
今年2月に転勤した職場に嘱託でお勤めの年配の方がいらっしゃるのですが、車がお好きだということで自然と車とかレースの話になりました。
「最近のF-1は音が悪いねえ、もうGTくらいしか見に行ってないよ。」と言われるので、よく聞いてみると、かつては海外にまでF-1観戦に行くほどだったとか。
近年は地元岡山でスーパーGTを見に行く程度だが、昨年はわざわざ富士スピードウェイ(FSW)にも出かけたそう。
「富士で最初にF-1が開催された時観に行きましたよ。雨が降っててねえ。」とのことだったので、てっきり2007年の話かと思ったら、何と1976年のレースの話でした。
聞けば当時、浜松の某オートバイメーカーで社員ライダーとして勤務されていたそうで、富士スピードウェイ(FISCO)のレースはよく観戦に行っていたとのこと。
「翌年(1977年)はストレートの終わりのところで見てたら、警備員が移動しろー、とうるさく言うので歩き出した数歩目のところでフェラーリが飛び込んできた。」「動きだすのが数秒遅かったら死んでいたかもしれない。」との話で、「まさかあの有名な事故の現場にいたのですか?」と聞くと「いましたよ。」と言われる。
個人的に昔のレースに興味深々で、当時の話を聞いてみましたので一部抜粋して載せます。
【1977年F-1日本グランプリ】
朝日新聞 昭和52年10月24日朝刊より
Q:「現場は立入禁止区域だったはずですが、当時それは知っていましたか?」
A:「わかってたよ。マシンが間近で見られるので、無視してたくさんの人が来て見てた。」
「2人亡くなったんだけど、その人たちは即死状態で、ほかに事故に巻き込まれた人たちは口から血を吐いていたり、心臓マッサージを受けていたりしてた。」
Q:「(事故を起こした)ビルヌーヴはどんな様子でした?」
A:「車から飛び降りるとヘルメットを抱えて逃げるように走って行ったよ。」
Q:「どっちの方向に行きました?」
A:「スタンドの方向に行きましたね。」
Q:「伝説のドライバー、ジル・ビルヌーヴをナマで見たことのある日本人って少ないんじゃないですかね?」
A:「そうかもね。」
後日、1枚だけあったという当時の写真を持って来て下さったので、お借りしスキャンしました。
Q:「'77年はストレートエンドで見ていたとのことですが、’76年も同じ場所で見てたのですか?」
A:「'76年はメインスタンドで見てました。ニキ・ラウダが目当てだったけど、すぐ車降りちゃってねえ。」
Q:「翌年('77年)はラウダ自体日本に来なくて、結局(ラウダの)代走のビルヌーヴが事故を起こしたという因縁ですか…。」
「当時の映像を見るとバンクに続くストレートの横付近が現場だったみたいですね。」
A:「F-1の時はもうバンクは使ってなかったよ。」
Q:「えっ、30度バンクが使われていた時代も観戦したことがあるのですか?グラチャンとか…。」
A:「ありますよ。」
Q:「もしかして1974年6月2日のレース、観に行かれてました?」
A:「黒沢が幅寄せして大事故になったレース?観てましたよ。」
Q:「マジっすか!」
【1974年富士GC第2戦・富士グラン300キロレース】
朝日新聞 昭和49年6月3日朝刊より
Q:「当時はどこで観戦されてました?」
A:「メインスタンドで見てました。」
「あっという間の出来事で、白い煙が立ち上って、ドライバーなんか助けられる状況じゃなかったよ。」
「その後ヘリコプターがドライバーか誰かを運んで飛び立つ様子は鮮明に覚えている。」

後日、小生所蔵の事故を報じた当時の雑誌類を見てもらいました。中にはご遺体そのものの写真も。
感想を聞きましたが、ここでは触れないでおきます。

後年出版された事故に関する書籍類。

風戸選手に関する書籍。
'77年発行の「レクイエム」はプレミアがついて、結構な値段で取引されている様子。

左:当時の某少年マンガ雑誌にも事故の写真が…。
右:少年マガジンでは表紙モデル。撮影は篠山紀信氏。

当時の国内最高峰レース、富士グランチャンピオンシリーズ。
オイルショック前の好景気。‘73年あたりからメーカー系ワークスドライバーの相次ぐ参戦によりシリーズの盛り上がりが最高潮に。
打倒!黒沢…。事故の起きた遠因はこのあたりにもある。
【1973年富士GC最終戦・富士ビクトリー200キロレース】
朝日新聞 昭和48年11月24日朝刊より

'73年秋オイルショック勃発。そして直後に発生した炎上死亡事故。
聞くと、事故のあった'73年の最終戦も富士に観に行っていたそう…。
ただ事故発生現場のバンクから遠いところにいたので、事故があったことは覚えているが、詳しいことはほとんど記憶にないとのこと。

その'73年最終戦の表彰台。
1位鈴木、2位風戸は上記'74年第2戦の事故で死亡。
3位酒井正はこのレースをもってドライバーから引退したため難を逃れたかと思いきや、2001年に自宅の火災でお亡くなりになったという…。
表彰台3人全員焼死という事実。これは単なる偶然と言えるのだろうか?

最後に件のベテランレースファン氏。サーキットに行ってエンジン音を聞くのがお好きで、生涯で最高の音は「マトラV12」とのこと。
「2ストかと思うような乾いた甲高い音で最高でしたよ。」と仰っていた。
さすが50年近くナマでレースを見てきているだけあって納得。