
このように過大なエネルギーによって広島市は中心部から破壊された。
焼夷弾攻撃とは違い街に警戒と避難の暇を与えることなく都市機能が麻痺したのだ。
普通なら救助活動や消火活動が行われるのだが、ソレは無理な相談であった。
当時は日本各所で執拗に空襲に襲われていたから、一応気構えだけは備えていた。
とはいうものの、戦時下の物資不足や軍運用優先の行政だから、実際は有名無実で、ナンのことはない、『火災が起こったら諦めずに消火活動しろ』って竹箒や砂袋を渡されただであった。
前項のように火災の前線に立たされる消防こそ装備は持たされたが、焼夷弾空襲でさえ充分に機能できなかった。
そこに持ってきて想像を超える破壊。防空機能を求められる第2総軍も、防災機能を賄ってた広島消防局も指揮系統が機能しないままシッカリ破壊された。
救う側がその状態だから罹災した市民には全く為す術が無かった。
こんな状況で広島では自活状態は無理。周りからの救援が必要になる。
マァあんなにも盛大で前代未聞な爆撃煙が焚き挙がったもんだから近隣町村からなら義勇隊も組成はされたが、何分にも働き盛り欠乏症の戦時下。
とても本格的にこう言う異常事態に応えられようもない。
と言う訳で外部から助けを呼ぶ。
今回はそこの話し。
電話線が少ないし、軍用の無線になるのか?
そこから話が始まる。とにかく連絡だ。
しかし結果から言うと、這々の体でなんとか通信をしてみたのだが・・・・・・聞き入れて貰えなかったらしい。
救援がままならないから応援を呼んでるというのに。
・・・・・・・・・・ま、順を追って説明してみよう。
まず一つは市内が破壊されてその救援に周りが手を取られてたわけ。
元からの回線が限られている所にきて被爆で殆ど破壊されたわけ。
ナニより被害状況の把握が難しかったわけ。
そうして色んな難関に憚られながらとにかくメディアがその被害状況を他地方に送る。
当時のメディアは中国新聞社。で、NHKラジオもあった。
このうち新聞社は火災にまみれて機能せず。
放送局も警報を出し掛けたところで被爆大破。
(お題目写真の書籍にこの放送波を使ってアナウンサーが大阪局を呼び引き継ぎを要請した情報があるが、真偽は不確かのまま)
NHKは
郊外に疎開してたのも関わらずそちらの回線も破壊されてすぐに報告できなかった。
最終的にはどこもかしこも頼れずこの疎開放送所から、避難してきたNHKと同盟通信社員によって一報が近隣の支社に送られるのが昼過ぎ。
(当事者の説には11時過ぎというコメントもあるが、他に確証の持てる記事を見てないので午後説を採ります・謝)
ソレでやっとの思いで広島側の記者が岡山に報告した。
どのように?
『B29、1・2機の飛来による特殊爆弾で広島市街潰滅、およそ17万の死者が出た模様』
・・・・・・・・・・・・・ちゃんと報告してるじゃないか。
死者数はさすがに多少サバ読んでる(※)があながちウソでもない。
ナニがマズくて聞き入れて貰えなかったのか?
『イヤ・そんな話はないだろう。大袈裟じゃないか?』・・・・と。
・・・・・・・・・・・・つまり、とても信じられる状態じゃないって事である。
そう言うこと。たかが1・2機の爆撃機で街が潰滅するか・と。
コレには広島側の記者も頭に来た。
命からがら、ソレこそ逃げ延びるのが精一杯だったのにその状況を勘案してちゃんと報告を送っているのに。
『バカ野郎!もう一回言うからちゃんと伝えろ』とか言ったそうだ。
(※ この報告自体は市中を見た記者が『市民の半数はダメだろう』と言う憶測に基づいたのは事実だが、結果的にそう大差がない分注目できる)
しかし結局この速報は活かされなかった。
あんまりの被害の大きさに驚いて大本営がその被害を伏せてしまった。
戦争やってる最中で軍の要衝を持つ街がそんな少ない爆撃機で潰滅したって・・・・・・とても言えない。
これが『大本営発表』って奴である。
当時日本は厳しい報道管制が敷かれてて、戦争遂行の為の助けになる情報しか発信できなかった。
少しでも戦争にためらわれる情報は片っ端から斬られたのだ。
つまり都合のイイ情報しか流さない。
・・・・・・・・今も同じだよなぁ。
それから見れば被爆は一番流しちゃイケナイ被害情報であった。
・・・・・・・・・・・じゃ、救援活動は?
そりゃ軍隊が先述の義勇軍も駆使して徴用命令まで出して、ナントカ送ったけど。
・・・・・・・・・・・並みならぬ空襲なのにだ。
間に合いっこない。
ま・戦争してる以上しょうがないってことだ。
だから、戦争なんか異常な状況に持ち込んじゃたまったもんじゃない。
前年の名古屋の地震でさえ国内では箝口令が敷かれ、何のことはない、アメリカの新聞で大々的に報じられて国内の人のほうが知らない始末である。
他にも連絡手段としては電力会社を介した高圧電線に抑揚を付けたモールスでの直通回線などで第一報は送られたりしたけど、たいていは毎日新聞の記者のように可部警察署に伝達依頼をしたのに、救援活動に忙殺されたり電話線が切れてたりで送られなかったってのもある。
とにかく非常事態が異常事態下で起こったのが被爆であった。
被害を受けてその被害を軽んじる方向に一つも向かなかったのだ。