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2014年08月22日

94北往記9。最果ての鉄路へ


     10・第3日/北海道横断・下

▽     ~釧路 16:59・根室本線(~続き)

※蝦夷地開拓団って‥‥‥

 よくぞ考えたらこの列車、すごく長くて内容も濃い列車だねェ。
 太平洋に出た処で章割をはみ出してしまったよ。
 さて、引き続き本題に入りましょう。

 久方振りに見る太平洋は、曇天のもと思いのほか穏やかであった。
 それでも瀬戸内の申し訳程度の漣に馴らされた我が身には充分表情豊かであった。
 それより凄かったのは凄まじい潮風である。
“ヅラが飛びそな(^_^;)”強風は私の目を一層醒まさせてくれる。
 眼下を走る道路と僅かな懐の砂浜、そして電柱。あとは目一杯の太平洋が曇天下に拡がる。

 此処では嫌と言う程水平線が拝める。灰色の雲と寒天色の海の中、唯一彩りを持つ青空。
 そう言えば、日射しこそ無くとも青空を拝めたのは久方振りである。
 これは天候が回復したというよりは気候が変わる程の距離を移動したものと言える。

 思えば函館を出て走行延べ640キロ、16時間もの時を費やしている。
 しかも驚かされる事に根室までこの鉄路が到達したのは明治の中頃。
 鉄道が当時唯一の大量輸送手段だった時代、“鉄道は国家なり”とまで言われていたとはいえ、こんな草いきれの大地の中、最果てを目指した鉄路を思うと驚きに堪えない。

 間もなく尺別駅に到達した。
 処が駅とは名ばかり。二島二面のホームと申し訳程度の駅舎、それを繋ぐ跨橋の他は鉄道施設を認められない。
 小屋としか例えられない駅舎には原付級のオフロードバイクが駐輪場よろしく軒先を借りている。
 無人駅では無さそうだが、見通せる向こう側の駅前は十軒弱の農家だけ、凡そ思い浮かべる駅前風景ではない。
 だが実際道東では此の様な駅が珍しくない。
 何で此処に駅があるのか、そこいら辺の集落の人しか使わないんではないかとしか思えないロケがけっこう有るのだ。
 此の駅ではおおぞら10号と普通列車を併せて2本対向離合させる。
 その間、乗客の一人がJRHのOBらしく、運転士と雑談している。
 鹿などの野生動物が飛び出したりと、詳しい話は忘れたが、本州では見当も着かない往生話を山ほどしている。
 あんな駅だし、2両編成の汽車の乗客も厚内に着くまでには随分疎らになってきた。
 こんな話が如何程新鮮か、推して諮るべし。

 駅間が長いうえに風景は草っぱら。しかも湿原地帯がこの辺りからぼつぼつと見られるようになった。
 時計も16時を回り、晴れてくるまでに陽が陰ってきた。
 右岸の太平洋は道路もなくなり砂岸が目下に迫る。
 それも白糠を過ぎた辺りから徐々に集落らしき物が目に着く。
 こう簡単に書いたが、尺別に着いて後一時間も掛かっている。

 釧路郊外に入ったのが解った最初が、大楽毛を過ぎて後。本州製紙の釧路・大楽毛工場である。久方振りの巨大構造物が湿原の中から現れたようである。此処まで来ると集落は明らかに都市風景へと変わり行く。
 とは言うものの、窓外の風景は本州製紙に本州ゴルフセンター、おまけに次の駅は新富士?此処は北海道じゃねえのかよ。
 そんな工場群に迎えられ、定刻に釧路駅に到着した。

▽釧路 17:44~根室 19:35・根室本線(キハ54-526)

※いよいよ最果てのアンカーへ

 とうとう来た。
 釧路まで、そして更に最果てまで向かうこの汽車が迎えるホームまで。
 少し悶着もあったが、とうとう往路の最後の列車まで予定通りこなした。

 7時間半もの力走を終えて留置線に行くキハ40を見送って、今居るホームにはその後輩のキハ54が佇む。
 頭上のLED列車案内盤には
 4番線の発車は
「普通 17:44 根室」
 と書かれている。

 汽車の側面に回るとステンレスボディー数本のコルゲート、そしてアクセントカラーの赤帯が巻かれる。
 後ろのドアから入ると、戸袋に当たる位置にはハマナスの花と思われるトレードマークの下に“花咲線”と書かれている。
 北海道では国道の通称が区間によって変わるように、根室本線も此処から先は花咲線と呼ばれる。
 同じ根室本線とは名ばかりで、此処の区間から直に行く列車は札幌滝川はおろか、帯広すらなく、すべての列車は釧路で区切られる。
 此のキハ54はその花咲線を任されたアンカーである。
 国鉄時代の質素で重厚な面構えにその自信を垣間見る。

 一歩車内に入ってこれは面喰らった。
 思いのほか設備が良い。
 座席は二人掛けのリクライニング、冷房なしの旋回式扇風機は相変わらずだが、シートの背には広告用ミニパネルと小物用ネットポケットがある。
 まるで観光バス。しかもディーゼルエンジンを抱いているとあって、何かしら列車のイメージが薄い。

 定時に発車した根室行き。
 JRHは発車時間でも遅れを取らずなかなか好発進。
 AMラジオを聞きながら市街地を東に進む汽車。
 最初は窓を開けていたが、
「ゲホガホ!」
 車両後端に座っていた関係もあってディーゼルの排気が思い切り入り込んだ(T_T)。
 煤の多い排気にたまらず速攻で閉める。
 その市街地だが、東から流れる別保川が細るに連れて周囲はまた農地と叢に包まれた。

※その更にふところへ

 尾幌。
 それは叢に包まれた廃駅の如くであった。
 この汽車のように単行列車が停まるには差支えが無いのだが、曾てはもっと長いホームがあったらしく、先の方には蔦に絡まれた駅標が別に認められた。
 駅舎も、むかし貨物列車の最後尾に着けられた車掌台を使っていた。
 廃物利用の駅舎に、廃物と化した未使用のホーム。
 それは本線の駅を語るには余りにも淋しい物であった。

 此の様な駅は道中珍しくも無かった。
 単行汽車は運賃集受機を据え付けて自らの仕業のみで業務をこなす。
 しかし、こんな物は鉄道の持つ何たるか、それも最も大事なものを忘れた姿ではないかと思う。

 鉄道というものは多くの後方要因を必要とする。それは合理化の進んだ今でさえそうである。
 ともすれば欠点とされる此の事が、鉄道たる所以だとも思う。
 鉄道は人で、人間で動く。
 機械がどれだけ人間の手伝いをしようとも覆されるものではない。
 例え自動化が進んで駅務員や乗務員が居なくなったとしても、その列車に人間が乗る以上、人間が必ず介在する。

 私の所見ではむしろ駅務員や乗務員が居なくなった時点でそれは持って産まれた鉄道の持つ味が無いとも思っている。
 乗る乗客に指示や案内をするのが人間でなければそれに従う人はてきめんに減って行く。
 また同じ人間がサインを出し合うことで潤滑して行く、そう言う乗り物のはずだ。
 それは保線や車両区に属する人間だって同じ事だ。
 快適さや乗り心地などに関する異常を訴えてくるのが人間である以上、それを直せるのも人間である。
 そんな人員を“無駄”という観点から削って行くのは潤滑油を切らした歯車の様にいずれ音を立てて軋む、時には破綻する。
 廃止路線がそうだ。鉄道は人が潤す交通機関である、私はそう思っている。

 駅に着く度、そんな哀しさを漠然と抱いていた。

 そして駅を発てば、流石に見飽きて表現の仕様を忘れた自然が莫大と拡がる。
 草原、叢、そして湿地。時折見える国道44号線に僅かな生活臭を感じるのみである。
 草原には干し草を円筒ブロックに固めた物が数十個認められると牧場が近い。
 案の定、4、5匹の馬が憩う姿が見られたが、千昌夫が言っていた北国の春・とは行かないようだ。
 白樺までは正解にしても、青空南風には凡そ縁がなくなった。
 ア、今は晩夏か。だいたいがオフシーズンなんだよな。

 次の門静を過ぎると釧路に入る前より暫く振りの太平洋が拡がる。厚岸湾である。
 列車前方には対岸が見える。
 厚岸の“鉤崎”である。
 ガイドブックを見るとこの中程に愛冠岬があるようだ。
 しかし認められるほどではない。
 けっこう疲れてきているらしい。色々あったものな。
 本当ならこの厚岸の海の幸でも食べれば良かったのだ。

 やがて到着する厚岸。
 花咲線のなかでは唯一大きな駅である。
 と言うものの、駅舎と駅がちゃんとあるというだけの話だ。

 此処では粗方の客が降りてしまい、再び汽車の中は閑散となった。

 ホームには学生やサラリーマンが家路を急ぐ。
 上り釧路行きの離合を終えると間も無くの発車。汽車は再び湿原に抱かれた。

 草いきれの原野の中、少し遠くには小高い山、と言うか、高地が所々に点在する。
 人の全く行き交わない風景である。
 国道44号線が着かず離れず走っている筈だがそれすら解らない。
 駅間も非常に長く、この頃には汽車左手に綺麗な夕焼けが映えていた。
 二つ先の浜中に至ると殆ど日没の時間になっていた。
 分厚い雲の切れ間から茜色の空を垣間見る。此処をビデオに納めたら一切の荷物を鞄にしまった。

※そして最果てのレールへ

 と言うのも、日が暮れたうえに再び天候が陰った。夜の帳が落ちるのが急であった。
 姉別、厚床、初田牛、別当賀、落石、昆布盛、西和田、花咲。
 これだけの駅を走るのに40分。
 先程も触れたようにやけにくたびれて、見えない風景のせめて風だけでも・とイヤに消極的になった。
 この北方には風蓮湖や温根沼なんかも有るはずだが、何せ解るのは道を走る車のヘッドランプのみ、それすら間も無く解らなくなった。

 やがて、いよいよ最果ての駅、東根室駅に到着した。
 此処まで実に2758.2km(但しこれは資料の関係で広島-根室間の延べ営業キロ数)。
 駅標を照らす蛍光灯だけが寂しげに灯る。
 駅前は見下ろす格好で街灯が並ぶ。だがそれ以上は何も認められない。

 いよいよ次に辿り着いたのが根室。

 とうとう此の旅の終局点がやってきた。
 いや、実感すべきはどっちかというと終点が向こうからやってきたようだ。
 最果てに向けてのラリーレイドに広島を出発したのが一昨日の未明。
 それから実に4057分の刻を刻む。
 その総べての風景を見届けることは出来なかったが、此処まで続いているレール、そして此処より先のない本当の意味での終站駅に辿り着くことが出来た。

 それが、それがこんなにも疲れるとは(-_-;)、実は思わなかった。

 実は、列車を降りると私はイソイソと駅舎に向かってしまった。
 此処の駅については後に譲るとして、感動も覚える暇無く表口に出た。

▽根室入宿

※疲れ癒す暇無く‥‥‥

 根室駅は、地方の都市駅というよりは長閑な観光地のそれである。
 平屋の小じんまりした駅舎に、申し訳程度のタクシーロータリー、その間に囲まれる数台の送迎駐車場。
 兎も角、駅前の公衆電話から自宅に向けて根室到達の報を入れる。
 有る程度の行程を終えた時、私は自宅に向けて報告をすることにしている。

 此の時まで、また此の旅ではその重要性を微塵にも感じなかったが、以後起こった幾多の事件と照らし併せ考えると非常に重要な事を思い知らされた。
 事故、地震、そしてガス犯罪。この旅行を終えて丸2年(このリポ執筆の1996年7月6日現在)の間に私の鉄道観が大きく変わった。

 マ、それは別の機会に譲り、私は今晩泊まる宿・えびすやを捜した。
 ガイドブックの地図は駅前すぐと書いてあるが、辻路地風景の雰囲気が少し違う。
 訝りつつも良く見てみると駅脇の空き地の奥に看板がある。
 看板が無いと民家と見まがう建物、それが民宿・えびすやだった。

 早速入ると待ち兼ねたように女将が出迎えてくれた。
 女将といってもその容貌は友人宅の母親という感じで、それこそ友人宅に泊まりに来た雰囲気になってきた。

 部屋を案内されると八畳間の和室に一人身となった。
 相部屋を覚悟していたが、これを知ってグッと気が楽になった。

 だが気を抜くのが少し早すぎたらしい。既に時間は20時前。
 宿は食事を作って待っている時間なのだ。それも知らずに安穏としていると女将からお呼びが掛かった。
 呼ばれて食卓・・・・・
 そう。食堂ではなく食卓そのもののその席に就くと、私を待っていたのは大きな鍋だった。
 他にはご飯と山菜の煮付け他。
 そしてお鍋のホストは勿論この根室名物の花咲蟹だ。

 かになべ。
 腹の減った時にはこの上無い歓迎だったに違いない。
 こんな料理はおいそれと頂けるものではない。

 しかし、当の私がこの御馳走を召し上げる気力を持ち併せていなかった。
 兎に角碗を左手に食を進めてみるが、見るからに食い盛りに見える私の容貌を見越してか、料理鋏で蟹をザクザク刻んでは鍋に放り入れる。

 けっきょく
「後でお部屋にお持ちしましょうか?」
 と言う女将の言葉も虚しく、此の土地きっての馳走を召し上げ切れなかった。ム・不覚!

 食事の後はお風呂だ。
 民宿はビジネスホテルと違って共有する設備も多い為、準備されたものは勧められた時にこなさないと利用出来なくなる。
 家に居る時はうざったく思える此の事が、殊民宿では不快感を感じない。なぜだろう?

 着替えを持ち、中に入ってみるとまるで1/3に割った銭湯のような風呂が迎えた。
 浴槽を覆う蓋をめくると、体を覆うような湯気、並々と満たされたお湯が張ってある。
 体を洗った後にその浴槽へ。此処で漸く生きた心地を取り戻した。
 しまった。飯を食う前に湯に浸かっとけば良かったんだわ。

 足掛け三日に亘る汗や垢、そして疲れを此処で吐き出した。
 但し、民宿では石けんとタオルは持参のこと。

 いい気分でお湯上がり。
 不意と部屋に戻ると、漸く解放感に抱かれた。
 八畳間の和室はむしろ自分の部屋に戻ったような錯覚を覚える。
 私は畳の間に胡座をかいていると腰から根が生えたように当分動かないという悪い癖があるが、此処でそれが起こってしまった。
 据え付けのポットからお茶を注ぎ、テレビの下にある漫画を無為に貪り読む。
(-_-;)
 これでは普段と余り変わらないじゃないか。小一時間こうしているとそのうち眠気が襲う。

 それから床を敷いて横になったもののそれでも眠りに就かない。
 こう見えても寝つきは悪いのだ。
 時間もそこそこに、私は目覚しになるものを片っ端から仕掛けた。
 まずは腕に着けていた多機能クロノグラフのアラーム、そして此の時のために用意したタイマー機能付きヘッドホンステレオ、これは専用の一体式スピーカーに入れてまるでミニラジカセ。最後に8mmビデオの付いた液晶テレビ。こいつのタイマーまでつけた。

 此処にきて、今まで随所に稼働させていたビデオカメラ(これはこれでまた別口(^_^;)。荷物も多い訳だ)の出来映えを見た。
 処がこれが、旅をこなした本人には印象残るものばかりだが、他人が見ると何が何だか解らない下手糞特有の内容。
 これはビデオの使い方にもう少し馴れんとイカンかな?
 ビデオテープの出来映えに失望すると、漸く眠る気になってきた。
 部屋のコンセントにはタコ足配線の曳かれた充電機の列が並ぶ。
 
 北海道横断、そして広島-根室ラリートレインの長旅の幕切れは此の様に呆然と暮れていった。

----------------------------------------------------

 いや~、読んでるほうが疲れませんでした?(^_^;)
 改行編集してるこっちも疲れましたわ(-_-;)。
ブログ一覧 | 蔵出し鉄旅録 | 旅行/地域
Posted at 2014/08/22 20:59:57

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