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温泉二号のブログ一覧

2013年02月02日 イイね!

昭和40年代男(3)

第3弾は、電気的な趣味の話でも。

僕のいとこの兄さんで、4~5歳上の2人兄弟がいました。
正月なんかに遊びに行くと、マンガ本がたくさん有ったり、天体望遠鏡があったり、自分の家には無い物がたくさんあって、いつも刺激を受けていました。
その兄さん達がやってた趣味が、ハム(アマチュア無線)でした。
家には大きなアンテナが張り巡らされて、おそらくHFでもやっていたのでしょう。
小学校低学年の当時は、アマチュアの試験なんか受ける知識も無かったのですが、その家に転がっていた「ラジオの製作」っていう雑誌(通称”ラ製”)の古いのをもらってきたら、その中にゲルマニウムラジオの製作回路図が載ってました。
いとこの兄さんに教えてもらって、それを作ることに。

ゲルマニウムラジオって何?って思うかもしれませんが、ひとことで言うと『電池が要らないラジオ』です。
そんなの作れるの? って思うかもしれませんが、すごく簡単な回路で作れるんです。

まず、回路図に書いてある部品表を持って、部品屋さんに買いに行きます。
札幌に住んでたころだから、バスで街へ出て、梅沢無線に行きました。
(家は札幌市内ですが、市の中心部まで出掛けることを「街へ出る」と言ってました)
必要な部品といえば、ゲルマニウムダイオード、ポリバリコン、抵抗、コンデンサ、クリスタルイヤホン、エナメル線、ラグ基盤、半田ごて、いと半田(ヤニ入り)です。
ケースは無くて、バラック(カマボコ板のみ)です。

ここで、半田ごてなんて買うの初めてで、60Wとか買ってしまった(爆) 太いしww
ラジオ作る程度の電子工作なら、20とか30Wあればイイのに、無用にデカイの買っちゃったんだね。

家に帰って、ラ製を見ながら作ります。
エナメル線をぐるぐる巻いて、アンテナにする。
ラグ基盤に部品をハンダ付けする。

でも、ハンダ付けがうまく行かないのです。
なんせ、小学校低学年だし、やるのはじめてだし、60Wだし(爆)

そのころ、家でカラーテレビを買ったお店「むつみ電気」のお兄さん(営業)が家に来た時に、うまく行ってないラジオを見てもらった。
チョイチョイっとやったら、なんか直った。
初めて作ったゲルマニウムラジオが音を出していた(^o^)/

それ以来、電気に興味が出て、ラ製はいつも貰いに行きました。

そんな小学生も高学年になったころ、インベーダーゲームに出会いました。

当時はすごいブームで、またたく間にあちこちにゲーセンが出来て、インベーダー以外のゲームもいろいろ出来るようになりましたよね。
そんないわゆるコンピューターゲームが流行った頃に、友達の兄さんが自宅でゲームを作ってると聞いて、見せてもらいに行きました。
そこにあったのは、日立のベシマス(ベーシックマスター)と言う名のパソコン(でも当時はマイコンと呼んでいた)で、そのマイコンのキーボードを操作して、キャラクタ(文字を登場人物に見立てたもの♠とか1文字)を動かしていくゲームだった。

ゲームの内容はぜんぜん覚えてないけど、自分の家でゲームが出来る事に驚いた(ファミコンも無かった頃です)
その友人の家に何度か遊びに行くうちに、自分でもマイコンが欲しいと思い始める。

そのころ「ラ製」の別冊付録に『マイコンBASICマガジン』が創刊されました。
当時のマイコンといえば・・・
・NEC PC-8001
・SHARP MZ-80
この2台がライバル同士でしたね。
僕はPC族の、しかもナイコン族(マイコンを持ってなくて、お店や友人に借りるひと)でした。

あるとき、学校で遊んでる最中に、足首を骨折(ひび)して、しばらく休むことに。
松葉杖で外出もままならず。
そんな時、雑誌の売買コーナーにPC-8001の中古売りたしを発見。
定価の半額で中古マイコンを買いました。

PC-8001というと、キーボードみたいなのが本体で、内部にメインボードと電源が入ってます。
モニタは家庭用カラーテレビにつなぐアダプタを買って、アンテナ線からつなぎます。
もうひとつ、欠かせないのがカセットテープレコーダー。
LANも無いし、フロッピーも無いので、データの保管にはいわゆるカセットテープを使うのです。
マウスも無いし、スピーカーもないです。

どんな使い方をするのかというと、もっぱらゲームだったんですが(^o^;)

スイッチを入れると、本体にはプログラムが空っぽになってます。
マイコンBASICマガジンなどに、プログラムが書いてあるので、キーボードからカチカチと入力するのです。
ただひたすら(^o^;)
言語はN-BASIC。

一生懸命に打ち込みして、よく確認したら、いよいよプログラムを走らせます。
どんなゲームをしてたのか、もうあまり覚えていませんが。
平安京エイリアン的なものとか、パックマン的なものとか、二次元マップをキャラクタが移動するパターンが多かった気がする。
プログラムがちゃんと走ったら、カセットテープにセーブします。
テープレコーダーを録音状態にしてから、本体にコマンドを打ちます。
ぴー、ギャラギャラギャラ~♪
FAXみたいな音かな。
こうやってカセットテープが増えていくと、キーボード入力せずにカセットテープから読み込んで遊べるゲームが増えていきます。

ソフトウエアではBASIC言語はある程度読めるようになりましたが、自分でプログラムを組むまではやらなかったなぁ。
そのうちハードウエアにも興味が出てきて、RAMの増設とかもやりました。
いまではメモリ増設なんて簡単ですが、当時はIC(ゲジゲジ)を買って来て、ソケットに差し込む作業でした。
とても緊張しながらやった覚えがあります。
ちょうど本屋でPC-8001の配線図を入手して、16進数専用の外部キーボードを増設してみたりして。
また、あるときは、さびれたゲーセンでお古のアーケードゲーム機(テーブル型)を一台もらってきて、家で分解して遊んでました。
何のゲームだったか忘れましたが、カラーCRT画面やジョイスティック部分を切り取って、PC-8001につないで使っていました。

その後、世の中ではPC-8001MKⅡとか、PC-6001とか、そしてPC-8801が出てきたんですよね~
フロッピーディスクが使えるようになってたり。
一方で、MSXパソコンって言うのもあって、ゲームカセットを挿すところがあったり。
パソコンテレビX-1っていう、テレビチューナ内臓のパソコンがあったりしましたね~
あと、日本語BASIC搭載のTOMYの「ぴゅう太」なんて商品もありましたねw

僕はPC-8001のあとは、しばらくマイコン(パソコン)は買ってなくて、次に買ったのは就職してからでした。


そのへんのお話は、また今度。


昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




Posted at 2013/02/02 19:02:32 | コメント(7) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 日記
2013年01月26日 イイね!

昭和40年代男(2)

第二回です。

僕が子供の頃に、キャンプに行った話しでも。(ローカルでスマヌ)

僕が小学生の頃、近所の子供会に参加していました。
町内会の小学生が集まって、夏に花火やったり、クリスマスにはお楽しみ会・・・
でも、その町内には、男子が少なくて、僕が高学年になった頃には、男子が僕とカズオ君の二人しか居ませんでした。
そしたら、僕が子ども会の会長になっちゃいました(^o^;)

町内の会長やるのはタイシタ仕事でもなかったのですが。
今度は区内の会長が集まった、ジュニアリーダー研修会なるものに参加せよとの指令が来ました。

それは区民センターに集合が掛かるのですが、各地の会長が集まるので、学校の違う同年代の子供が集まる、いつもと違ったコミュニティだったのです。

引っ込み思案な僕は、ちょっと心配してましたが、行ってみるとこれが楽しくて(・∀・)イイ!
だいたい毎月1回くらいの会合で、年間行事計画の立て方とか、会のプログラムを作ったりする研修をします。
その中では、集団で遊ぶゲームを習ったり、歌を教えてもらったり。
研修とはいえ、結局はゲームや歌をみんなでやるので、それは楽しいのです。
教えてくれるのはシニアリーダーという、高校生?大学生?のお兄さん&お姉さんです。

その研修で得たものを、地域に帰って活動に生かすのです。

そんな研修の中で、夏の目玉はなんと言ってもキャンプです。
あの当時は、家でテントを持ってる人なんて居なくて、キャンプという言葉にあこがれていました。
こういう研修でも無いと、キャンプに行くチャンスが無かったので。

そんなお楽しみの夏に、ビッグな研修があったのです。

あれは確か5年生の夏。
札幌にある『ドンガバチョ共和国』に3泊(?)で行くことになりました。
場所は西岡の奥地だったような気がします。
リュックに米を3合と着替え、寝袋を持って、いざドンガバチョへ!

ドンガバチョ共和国では、日本円が使えなくて、ガバス、ガバチョという木の通貨が使われていました。
たしか入国の時に、米をガバチョに返金した。

共和国の中では、子供5人くらいの班を作り、バンガローに寝泊りします。
バンガローって言っても、屋根と壁があるだけで、入口はノレンみたいな掘っ建て小屋でした。
班ごとにリーダーを決めて、学年も性別もバラバラの共同生活です。

国のおきては『働かざるもの食うべからず
食事の材料や、燃料の薪は、班内でガバチョを使って、買いに行きます。
かまどを使ってごはんを作り、みんなで食べます。

♪ごはんの歌♪
「1」と、「2」と、「3」と、「4」と、「ごー」はんだごはんだ、さぁ食べよう~♪
かぜも爽やか心もかろく~
みんな元気に感謝して~
楽しいご飯だ、さぁ食べよう
「いただきます!」



♪ごちそうさまの歌♪
「あ」と、「い」と、「う」と、「え」と、「お」いしいご飯がすみました。
食当さんよ、ありがとう。
「ごちそうさまでした<(_ _)>」


ご飯が終わると、みんな働きに行きます。
共和国内には、いくつかの職場があって、各班から希望の職場に行って、お金を稼いできます。
建物の修理をする仕事や、竹細工みたいな民芸品を作る仕事や、いろんなルールを守っているかパトロールする仕事など。
僕は、薪割りの仕事をしたっけかな。
教えられたルールは
・国内は走らない。
・ナタを使うときは、ナタを持つ手は素手、薪を持つ手は軍手。

他は覚えてないw

一日働くと、日給がもらえて、また米を買うことができます。
たとえば献立がカレーだと、ジャガイモや玉葱もガバチョで買います。

晩ごはんのあと、夜はバンガローで寝るのですが、夏なので蚊が出るのです。
ここでまた、各バンガローを回って、バルサンを焚く仕事の人がいて、決まった時間に回ってきます。
でも僕、昔は超早寝だったので、バルサンの人が来る前に寝ちゃっていました。
バルサン焚くとすごく臭くて、みんなバンガローの外に避難してたらしいのですが、僕はぐぅぐぅ寝てました(爆)

最後の夜は大きなキャンプファイヤーをしました。
燃やすのは廃材ですが、昼に準備班が積んでいてくれたものです。
点火するにもセレモニーがあって、おごそかなスタート。

その後、キャンプファイヤーでは定番の歌で盛り上がります。

♪燃えろよ燃えろ♪
燃えろよ燃えろよ、炎よ燃えろ。
火の粉を巻き上げ、天まで焦がせ。


火がどんどん燃えてきたら、みなんで楽しい歌を歌います。

♪チェッコリー♪
チェチェ、チェッコリッサー
二酸化マンガン
オーマンチェチェ

この歌は、キャンプファイヤーを囲んだ参加者の輪の中に、ひとりリーダーが出て、歌いながら踊る。
みんなはそれを真似して、おっかけて踊ります。

歌詞の意味はサッパリ分かりませんが、みんな笑いながら踊りながら歌いました。
僕はてっきり、シニアリーダーの即興で、テキトーな歌詞と踊りをやってるのかと思ってましたが、この歌有ったんですね~



いろんなゲームしたり、歌で盛り上がったり。

最後はこの歌
♪今日の日はさようなら。♪
いつまでも絶えることなく、友達でいよう。
明日の日を夢見て、希望の道を。



ちょっと寂しいこの歌、火を見てセンチメンタルになっちゃったりして。

このドンガバチョ共和国の経験は、その後の温泉少年のアウトドア志向に非常に影響を与えています。
今思えば、北海道の自然はホント楽しかった。
今でも、外で料理して外で食べるのって、やっぱ楽しい(^o^)/


暖かくなったら、BBQでもやりたいな(^^)



昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




Posted at 2013/01/26 08:12:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 日記
2013年01月19日 イイね!

昭和40年代男(1)(追記)

僕が小学校の頃のラジコンの話でも書こうかと思います。

僕が小学校中~高学年の頃、新聞配達のバイトをしていました。
って言うと苦学生みたいに聞こえますが、もらった給料はすべて自分の趣味に当てるというわがまま生活w
当時、小学校のクラブ活動で僕が所属していたのは模型クラブ。
その活動内容は、好きなモノを作ってるだけという何の方向性も目標もないクラブでした(爆)

そんな中でも、僕が好きだったのは田宮の「楽しい工作シリーズ」ってヤツ。
ギヤボックスとかタイヤセットとか、部品を買い揃えてカマボコ板でシャーシーを作ったり、キャタピラやリモコンBOXもあったな。
モーターはマブチ130モーター、電池BOXは単二電池×2本とかね。
ラジコンでもないし、ミニ四駆でもないから、コースなんて無くて、作るのは楽しいけど、走らせて遊ぶことはそれほど無かったようなw

小学校も5年、6年になると、もうラジコンが欲しくなる頃で、僕の友達はランボルギーニチータとかカウンタックとか、タイレル6輪なんか持ってましたよ。
僕が最初に手にしたラジコンが何だったのか、いまいち覚えてないけど、自分のバイト代を搾り出して、田宮のワーゲンオフローダーを買ったのを覚えてます。
かなりの衝撃デビューでしたよ、防水メカや多くの金属パーツ、本格サスペンション、もうコンバットバギーがオモチャに見えるくらいの最新型モデルがどうしても欲しくて、親に借金もしたかもしれないけど、買っちゃいました。
当時は車体が二万円弱、プロポは別売りでサンワのDASHやっぱ二万くらいだったかな?バッテリは最新の7.2Vタイプ、今はラクダ型なんていうけど、当時は6Vが当たり前だったから、憧れのハイスペックですよ。
モーターは当時主流だったマブチ380モーターから540モーターに切り替わる頃で、ノーマルの540モーターでも威張ってました(^_^;)

自分の部屋にお店広げて、寝ないで組み立てしてた覚えがあります。

その当時、僕の愛読書は、
・ラジコン技術
・ラジコンマガジン(今はRCマガジンっていうの?)
・子供の科学

特にラジコン技術って、本の厚さがハンパ無く、ラジコンヘリでもボートでも載ってた。
もちろんラジコンカーはメインなんだけど、サスペンション形式の話とか、小学生の頃に一生懸命読んでました。
おかげさまで、ダブルウィッシュボーン式はもとよりスイングアーム式、トレーリングアーム式、ダブルトレーリングアーム式、セミトレーリングアーム式等のサスペンション形式や、キャンバー、トレール、キャスター、アッカーマンの原理なんて用語の意味も勉強したし。
デフギヤの動きなんて、自動車ギョーカイで働いてる大人だって、よく理解してない人が居るけど、ラジコン見たら子供でも一発で理解できちゃったり、今の仕事に生きてる知識も沢山得ました。

でも、ワーゲンオフローダーが完成しても、ラジコンコースが近くに有った訳でもなく、道路や空き地でテキトーに走らせてただけなので、操作のほうは全然ダメで、どっちかというと結局いじるのが楽しかった(笑)

そんな僕が次に欲しかったラジコンは・・・
田宮の『カンナムローラ』ってやつ。
それまで僕の知ってるオンロードモデルは、サスペンションっていう概念がなかったけど、シャーシのFRPがフクザツにデザインされていたり、モーターも540よりハイパワーなブラックモーターだったり、そりゃもう目ン玉飛び出る衝撃のNewモデルだったのです。
それまでのタミヤはどちらかと言うとプラモデルが走るというか、模型だったんじゃないかな。
カンナムローラはポリカボディで、走ることに専念したモデルだったと、今は思います。
そのかなりの高級ぶりに、小学生当時のお友達は、お金持ちと言われる友達でさえなかなか手に入れられず、ホントに憧れのラジコンでしたね。
タミヤカタログでそこのページだけちぎれそうになるくらい見てました(爆)

それと対照的に、早くから発売されていた当時のトイラジコンなんでしょうか、エポック社の「デジカスタントバギー」っていう完成品のラジコンがありました。
車体とモーターと、プロポセット(とうぜんスティック式)がワンセットで、乾電池を入れて走るものでした。
モーターはマブチ380モーターがなんと2機搭載!!
ひとつのスパーギヤの前後に1機ずつ乗せるという作りにびっくりしました。
地味に欲しかったんですが・・・

実際に、あとで手に入れてみたら、やっぱりオモチャっぽくて、まーこんなもんかなって(^o^;)
サスペンションも、前だけとかだった気がする。
さすがにワーゲンオフローダーのあとで手にしても、喜びはあまり無かったね・・・

そんなラジコン熱も、中学生になる頃には、マイコンブームがやってきてだんだんと冷めてしまいましたとさ(^o^;)

つづく(?)



※追記※  ※追記※  ※追記※  ※追記※

この記事は、オジサンあるあるネタです。
知ってる 懐かしい 好きだった などのコメントください。
他の方のコメント見て、僕のレス見て、再・再々・コメントも歓迎です~(^o^)/

あ、若者からのコメもOKですよ(^_^;)


昭和40年代男(1)「ラジコンのはなし」

昭和40年代男(2)「キャンプのはなし」

昭和40年代男(3)「マイコンのはなし」

昭和40年代男(4)「乗り物のはなし(2輪編)」

昭和40年代男(5)「ラーメンのはなし」

昭和40年代男(6)「テレビのはなし」

昭和40年代男外伝?「自販機ラーメンのはなし」by赤カブさん

昭和40年代男(7)「カメラのはなし」

昭和40年代男(8)「雪のはなし」




Posted at 2013/01/19 16:04:52 | コメント(11) | トラックバック(0) | 昭和40年代男 | 日記

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