町から広尾町までを結ぶ、約28km区間の通称です。


日高山脈が海岸まで迫り、その断崖絶壁からは頻繁に石が崩れ落ちる。
そして冬には雪崩が多発するこの区間は、交通の難所として知られていました。


その断崖を切り開くのに掛かった8年もの歳月と、黄金を敷き詰められるほど莫大な費用を投じたことが由来となっています。


一方、切り立った崖を縫うようにトンネルと覆道が連続し、覆道の合間から時おり見える海岸線が美しいルートでもあります。


今回ワタクシ二等兵は、黄金道路の ”古い絵葉書” を入手

黄金道路が竣工して間もない1950年代~1960年代のものなので、今では見られない景色が多く写っています。

その場所が今どうなっているのか探りながら、黄金国道の歴史に触れるのが、今回の遠地偵察活動における最終任務となります! (`Д´)ゞ ビシッ!






まずは、この1枚からいきましょう。
左上に「ルベシベツ市街及第一號隧道」と書いてあるので、場所は直ぐに分かりました。


ここですね。
ちなみに現道は、一番右に見える「タニイソトンネル


絵葉書に写る「第一號隧道」は、残っていれば小屋の後ろに隠れているはず。
確認してみましょう!
(前に見えるのは旧道の重蔵トンネル


海岸沿いを歩いていくと、小屋の後ろに何か見えて来ます。


ありました!




《第一號隧道》
1934年竣工、延長20m。


場所も分かりやすかった上に、当時の姿も結構残ってましたね。





《紅葉覆道》 ※右側
黄金道路は、繰り返しの道路改善・修復により廃道となった場所がとにかく多く、


柵の向こうを覗き込んでみると、


いかにここが過酷な環境なのかが、よく分かります。


《黄金トンネル》 ※右側


《ビタタヌンケ覆道》


今にも向こうから車が走って来そうですが、ここも廃道。


《岬第一覆道》




《咲梅トンネル 手前》
そんな中、トンネルが開通しているにも関わらず、いまだに走れる旧道もあります。


当たり前ですが、みな現道のトンネルに進むので交通量皆無。




《白浜トンネル 手前》
もう1カ所、旧道を走れる所があるので、そちら(左側)へ侵入。


この旧道には、かつて「立岩」という観光名所がありました。
絵葉書には、「立岩隧道ヨリ目黒岬ヲ望ム」と書いてあります。


隧道内から撮影された大きな岩は、


当時は相当有名だったのでしょう、複数の絵葉書が見つかりました。




こちらは隧道内からではなく、反対側から撮影した一枚。
この場所は、現在どうなっているのでしょうか?







ここです。


沖合にある岩礁の形が一致するので、ここで間違いないと思います。



写真の通り「咲梅隧道」が出来たことで、「立岩」も「立岩隧道」も開削により、残念ながら現存していません。
ですがその痕跡は、覆道の外に残っています。

立岩跡


立岩隧道から立岩を撮影した絵葉書と比較しても、やはり岩礁や背景が一致しました。



こちら側にも、かつての立岩隧道の一部が残っています。


矢印の岩が残っている感じです。



立岩隧道の上あたりから撮られた写真。



道路の拡幅と線形改良のため、岩体を大幅に削ったのが分かります。
試行錯誤と改良・改修を繰り返し、安全に、そして安定した交通網を整備しようとしているのですね。

それにしても、岩礁に当たる波の音の大きいこと!
撮影中、ちょっとコワかったです。


東  映


立岩跡、そして立岩隧道跡の偵察を終え、乙三三式車両改に乗り込もうとすると・・・


何かイカニモな隧道が!!!




《フンコツトンネル》
右側は、現フンコツトンネル。


トンネルへと続く道は、当時のまま残っています。
黄金道路初期の特徴である、継ぎ目のあるコンクリート舗装。


【参考】




《旧フンコツトンネル》
1930年竣工、延長8.6m。


トンネルの先は、ほぼ同じ目線で海が広がっており、現役時代はさぞかし良い眺めだったでしょう。


ただしトンネルの先にあったはずの道路は、長年打ち付ける波によって、ほとんど破壊。


道路があった痕跡(道路の縁)が、わずかに確認できる程度です。




こちらは先ほどの「旧フンコツトンネル」が現役だった頃の絵葉書。


えりも町側の黄金道路起点にある石碑のあたりから、撮影したと思われます。


絵葉書と同じアングルで見て見ると、絵葉書に写っている道路が残っていました。








いかがだったでしょうか?
絵葉書に写る、黄金道路の旅。

美しい景色、過酷な地形に築かれた道路。


絵葉書を通じて見る昭和時代の黄金道路には、日本の飛躍的な発展を支えた先人たちの思いが写し出されているように感じました。




「古い絵葉書に込められた、過去からのメッセージ」



そんな思いを巡らせながら、黄金道路を、そして北海道を後にした、ワタクシ二等兵であります。




《おまけ》
今回の遠地偵察活動だけで、走行距離は3,000km超!
我ながらよく走りました。
そして乙三三式車両改も、よく走ってくれました!!


(おわり)
Posted at 2025/07/19 21:27:00 | コメント(7) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年07月12日 イイね!

遠地偵察活動 其の六

上官殿!

今週も引き続き、北海道における遠地偵察活動報告をさせていただきます!! (`Д´)ゞ ビシッ!

■ここまでの報告まとめ
其の壱 大洗港~苫小牧~日高町~然別湖~ぬかびら温泉郷
其の弐 タウシュベツ川橋梁~美幌峠~開陽台~北19号~納沙布岬
其の参 納沙布岬~根室駅~落石岬~標津町~道の駅 知床・らうす
其の四 知床横断道路~オシンコシンの滝~網走監獄~能取岬
其の五 紋別~北見神威岬~エサヌカ線~宗谷岬~宗谷丘陵~稚内駅
其の六 ←今回






5日目 【5月30日(金)】
《稚内市街》
夜営地(=宿)を6時台に出発、天気は晴れ。
今日でここ日本最北の街を離れるので、昨日訪れた「宗谷岬」をもう一度偵察しておきます。


ところが目的地に近づくと、同じく昨日偵察した「宗谷丘陵」に雲が・・・


これはもしかして・・・



《宗谷岬》


まっ、しゃーない!
同じく朝から最北端に来ていた方に記録写真の撮影をお願いし、お決まり?のポーズ!!


少しでも天候が回復しないか待つが、むしろガスって来た。
これにて日本最北端の偵察は終了、稚内市街へと戻ります。




《漁師の店》
ノシャップ岬の近くにあるお店で朝ごはん。
朝8時~営業しており、ワタクシ二等兵は開店と同時に訪れましたが、既に先客が。


席に座ると、テーブルの上にはガスコンロが常設。


もちろんコレを使って、ホッケの開きをジュウジュウ (*´﹃`*)ジュルリ


まずは何も付けずに、そのまま食してみる。
う~ん♪
ほろほろで柔らかく、しかも ”魚の脂の甘み” が感じられる♪♪


まだまだワタクシ二等兵の朝ごはんは終わらない。

海鮮どーーーん!


どーーーん!!!


感想だって!?
そんなの・・・



美味いとしか言いようがないでしょうがぁぁぁぁぁーーー!



朝からお腹いっぱい (*´艸`)オイシカッタ☆
これにて稚内を出発し、ひたすら南下が始まります。



《日本海オロロンライン》
北海道でも屈指の人気ツーリング・・・じゃない偵察ルート。


北海道に真っすぐな道は数あれど、海沿いをずーーーっと走る直線道路はここぐらい。


そして日本海の向こうには「利尻富士」が、その雄大な姿をずっと見せつけ続ける。


ホントここは何度走っても素晴らしい。
ワタクシ二等兵が大好きな偵察ルートのひとつです。




《オトンルイ風力発電所》


日本海オロロンラインに沿って、ズラーっと並ぶ風車。


28基ものでっかい風車が、何と3kmにわたり横並びになっています。




う~ん、北海道!!!



ちなみに朝ごはんを食べた「漁師の店」から、ここまで約70kmの間、信号は何と1つだけ(笑)



う~ん、北海道!!!



その後は国道232号に合流、引き続き南下します。




《長田鮮魚店》
留萌市(るもいし)にあるお店。
その名の通り本業は魚屋さんですが・・・


このように、すみっこのスペースでひっそり ”おにぎり” を販売。 しかも500円と格安!
(長田鮮魚店 公式Xより)




(*Ծ﹏Ծ) ぐぬぬ・・・



この日はお昼前に行ったのですが、既に売り切れ・・・
あまり出回ってない情報のはずなんだが・・・くそぅ

まぁ朝ごはんガッツリ食べたので、何とかなるか。



という訳で、グイグイ一気に南下。


こちらの緑豊かな駐車場に到着。
ここは・・・




《ノーザンホースパーク》


苫小牧市にある体験型公園・テーマパーク。
ですので入場料(大人1,200円)を払えば、どなたでもお馬さんを近くに感じることが出来ます。

そしてワタクシ二等兵のお目当ては、ここに在籍している引退競走馬。



ブラストワンピース


年末の大一番、2018年の有馬記念(GI)を勝利。
他にも重賞(GI・GⅡ・GⅢ)4勝、6億円近い賞金を獲得しています。


またつい昨年の2024年までRRC(Retired Racehorse Cup)に参戦しており、東京の馬事公苑でもその雄姿を見せています。


↑のアナウンスでもあった通り、自己アピールがちょっと強め(笑)
(ワタクシ二等兵撮影)




ユーキャンスマイル


阪神大賞典(GⅡ)など、重賞3勝。
先に登場したブラストワンピースとは同期で、特にクラシック(3歳)期は同じレースによく出走していました。

ワタクシ二等兵の存在に気付いたので、ジェスチャーで「あっちあっち」と反対側に動くようお願いすると・・・


ちゃんと顔を出してくれています。
なんて賢い子・・・


昨年2024年3月まで中央競馬(JRA)の競走馬として活躍。
現在は乗馬として、第二の馬生を歩み始めています。







6日目 【5月31日(土)】
《海の駅 ぷらっとみなと市場》
今回の遠地偵察活動、初日の朝ごはんに訪れた場所に再び。


前は ”二色丼(いくら・サーモン)”を食しましたが、今回は朝カレー!


しかも苫小牧名物 ”ホッキカレー” です。

苫小牧のホッキ貝の水揚げは日本一。
このカレーにも刺身でも食べられる新鮮なホッキが、惜しみなく投入されています。


やっぱ、朝からカレーは最高だな! (*´ч`*)おいし

お腹も気持ちも満たされたワタクシ二等兵。
偵察初日と同様に、日高自動車道を東に進みます。



《ノーザンレイク》


競走馬を引退し、更に(子孫を残す)種牡馬・繫殖牝馬としても引退した馬たちを支援する認定NPO法人「引退馬協会」会員であるワタクシ二等兵。

この牧場にも支援をしている子がいます。
ただしこちらの牧場、関係者以外は原則立入禁止ですので、ご注意ください。



メイショウドトウ
2001年の宝塚記念を制したGIホース。


現役中は27戦10勝、9億2133万4000円もの賞金を稼ぎ、掲示板に乗らなかった(賞金を得られなかった)レースはたったの3回。
しかもこの子を買った価格は500万円(サラブレッドとしては破格の安さ)という、大変に馬主孝行な子。


その堂々たる戦績に反して、おっとりとした穏やかな性格で、非常に人懐っこい事で有名。


とにかく人間に興味シンシン。
ドットさん” の愛称で親しまれています。




《うらかわ優駿ビレッジ AERU》
こちらは関係者でなくとも、指定された見学時間内であれば、いつでも訪問可能です。




ナカヤマフェスタ
2010年の宝塚記念(GI)勝者。
めっちゃ眠そう。
(ワタクシ二等兵撮影)


こんな感じではありますが、フランス・パリのロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞(国際GI)で、アタマ差(約40cm差)の2着。


1960年代から凱旋門賞にチャレンジし続けている日本馬ですが、その長い歴史の中で、”日本馬の最も勝利に近い” 結果は、今でも変わっていません。

厩舎に行ってみると、人気コンテンツ ”ウマ娘” でキャラクター化されているだけあって、かなりの数のファンアートが。




マイネルキッツ
2009年の天皇賞(春)という、GIの中で最長(3,200m)のレースを勝利。
他にも重賞(GI・GⅡ・GⅢ)で一番距離の長いステイヤーズステークス(GⅡ・3,600m)にも勝利した、生粋のステイヤーです。
※ステイヤー・・・スタミナ豊富で長距離を得意とする馬




オウケンブルースリ
2008年の菊花賞(GI)勝利馬。


昨年、この子をモチーフとしたコッペパンが誕生。


それもあって、彼の厩舎にはこんなファンアートが飾られています (*´꒳`*)ホッコリ




これにてお馬さん巡りも終了!
次回の偵察報告にて、遂に最終回となります!!


(つづく)
Posted at 2025/07/12 20:59:45 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年07月05日 イイね!

遠地偵察活動 其の五

上官殿!

今週も引き続き、北海道における遠地偵察活動報告をさせていただきます!! (`Д´)ゞ ビシッ!

■ここまでの報告まとめ
其の壱 大洗港~苫小牧~日高町~然別湖~ぬかびら温泉郷
其の弐 タウシュベツ川橋梁~美幌峠~開陽台~北19号~納沙布岬
其の参 納沙布岬~根室駅~落石岬~標津町~道の駅 知床・らうす
其の四 知床横断道路~オシンコシンの滝~網走監獄~能取岬
其の五 ←今回






4日目 【5月29日(木)】
《巨大なカニ爪》
道の駅 オホーツク紋別」のすぐ横にあります。
巨大すぎて、ちょっと笑える。 今日はここから偵察活動開始。


今日も引き続き国道238号、通称オホーツク国道を北上。
昨日偵察した網走市から、日本最北の街である稚内市まで至る長大ルートで、総延長は319kmにも及びます。


浜頓別町(はまとんべつちょう)まで進むと、海側に気になる景色が。
しかしそこへと進む道への交差点を通り過ぎてしまったので、ひとまず直進。

北オホーツクトンネルを抜け右折、国道を離れ海沿いの道へ。


地図で確認すると、この道は先ほどのトンネル入口手前から分岐。
海沿いを通り、トンネル出口付近で再び国道に合流。

つまりこの道は、国道238号の旧道ですね。


上を見上げると荒々しい岩がそそり立ち、なかなかの迫力。




《北見神威岬》
スッゲー所に灯台が建っています。


景色も凄いのですが、同じくらい気になったのが旧道のもう一段上を走る、この平坦なスペース。




明らかに道っぽい



ちょうど灯台の整備路と思われる道があったので、そこから侵入。


( ,,`・ω・´)ンンン?
道路っぽいが、何となく不自然・・・




後で調べると、この場所は「興浜北線(こうひんほくせん)」という鉄道路だったことが判明。
廃線は1985年(昭和60年)とかなり昔ですが、切り立った岬の先端を回り込んでくる列車の姿の美しさから、屈指の撮影ポイントとして有名で、現役当時の写真が数多く残っています。

【左前方に見える岩の向こうから撮影】



【ほぼ同じ所から】



【画角は逆ですが・・・】



【反対方面】



偵察を終え、国道への合流に向けて乙三三式車両改を走らせると、あれれ!?






せ・・・狭くなっとる・・・


2017年に、かつて鉄道路線であった石積み擁壁が大規模崩壊。
以降通行止めとなり、その後2020年に復旧するも、旧道で交流量は極めて少ないので、一車線のみ開通させたという感じだろう。


予定外の偵察となりましたが、思いもよらず楽しい・・・じゃない、我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」にとって、有益な偵察となりました! (`Д´)ゞ ビシッ!





《エサヌカ線》


北海道でも有名な直線道路。
ちなみに「猿払村道 エサヌカ線」というのが正式名称です。


電柱もガードレールもなく、ただひたすらに草原の中を一直線の道路が続いている光景は、これぞ北海道といった感じ!


そしてワタクシ二等兵と乙三三式車両改は、本偵察活動の折り返しとなる地点を目指します。




《宗谷岬》
北緯45度31分22秒の位置にある、日本の最北端です!


二年ぶり、また来ました!!


いや~、横浜からは遠かった・・・(当たり前)


お土産屋さんで上官殿への献上品、そして ”最北端到達証明書” を購入。


最北端の陽をたっぷり浴びて、この日最後となる偵察地へ。



《宗谷丘陵》


日本最北端の地に広がる丘陵地帯。


特徴的な緩やかな起伏は、約2万年前の氷河期に由来するものらしいです。


それにしても、宗谷岬から直ぐの絶景スポットなのだが、びっくりするくらい人がいない。


おかげで周囲をあまり気にせず、ゆっくり偵察活動が出来た。


(ワタクシ二等兵撮影)




ワタクシ二等兵と乙三三式車両改は進路を変え、宗谷丘陵の海側へと進行。


相変わらず、人もクルマも全く姿が見えない。
大自然の中、ポツンと乙三三式車両改。




《白い道》


宗谷丘陵を貫く、宗谷丘陵フットパスコースの一部。


ちなみに ”白” の正体は、稚内の名産である “ホタテ” の貝殻を砕いて敷き詰めているため。


以前偵察した時は晴天で、青い空と海、緑の草花と白い道のコントラストが素晴らしかったのですが、夕暮れ時もまた良きです (*^^*)




《アポロステーション 宗谷岬SS》
日本最北端のガソリンスタンド。


ここで給油すると、日本最北端給油証明書と貝殻のキーホルダーがもらえます。
やっぱり何だかうれしい (嬉〃∀〃)ゞエヘ♪




《稚内駅》
言うまでもなく、日本最北端の鉄道駅です。


ホームには、南の終着駅「枕崎駅」(鹿児島県)・最南端の鉄道駅「西大山駅」(鹿児島県)までの距離が表示されています。


↑の ”北と南の始発・終着駅” 看板は、枕崎駅にもありました。
(枕崎駅)

(おまけで西大山駅)


どっちにも行った事があるんだ、スゲェだろう ( ¯ ꒳¯*)エッヘン!

そしてこの稚内の地で、北海道旅行・・・じゃない偵察活動は、ついに折り返しを迎える事になります。

(枕崎駅)


次回は日本海沿いを南下。
一気に苫小牧まで進行致します!

(つづく)
Posted at 2025/07/05 22:30:08 | コメント(7) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記

プロフィール

「@チョコレース 木曽駒ですか!中岳超えて頂上まで行ったのかな?」
何シテル?   07/22 19:08
車歴・・・AE86レビン⇒FC3S(前期)⇒Z16A⇒FC3S(後期)⇒FD3S⇒SF5フォレスター⇒フェラーリ456GT⇒SG5フォレスター⇒BMW335i⇒...
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