第4弾は、乗り物のお話し(二輪編)
僕が初めて乗った乗り物ってなんだろう?
父親が運転するクルマとかじゃなくて。
自分でドライブする乗り物ならば、きっと三輪車だ。
僕は小さい頃、なかなか自転車が買ってもらえなくて、小学校の低学年くらいまで三輪車だった気がします。
お友達がみんな自転車になっていく中で、ぼくだけ三輪車の後に立って、地面を蹴って、今ならキックボードみたいな乗りかたで移動していました。
だから当時は遊ぶエリアも町内がメインだったな。
そのうち、小学校の2・3年生くらいの時に、待望の自転車を買ってもらった。
フロントのフェンダーに、バットとボールのマスコットが付いていたのを覚えてる。
そしてお決まりの補助輪つき(笑)
父親と練習して、けっこう早く補助輪は外せたと思う。
当時の家の前は砂利道で、自転車では走りにくいし、タイヤも何度かパンクした。
道路わきにはドブがあって、まちがって落ちるとタイヘンな事になった(爆)
その後、新聞配達を始めるちょっと前くらいに、変速つきの自転車を買ってもらった。
そのころの小学生の憧れといえば、
セミドロップハンドル、
5段変速、
スーパーカーライト、
フラッシャー、
空気入れ付きw
そんな自転車ブームの中で、兄はセミドロップハンドル車、ぼくはミニサイクル車(23.5インチ?)を買ってもらいました。
いちおうライトはダブルで、5段変速、前カゴつきw。
そのころには道路も舗装されて、家の周りは坂道だらけでしたが、登坂をトップギヤでぐいぐい登ってました。
あの頃がいちばん、筋力あったのかも(^o^;)
そんなミニサイクル車、気に入ってないワケでもなかったし、新聞配達で稼げたのもこの自転車のおかげ。
しかし、パンク修理で入った自転車屋さん「
おおやサイクル」で衝撃の出会いがありました。
小径極太のブロックタイヤにリヤサスペンション、まるでHONDAモンキーのような風貌の自転車が置いてありました。
それはセキネ自転車の
ブーンバイクGT
これにはまったくの一目惚れ、バイト代突っ込んで買っちゃいました。
そして、いっちょ前に長いドロヨケつけたり、ライトを交換してみたり、今思うとドレスアップチューンですよね(爆)
昭和の札幌の郊外でしたから、山に行くと造成地みたいなところでバカ広い空き地を走り回ってみたり、ジャンプ台みたいなところで飛んでみたり。
そしたらなんと、リヤサスアームが曲がってしまった(^o^;)
また「おおやサイクル」に部品注文だ。
たしか自分で交換した、家の工具なんてモンキーとドライバーとペンチくらいしか持ってなかったけど、われながらよくやったと思うよw
中学の三年間は、ブーンバイクで過ごしたと思う。
高校に合格して、バス通学がスタート。
バスで国道まで出て、乗り換えてまたバス。
走行距離は10キロくらいだが、乗換えがメンドクサイ。
バスは嫌いだった。
春になって雪が解けたら、自転車通学を始める友達もいた。
自転車なら5キロ、乗り換えもないし、混雑も無いし(・∀・)イイ!
でも、さすがにブーンバイクでは走りにくいので、通学専用に一台必要になった。
それは趣味ではなく、完全に交通手段として必要だったので、親に買ってもらいました。
選ぶのは親と相談。
当時出来はじめたホームセンターへ行って、僕が選んだのは20インチのミニサイクル。
しかも、変速なし、前カゴ付き、黄色いボデーww
親からは、買ってあげるから3年間乗りなさいと釘をさされました。
高校生になって、いままでと違う友人ができたり、行動範囲がぐっと広がりました。
20インチのミニサイクルは軽快に走ってくれるのですが、16歳になったらアレですよ。
バイクの免許が欲しくなるじゃないですか( ´艸`)
高校は、当然のごとく”
3ナイ運動”展開中でしたから、ナイショの活動ですよw
そのころ、近所のおばちゃん連中もままチャリからラッタッタに変わってきた。
おばちゃんはサリアンだのベルーガだの、隣のおねいさんはパセッタに乗ってたし。
そしたら、うちのオカンが原付免許を取ってきた。
そして買ったのが
YAMAHA JOG(初期型、27V 通称ペリカンJOG)
当時は原付60キロ規制が始まっていたので、JOGも規制対応型は60キロメーターと、30Kmを超えると光る「速度警告灯」があったのですが、36号線沿いのバイク屋で見つけたのは規制前JOG、しかも足元マットとかオプション満載の展示車両。
お買い得で買って来たそのJOGは、4.5馬力の非力ながら70キロメーターで、そこそこ出ましたよ( ´艸`)
ある日、友達のイトウ君がHONDAリード50を買いました。
僕は相変わらず自転車ですが(汗
僕も、原付免許くらいは取らにゃイカン。
必死に親を説得して、一日だけガッコをサボって、手稲の試験場へいきました。
もちろん、行く前には問題集を友人から借りて、一夜漬けですよ(爆)
めでたく一発で免許を取得したのですが、今度は乗るバイクがない。
JOGは母親が移動する為に買ったものだから、僕が自由に乗り回すことができない。
ちょうどそのころ、テレビで「
汚れた英雄」が放映されて、コーフンしながら見てました。
もちろんVHSに録画して、何度も何度も見てました。
二輪が欲しい(^o^;)
JOGでも10万しましたから、バイク買うお金なんて僕には持ってなくて。
そういう時は結局おねだりです(爆)
なんたって末っ子ですから、必死のおねだりの末に、YAMAHAの
アクティブ50を買ってもらいました(^o^)/
この時代のスクーターは、
ホンダリード50が速いし憧れでしたが、イトウ君が乗っていたので、そのライバルにあたるアクティブ50を選びました。
新車を買ってもらって、ご満悦の温泉少年は、イトウ君のリードとつるんで、あちこち走って楽しんでたのですが。
少しすると高校生の原付仲間の間に、スポーツバイクブームがやってきます。
周りの友達は気がつくとけっこう免許を持っていて、RG50γとかRZ50、MBX50なんかの2ストスポーツ車に乗ってたり。
中卒でペンキ屋に就職した友達が、ウチの近くで仕事だったとか言って、うちに
NS250Fとか見せびらかしに来たり。
あ~、ギヤ付きのバイクが欲しいぞ!
だけどアクティブを買ってもらったのに、今度はMBXを買ってくれなんて、さすがに言えないし(^o^;)
だけど欲しいものは欲しい!
よって、バイトに励むべしw
季節は夏、お盆のお墓参りシーズンに、里塚霊園の前で、お供えの花束を売るバイトがあった。
霊園前の道路際にコカコーラのテントを張って、花束は2束ワンセットで500円、800円のラインアップ。
そして缶ジュースも売る。
コーラ、ファンタ、スプライトの
ポケット缶(北海道でだけ販売された缶サイズ)、酸梅湯とかいう飲料など。
でかい水槽に水と氷を入れて、冷やして売るが、当時希望小売価格100円の缶を110円で売る指令だった。
あの頃はモノの値段は決まっていて、ディスカウントとかないから、
缶ジュース⇒100円が当たり前。
お客さんに
『110円になります』と言うのが僕にはつらかった。
普段は缶飲料なんて買わないだろうオバちゃんなんかは、『110円です』といえば110円払ってくれたけど、困るのはタクシーの運ちゃん。
缶ジュースなんて買い慣れているから、「コーラくれ」と言ったときには100円玉を差し出している。
『すみません、110円なんです』と言っても
「はぁ?コーラは100円だろ??」
『いや、氷代とかいろいろ掛かってますので』
「自動販売機だって電気代かかっても100円で売ってるじゃないか」
運ちゃんは簡単には110円出してくれませんでしたが、なんとか説明して分かってもらいました(^o^;)
他にも、お線香2束とローソクのセット、ライターなどお墓ならではの商品で、お参り前に入り口で買っていく客相手に大繁盛。
初日はベテランさんとコンビでの店番、お花が足りなくなったらスクーターで本部まで仕入れに行ったりしてましたが、二日目になるとお客さんが多くなり始めて、親方から「温泉君、テント増やすから手伝って」
親方に連れられて、霊園のほかの入口にもテント設営、そして「じゃぁ頼んだよ」って言われてひとりで任されました(^_^;)
お盆の数日で5万円くらい稼いで、勇んでバイク屋に行きましたが、人気のゼロハンスポーツは10万無いと買えないね(T_T)
ちょうど60キロ規制のおかげで、中古の規制前MBXなんかは超高値、人気無いからって規制車(新車)が買えるわけでもなく・・・
そこで見つけたのが
HONDA MB-50 白
MBX50の祖先だね。
空冷2サイクル、7.0馬力エンジン、5速ミッション。
これなら5万の予算で売ってくれるということで、買っちゃいました。
ヘルメットはなんでもイイからと言うとヤマハのフルフェイスをつけてくれた。
初めてのギヤ付きバイク、とても楽しい♪
でも、まだ慣れないからギヤ抜けしたり、エンストしたり(^_^;)
いちばん慣れなかったのは足ブレーキかな?
ある日、買って間もないMB-50でイトウ君の家に遊びに行って、近くを走っていたとき。
信号待ちから青発進したトラックを、イトウ君のリード50がビ~ンと追い越してゆく。
僕も置いていかれないように追いかけたら、トラックもだんたんスピードが上がってきて、煽られてきたところで、先行のイトウ君は左折。
ウソ!? 僕も減速して左折するはずが、足ブレーキに慣れていなくて、前輪ロック⇒転倒⇒路外に転落・・・
幸いにして田舎だったので路外と言ってもただの草むらだった。
だけど当時ノーヘルで(50ccだから)、かけていたサングラスは二つ折れ、鼻血がでてた(^o^;)
しかもコケタ時にバイクが自分の上を飛び越えていくのが見えて、バイクを路上に引き上げたら、フロントフォークが曲がって、コムスターホイールも折れていたorz
がっかりして、イトウ君の家までMB-50を押していった。
初めての事故だったけど、今思えば体は無事でよかったな。
そんな思い出のMB-50だったけど、空冷とはいえ60キロ規制もなく、85くらいは出たし、ギヤチェンジも楽しい。
僕が高校生の頃は、世の中がミニバイクレースブーム。
当時はモトチャンプ誌を買って、どのバイクがスピードが出るとか、どのバイクがカッコイイなどと友達と盛り上がっていました。
バイクレースのコーナーもあって、札幌スポーツランドというサーキットが載ってました。
実はこれ、ウチから近い山の中のカートコースみたいなサーキット。(今の石狩のSSLとは違うよ)
友達のヤスイ君が参戦するって言うので、応援に行きました。
スクータークラスでは初代JOGが圧倒的な速さで常勝パターン。
その後、HONDAが出してきたDJ-1、その名前は「
打倒_JOG_No.1」の略だとか・・・
速いスクーターはカッコイイけど、高校生にはイジルお金が無くて、パーツは買えないね(^_^;)
タイヤはバトラックスかプロファイヤが欲しい。
MB50にはバックステップを付けたかった。
当時はセパハンとバックステップが憧れのパーツで、マフラー交換とかスプロケなんていう方には目が行ってなかった。
今とはいじる方向が違うんだね、若さかなw
ヤスイ君はMBXでスポーツクラスに出場、僕はピットで構えてましたが、スプリントだから出番は無いんだけどねw
スタートは押しがけなんだけど、なかなかエンジンが掛からない(汗
どうした?!
どうやらキーがOFFになってたらしい(爆)
その後あっという間に追い抜いて、けっこう上位に入ってたなぁ。
あの頃はみんな2ストチャンバーでパリパリ言いながら、カストロールのニオイをふりまきながら走ってたね。
ヤスイ君は速かった(・∀・)イイ!
楽しかった高校生活も、三年生になると遊んでばかりもいられません。
お受験がありますので、バイク遊びもほどほどに、オベンキョがんばります(^_^;)
なんとか希望のガッコに受かったのですが、札幌の実家から120キロはなれたガッコだったので、お引越しです。
ビンボ学生生活のスタートでしたから、MB-50も大事なアシとして持っていきました。
学生寮だったので、先輩のバイクとツーリングに行ったりしました。
洞爺湖にテント張って一泊、翌日倶知安町まで行って、
北海道スピードパーク(HSP)でレース観戦。
HSPには僕の友達もけっこう走ってたんだよね~
ヤスイ君とかイトウ君も出てたかな?
実はもう閉鎖したらしくて、残念。
サーキットって、行くと音がすごいんだけど、やっぱり生の迫力がイイんだよね!
んで、先輩のバイクはGSX400とGSX250、僕がMB-50。
やっぱ空冷ゼロハンではついて行くのがつらい(^o^;)
中型免許くらいは取っておこうか。
家庭教師のバイトをして、生活費を稼ぎながら、MB-50 で教習所に通う。
教習車は
CBR400Kって、K?
教習専用モデルらしく、アップハンドルで、ギヤポジションとか前ブレーキ、後ろブレーキとか、全部表示灯がついてて、外から見ていてもぜんぶバレバレですw
原付で通ってるある日、ガス欠になってしまいチョット遅刻。
教官に話すと教習場のスタンドで給油してくれた。
そのとき教官が僕のMB-50を見て「なんだ?ガイコツみたいなバイクだなww」だってさ。
空冷50ccなんて、スカスカに見えるもんねw
その後、無事に中免取れたのですが、バイクを買うお金がない・・・
ビンボ学生なので。
しばらくしてMB-50も手放してしまって・・・・
次に2輪を買ったのは、結婚して自宅を持った時。
知り合いが不動車で所持してた
HONDA AX-1(250cc)を譲ってもらいました。
その後はけっこういじって遊んでましたね。
そのへんは、
HPにも書いてますので以下略。
今は
ゴリラと
DIOがいますが、ゴリラは不動車です(^o^;)
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