上官殿!
5月の大型連休以降、我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」活動費用捻出のための仕事が多忙を極め、夜営(=宿泊)での偵察活動すら行えず、出来る範囲での活動を継続して参りました!!
やっとワタクシ二等兵の仕事も落ち着きを見せ始めた為、早速夜営を伴う偵察活動を行いたく、申し出をさせていただきます!!!
(上官殿)まぁ久しぶりだし、よかろう。 どんな偵察を行うつもりだ?
(二等兵)「
廃線」であります! (`Д´)ゞ ビシッ!
(上官殿)な・な・な・・・・・・
(二等兵)???
(上官殿)は、「敗戦」だと!!!
き、貴様!我ら大日本帝国が負けるはずが・・・
(二等兵)ち、違います!その敗戦ではございません!! 廃止された鉄道路線の事でございます!!!
(上官殿)ち、違うのか・・・ε= (´▽`;) ホッ
という訳で、久しぶりの夜営(=宿泊)を伴う偵察活動を行うため、早速移動開始。 東名高速道路を西へ進行。
今回廃線探索を行うのは「
豊橋鉄道 田口線」
田口線は1929年(昭和4年)に開業し、1968年(昭和43年)に廃止。
廃止から50年以上が経過、かつては木材運搬路線として活躍した田口線、その廃線跡を辿ります。
《本長篠駅》
愛知県新城市にある、JR駅です。
現在この駅は
JR飯田線のみが発着していますが、かつては豊橋鉄道 田口線の始発駅でした。
駅舎に近いホームが田口線。
手前のホームが、現在も営業中の飯田線です。
かつて引かれていた線路は、既に撤去済み。
駅の北側の道路に移動、向こうには飯田線の架線が見えますね。
ここで飯田線と分岐し、赤矢印の方向に進行。
線路跡は現在、道路に転用されています。
何てことない生活道路で、かつて鉄道路線だった事を偲ばせるような光景は見られません。
ところがしばらく進むと、早速遺構が姿を現します。
《内金トンネル》
そのまま車道として転用された、現役のトンネルです。
トンネルを抜けると、いよいよ山の中へと入って行きます。(赤矢印方面に進行)
愛宕神社の前を通過し、
森の中へと廃線跡は消えていきます。
《大井川橋梁跡》
廃線跡が森に消えた所から、
愛知県道32号に戻ると直ぐに現れる巨大鉄道遺構。
かつてはこの上を、電車が行き来していました。
《三河大草駅跡》
先ほどの橋梁跡の先にある、とんでもなく山の中にある駅。 誰が利用したんだろ?
大草トンネルを抜け、三河大草駅へと入線する電車。
当時の駅表示。
駅を出発。先ほどの大井川橋梁方面に向かう。
《大草トンネル》
トンネル内に侵入。
三河大草駅側はおいしい状態に・・・ではなく倒木で遮られ大変な事に。(特に問題なく乗り越えられます)
中は半素堀りと言ったところか?
壁には碍子が残っていて、鉄道トンネルらしさがまだある。
通り抜けて来ました。
こちら側には、架線跡が一ヶ所だけ残されています。
大草トンネルから伸びる道は、築堤だった所。
手前には道もあって、県道32号から直接ここに来れます。
この道を通って来た方が楽ですね。 なぜこちら側に駅を造らなかったのだろう?
《富保トンネル》
中は全てコンクリートで巻かれていて、路面も固く締まっており、こちらは普段から車が通ってるみたいです。
ここから次のトンネルまでも築堤がありますが・・・築堤と言うには広すぎます。 林業関係で今も使っていると思われ、後から広げたのかもしれません。
廃線跡は、前方に見える山へと一直線に進んで行きます。
《峰トンネル》
中は真っ暗。 先に進むには、気合いと根性が必要です。
ワタクシ二等兵は両方持って無いので、ここで撤退。
《鳳来寺駅跡》
現在は駐車場となっている場所に、駅舎がありました。
線路があったのは、向こう側に見える道路に沿ってです。
駅舎。2階は豊橋鉄道の本社が入っていました。
本長篠方面から駅舎を見る。
本長篠方面の軌道敷内からのショット。
鳳来寺小学校のあたりから、廃線跡はサイクリングロードに転用されています。
《玖老勢(くろぜ)駅跡》
いまは駐車場となった所に、かつては駅舎が建っていたそう。
駅表示。
後ろの民家が、当時とほぼ一致します。
正面に見えるお山の形が一緒なので、ここで間違いないですね。
《三河大石駅跡》
道路の線形が、当時とかなり近いです。
駅表示と待合室。
現在は路線バスの待合室として活躍を続けています。
本長篠行きの電車、三河大石駅を発車。
《三河海老駅跡》
現在は私有地となっているようなので、敷地外からの撮影のみ。
《滝上駅跡》
住宅地の背後にある山の中に、ひっそりと佇んでいます。
《長原前駅跡》
国道257号の新清嶺橋を渡ったすぐ後の脇道を入り、この茂りきった緑の先にあるトンネルを抜けると辿り着くが・・・
真夏に半袖半ズボンで藪漕ぎをしたくないので、偵察は見送り。
↓現役当時
《清崎駅》
いまの国道257号上に、駅のホームがありました。
ちなみに右手白い建物の奥には田口鉄道職員の宿舎があり、職員用の井戸がまだ残っています。
このすぐ近くにある「
道の駅したら」には、田口線で運行されていた車両が保管されています。
そしていよいよ、豊橋鉄道 田口線の終点、
三河田口駅跡へと向かう。
国道257号に別れを告げ、田口線跡は橋の架かる直進方向。
町道143号 平野松戸線へ入ります。
《第三寒狭川橋梁》
↓建設当時の様子
《田内トンネル》
トンネル入口に ”3km先 通行止め” という看板が出されています。
実はここから先、現在建設中の「
設楽ダム」が完成すると水没する区間。
目指している田口線の終点である三河田口駅跡も同様で、残念ながら既に工事のため周辺は立入禁止となっている。
《第四寒狭川鉄橋》
パッと見は狭く見えますが、そこは元鉄道路線。
幅員3.0MまでOKなので、幅広の乙三三式車両改でもラクラク通過。
そして看板の予告通り、行き止まり。
引き返し反対側から、三河田口駅の出来る限り近くまでアプローチしてみる。
《三河田口駅跡 入口》
国道257号まで戻り北上、設楽警察署手前の細道へ。
しばらく道沿いに走ると、最も三河田口駅跡に近づくことが出来る。
閉鎖されている道の先、数百メートルほどで駅跡があるが、現在立ち入りは出来ない。
ちなみにこの辺りは、現在建設中の「
設楽ダム」が完成すると完全に水の下に沈むエリアだ。
案内標識からも直進方面は削除され、通って来た道も町道表記が消されている。
ワタクシ二等兵が、もうこの場所でこの景色を目にすることは、恐らく無いだろう。 休憩がてら、ほろ苦い缶コーヒーをゆっくり飲み、この地を後にする。
走り出すとすぐ、ダムの建設現場が見えて来た。
あの高さに橋が架けられるという事だろう、下から見ると凄まじい高さ。
つまりここも、水没するエリアと言える。
ちょうどあの巨大な建造物の下あたりに、50年以上前に廃止となった小さな駅があった。
あと50年もすれば、間違いなく水没しているであろうこの地に鉄道駅があった事は、ほとんどの人が覚えていないだろう。
忘れてしまうのは人間として当然の事ながら、一抹の寂しさを感じ、乙三三式車両改のステアリングを思わず握りしめた、ワタクシ二等兵だった。
《在りし日の三河田口駅》
↓廃線後
(おわり)