2013年06月29日
最初に、7/6に題名を変えてます。
「ひいて」ぢゃなく「しいて」になってますけど、え?江戸っ子だから気にしないって?(ぉぃ
介護の話をするのに前項ではソレを使い出すまでの話に終始してしまった。
そう言っておいてもう少し引っ張るが、実は私が車椅子生活にもう一個契機を出してしまったことを思い出した。
車椅子生活は当の親が嫌ってた。
そこで俎上に上がったのが電動自転車やいまセニアカーと呼ばれる電動4輪車である。
しかし当時電動自転車は今と違ってセンターフレームが高くてバッテリーを抱えていたため、跨ぐのに一苦労。
脚が悪くてお世話になろうとするのに当時は本末転倒状態な設計だった。
電動車は私が断固固辞した。
値段が高かったのもあるが、何より道路環境が悪くてとても親を安心して街中に送り出せる状態になかったからだ。
路側はある所では車から剥き出し、ある所では車上げの斜面でうねってる、そもそも速度も出ない電動車が安心して走られるスペースがない状態だった。
道路環境の未整備がこう言う便利な道具を享受させられないと言った意識が強かった。
そんなこんなで車椅子。
当時は車もランサーになってた。ミニカで車椅子を引き回した記憶が無い。
当時は整備工場も辞めてたが、相当なボンクラで退社したもんだから義理も感じてて、しかしRVは古巣にパジェロデリカ、5人家族には大き過ぎなシャリオしかない状態で程々のワゴンが無い。
普通のセダンで車椅子介護に臨んだ訳だ。
トランクには大判の段ボールを敷いて車椅子を無造作にも出し入れできるように場所を空けた。
最近はショートデッキで車椅子の積めないセダンもあるが、車椅子をトランクに積めるというのは実はワゴンのカーゴに押し込むよりはいいのかも知れない。
親の指定席は助手席。
普通車の上座は後席だし、もう片親が乗るときもあると運転で手が離れない私だけの前席より介護は後席のほうがやり易いはずだが、断固助手席を言い張った。
事情はすぐ後述するが、当初は理由のほうは単純で、タダ前を見通したいと(^_^;)。
ソレが効奏してか、車酔いは一度しかしなかった。乗り物が好きだったこともあるのか。
唯一は私が余った濃厚チョコを食べてもらって山道を走ったときだったし。
ただ内臓疾患が末期的になると別の理由で助手席でないと持たなくなる。
まず脚の指し繰りが厳しくなって、前後幅を詰めた小型セダンでは無理が生じてきた。
しかしホントはソレよりももっと困ったことがある。
下の世話だ。
特に尿が相当近くなって、町内のお出掛け以外では必ずと言っていいほど排尿に悩まされた。
程なくシビンが携行必需品になった。
これも後席では取り回しが難しい。
タダ後席に居ればもう片親が大抵そばに居るので介護も期待でき、運転に集中したい私にすればチョットそれはの状態だったが、少々難儀しても取り回しの楽さを優先していた。
もちろん路側帯に停車してからの話だ。
車の停車についてはまた項を譲る。
座席は助手席以外は座りたがらず、時にはシビンを取り回す。
これは親が『介護されてる』と言った状況を心底受け容れていないことの裏返しだったようだ。
脚を患ってなければ。
こんな想いが年を経るにつれ強まってた。
しかし当の私、同年代の者が彼女を助手席に乗せようか、その彼女と築いた家族を乗せようかという20代後半でこんな親を乗せてばかりいると言った「閉塞感」を感じるのみだった(T_T)。
Posted at 2013/06/29 09:01:28 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年06月28日
一応書き出しをしないと忘れそうだな(^_^;)。
今節は「ひいて」をタイトルワードにする。
データや画像が一切残らない時期の話なので、ダラダラテキストご容赦。
もう20年前になるか、親が車椅子に乗るように「なってしまった」のが。
抄で書いたように親の下肢傷害は若いときからのようで、私は走れず絶えずびっこをひいて歩く親しか知らない。
それでも当時は仕事はしていて、4kmもの路地を毎日自転車通勤していた。
とはいえ自転車でもその障害でスムーズにこげずローフレームとは言え実用車が頼りで、変速機もないのに当時の自転車は今では信じられないほど重くて歩いてるよりマシなレベルでしか走れなかったが。
~ブレーキでさえケーブルじゃなくロッドで作動させていたし
若い頃はソレでナントカ凌いだが、さすがに四十路も半ばを回ると負担が堪えてきたらしい。
半分ぐらいの近さの職場に勤めたが、色々巧く行かず程なく障害年金のお世話になる。
当時は障害者がホドホドの労力で従事するというのが異常なぐらいの環境だったようだ。
酷いとこはありもしない倦怠を指摘するような雰囲気もあったりで。
この辺りは土地柄で被爆者の放射能罹患でも似たような話を聞く。
とにかく昭和では働けるモノは障害や病気があろうが気合いでガンガン働けという風潮だった。出来る奴は居るんだからと。
そこは実際確認していないが、親の人格の半分を成型したことを考えると想像に難くない。
それでも末弟である私が就職したことで一息ついたのか、徒歩では杖を突き、自転車での通院生活となった。
こちらは下肢障害ではなく、慢性肝炎が悪化してきたのだ。
というのはそちらの親の家系、あくまで噂だが酒害と浅からぬ因縁があるようだ。
曾祖父は「酒で山を呑んだ」と言われてるし、
祖父は親がマダ10にも満たないうちに早逝してる(親が大兄弟の末弟と言う事もあるが)。
で、親は肝炎だ。若い頃はともかく、私はビールでもコップ一杯しか飲まないトコしか知らない。
私も肝臓が変だし(T_T)。
当時は気が付かなかったがこの頃から家の中での立ち歩きももどかしくなっていた。
片足が全く踏み出せない状態だったらしい。
脚が動かない・と言うのが健常者の感覚だが、当の本人にはそんな生易しいものではないようだ。
動かないどころか大いに邪魔になる杖が残った脚を「妨げる」という感覚のようで、
自分の身体だけで立ち歩くことは想像以上の気力を要する。
巧い具合に歩けず独りで突如苛立つときもあったようだが、恥ずかしながら私はこれに最晩年やっと理解できたレベルだった。
脇道に逸れたが、そんなある日、親の自転車生活に私がトドメを刺してしまった。
親の自転車が盗まれ、しかし幸いにも数日中に見付かった。
そこまではよかったんだが。
預かってる所轄署に引き取りに車で連れて行って親がその自転車で帰ることになり、
「(幹線道が続くから)気をつけて帰りンさいよ」
と、声を掛けてモノの数秒、いや、瞬間と言っていい。
がしゃ!
おいおいおい(゜_゜;)
言うたばっかりじゃんか!
舌の根も乾かないうちに目の前で転倒してる(゚Д゚)。
この時はそのままけっきょくナントカ無事には帰られたが、病気も障って自転車も安定して漕がれずにこんなザマを息子に見られたのが相当ショックだったらしくて、程なく車椅子が家にお目見えした。
あ、けっきょく車椅子の話どこいった?今からか。
Posted at 2013/06/28 11:55:23 | |
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介護ドライブ | クルマ
2013年06月28日
とはいえ、こんなコミュニティーでこんな質問したら、
「ゼニの続く限り車が買いたい」
と言う御仁は多いと思うけど(^^ゞ。
まぁソレは一台でさえヒィヒィ言ってる私にゃ夢また夢なんですが。
そんな夢を仮初めにも適えてくれるのが、
「中古ネット販売サイト(以下ネット中販)」
かと思う。
マァ新車のを見るってのもあるけど、現状ひっくり返っても買えないし(T_T)。
(軽含めて今の新車の額のローンがまだ組めないのよ)
実際今のGFインプも最終的にネット中販で選んで現物確認と併せて買ったモノだ。
~そうでなきゃとても行きそうに無いような田舎まで出向いた(^^ゞ
マァ最初は古巣の関係で三菱のシリウスネットだけ見てたんだが、某大手のネット中販に乗り換えてから、閲覧自体が趣味になった。
(とはいえ某社一つに絞ってる。余り見漁って本気の物欲が起きたら怖い(^^ゞ)
まぁ色んなクルマがあるもんだ。
基本いつも見るのは未だ未練の濃いЯVR(~N60系)。継いで今持ってるGFインプレッサか。
まだ信じられない低走行のЯVRも見受けられるが、基本的にはもう閲覧自体が辛くなってきた。
それでもまだN73WG(つまりスポーツギアX3)は漁ってるのだが(^^ゞ。
現有車種を見るのは自分の目利きを図ったり移植パーツとしてのバリエーションを見るため。
その次は自分が在籍していた頃の’90s三菱車。
あとはほぼ具体例だが最近では自製最終型ジェミニ、YRV、旧フーガ4500、R32スカイラインと言ったとこか。
基本的に一部の例外を除いては実際に自分が所有する前提で見てるため、大きな重い車や保守知識が通用しない外車は基本見ない(^_^;)。
こう見るとここ15年ほど「クルマのおもしろさ」という意味では進化が止まって(退行して?)るので、この時期の中古車でご馳走様なんである。
一方でバスやWキャブトラックなど形式的に買うにはチョットのクルマ(なかにはそうと言い難いもの)にも食指は延ばして閲覧してる。
いずれにせよナカナカネット中販で現物を見るというのは面白いもんだ。
Posted at 2013/06/28 07:53:38 | |
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クルマ偏識 | クルマ
2013年06月26日
このブログで初めて殆ど車と関係ない話ですが(^_^;)。
チョット昨夕、隣町で崖崩れが起こってお一人亡くなられるという事態になりました。
主要県道の沿線で車でもけっこう通る場所で、広げて言うと至近には山陽道の高架も走ってます。
この崖崩れなんですが、豪雨災害のほうの被害者がよくクローズアップされてて全国ニュースでは殆ど触れられていないですが、
この日、日照もなかったですが雨は全くと言っていいほど降っていなかったんです。
ニュースを聴いたとき「何ぢゃあそらぁ」の世界でしたとも(-_-;)。
地元のニュースでは色々触れていましたが、空梅雨で乾燥したとこに10日前後分の雨が降り、その水が丘を降る段階で飽和して崩れたのではと推察されてます。
広島は「崖の街」と言って過言ではなく、崖崩れ警戒地域に住宅地がある事はザラ。
また新興住宅地でも沢を埋めて造ったようなトコもあって大水の通り道状態になり、豪雨災害ではどこかで犠牲者が出ている有様です。
道路も例外じゃないです。
崖を開削して法面を膨らませ、しかし車に乗ってる限りは単に「走りやすい」道路にしか見えないとこがかなりあるんです。
いつだったか安佐北区で川が氾濫して河岸道路が崩れたとき、その最初の道路の法面が崩れた道路の半分弱のトコで露出してたという画像も見ました。
(戦中戦後辺りの道路らしくて今の車では普通には走れない幅でした)
工法が悪いとかどうとかじゃなく、法面を拡張した道路の限界を見た気もします。
この季節、降雨情報は遡ってまで警戒した方がよさそうと思った災害でした。
Posted at 2013/06/26 21:14:56 | |
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近況ほか | ニュース
2013年06月25日
チョット息切れ、ブログの連稿を抑えます(-_-;)。
別にブログのお題を月替わりで変えてる訳ではないのですが、基本話題を集中して綴ってるので。
今月末から暫く「介護」という話を続けていきます。
と言ってもリアルな話はさておいて車に関わる話題のみです。
私、両親の片方が若い頃から下肢不全で、晩年は車椅子に頼らざるを得ない生活となります。
その中でけっこう車椅子生活というモノに直面したものです。
この生活は10余年前にその親の逝去により終止符を迎え、今やっと精神的に落ち着いたトコなんです。
(もっとも年月については別の悶着が続いて襲ったためと言うのもありますが(-_-;)
車椅子利用者が車に乗る息子に依存すること、その問題を色々経験したつもりです。
ソレは身体の自由が効かない物理的介助以上のモノがのし掛かってきました。
正直、私も幾度がブチ切れてしまい、両親をドライブ先で置いていったことさえ。
それだけ、介護は重いモノなんです。
タダ、平成の世になってそう言う重いモノをアカの他人に任させてしまうかたが増えていったようで、これについては感心しません。
ここの面倒を他人に任せると根本の所で「家族」が崩壊します。これは必ず。
ウチはきょうだいが成人するにも拘わらず誰も家を空けられず、しかし家族として存在できたのはここの差違かと思います。
(もっともその後で追い討ちを喰らって現在は当時のような連帯を保ててないですが(-_-;)
なお家族情報の不必要な開示は気が進まないため、親兄弟の具体的な記述をボカしてるところご容赦下さいm(_ _)m。
これに関するツッコみもお応え致しません。
まぁ介護自体の話じゃなく、あくまで車に関した話題に終始するつもりです。
ただし一切の記録を着けておらず虚覚えの記憶が頼りのリポートにはなります。
あんましおもしろい話じゃないですが、一考によせて戴ければ幸いです。
あ、酔っ払ってたかな(^_^;)?口調が違う!
Posted at 2013/06/25 23:02:58 | |
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介護ドライブ | クルマ