ЯVRのウンチク話、ちょっと二つほどЯVR自体から脱線しますm(_ _)m。
コンパクトミニバンを語る上で外せないのが日産の産んだ風雲児、
「プレーリー」~「リバティー」~「ラフェスタ」
だと思う。
5ナンバーボディーに狭隘な路地に使うのにもってこいのスライドドア。
ソコに5~8人を詰め込むと言った如何にも島国根性な設計思想。
プレーリーはけしてメインストリームに躍り出ることは無かったものの、日本のミニバンのコンテンツ醸成に多大な影響を与えたモノだと信じる。
世代はライバルを張ったシャリオとほぼ時を同じくする。
もっとも、
初代はその設計の大胆さから無理も大ありだった。
何しろ、
フロントドアとスライドドアを開け放つとシャシと屋根材だけで支えたキャビンが拡がるフルピラーレスだった。
現在でこそトヨタグループがパノラマドアとして展開しているが、こちらはドアを張殻構造体のみにしてボディーの支えは一切ない。
当時は衝突安全基準も信じられないほど低かったし。
まぁそれが祟ってフレームの沈腐化も顕著な為いまでは動態を探すことさえ困難を極める。
その反省から二代目はプレミアムワゴンとしての趣を備えた。
鋭角なボンネットに2.4lまでの余裕あるエンジン、ボディーサイドにはピラーを備えて剛性を確保。
4駆にはアテーサを奢る気合いの入れようだった。
しかし途中からこう言う「オンロードワゴン」が下火になり、モデル途中からプレミアムよりファミリー層に転換、2.0lガソリンエンジンに統一し、「joy」のネームを引っ提げてのリメイクを行う。
この際、ソレまでコンパクトもウリだったが室内空間を稼ぐために特に3列座用のキャビンを肥大化、バランスを取るために削ぎ込まれたボンネットも膨らせた。
コレは至極がっかりだ。しかし売り上げはそこそこ延命できたという。
そこで三代目はそのjoyの傾向を派生させた「リバティー」となる。
このモデルが面白かったのは、3列座を非常用と割り切って5ナンバーを維持した上で2列座までの空間余裕を絞り出している。
3列座は簡便なベンチシートになり、折りたたみはまず座面を90度前に立てたあとソコの隙間に背もたれを倒し込み荷室を拡大させていた。
その設計のため3列座ワゴンにしては初代プレマシーほどじゃないにせよ5ナンバーである事以上にコンパクトであった。
コレは元々プレーリーが「3列座ワゴン」ではなく「最後尾席はおまけ」であったためだ。
そもそもはクラウンやセドリックのワゴンのように2列座ワゴンの荷室に人が乗られるようにしたというのがシャリオ共々の起こりな訳で、普段は仕舞って人数があぶれたときに展開するというのが使い道だった。
プレーリーに於いてはむしろ二代目までは2列座が確実にラインアップに揃ってたのだ。
これは「同業他車」に無い視点だ。
しかしその設計仕様が
「ネコも杓子も3列座万歳」の世相には勝てず、四代目では設計を方向転換、全列にまともなシートを奢る「ラフェスタ」となる。
それでも5ナンバーとスライドドアが踏襲されて日本で一番扱いやすい3列座ワゴンとして生き残る。
ただこのモデルはルノープラットフォームを使って質感を上げた一方でパノラマルーフが非道い貧乏くじで不評を託ち、シートアレンジに色目が泳いでリアシートも中途半端な設計になってしまった。
その影響か、五代目はマツダから肥大化したプレマシーを調達することになる。
一見ЯVRとは無縁の発展を遂げてきたプレーリーなんだが、この車の趨勢を追っていくとなぜЯVRのような『逸材』が早晩に市場から屠られたかが伺える。
つまり、
ЯVRの求めた「空間贅」という奴は市場の趨勢に掠りもしなかったのだ(T_T)。
ひたすら席を詰め込み寝転がらせてベビーチェアを取り付けさせる。
酷い場合は3列に独りずつと「相席を嫌うための車」として使われる。
いや基本今の3列座ワゴンの使い方ってむしろこちらに比重が寄っているのだ。
席数に欲さえ張らなきゃもっとまともな車が作れようものなのに、ソレを客のほうが否定してきた歴史がプレーリーシリーズから伺える。
島国根性に応え続けることで生き残り続けたプレーリーとその子孫達、しかしけっきょくはOEMになってしまった。
メーカーの設計思想など何処吹く風というユーザーが日本車を殺し続けてきた張本人である事を私はこの車で確信している。
翌朝加筆(^^ゞ
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Posted at
2015/09/19 22:03:13