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さとちん@のブログ一覧

2025年09月27日 イイね!

東北北部偵察記 岩手後編(ちょっとだけ秋田)

上官殿!

今週も引き続き、東北北部における偵察活動報告をさせていただきます!! (`Д´)ゞ ビシッ!

■ここまでの報告まとめ
岩手前編 厳美渓~龍泉洞~荒神神社~険道194~鳥越の滝
岩手後編 ←今回






【2日目】
前回報告にて、険道の先にある「鳥越の滝」を訪れたワタクシ二等兵。
岩手県雫石町から更に北上し向かったのは・・・






《松尾鉱山》
かつて東洋一と言われ、最盛期の1950年代には国内の硫黄生産量の約3割を占めていました。




松尾鉱山があったのは八幡平(はちまんたい)の中腹、標高1,000m付近という高地。
にも関わらず、最も町が賑わっていた時期には、鉱山で働く労働者および家族など約15,000人が暮らしていたという。



冒頭の写真は、1951年(昭和26年)に鉱山の社員寮として建設された「緑ヶ丘アパート」の、今は昔の姿である。



1960年代に入ると石油精製過程で得られる安価な回収硫黄に市場を奪われ、1971年(昭和46年)に採掘終了。

東北一ともいわれる廃墟は、さながら北の軍艦島といった様相で、遠目に眺めるだけでもその存在感の強さに圧倒される。


ちなみに、下は実際に人が居住していたころの画像。
当時としては最先端の、水洗トイレやスチーム暖房を備えていたという。


このアパートは日本初期のコンクリートアパートで、こういった最先端なものの普及は、東京や大阪などの大都市より早かったそうです。(ちなみに軍艦島が日本初)



1つだけ離れて建っているこちらの建物は、独身寮。


「嫁に行くなら松尾鉱山」
当時岩手県で言われていた言葉で、働きに応じて非常に高額な賃金が支払われており、非常に安定した暮らしができたそうです。


当時を撮影した画像には、この独身寮も映り込んでいますね(煙突の右上)


学校や病院、映画館まであり、活気にあふれた鉱山の町は「雲上の楽園」と呼ばれていました。

しかし今聞こえるのは、風の音と鳥のさえずりばかり。
コンクリートが剥がれ落ち、鉄筋はむき出し。
窓枠から若木が枝を伸ばす様は、どこかアートな作品のよう。




人工的構造物がその役目を終えた後は、森に飲み込まれるように自然に還っていく。
松尾鉱山の廃墟群も、春夏秋冬巡る季節を繰り返しながら、同じように自然に還っていくのだろうか。

その答えを知るには、まだ長い時間が掛かりそうだ。




《東北自動車道》
松尾鉱山を後にしたワタクシ二等兵。
再び東北道を北上。


そして、秋田県への侵入に成功!!!


小坂ICで降り、樹海ライン(秋田県道2号)をひた走ると、眼下に大きな湖が見えて来ました。




《十和田湖》
約20万年前の火山活動でできたカルデラ湖で、周囲は約46kmと広大。
北の高地にありながら冬でも湖面が凍らないことから「神秘の湖」とも呼ばれている。


松尾鉱山からはそれなりに距離があったので、湖畔の木陰でしばし休憩。


秋田・青森の両県にまたがっている為、少し走ったらついに青森県へ侵入!!!


次回は ”青森編” となります! (`Д´)ゞ ビシッ!

(つづく)
Posted at 2025/09/27 21:29:24 | コメント(5) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年09月20日 イイね!

東北北部遠征記 岩手前編

上官殿!

我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」基地のある関東地方では、やっと暑さも落ち着き始め、他の部隊の偵察活動も益々活発化する事が想定できるのであります!!

そこで我ら「陸上自走隊 横浜方面隊」も、他偵察部隊に先んじて遠方への偵察活動を行うことで、上官殿の軍部における地位も、ますます強固になると思われます!!!

(上官殿)分かるような、よく分からんような、、、

時は金なり!
早速行って参ります!!C= C= C= C= C=ヘ;¯ー¯)ノ






【1日目】
《常磐自動車道》
”みちのく” の玄関口、福島県への侵入成功!


あいにくのお天気ですが、予報通り。
今日のメインは移動なので特に気にせず、更に北を目指します。
富谷JCTから、東北自動車道へ。




《東北自動車道》
岩手県にも侵入成功!
って、何も見えねー


一関ICにて下道へ。
ここまで5時間30分、長かった高速道路と別れます。




《道の駅 厳美渓(げんびけい)》
ここで昼食。


”もち料理” が気になるが・・・
”土日曜日限定チャーシューメン” も気になる・・・
でも、せっかく岩手まで来たのだし、その土地の名産を食べたいところ。


もちろん、ワタクシ二等兵の選択は!










結局、塩と油と糖が最強なのだ!!!



スープは薄めのしょうゆ味。
それとは対照的に濃厚、加えて弾力はありつつも柔らかいチャーシューが最高でした!!!( '༥' )ŧ‹”ŧ‹”

乙三三式車両改はそのまま駐車場に置き、徒歩にて東北北部遠征最初の偵察地へと向かいます。



《厳美渓(げんびけい)》


先ほどの道の駅の名称にもなっている、名勝・天然記念物。
磐井川の浸食により、ゆっくりと時間をかけて形成され、奇岩、巨岩、甌穴、深淵、滝など、約2kmにわたり「静」と「動」の渓谷美が続きます。


この日は雨なので、渓谷散策は断念。
天工橋から厳美渓を眺めていると、






空中を籠が移動している!?


これは・・・






かっこうだんご


通称 ”空飛ぶだんご” は、籠にお金を入れて木づちを叩くと、川の対岸にあるお店から、だんごとお茶が飛んできます(笑)
(ワタクシ二等兵撮影)


ゲットした団子は、今夜食べることにしましょう♪



場所は一気に飛び、岩手県北部にある岩泉町の、とある場所に到着。




《龍泉洞(りゅうせんどう)》
日本三大鍾乳洞に数えられ、国の天然記念物に指定されています。


洞内はすでに知られている所だけで、4,088mもあります。


しかし公開されているのは、その内の僅か700mほど。


現在も調査が継続中で未知の部分もまだまだ多く、総延長は5,000m以上ではないかと言われています。


ロマンの塊のような、この龍泉洞。
もちろん以前から興味はありましたが、今回偵察を行った最大の理由は、外の天気が悪かったので・・・
ここなら、外の天気は関係ありません!




また見つかっている地底湖は8つで、そのうち3つが公開中。


第一地底湖(水深35m)
1959年(昭和34年)、この崖からゴムボートを降ろして初めて第一地底湖の調査が行われたそうです (;°-°;))) コ、コワイ…


ただの崖に見えるかも知れませんが、おそろしく透明度の高い水が溜まっており、35m下の湖底がハッキリと見えます。

第二地底湖(水深38m)
1962年(昭和37年)に、越智研一郎さんという方が何と潜水調査で発見したそうです :(´◦ω◦`):ムチャシヤガル…
ここもただの崖に見えるかもですが、湖面が分からない程の透明度の高い水がたたえられています。


第三地底湖(水深98m)
マジで恐怖を感じた。


単純に深さ(高さ?)と、水深98mもある湖底が見える透明度。
じっと見てると、ホント吸い込まれそうな感じ。
隣にいた若い男性も「え?何か怖いんだけど?」と思わずポツリ。

後で知ったのですが、龍泉洞の地底湖は、世界有数の透明度だそうです (* ˘꒳˘)⁾⁾ウンウン






【2日目】
《釜石駅前》
朝6時に出発。
前日までの雨はあがり、良い天気!


三陸沿岸道路(無料)から釜石自動車道(無料)を通り、遠野住田ICにて下ります。
田舎道をゆったり進み、今日最初の偵察地へ。




《荒神神社》
日本の原風景のような、田畑の中にある小さな神社。


茅葺きの社殿の周囲を田畑に囲まれ、狭い土地の中に鎮まっており、日本の原風景を感じられる場所のひとつ。
夏は青田、秋は黄金色の田んぼに周囲を囲まれ、冬は真っ白な雪景色と、どの時期の訪れても楽しめます。




晴天の国道283号国道396号を通り、次の偵察地へ。




《宮守川橋梁》


JR釜石線の現役橋梁です。


また宮沢賢治は、この橋を走るJR釜石線の前身「岩手軽便鉄道」をモチーフに「銀河鉄道の夜」を執筆したと言われています。




《岩手県道・秋田県道194号 西山生保内線》
岩手県雫石町から秋田県仙北市に至る県道ですが、岩手・秋田の県境部分は通行不能な、いわゆる ”険道” です。

険道区間始点には、当然のようにゲート設置。


走り出してしばらく経つと、路面が崩壊している箇所が登場!


これは期待できそうだ!わくo(´∇`*o)(o*´∇`)oわく



またしばらく走ると、今度は県道のすぐ脇の法面に滝が登場。
乙三三式車両改と比較すると、この水流の大きさが分かると思います。
滝つぼも出来ており、その後はもちろん県道上をジャンジャン流れています(笑)


滝を正面から見上げると、かなりの落差!
こんなのが道路脇にあるのは、ちょっとした名所としてもいいのでは?




更に驚くべきは、この険道の先に、近代的な建物が建つ温泉地(滝ノ上温泉)があること。


ワタクシ二等兵は偵察活動中なので、温泉地ではなく目的地はこちら。



《鳥越の滝》
落差30メートル。
垂直の岩肌を白い飛沫を上げて流れ落ちる姿は、実際に見るとなかなかの迫力。


ただ昨日までの雨の影響で、深い滝壺の鮮やかな色合いは見ることが出来なかった。(↓ 参考画像)




とは言え、巨大鍾乳洞を探索し、日本の原風景に出会い、小説のモデルを感じ、一転して険道走破と、充実した偵察活動でした!
岩手後編では、一部には有名な鉱山跡の偵察を行って参ります!!




《おまけ》
”空飛ぶだんご” こと「かっこうだんご


中は三食だんご🍡
モチモチしていて、とってもウマーでした ( '༥' )ŧ‹”ŧ‹”


龍泉洞で買った地ビールも、苦みがしっかりあって良き♪


(後編へつづく)
Posted at 2025/09/20 21:23:56 | コメント(5) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記
2025年09月06日 イイね!

旧国道17号 三国隧道

上官殿!

本日はワタクシ二等兵の地元である群馬県と新潟県を結んでいた、かつての国道17号 三国隧道(=トンネル)を偵察して参ります!!

(上官殿)三国トンネル!そういえばまだ私と二等兵が若い頃、新潟に行く際に何度も通っているな。

はい!

(上官殿)でも今は新トンネルが出来て、私達が通っていた旧トンネルは通れないだろう?

その通りです!
ですが・・・知られざる ”抜け道” から、旧トンネルの目前まで行けるのであります!!






《関越自動車道》
晴天に恵まれた休日。
ワタクシ二等兵と乙三三式車両改は、関越道を北上。


月夜野ICで下道に降り40分ほど走ると、朝露の残る上越国境に到着です。


山の斜面には大きな穴が2つ。
左が現道の「新三国トンネル」、2022年(令和4年)3月開通。


そして国道としての役割を終えた「三国トンネル」は、トンネル手前に架かる「上越橋」から立入禁止。


現役時代に幾度も通り抜けたトンネルですが、こうして見ると全く印象が変わります。


通常の偵察部隊であれば、ここで偵察終了。
もしくは新トンネル手前に架かる新橋の上から、少しでも旧トンネルに接近するに留まるだろう。



しかし!
ワタクシ二等兵は知っている・・・




「三国トンネル」の直ぐ手前まで行けるルートを!!



しかも柵を乗り越える事も無く、立入禁止区域に入る事も無く、完全合法で最接近できるルートを!!!



《新上越橋》
まずは普通に新橋を渡る。
隣にはつい3年前まで国道橋としてバリバリ活躍していた「上越橋」がよく見えます。




《新三国トンネル》
長さは1,234mと、旧トンネル(1,218m)より少し長め。
幅員が広く、大型車も安心して通れます。


ここで皆様ご注目!
上の画像で、何か気付くことはありますか?

答えは、、、








近寄ってみると、こんな感じ。


一体何の穴なのか?
これは、、、



三国山への登山道入り口



入口付近に案内は一切ないのですが、登山趣味・・・じゃない、山岳訓練を行っているワタクシ二等兵は知っていた感じです。

トンネル脇に開いた穴を通ると、先には丸太の簡易的な橋。


そしてその先に姿を見せたのが、、、




《三国トンネル》


長きに亘り、太平洋側と日本海側を繋ぐ交通の要でした。
他に上越国境の道として、関越自動車道「関越トンネル」がありますが、こちらは危険物積載車が通行禁止となっています。

当然ながら照明は消され、トンネル内は闇に覆われている。


入口より直ぐに幅員が狭くなっていますが、手前のシェッドは後付け。
トンネル本体はかなり狭く(1.8車線)、大型車は運転に細心の注意が迫られた。


元々戦後に近い古い車体規格で掘られた為、現代からするとかなり手狭なトンネルとなっていました。

三国トンネル」の開通は、1959年(昭和34年)6月。


このトンネル開通には、まだ新人議員だった田中角栄氏が強く関わっており、演説で「三国峠を爆破し雪雲を吹き抜かせ、佐渡島まで埋め立てる」と唱えた。
彼は多くの土木官僚に働きかけ、法整備を研究し、三国トンネル建設へと動き出します。
実は今、我々が払っているガソリン税こそ、角栄氏が道路建設の為に成立させた法案である。


潤沢な財源を得て、道路建設は一気に加速。
当時は一部の都市以外ほとんど未整備だった道路が、次々に建設・改修されていきます。


時は流れ、関東と北陸を結ぶ大動脈として機能してきた国道17号と三国トンネルですが、半世紀が過ぎ老朽化。


特に大型車の往来が多い三国トンネルと、その手前に架かる上越橋は、限界に近づいていたようです。


この辺りは気象条件が過酷で有名。
加えて迂回路も無い上越国境に架かるこの橋の責務は、大変重いものだったろう。


更に地中からは、酸性の地下水が染み出し、内部壁や鉄骨が劣化。


最終的に「幅員の狭さ」と「腐食の進行」が、新トンネル建設へと向かう事になった。




旧トンネルから上越橋の東京方面を臨む。


現役時代は一瞬で駆け抜けて、立ち止まることも出来なかった場所の、ど真ん中に立っている。
何かすごく新鮮な気持ち。


ふと上を見上げると、何かが足りないのに気づく。


隧道名を掲げた額が無くなっている。
現役時代は、青バックに白抜きの額が掲げられていました。


せっかくなので、新トンネルを通って新潟側へ。




国境の長いトンネルを抜けても、太平洋側と同じく蒸し暑い我ら大日本帝国であった・・・




旧道上に出来たスペースに乙三三式車両改を停めると、新旧三国トンネルが仲良く並んでいる光景があった。


時は遡って2019年12月、新トンネルがまだ工事中の頃。
煌々と明かり照らされる旧トンネルの姿が、なつかしく感じる。


現在に戻り、封鎖され暗闇を落とす旧トンネル。
あの時とは逆になっています。


トンネル上部には、巨大なパイプが通っている。
実はこのパイプの中には、国土交通省の通信用光ケーブルが通されており、これが移設されていないので、旧トンネルも暫くは使用し続けるのだろう。




新幹線と高速道路の開通により、”準主役” となった三国峠越えだが、重要なルートなのは今も変わらず。
先代トンネルに見守られ、新トンネルも多くの人々を迎え、通していくだろう。
(群馬県側より撮影)


(おわり)
Posted at 2025/09/06 20:54:48 | コメント(6) | トラックバック(0) | 偵察活動 | 日記

プロフィール

「@チョコレース 木曽駒ですか!中岳超えて頂上まで行ったのかな?」
何シテル?   07/22 19:08
車歴・・・AE86レビン⇒FC3S(前期)⇒Z16A⇒FC3S(後期)⇒FD3S⇒SF5フォレスター⇒フェラーリ456GT⇒SG5フォレスター⇒BMW335i⇒...
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