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さとちん@のブログ一覧

2025年04月19日 イイね!

この場所は、現在どうなってますか?

上官殿!

ゆるキャン△SEASON3の聖地巡礼報告中ではありますが、ひとつ別の偵察報告を間に挟ませてください!!

(上官殿)それは構わんが、理由は何だ?

はっ!(`Д´)ゞ ビシッ!
偵察風景に散りかけている桜が写っており、後に回すと少し季節感がずれる為であります!!

(上官殿)まぁ確かに・・・偵察報告でそういった感性は大事かもな。
ところで何の偵察報告だ?

この古い写真の場所を探し当て、偵察を行って参ります!







《東京メトロ 九段下駅》




《俎橋(まないたばし》
1967年(昭和42年)の姿。
九段下駅から、程近い場所にあります。





《九段下交差点》
1936年(昭和11年)2月
二・二六事件での「九段下 戒厳司令部





《九段坂》
かつてこの場所は急坂で、9つの段が築かれていた事が、名前の由来とされています。

(1834年 江戸名所図会より)

明治以後に段差を廃して坂道となりましたが、当時は見上げるような急登だったようですね。


急傾斜地だったため、東京市電(現在の都電)を通すことが出来ず、千鳥ヶ淵沿いに専用軌道を設置。
右奥に見えるのは、当時の「靖国神社 第一鳥居」です。





そして冒頭の写真は、九段坂の脇を走っている市電。
今から104年前、1921年(大正10年)頃のもの。





関東大震災後、復興事業の1つとして、九段坂の改修工事が始まりました。
1930年(昭和5年)、傾斜を緩やかにする工事の様子です。


工事後。





1933年(昭和8年)頃
画像右端に、九段坂の方を走っている市電の姿が写っています。



同時に千鳥ヶ淵の線路は撤去され、現在の姿に。
偵察を行ったのは、先週4月12日。
かろうじて桜がまだ咲いていました。



そして復興計画により、靖国通りの拡張工事も実施。



拡張工事により、道のど真ん中に位置してしまう事になった「常燈明台」は現在、道を挟んだ向こう側に移動されています。




1930年(昭和5年)頃の九段坂。



ホント九段坂には、様々な歴史がありますね。



そろそろお昼。
かなり前ですがワタクシ二等兵、仕事で九段下に頻繁に来る時期があり、その時によく行ってた喫茶店・・・まだありました!


九段下駅からは少し離れた場所にある、隠れ家的なお店。


大好きなビーフシチュー
いっただきまーす (*^^*)♪


食欲をそそりまくる香りと、濃厚なシチュー。
そしてスプーンで持ち上げるだけで切れるほど煮込まれた、柔らかビーフ。
うーーーーーん、ウマい!!!




上官殿!
報告は以上になります!!

(上官殿)・・・・・・・・・・

上官殿?

(上官殿)何で・・・・・・・・

???

(上官殿)何で一人で、美味しそうなものを食べているのかなぁ?(ꐦ°᷄д°᷅)怒


(ヒエッ!!( ;゚ロ゚)/ おわり)
Posted at 2025/04/19 21:23:54 | コメント(8) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年03月08日 イイね!

1日7時間だけ通行できる橋

上官殿!

本日は表題の通り、1日のうち僅か7時間しか通行が出来ない、世にも珍しい橋についての報告を行いたいと思います!! (`Д´)ゞ ビシッ!

(上官殿)工事中とか、下を船が通るような跳ね上げ式の橋なのか?

いえ!
工事などによる規制でも、可動式の橋でもございません!!

(上官殿)では何故1日7時間しか通れないのだ???






《静岡県島田市》
静岡県道64号から、とある道に侵入。


すると前方に、何やら急登が見えます。


近づいてみましょう。



坂の手前には管理人室のようなプレハブが建っているうえ、何かいろいろ表示されており、ただならぬ雰囲気。


「通行可」「通行止」の電光掲示。
分かりにくいですが、この時は「通行可」に灯りが燈っています。


「通行時間帯」が記載されており、午前・午後でそれぞれ2回。
1時間45分 × 4回=7時間のみ、通行が可能なようだ。


ここは・・・






《大井川水路橋》
橋長732.3mと、結構長い。


通行できる車両は、長さ6m/幅2m/高さ2.8m以内で、総重量が2トン以下の車両(バイクを含む)


水路橋は本来、水を流すための施設ですが、大井川水路橋は歩行者や車両が通行できる、珍しい橋です。
早速侵入してみましょう!



出だしは結構な上り坂。
道幅が狭い事もあり、鳥取にある某ベタ踏み坂よりは急に感じる。


上りきったところ。
幅こそ車1台分ですが、一方通行なので安心して通れます。
ちなみに制限速度は20km/h。


対岸にある大井川右岸地域は、古くから農業用水不足に悩まされており、江戸時代には ”ため池” を作り、水不足に備えていたそうです。
状況を打開すべく、1960年に初代の水道橋が架けられ、大井川の左岸で取水→右岸へ送ることが可能となり、農業用水の安定供給が実現することとなりました。

そしてこの道路の下では、現在進行している方向に ”10.22t/秒” という、もの凄い勢いで送水されています。(25mプールが約40秒で満水になる量)


ちなみに初代の水道橋は老朽化により取り壊され、現在は二代目です。


対岸へ渡ると、当然ながらこちらにもゲートが存在します。


こちらからの通行可能時間は更に短く、1日あたり5時間45分しかありません。


かつて島田市内を縦断する大井川は日本有数の急流だったため、東海道では一番の難所として知られていました。
その難易度は「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われる程。


橋ひとつでも、調べれば様々なことが分かる。
事前にちょっとした知識をインプットしておくだけで、橋ひとつ渡るだけでも立派な偵察になる。

常に前進!常に反省!!
我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」の偵察のあり方について再考させられる、ワタクシ二等兵であった。



などとカッコいい事を、「ゆるキャン△」聖地であるお茶屋さんで、作中登場したスイーツを堪能しながら思った、ワタクシ二等兵であった。






(おわり)
Posted at 2025/03/08 22:13:13 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2024年12月21日 イイね!

大都会にひっそりと残る戦争遺跡

上官殿!
大変申し訳ございませぇぇぇーーーん!!


(上官殿)おぅ!? 二等兵、何だ急に!?!?

今年の秋口に、とある「戦争遺跡」の偵察を行ったのですが、いろいろあってまだ報告出来ておりませんでした!!!

(上官殿)戦跡か・・・確かにそれは軍部に顔向けが出来ないな・・・至急報告書を整えよ!






《東京メトロ副都心線 西早稲田駅》
今回は新宿区の”戸山地区”にある戦跡の偵察です。




江戸時代、この辺りは ”尾張徳川家” の下屋敷があり、13万6000坪という広大な敷地の約8割を「戸山荘」という庭園が占めていました。

明治時代になると政府に接収され、1873年(明治6年)に「陸軍戸山学校」が置かれます。


上が現在、下が1936~1942年頃の航空写真。



赤枠内に、細長い建物がいくつもあるのが分かります。


これは、長さ300mもある ”射撃場


流れ弾の危険性や騒音問題が近隣の住民から上がったため、射撃場の建物は分厚いコンクリートで覆われいました。





《陸軍大久保小銃射撃場 跡地》
現在この辺りは「早稲田大学 西早稲田キャンパス」がとなっており、


51号館」が建っているのが、正にその射撃場があった場所です。


またキャンパスの直ぐそばには、射撃場の土塁跡があります。(土が盛られているところ)


こちらの木が生い茂っている場所も、土塁跡。
長さ300mの屋内射撃場は1928年(昭和3年)完成なので、それより以前に使われていたと思われます。


そして↑の場所には、土塁跡以外にも、とある戦跡が残されています。
どこだか分かりますか?










ここ


寄ってみましょう。
何やら石碑?っぽいのがあるのが分かります。


更に寄ってみましょう。
その正体は・・・










陸軍の境界石


普通に歩いていたら、まず気付くことは無いでしょう。
都会の、それも民家のガレージの片隅にポツンと佇む、戦前の歴史。
こういうのが、戦跡偵察の醍醐味と言えます。

続いて、戸山ハイツに隣接する「箱根山」に向かいます。




《箱根山》
石碑には「陸軍戸山学校址」の文字が刻まれています。


そしてこの石碑の向かいには「軍楽隊 野外音楽堂跡


軍楽隊は、式典などで演奏活動を行う組織。
フルートメーカー「ムラマツ」創業者の村松孝一氏や、芥川龍之介の三男で作曲家だった芥川也寸志氏らが所属していました。

こちらは1915年(大正4年)、野外音楽堂での開園式の様子です。


むちゃくちゃ人が集まってますね (´▽`*)

野外音楽堂から上に進むと、白い建物が見えて来ます。
正面へ回りましょう。




《戸山教会・戸山幼稚園》


一見何の変哲もなさそうですが、門の前にある階段から既に違和感が。




《陸軍戸山学校 将校集会所跡》
この半地下式の石造り部分が、将校集会所の跡とされています。



今度は箱根山を西に進み、若松住宅を目指します。




《陸軍軍医学校 跡地》


跡地には、かつて公務員宿舎として利用されていた若松住宅がそびえ立っていますが、現在は廃墟となっており、立ち入りは出来ません。


この廃墟となった若松住宅の麓にも、戦跡が残されています。
分かりますか?











ここです!


寄ってみましょう。










”医療” と書かれた軍医学校の車止め




《東京陸軍第一病院 跡地》
道を挟んで向かい側にあるのは「国立国際医療研究センター


ここはかつて「東京陸軍第一病院」でした。


先ほどの画像をよく見て見ると、何か不自然なところがあります。
分かりますか?











そう、ここです!


これは・・・










陸軍第一病院と軍医学校を結んでいた地下道跡


近くに行くと、通路っぽいのがよく分かります。
何やら塞いだ感に溢れてますね。


実はコレ、なかなか見つからなかったのですが・・・
見つけた時は、めちゃくちゃテンションが上がりました(笑)



《陸軍軍医学校 跡地》
国立感染症研究所
この施設も、軍医学校跡地に建てられています。
最近だと新型コロナウイルスの研究などで、一時期頻繁にメディアに登場しましたが・・・


1989年(平成元年)、この施設を建設中に、大量の人骨が発見されています。



戦時中、細菌や毒ガスの研究をしていた通称「731部隊


その「731部隊」と関係の深い「防疫研究所」があったことから、生体実験の犠牲者ではないかとの意見もあります。(真偽は未だ不明)


研究所内には納骨施設があり、特別に見せていただくことが出来ました。(許可を得ています)


亡くなった方へのご冥福をお祈りいたします。







という訳で、新宿・戸山地区の戦争遺跡を偵察してまいりました!(`Д´)ゞ ビシッ
言われないと分からないようなものも多いのですが、思った以上に残っていて驚きです。

西早稲田駅への帰り道。
何気ない日常風景の中にも、しっかりと戦跡は残っています

こちらは学習院女子大学の周囲を囲む、レンガ壁。


学習院女子大の敷地内には、かつての「近衛騎兵連隊宿舎」と「炊事所」が残っており、このレンガ壁もその当時から現存しているもの。




ワタクシ二等兵、そして我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」は、車両での移動を主として偵察活動を行っている。
が、こうした徒歩での偵察活動では、普段「だた通り過ぎてしまう」だけの風景に注目する機会を与えてくれます。



上官殿!
やはり偵察の基本は徒歩ですね!!

(上官殿)確かに情報収集は、足で稼ぐのが基本だからな。

その通りでございます!!!
今度は上官殿もいかがでしょうか!?

(上官殿)う~ん・・・

基地(=自宅)がお好きなのはもちろん存じておりますが、たまには外出された方がよろしいかと。

(上官殿)・・・・・・

運動不足が過ぎると体調を崩しやすくなるだけではなく、見た目もいろいろ不健康に・・・あ

(上官殿)・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・

(上官殿)二等兵・・・

(((( ;゚д゚))) ヒッ!!!

(上官殿)いろいろ話し合いが必要なようだな・・・


(おわり)
Posted at 2024/12/21 21:14:03 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2024年11月02日 イイね!

北海道偵察活動 お馬さん編

上官殿!

今週も引き続き、北海道における偵察活動報告をさせていただきます!!(`Д´)ゞ ビシッ!

■報告まとめ
函館編 (函館山~八幡坂など夜景坂めぐり~赤レンガ倉庫~朝市)
有珠山編(旧国道230号水没エリア~西山散策路)
お馬さん編  ←今回






3日目【10月12日(土)】
《北海道 浦河町》
今回も偵察の主目的であり、ワタクシ二等兵にとってはお楽しみの時間でもある、お馬さん巡りが始まります! ワクo(´∇`*o)(o*´∇`)oワク


競走馬を引退し、更に種牡馬・繫殖牝馬(子孫を残す)としても引退した馬たちを支援する認定NPO法人「引退馬協会」の会員である、ワタクシ二等兵。
まず最初は、昨年から新たに支援を始めたばかりの子に会いに行きます。



《Calm Days Farm》
牧場関係者以外で立ち入れるのは、引退馬協会の一部の方のみですので、ご注意ください。


牧場の方に挨拶し、早速放牧地へ。
さてさて、支援している子はどこかなー・・・いた!!

テイエムプリキュア


2005年のJRA賞最優秀2歳牝馬で、中央競馬における最高峰、GIレースも制しています。(獲得賞金 2億474万1000円)
そして ”プリキュア” という名前の通り牝馬、つまり女の子です。

この子の最も印象的なレースは、2009年 エリザベス女王杯(GI)
”大逃げ” を敢行し、一番人気の二冠馬 ブエナビスタから逃走。
1着は逃したものの、ブエナビスタに先着する2着でゴール。
※ずっと先頭付近にいる11番 ピンクのメンコ(お面)がプリキュア


そんな大観衆を沸かせたプリキュアも、今年で21歳。
人間でいう所の60代に相当する彼女。
生まれ故郷の北海道で、のんびり余生を過ごしています。


浦河町から新冠町(にいかっぷちょう)へ向けて、国道235号を西へ。




《ノーザンレイク》
こちらも牧場関係者以外で立ち入れるのは、引退馬協会の一部の方・一般見学で予約済の方のみですので、ご注意ください。


ここにも、ワタクシ二等兵が支援している引退馬が。

メイショウドトウ


2001年の宝塚記念を制した、GIホース。


ちなみにメイショウドトウの買付価格は500万円と、サラブレッドとしては破格の安さ。
しかし現役中は27戦10勝、9億2133万4000円もの賞金を稼ぎ、掲示板に乗らなかった(5着以内に入れなかった)レースはたったの3回という、大変に馬主孝行な子。


威風堂々とした名前に反して、おっとりとした穏やかな性格で、非常に人懐っこい事で有名。
ドットさん” の愛称で親しまれています。
↓ ワタクシ二等兵とドットさん(肩をモグモグされてます)


何もしなくてもドットさんの方から近寄って来るので、撮られる写真の多くが顔のドアップという、珍しいサラブレッドでもあります。


新冠町から日高町へ向けて、国道235号を更に西へ。



《ダーレー・ジャパン スタリオンコンプレックス》
今回初めてお邪魔する事になった、(子孫を残す)種牡馬を扱う生産牧場です。
見学期間および時間が限られていますので、ご注意ください。


ここでのお目当ては・・・

フリオーソ


通称「船橋の星

地方(船橋競馬場)所属のままで数々の中央(JRA)馬と渡り合い、地方競馬の記録を次々と塗り替えた競走馬です。(獲得賞金 8億4544万6000円)




《ブリーダーズ・スタリオン・ステーション》
先のダーレー・ジャパン同様の生産牧場ですが、こちらも見学期間および時間が限られていますので、ご注意ください。


ここには、超メジャーなお馬さんが多数在籍。

サトノダイヤモンド
2016年の菊花賞有馬記念と、GIレースを2勝。


ダイヤ型の流星(額の白い部分)が馬名にも反映された、約2億円の超良血馬。
馬主は、セガサミーホールディングス代表取締役会長である里見治氏です。

競走馬にかなりの投資を行っていたものの、最高峰であるGIレースの勝利までなかなか辿り着けなかった里見氏。
その里見氏、そして冠名「サトノ」に初めてのGI勝利をプレゼントしたのが、サトノダイヤモンドとなります。
(ワタクシ二等兵撮影)


キセキ
2017年 菊花賞(GI)優勝


シュヴァルグラン
2017年 ジャパンカップ(国際GI)に勝利。
馬主は「ハマの大魔神」こと、元プロ野球選手 佐々木主浩氏です。


リアルスティール
2016年のドバイターフ(海外GI)の勝者。
現役当時、個人的に好きだったお馬さんです。


ジャスタウェイ
2013年 天皇賞(秋)、2014年 ドバイデューティーフリー、安田記念とGIレースだけで3勝。


2014年度ワールド・ベスト・レースホース・ランキングで単独1位となり、日本調教馬として史上初めて同ランキング単独1位「世界一」を成し遂げた馬でもあります。






4日目【10月13日(日)】
《北海道 浦河町》
今日も、お馬さんづくしとなります。




《中村雅明牧場》
昨年に続き、2回目の訪問です。


ヒシミラクル


2002年 菊花賞、2003年 天皇賞(春)、宝塚記念とGIレースで3勝。


父は ”サッカーボーイ” という気性が荒い事で有名なお馬さんですが、当のヒシミラクルは現在25歳。
人間換算だと70代相当なので、だいぶ大人しく、そして懐っこくなったそうです。
(ワタクシ二等兵撮影)


↓ ワタクシ二等兵とヒシミラクル




《イーストスタッド》
こちらも昨年に続き、2回目の訪問となります。


ホッコータルマエ


2016年に日本競馬史上初のGI(ダートGI含む)レース10勝を達成した、歴史に残る名馬です。(獲得賞金 11億1459万1800円)


にも関わらず、幼少期から大人しく、優しい性格。
ストレスがあっても人にも馬にも当たらず、馬房に吊り下げられたプラスチックのリンゴのオモチャにヘディングしていたとのこと。


また非常にファンサ上手な、賢い子でもあります。
(ワタクシ二等兵 撮影)




今日も国道235号を西へ、目指すは新ひだか町
牧場へ向かう途中で昼食です。


11時開店の、このお店。
12時頃入店しましたが、ワタクシ二等兵の次の方で「ご飯が無くなりました」と早くもオーダーストップする人気のお店です。

ワタクシ二等兵は、ミックスフライ定食を注文。
揚げ物ひとつひとつがデカイ!


まずはソースでひと口。そして白メシをバクバク喰います。
モノと仕上げが素晴らしいので、結局どう喰っても白メシに合うのでしょう。


続いてマヨネーズで1個。ううっ、ビールがほしい・・・
サクリ食感にホワリ食感、タラの美味しさが引き出されている。実に旨いのであります!



《レックススタッド》
見学期間および時間が限られており、いつでも可能ではないのでご注意ください。


こちらで一番会いたかったのが・・・

タイトルホルダー
2021年 菊花賞、2022年 天皇賞(春)、2022年 宝塚記念で勝利。
獲得賞金は10億超え。


タイホくん」の愛称で親しまれ、2023年12月の有馬記念で引退したばかり。
去年の今頃はまだ現役馬だったので、まだ記憶に新しい方もいるのではないかと思います。


いつもパドックや本馬場で、遠くから見ていたタイホくん。
こんな近くで見れるとは・・・感激 。°(°´ᯅ`°)°。

他にも中央競馬で活躍した有名馬がたくさん。

ロゴタイプ
2012年 朝日杯フューチュリティステークス、2013年 皐月賞、2016年 安田記念と、GIレースだけで3勝。


スマートファルコン
ダート最強格の馬として知られており、獲得賞金も約10億円と超高額。
いつもちょっとだけ口が空いているのが、チャームポイント。


エイシンフラッシュ
2010年 日本ダービー、2011年 天皇賞(秋)と、G1レース2勝。


オメガパフューム
大井競馬場で開催される東京大賞典(GI)を2018年~2021年に4連覇するなど、同競馬場のレースに滅法強いことで知られ、「大井の帝王」と呼ばれていました。




《アロースタッド》
こちらも見学期間および見学時間が限られていますので、ご注意ください。


こちらも中央競馬で活躍した有名馬がズラリ。

トランセンド
ジャパンカップダート(GI)を2010年・2011年で2連覇。
更に2011年のフェブラリーステークス(GI)、マイルチャンピオンシップ南部杯(JpnI)と、GI 4勝の実績を誇る。


性格は、サラブレッドとしてはかなり大人しめ。
でもイタズラ好きらしい、カワイイ。


ステルヴィオ
2018年 マイルチャンピオンシップ勝者、一昨年2022年に引退したばかり。
つぶらな瞳がカワイイ。


ジャンダルム
2022年のスプリンターズステークス(GI)を勝利した短距離馬。
こちらも一昨年まで走っていた馬なので、記憶にある方もいるのではないでしょうか。
キリッ!としたお顔がカワイイ。


ダノンプレミアム
2017年 朝日杯フューチュリティステークス(GI)勝者。
ワタクシ二等兵の中では、この子の顔面偏差値が非常に高い。


また馬房から顔を出している事が非常に多く、カメラを構えると、ほぼ必ず目線もくれるなど、愛嬌もたっぷり!
あー、とにかくカワイイ。


カワイイを連呼し、これにてお馬さん巡りは終了。
明日からの偵察のため、国道235号を東へ。
再び浦河方面へと進行します。




《日高本線 大狩部(おおかりべ)駅跡》
日没が近かったので、お気に入りの廃駅に寄り道。


2021年に日高本線 鵡川駅~様似駅間の廃止に伴い、大狩部駅も廃駅となりした。

↓ 現役当時


廃止の6年も前、2015年の高波被害により運行を休止したのが直接の原因です。
偵察時も波が防波堤に打ち付けられ、かつて電車が通っていた所まで波しぶきが上がっていました。

↓ 現役当時


誰もいない廃駅でひとり日没を眺め、お馬さん偵察で慌ただしかった一日をゆっくり締めくくります。


(つづく)
Posted at 2024/11/02 21:24:17 | コメント(5) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2024年10月26日 イイね!

北海道偵察活動 有珠山編

上官殿!

今週も引き続き、北海道における偵察活動報告をさせていただきます!!(`Д´)ゞ ビシッ!

■報告まとめ
函館編
有珠山編  ←今回






2日目【10月11日(金)】
函館での偵察活動を終え、国道5号を北上。


次の偵察地は「有珠山(うすざん)
記憶にある方も多いと思いますが、直近では2000年3月に噴火。

噴火口のすぐ近くには、洞爺湖温泉街を始めとする観光地・住宅・工場・学校など多くの人々の生活する場がありましたが、自治体の素早い初動と説明、そして何より住民の理解により、噴火前に周辺住民の避難が完了。
未曽有の大災害にも関わらず、死傷者を1人も出していないケースとして有名です。



《はじめに》
2000年の噴火では、有珠山の麓にある「金毘羅山(こんぴらやま)」と「西山(にしやま)」それぞれで噴火が起こりましたが、今回は「西山」の噴火により被害を受けたエリアです。


西山」はその名の通り、有珠山に西側に位置する標高543Mの小山。
2000年の噴火ではこの西山に幾つもの噴火口が開き、旧虻田町市街地や国道230号や町道、周辺集落に被害をもたらしました。


今回は、そんな噴火の爪痕をトレッキングコースとして整備した「西山散策路」を中心に偵察したいと思います。



《旧国道230号 水没エリア》
黄色マルが、今回の偵察開始地点。
道路が途切れていますが、かつては黄色矢印方面に国道230号が伸びていました。


この場所にはピンクが特徴的な建物がありますが、これはかつての「西胆振消防組合本部


そしてこの消防署の隣の風景が、西山散策路を代表する、国道の水没エリアです。


旧国道230号は、海に面する旧虻田町市街地に向け「下っている」道でした。

しかし、噴火の際に土地が大きく隆起。
下り坂が途中から上り坂に変わってしまったため、この一帯が窪地となり、やがて水が溜まるようになってしまったのです。


こちらは案内板に掲載されている、噴火直前の国道の姿。
道路の両側に立つ電柱と、奥に見える右カーブだけが、当時の痕跡を今に伝えています。



さて、散策路に行く前に旧消防署に寄ってみましょう。



《旧 西胆振消防組合本部》
こちらの建物は現在、「火山資料展示室」として使用されています。


ただし1階部分は水没しており、展示室となっている2階の床は、何と噴火の影響により傾いている(4%)との事。


実際にこの場に立つと、水没エリアに向かって、明らかに床が傾いているのを感じられます。


上の画像で言うと、奥から手前方向に傾いています。
やはり直接体験してみないと、伝わらないですね・・・

こちらは掲示されている、土地の隆起グラフ。
図の赤い部分が隆起したので、かつての下り坂の間に水が溜まるようになったのです。


隆起は最大で何と70M!
この赤い部分を上って下りるまでが、西山散策路のルートになります。



《西山散策路》
西山散策路は、水没した国道と並行して走っていて同じく壊滅した「町道 泉公園線」という道路沿いに整備されています。


かつての町道は、国道が水没している地点で合流していましたが、そこには今、白い車(マツダ ファミリア)がポツンと1台。


噴火当時マスコミが使用していたレンタカーだそうで、現在は屋根が潰れてしまっていますが、被災直後はしっかり形を保っていたとの事です。


水没エリアを横目に見つつ、旧町道 泉公園線を進行。
しばらく進むと、西山散策路の象徴的な部分に着きます。


階段状に破壊された道路。


一つ一つの小さい溝は「グラーベン(地溝)」と言い、


日本を東西に分けるフォッサマグナのミニチュア版と言われています。


地下から上昇したマグマの影響で、このようなグラーベン(地溝)の集合体が形成されたそうで、世界的にも珍しい光景だそうです。
※現地の案内板より噴火当時の様子


坂を上って行くにしたがって、旧町道は火山噴出物が堆積して通行出来なくなっていますが、その堆積物の合間には電柱や道路標識などが見え、ここが道路であった事を教えてくれます。


遊歩道の突き当りは大きな崖になっており、ここが西山火口のひとつ。


かつての町道に沿って歩いて来たので、ちょうど道の真ん中にパックリ火口が開いた。というのが分かるのではないでしょうか。


今では草木が生い茂っていますが、向こう側の崖をよく見ると、分断された水道管が飛び出ています。


隆起した場所の最高点(+70m)に到達。
手前には町道上に開いた大きな噴火口。
その脇の散策路と、噴火により破壊されたお菓子工場の廃墟が見えます。




《旧わかさいも本舗 泉工場》


土地の隆起と噴石の雨によって、完全に破壊。


この工場の目の前を町道が通っていましたが、土地の隆起により全くそう見えません。
右側で倒れている電柱だけが、かろうじて以前道路であった事を示しています。


現地案内板にあった、噴火当時の様子。

最初の噴火から1日後。
早くも国道230号の道路上に火口(左上)が開いていますが、町道の方はまだ何ともありません。(オレンジ色の大きい建物がお菓子工場)


ところが最初の噴火から7日後。
今度は町道の道路上に火口が開く。


こちらは、最初の噴火から13日後の写真です。
黄色のルートで町道は伸びていたので、その道路上に大きな噴火口が2つ。
左の噴火口は水道管が分断されていた場所で、右側の噴火口にお菓子工場がうっすらと見えています。


こう見ると、ホントに町道の道路上に、


そして工場のすぐ脇で火口が開いたのが分かる。


このまま下ると火口からだんだん離れていく為、町道が徐々に当時の姿に戻って来ます。



《倒壊民家》
旧町道との合流地点でいきなり現れるのは、倒壊した民家の・・・


門の部分です。
これだけ大きな門が付いているので、裕福なお宅だったのでしょうか。


その門の前には、朽ち果てた車両が。


前からじゃ分からなかったのですが、後ろに回って見ると、その独特のCピラーから ”ニッサン スカイライン” かな?


またステアリングやシート、シートベルトも社外品が取り付けられており、クルマ好きの方が所有していたと思われます。



その横には、大きなボックスカルバートが道路側に口を開けています。
手前の道路が陥没した為、地中にあったものが姿を現したようで、その証拠にボックスカルバートの上には道路の白い柵が載ったままになっています。


更に下って行くと、かつての町道が、ほぼそのままの姿を見せ始め、



そして左側に、なにやらポップなカラーリングの建物が見えて来ます。


この建物は・・・




《旧 洞爺湖幼稚園》


屋根も壁も、噴石によって穴だらけとなっています。


当時は入園式準備の時期でしたが、


事前の避難指示により、死傷者が出ることはありませんでした。


さて、西山散策路はこれにて終了ですが、火口側に戻って ”旧国道230号” の状況を少しだけ偵察したいと思います。




《旧 国道230号》
西山散策路の途中にある、こちらの入口から侵入。
注意書きにもある通り、足元はあまり良くないです。


左側には、これまた町道上に開いた噴火口があり、


右側には・・・( ,,`・ω・´)ンンン?






地面に埋ったパワーショベル!!!


噴火の前兆として発生した地割れにより水道管が損傷し、それを修復する工事を行っている最中に、最初の噴火が発生。
作業員は無事避難しましたが、残されたパワーショベルは、その後の噴火活動により地面に埋もれてしまったという訳です。

下の画像は、正にその最初の噴火があった当日の貴重なショット。


埋もれてしまったパワーショベル。
アパートは噴火により倒壊、瓦礫はやはり地面の下に埋もれています。
そしてアパートの向こうには、まだ破壊されていない、あのお菓子工場も見えます。


そしていよいよ、旧国道へ。



と、突然棒状のものがおっ立っている。
旧国道の道路脇にあった電柱だが、火山噴出物の堆積により、今はその上部のみが地表に出ています。


少し進むと、国道上に開いた噴火口が現れた事から、


ここから先が旧国道上のようだが、道らしい痕跡は見当たらない。


少し進むと、急に前面展望が開けた。
よく目を凝らして見ると・・・




道路の痕跡だ!!!


案内板も設置されており、かつて緩やかな下り坂だった国道が、とんでもない事になっているのが分かる。


しかしこれがかつて国道・・・
それも結構交通量もある230号だったとは、今の姿を見ると想像が出来ない。




長かった西山散策路の偵察も、これで終了となります。

やはりこういったものは、自分の眼で見てこそ価値がある。
学校の教科書では決して語られる事のない事実が、この西山にはあるのを確認した上で、今回の偵察活動を終えたいと思います。

(帰路、旧国道230号水没エリアを振り返って撮影)


(つづく)
Posted at 2024/10/26 20:58:06 | コメント(7) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記

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「@チョコレース 木曽駒ですか!中岳超えて頂上まで行ったのかな?」
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