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対厳山のブログ一覧

2014年04月30日 イイね!

しがつまつ~、2014。

 ごめんなさい、だらだらと近況の話です。

・閉まってなかったのかよ!セブンイレブン!
 これは驚いた。
 以前「至近のセブンイレブンだけは閉めやがってまちの便利もないだろう!」と言ったんだが、その跡地に見覚えのあるタイル装飾が。
 どうやら、背後のホームセンターが畳んで新しく入ったドラッグストアが「そんなに建屋要らない」ってんでどうも新しいセブンの店舗にのれん分けしたようだった。
 旧店舗が駐車場にまるまる替わるなどけっきょくはパワーアップ。もう少しで再開店らしい。
 でも元気なのはセブンだけだよな、うちんとこ(T_T)。

・愛しの担々麺終了
 これも以前ブログで取り上げたんだが、
「盛岡冷麺を使ったご飯で二度おいしい広島風担々麺」
 が、この店の消費税値上げと共にメニュー見直しで無くなった(T_T)。
 まぁカロリー過多なんであんまり食べてもイケナイ物なんだが、選択岐が減ったのは悲しい。

・センタースピーカー再購入、でも装着はナビ全体の着け直し(T_T)
 後付け感ありありのセンタースピーカーをDINに装着できるアゼスト製の物が中古であったので購入。
 が、もう配線はナビを取り出さないといじれないほど混線。
 リアスピーカーのマルチチャンネル化(たぶん秋以降(^^ゞ)と共に配線し直しで着手予定。

・家のステレオも
 サラウンドスピーカーがジャンクであったのでヤマハのコンパクト5chのを購入。
 部屋の片付けが捗らない中差し替え検討。

・禁酒ができなぁい(T_T)
 買い溜めしたウィスキーやコーラが底をついたので禁酒すんべぇかと思案。
 ・・・・・・・・・・日頃のストレスに退勤時にけっきょく一本二本買ってるわ(T_T)。

~もしかしてこのあと続くかも(^^ゞ。
Posted at 2014/04/30 22:59:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 近況ほか | その他
2014年04月30日 イイね!

TVを始末

 まずは二つ前のお詫び。
 なんか悪い書き方になって申し訳ないしバツも悪い。
 やっぱり心底が荒れてるんだろうか。

 もうちょっと考えたモノの書き方しないといけないなぁ(+_+)。

 と書いておいて今回も拙いかもm(_ _)m。

 先日、ブラウン管TVを処分した。
 経緯としては私が地デジバイオを更新し、PCとして負担が辛かった旧地デジバイオを家族の居間に卸す。

 その居間のTVである。
 21型のトリニトロン、今や採用さえされなくなったS映像端子装備の音声多重TVだ。

 これがまた半端なくデカイ。特に奥行き。
 更新したバイオを二台重ねてそれが1/3の大きさと言うから。
 もう邪魔以外の何者にもならないから速攻で始末へとインプに積んだ。

 しかし、永年使ってるとはいえ電波が入らなくなっただけである。
 まだ不具合一つ呈さずに使える。
 そして私は「モノを捨てるのが大嫌い」なのだ。
 貧乏性でもあるが、捨てると自分の買い物が間違いであったような烙印を押されるようで嫌なのだ。

 そこでまずは近所のリサイクルショップ・・・・・・・・・・・・・・・・
「お取り次ぎ出来ない物、ブラウン管TV、・・・・・・・・・・・・・・・・」
 速攻で門前払いかよ(-_-;)。
 家のチラシに不要家電を引き取る業者が出してたよな。
「以上の物は引き取られません。ブラウン管TV、・・・・・・・・・・・」
 筆頭項目とは問答無用だな(▼皿▼)!

 困り果てて仕方なくこれを購入した家電量販店に向かった。
 ココで出された審判は、
「ブラウン管TVは今全部廃棄処分ですね。再利用するところは無いですよ」
 との辛い答えだった。
 チューナーを繋げば、アナログビデオを繋げばちゃんと普通に使えるのに。
 生半可に引き取っても悪質な産業廃棄物になるのがオチだからと言う。

 基本は自店買い上げの引き替え処分が原則だが、実費で処分をしてもらえることになった。
 これでも自治体の処分に比べて幾らか安いという。

 急に惜別の感がしてきた。
 と言うのもこのTV、一応家庭用で購入した物だが一時期は私が個人のTVとしても使ってた。
 3入力だから8mmビデオデッキも繋いでけっこう便利だったし綺麗で何より無故障。
 私がTVをバイオで賄うようになり再び家族の食卓TV、そして居間のTVが壊れたのでその後釜に据わってた。
 実に平成の代わり映えから20年近く。
 健気に働いたのに不憫な始末と申し訳なくなった。

 救いはすげ替えたTVバイオが家族から好評だった。
 画面サイズはほとんど同じだがアスペクト比が合ってるのとHDMI端子が使えるので画面が綺麗になり見るのが楽になったと。

 それにしても、古い車の過税にしても、いつから日本人、特に政治は古い物を粗末にするようになったんだ?

 資源過大輸入国の日本は少ない資材を大事に使うところに美点があったろうにここ数年はイザ地デジだのエコ減税だの、この間はウィンドウズXP。
 無理繰りなユーザー無視の世代交代で大量の使える粗大ゴミを生み出した。
 それで小さな業者は手に余り泣く泣く不法廃棄さえ。

 美しき日本、言うてる奴らが無くしてるだろ。

 そうそう、まだうちにウィンドウズ98のアプティバが寝てて電源入れたら動くんだけど、どうしてくれるんだい?
 使おうにも貧乏人のウサギ小屋じゃ置き場も電気代も馬鹿にならんのよ。
 今やXPもだけどこいつはブラウン管CRTも絡んで相当前からどこも受け付けてくれなくて(T_T)。
Posted at 2014/04/30 20:26:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | 私的概念 | 音楽/映画/テレビ
2014年04月29日 イイね!

経緯の18。遺されなかった被爆

経緯の18。遺されなかった被爆 このコーナーは日に二回やらない約束だったが、週間単位で穴が開いたんで、特例。
 と言うか、今週末もなんか書けそうな自信が無いので(-_-;)。

 このコーナーも随分書いたけど、実はまだ半分行ったかどうかなんだわ(^^ゞ。

 また被爆直後に時計を戻してほしい。

 救援活動はけっきょくその年の暮れまで長引き、広島市が『復興局』を設けたのが翌1946年の1月。
 実際救護から復興に向けた街作りはその後だ。

 しかし被爆直前の航空写真を見ると20世紀末までの街並みと大きく変わるところが実はない。
 驚くことに平和大通りもその雛形が終戦前に防火帯として出来てるのだ。
 実は『太田川放水路』『平和記念公園』と『新国道』以外の街の骨格は大きなテコ入れはされなかった。

 いろいろ斬新な都市計画も興されて凱旋門のような西洋風サークルストリートも考えられた。
 一方で、『このヒロシマの惨状を伝えなければイケナイ』って気運も確かに起こった。

 例えばフランス西部にあるオラドゥール村。
 ココはナチスに虐殺された街だ。執拗な攻撃と家捜しで根こそぎ村人が殺された。
 ナチスドイツは往々にしてこんなホロコーストを行ったが、フランスではこの惨劇を忘れまいとこの村の悲劇を当時そのまま放置保存している。
 死んだまま凍り付いた街を見ると胸に詰まるモノを感じる。コレが同じ人間の成せる仕打ちか。

 ヒロシマも張り合う訳じゃないが勝るとも劣らない惨劇だったから、ソレをありのまま遺したいという意見は確かにあった。
 中には郊外に都市を構築して被爆のヒロシマそのままを遺したらと言う構想図まで描かれてる。
 新聞投稿には原民喜氏も寄稿したそうだ。

 しかし結果から言うと、新しい都市計画はむしろ消極的で実現しなかった。むしろ一笑に伏っされた如くだ。
 実のところ、それどころじゃなかった。
 被爆直後から既に食うや食わずの生活を強いられていた市民にとって原爆遺跡の保存なんてのはまさに絵空事だったわけだ。
 とにかく喰わせろ・と。そんなモノに予算をつぎ込むなって事だ。

 確かに被爆直後は放射能の被害も懸念されていて『75年不毛説』まで出たからあながちヒロシマ保存はデタラメじゃなかったが、枕崎台風でその説は払拭された。
 それに被爆の傷痕がいつまでも残るって言うのはかなり辛いモノがあったようだ。
 けっきょく衣住食が優先されて拙速な都市計画が求められ、それらの案はお蔵入りになった。

 しかし、じゃ新しい街作りがバカバカ進んだかと言えばそうではなかった。
 ・・・・・・・・戦争に負けてそれどころじゃない。資材も無いし。

 ソレもあるのだが、或る現象が妙なブレーキを掛けてしまう。
 1947年、『平和祭協会(後項記述)』が『被爆十景』なるモノをまとめた。

 被爆十景?なんだそれ(-_-;)
 目的は多分に物見遊山にやってくる占領軍に味をしめて、観光資源としての策定だったらしいのだが、内容は以下の如く。

・直上からの爆風で左右に傾げた元安橋欄干の灯籠
・護国神社鳥居の扁額
・頼山陽記念館の瓦
・市役所三階の焼け残った暗幕
・市役所煙突の亀裂
・住吉神社の玉垣
・御幸橋の倒壊した欄干
・三篠町の被爆竹藪
・皆実町ガスタンクに焼かれた梯子の被爆影
・爆風で飛んだレンガを噛んだ国泰寺(当時地)の墓石

 ・・・・・・・・ナンカ地元の私でさえワケ解らないモノが多い(-_-;)
 特に暗幕ってナニ?消火活動の証と説明がなければ解らないよ。

 早晩に消えた風景が多いからなんだが、あまりにミクロすぎた風景が多い。
 委員会程度じゃ大きなモノの保存活動は出来ないって事か。
 コレを被爆の語り部にするには確かに無理がありそうだ。

 ソレじゃあって、翌年には加えて原爆ドームや帝銀跡(現アンデルセン、下写真)の建物を保存しようとする働きかけはあった。

 しかし被爆の惨禍を伝えるのは今見てもやはりミクロすぎだと思う。
 けっきょく保存は無理があるッてんで、復興生計が優先したってわけだ。

 ゆくゆく、1949年には国の補助を仰ぐために『広島平和記念都市建設法』を策定して街作りの骨格を『復興』とし、慰霊祭を行う催事(平和祈念)公園と被爆の惨禍を展示陳列する物品資料館の建設に集約することになった。
 街並みにではなく更にミニマムな遺留品に被爆の記憶がとどめられるようになった。

 一方で最近00年代は建物の保存運動が盛んになった。
 コレがもう一つの側面なんだが、一方で建て替えが思うに任せられなかった組織や団体もあった。それらが一段落したのがこの1990年代以降だった。

 焼け残った建物でナントカやりくりを付けて経営した会社も多く、主だったのを挙げると日銀・帝銀・勧銀・住銀・広銀らの銀行連。コレは災害なんかに強い建物が求められてたからだ。
 そして日赤や逓信(現JP。下写真)の病院。後者はまだ建物が未だ残ってる。

 本川・袋町小学校の鉄筋国民学校跡もそう。
 他にも市役所(下写真の遺構)などいっぱいあるんだが、拾っていくとキリがない。


 それらでもさすがに被爆半世紀を過ぎると元々の建物の寿命と被爆の衝撃でガタが来てしまい、この時期にまとめて建て替えの機運が来た。
 それを阪神と東日本の大震災で改定された耐震基準が追い討ちを掛ける。

 だが淘汰されれば一方で被爆建物自体が貴重になった。

 マァ福屋みたいに被爆をモノとしない例は別として、残せる限り遺していこうという意見をどう折り合わせるかがネックなんだが、ソレをやったところで被爆の惨状を知るにはほど遠い・・・・
 お題目写真の広島(旧文理)大蹟なんか遺すに壊せず宙ぶらりんと行った体たらくだ。
 平成産まれなんかはこんな古ぼけた建物いったい何だと思われるばかりだろう。
(この被爆建物については経緯編が終わったらまとめてみようと思う)

 こうなってくると被爆当時の判断が正しかったのやら拙かったのやら、今やどっちとは言えない。
Posted at 2014/04/29 21:23:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ヒロシマに行こう! 経緯編 | その他
2014年04月29日 イイね!

マフラーに正論があるのか?

 以前「改造車」の講釈で述べたが、
『最近は純正の車でも充分おかしいぞソレ』
 と言った。

 今回はそんなパーツとつくづく思ってるデリケートなマフラーについて述べてみる。
 もちろんいろいろな意見がありココの手入れにこだわってる人も居るからそれがイケナイとは言わないが、私はもうちょっと普通に考えてもいいんじゃないかと思う箇所だ。

 乗ってる車がスバルなんで、マフラー交換はステップアップの常套手段みたいに謳われてるとこもある。
 せっかくボクサーに乗ってるんだからマフラーは換えなきゃだぜ・みたいな。

 私はそういう考えは持ち合わせていない。

 防蝕のテールパイプが着いたシンプルなシングルノズルマフラーで充分だ。
 ただスチール製だと耐久性は拙いので、ステンレス製で廉価なものがもしあればそれは着けるかもしれない。
 ただし、この場合音は一切考慮しないつもりだ。
 もし私の車がステンマフラーでボコボコ音を立ててたらそれは「やったネ!」ではなく残念仕様なんである。
 一応私の車の愛称も非公称だが『神鴉』だ。ステルス性と呼べるほどの静寂性のほうを採りたい。

 他人はともかく楽器や大砲のようなマフラーは私はお呼びでない。

 そもそも、マルチパイプとかノズルとか、サウンド能力とか、重いだろう。
 気筒ごとの排気とか色々理由着けてるが、必要である触媒の数は2個以上ないんだろうしターボに至ってはもうマニホルドの次元で集合させてるんだし。また別けるの(-_-;)?

 俺の若い頃のバイクなんか一本にまとめるのが偉いんだってって集合管化してたし。
 逆にバイクの場合は左右に振り分けて重量バランスを取る目的もあるのだが、ヤマハSRX6の短いマフラーには目から鱗だった。バイクなればこその設計だけど。
 ああいう工夫なら音が肥えても解るんだが。

 普通なら軽量のために後ろまで延ばす事さえやめないだろうか。
 整備に居たときには持ち運びにも取り回しにもエンジン部品では一番手を焼いたモノだ。
 なのに部品が多く大きく重くなる事もっぱらだ。

 音に関しては、マニホルドを外したエンジン音というのを聞い・いや、マニホルドを外したエンジン音は『聞こえる』なんて代物じゃない、気分が悪くなるほどショックが大きい。

 そんな経験があるので、加減速の時に響いてるマフラーはその人の好みとも思えるがアイドリングから絶えずブォーブォーとその場の話し声さえ打ち消す響いてるいマフラーというのは私に言わせれば人を侮辱してるようなモンだ。
 せめてマフラーにはちゃんと仕事させよう。

 こんな感じでマフラーに関してはもう言ったモン勝ちといった風潮がある。

 マフラーも、今やインレットマニホルドでさえ樹脂製になった現代じゃ、触媒(までは高温だから無理なのは解ってる)から先も樹脂化して軽量化出来ないのか?
 7年車検で換えるクオリティーでイイじゃないか。
 造形も自由になって空力的構造(地上最低高)的にも無理が減り、排気も巧く拡散させて、リチウム電池のように効率的な配置が効くと思うのだが。

 静寂性あるいは整備性重量性からマフラーがもうちょっと根本から考えられても良さそうなモンだという話。
 まぁ、MiEVが頑張ればマフラーも過去の遺物なんだけと。

(ごめんなさい、言質がきつかったんで書き足してますm(_ _)m)
2014年04月29日 イイね!

経緯の17。青い目の慈愛

経緯の17。青い目の慈愛 この連載というかブログ自体がなおざりに(T_T)。
 荷が重かったのかなぁ。

 ここから単元ごとに時間軸がスキップしては戻るのでご了承願いたいm(_ _)m。

 原爆で打ちのめされた広島ではあるが、そんな苦窮の中で一条の光とも言える人達が居た。
 広島に援助物資や活動を携えてやって来た海外の人達だ。
 彼らは慈愛を持って被爆した広島市民を救った。
 捨てる神あれば・とも言えるが、そんな安っぽさではない。彼らはなんの見返りも求めず凄いことやってる。

 まず紹介したい人は広島名誉市民にもなったノーマン・カズンズ(1915~90)。
 ちょっとあとの話から先になってしまったが(^_^;)。

 彼はまず被爆孤児の生活費をアメリカ国民から募ると言う『精神養子』活動を行って1950年1月11日に広島市に2千ドルの寄付をした。
 2000ドルって確か固定相場の1ドルが360円だったから・・・・・当時の円でも72万か。凄い額だよ。
 しかも彼は、資産家や富豪じゃなく新聞記者だ。

 しかもこの『精神養子』が凄いところはお金を渡すことじゃない。
 文通を一緒に行い心の交流を提案した。
 今時の日本人みたく金送ってハイおしまい・じゃない。
 日本でも気軽にポンポン募金って、あまつさえ横領する輩もいることを考えると実に稔りのある活動だ。
(執筆当時小児難病の募金管理人が雲隠れして数千万も豪遊散在した事件が福山であったし)
 お金と一緒にそのメッセージがあれば勇気も貰える。その文通は大きい支えだ。

 そして第二弾!まだあるんだ。
『原爆乙女』である。

 被爆の負傷でも悲惨だったのは女性の顔に火傷を負ったケースだった。
 これがケロイドと言ってタダの火傷じゃなく化膿したような腫れが傷口を埋める。コレが見るに耐えない醜さで、行く末を嘆いて自殺した人も多い。
 被爆で生きながらえたのに自殺に追い込まれたのだ。それだけ乙女の顔は命に勝る。

 その実状に心を痛めたカズンズは、コレまた募金と、アメリカの先進外科医療で治療しようとした。
 そして晴れて1955年5月5日、25人ながら顔にケロイドを持つ女性がアメリカに旅立った。
 この治療はけっこう難航して、別件事故で死亡した人も居たようなのだが、ナンとか治療は完了した。
 さすがに完璧にとは言えないけど、パッと見た目にはすぐ解らないって位にはなったという。

 それにしても今考えても凄い援助活動である。
 こういう人がアメリカの慈愛を信じさせてくれる。

 アメリカ人だけじゃない。次は世界赤十字駐日委員だったマルセル・ジュノー(1904~61)。
 ホントはこっちが順番先だなぁ(^^ゞ。

 元々医療具材が貧弱だった日本でこの原爆禍情報を受け、占領直後の9月9日にはGHQと談判して持ち込んだ15トン相当の医療品で被爆負傷者の治療に尽力した。
 この経緯は近年アニメにも描かれた。
 日本人より迅速で、被害が被害だけに微力だけど15トンの医療品って一声じゃ持ち込めない。
 まさに被爆者の恩人とも言える。

 次は広島の住宅難に心を痛めて家屋建築に飛び込んだフロイド・シュモー(1895~2001)。
 募金と資材と学生30人を引き連れて1949年8月4日に広島にやってきた。
 彼の音頭で皆実町や江波町に計19棟の日本家屋の建造に取りかかった。
 これらは広島市民に歓迎を以て迎えられ『シュモーの家』と呼ばれて重宝された。
 この日本家屋は現在すべてが建て替えられ、一棟が保存用に集会所として遺された「シュモー会館(お題目写真)」だったが、今年開通した広島南道路の工事に際して移築されてる。

 他にもココまでの援助ではなかったが広島を励ましにやってきた外国人はけっこう多い。
 有名なヘレン・ケラー(1948年10月13日)や、アメリカでも絶大な人気を誇って居たシャンソン歌手のジョセフィン・ベーカー(54年4月23日)。大リーガーのジョー・ディマジオ/マリリンモンロー夫妻(54年2月)など海外著名人の広島来訪は大いな希望を広島市民に与えた。
 まぁ個人レベルには占領地への観光や物見遊山の要素こそあったかもしれないが、広島の現実には言い訳を許さない厳しさが漂っていた。何かしらの感慨をたいていの来訪者は母国に抱き帰った。

 ついやったやられたでものを考えてしまうのだが、こう言う事が『ポン』と出来る洋教徒系の国民性は素直に受け止めないとイケナイ気がする。

(今項敬称略、括弧内の前半は生没年、後半は来広日)
Posted at 2014/04/29 10:44:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | ヒロシマに行こう! 経緯編 | その他

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「今回カーナビ外したので、後記用のトラッキングは悩んだ。
最初ここの[何シテル』投稿やスマホカメラで休憩に撮ったが行程が残らず。
最後に使ったのはスマホ地図のスクショでこっちが効果高かった。

また大きな声で言わないが位置ゲーもトラッキングに使った。」
何シテル?   07/09 10:48
 広島・備後御調種佐伯産宮島対岸棲息の対厳山。 長らく勤めてた仕事を現在辞職、2025年初めはフリーターで始まりました。  新社会人時代(つぅても四...
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