2013年09月14日
実はお題目と違ってこれ以降は一切西に向かっていないんだけどね(^^ゞ。
久留米までナントカ14時台中に滑り込み、しかしその車の多さに辟易としていたのも事実だ。
九州のドライバーは広島のようなチャランポランで唯我独尊なドライバーが少ない(ぉぃのは助かるのだが、
「刹那的な挙動が多い」
とにかくウィンカーが点くが早いかハンドルを斬る、そのぐらいイキナリ左右に動く。
(ウィンカーを点けずに動くのとは少し違う)
疲れてる時にこれは響いた。
他の車と関わりたかねぇ~(-_-;)
そういう思考が頭を渦巻く。
しかし北九州一帯は小学校の地図帳で見ても解るとおり街が多い。
街であれば車の通行が滞るのは明白。
ましてや馬鹿正直に3号線を伝って福岡市を通るなど考えたくもない。
だが九州から高速を頼りたくもない。
そこで頼りにしたのが筑豊間をショートカットする3桁国道だ。
ここから手近に小倉市街までショートカットする322号線は都市も少なくとりわけ魅力的に見えた。
問題は、どのような道路なのか皆目見当が付かない(-_-;)。
マァソレは3号線走ってても多少は残る問題だし、突っ切ってみんべぇか。
道に迷ったよ(-_-;)。
久留米市郊外では取り敢えず「甘木/山田」方面の道路標識を頼りに走ったんだが、確かに標識に従って322号線に入ったはずなのに次の交差点でその322号線が左から合流する。
は(゚Д゚)?
今私どこを走ってたんですかい?
それでも都市方向を頼りに道を手繰る。
結果的に根本な迷子にはなっていなかったんだが、今はおろか直後でさえ何処をどう走ってたのかが甘木(現在は朝倉)市外まで解らない。
風景的には筑紫平野の穀倉地帯である一面の水田を眺めながらと言う事で両親には概ね好評だった。
と言うか、帰途に就くなり両親、感心し通しなんだよな。
こっちは色々識を巡らせて七転八倒してるのによ。
水田風景が退け渓流を伴った山野を迎えると、明治期の動乱で名を残す宿場町・秋月を通る。
今GoogleMapで見るとR322は2本あり、リベンジの時は家並みが堪能できなかったとこを見ると二度目は西手の新道を走ったと思うのだが、どうだろう?(^_^;)
ここがこの国道随一の山道になり家並みを過ぎると葛籠折れになる。
この山道を下る折、最初の行程では検問に出くわした(゜Д゜)。
こがぁな緑深い山中の峠道でいきなりパトカーが居て呼び止められるんだからなんなンだかなぁもォの世界だ。
ただ相手側は広島ナンバーのセダンで高齢の両親を認めた時点で目当ての車輌でないと即決。
行き先を訊ねただけでトランクを改める事もなく放免となった。
後に、この沿道で遺体遺棄事件があったとニュースで流れた(゜_゜)。
山田市に到達した。
当時。現在は嘉麻市と言うようだ。
さっきの『甘木市』もそうだが、この沿道は平成合併ですっかり名前が見当違いに変わってしまった。
こう言う意味でも情緒が薄れてしまう平成合併は恨めしい限りだ。
ただ、このあとも軽い峠道こそはあるが秋月ほどの山道が存在せず、わりかしハイペースで先に進めた。ココは狙い通りだ。
一方で記憶に残ってない(-_-;)。
昔話になってしまった事もあるが、このR322が随所でバイパス整備をやってるので必要以上に道をこねくり回されたことにも原因がある。
山田市内でもそうだしひと街越えた田川市でもそうだった。
いや、リベンジではR322バイパスと県道52号線を迂回した可能性さえある。
そのぐらい道路が輻輳してた記憶がある。
一つ良かったのは、確実にR3を辿るよりは相当なショートカットとして機能する道だと言う事だった(o^-^o)。
久留米市街が15時頃で小倉に16時半とメモにあるので、高速並みのショートカットは果たせてる。
新道整備が進んだ現在や以降は更に期待が持てる。
近いうちにもう一度この道を往復した九州行を実行したいものだ。
(博多ッ子ゴメンm(_ _)m)
そんなこんなで正午に熊本市内を発した車は日暮れを余裕でクリアして小倉市街に到達。
ここで唯一給油の記録がある。この行程に関しては給油に無頓着だったようだ。
親のほうはくたびれきって寝てる。
これ幸いにとR199/198を門司方面へかっ飛ばし、関門トンネルを通過した。
Posted at 2013/09/14 20:42:33 | |
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