
ちょっと項目毎で話を流してるので話が前後して申し訳ない。
次項からは話の根幹が被爆から原水禁の話に移るので。
ここの話は先の16で一旦触れているが、ココでもう少し掘り返す。
プレスコードで原爆を語ることを禁じられてしまったのは言った通り。
そんな中でも『この惨禍を世に埋もれさせるわけには』という動きが文人を中心に始まった。
まずは翌46年の春に『中国文化』が創刊して、この創刊号に被爆体験記や詩、短歌俳句を連ねた殆どガリ版刷りみたいな雑誌が発行された。
この中には被爆の夜に救護所で産まれる命を描いた栗原貞子の『生ましめんかな』もある。
瀕死の産婆さんや女性が出産に手を貸したり乳を分けたり、新しい命をみんなで歓びあいながら死んでいったと言う内容だ。
実際は産婆さんなどはご存命だったようだが、命のしたたかさを訴える名作だ。
翌年には原民喜が小説『夏の花』、正田篠枝が歌集『さんげ』を発表するが、やはりプレスコードが大きく影を落としてるせいか今で言うインディーズというか、マイナーな場所で細々と発表される。
「さんげ」が刑務所でやっと印刷されたのは先に触れた通り。
しかし全国区ともなると検閲が堆く立ちはだかった。
1950年、折しも朝鮮戦争が勃発したこの年に発表した丸木位里・俊夫妻の画集『ピカドン』は発禁処分にされた。
丸木夫妻はこの発禁をバネに今度は大作になる『原爆の図』を描き続け、17年後の67年には埼玉・東松山に展示館を開いて原爆の惨禍を伝えた。
そんなこんなで堪え忍んだ占領時期を過ごし、52年には講和条約でGHQの検閲が無くなったのを機に色んな原爆記事が出される事になる。
この講和を待ちかねたように制作されたのが新藤兼人監督の映画『原爆の子』だ。
7年たったその今なお生々しい被爆の傷跡と市民の生活。孤児院や焼けただれた教会、教え子を訪ねに行ったらその親御さんが今際の際だったり・・・・
そしてラストは老い先に被爆罹患の貧しくも働けず養えない絶望が重なり、孫を主人公に託し逝く老人。
それは映画の創作を超えた広島ソノモノだった。
原爆映画ってのはインフェルノ(恐怖)映画の一種として余り評判には挙がらない部類であるが、元宝塚歌劇員の乙羽信子を起用した気合いもあって反響は大きかった。
一方で2年後に封切られたのがあの『ゴジラ』。
コレも最初は原水爆禁止を訴えたちゃんとした反戦映画だった。
程なく娯楽大作と扱われてしまうが、最初作のラストシーンは原爆の惨禍を嘆くシーンそのものだった。
文芸や映画はその後原水爆禁止の大きなうねりと分裂であえなく下火になってしまうのだが根強く訴えを続けてゆく被爆文人たち。
そして文芸、映画に継いで新しい形で原爆を訴えた人が1970年代に登場する。
『はだしのゲン(お題目写真)』だ。
被爆者で上京後は一峰大二のアシスタントとして筆を振るってた漫画家、中沢啓治。
しかし商用画描きから上京し漫画家を志した彼は原爆を描くことを考えていなかった。
最初はそう言う広島がイヤで題材を避けてきた。
しかし母の死後火葬したときに骨が残らなかったことに衝撃を受けてから原爆を描く使命感を抱いたと言う。
最初は成人誌向けの短編で色々アプローチしてゆき、メジャー誌・ジャンプのオファーを受けたときに誕生したのが長編『はだしのゲン』だ。
これで私も原爆を知った昭和っ子は非常に多い。
ただコレも長続きせず、戦後編が一段落したところで中断。
途中2度も版元が変わったりしてナンとか73年の連載開始から14年後に10巻の完結巻を刊行に漕ぎ着けた。
また新しいメディアであるアニメでも1978年に先出の「ピカドン」を脚色のうえ素朴な画調で表現し、それで被爆の凄惨さを動的に表現しきった。
「昭和50年代」は他にも映画やドラマ、被爆当時と現代を絡めた創作があまた輩出された。
しかし昭和末や平成に入るとジャンルとしてはそのような流れは途絶する。
被爆体験者が年を追って逝去減少し、震災などの災害で新しい被災者が増えていくとそちらの伝承にも割かれて機会も得られなくなっていく。
情報の埋没による地方化がまた課題となってきた。

そんな中で完全に戦後世代でむしろ学生時分までは被爆を忌避していたというこうの史代が2003年に「夕凪の街 桜の国」を発表、新しい視点で被爆の悲惨さ哀しさを描いた。
けっこう難しいことなのだ、原爆を伝える事って。
ただでさえ余り耳当たりのイイ話じゃないし、聞くほうも反応を選ぶ話であることに否定は出来ないし、しかし伝えなきゃイケナイし。
課題の多い仕業なのだろう。
今やインターネット時代なんだけど、インターネットでならではの伝達手段が色々模索されてる。
しかし情報過多の現代で効果的普遍的に被爆を伝える方法は決定打まで導き出せていない。
データベースとかでは情報は膨大に伝えられるけど、それは単なる氾濫した情報の一つでしかなく、実状はナカナカ伝わらない。
データベースも是非ともだが、ソレが受け手の心を揺さぶるものじゃないと片手落ちである。
(今項敬称略)