2013年06月28日
一応書き出しをしないと忘れそうだな(^_^;)。
今節は「ひいて」をタイトルワードにする。
データや画像が一切残らない時期の話なので、ダラダラテキストご容赦。
もう20年前になるか、親が車椅子に乗るように「なってしまった」のが。
抄で書いたように親の下肢傷害は若いときからのようで、私は走れず絶えずびっこをひいて歩く親しか知らない。
それでも当時は仕事はしていて、4kmもの路地を毎日自転車通勤していた。
とはいえ自転車でもその障害でスムーズにこげずローフレームとは言え実用車が頼りで、変速機もないのに当時の自転車は今では信じられないほど重くて歩いてるよりマシなレベルでしか走れなかったが。
~ブレーキでさえケーブルじゃなくロッドで作動させていたし
若い頃はソレでナントカ凌いだが、さすがに四十路も半ばを回ると負担が堪えてきたらしい。
半分ぐらいの近さの職場に勤めたが、色々巧く行かず程なく障害年金のお世話になる。
当時は障害者がホドホドの労力で従事するというのが異常なぐらいの環境だったようだ。
酷いとこはありもしない倦怠を指摘するような雰囲気もあったりで。
この辺りは土地柄で被爆者の放射能罹患でも似たような話を聞く。
とにかく昭和では働けるモノは障害や病気があろうが気合いでガンガン働けという風潮だった。出来る奴は居るんだからと。
そこは実際確認していないが、親の人格の半分を成型したことを考えると想像に難くない。
それでも末弟である私が就職したことで一息ついたのか、徒歩では杖を突き、自転車での通院生活となった。
こちらは下肢障害ではなく、慢性肝炎が悪化してきたのだ。
というのはそちらの親の家系、あくまで噂だが酒害と浅からぬ因縁があるようだ。
曾祖父は「酒で山を呑んだ」と言われてるし、
祖父は親がマダ10にも満たないうちに早逝してる(親が大兄弟の末弟と言う事もあるが)。
で、親は肝炎だ。若い頃はともかく、私はビールでもコップ一杯しか飲まないトコしか知らない。
私も肝臓が変だし(T_T)。
当時は気が付かなかったがこの頃から家の中での立ち歩きももどかしくなっていた。
片足が全く踏み出せない状態だったらしい。
脚が動かない・と言うのが健常者の感覚だが、当の本人にはそんな生易しいものではないようだ。
動かないどころか大いに邪魔になる杖が残った脚を「妨げる」という感覚のようで、
自分の身体だけで立ち歩くことは想像以上の気力を要する。
巧い具合に歩けず独りで突如苛立つときもあったようだが、恥ずかしながら私はこれに最晩年やっと理解できたレベルだった。
脇道に逸れたが、そんなある日、親の自転車生活に私がトドメを刺してしまった。
親の自転車が盗まれ、しかし幸いにも数日中に見付かった。
そこまではよかったんだが。
預かってる所轄署に引き取りに車で連れて行って親がその自転車で帰ることになり、
「(幹線道が続くから)気をつけて帰りンさいよ」
と、声を掛けてモノの数秒、いや、瞬間と言っていい。
がしゃ!
おいおいおい(゜_゜;)
言うたばっかりじゃんか!
舌の根も乾かないうちに目の前で転倒してる(゚Д゚)。
この時はそのままけっきょくナントカ無事には帰られたが、病気も障って自転車も安定して漕がれずにこんなザマを息子に見られたのが相当ショックだったらしくて、程なく車椅子が家にお目見えした。
あ、けっきょく車椅子の話どこいった?今からか。
Posted at 2013/06/28 11:55:23 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年06月25日
チョット息切れ、ブログの連稿を抑えます(-_-;)。
別にブログのお題を月替わりで変えてる訳ではないのですが、基本話題を集中して綴ってるので。
今月末から暫く「介護」という話を続けていきます。
と言ってもリアルな話はさておいて車に関わる話題のみです。
私、両親の片方が若い頃から下肢不全で、晩年は車椅子に頼らざるを得ない生活となります。
その中でけっこう車椅子生活というモノに直面したものです。
この生活は10余年前にその親の逝去により終止符を迎え、今やっと精神的に落ち着いたトコなんです。
(もっとも年月については別の悶着が続いて襲ったためと言うのもありますが(-_-;)
車椅子利用者が車に乗る息子に依存すること、その問題を色々経験したつもりです。
ソレは身体の自由が効かない物理的介助以上のモノがのし掛かってきました。
正直、私も幾度がブチ切れてしまい、両親をドライブ先で置いていったことさえ。
それだけ、介護は重いモノなんです。
タダ、平成の世になってそう言う重いモノをアカの他人に任させてしまうかたが増えていったようで、これについては感心しません。
ここの面倒を他人に任せると根本の所で「家族」が崩壊します。これは必ず。
ウチはきょうだいが成人するにも拘わらず誰も家を空けられず、しかし家族として存在できたのはここの差違かと思います。
(もっともその後で追い討ちを喰らって現在は当時のような連帯を保ててないですが(-_-;)
なお家族情報の不必要な開示は気が進まないため、親兄弟の具体的な記述をボカしてるところご容赦下さいm(_ _)m。
これに関するツッコみもお応え致しません。
まぁ介護自体の話じゃなく、あくまで車に関した話題に終始するつもりです。
ただし一切の記録を着けておらず虚覚えの記憶が頼りのリポートにはなります。
あんましおもしろい話じゃないですが、一考によせて戴ければ幸いです。
あ、酔っ払ってたかな(^_^;)?口調が違う!
Posted at 2013/06/25 23:02:58 | |
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