
聖羅です。
今日はなんちゃってライターで実話を綴ります(^-^)
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40歳に差し掛かった頃の小林悦郎は、1歳と9歳の息子と妻と
4人で暮らしていた。
元々やくざな生活ではあったが、家族や親戚、悪友とのつきあいは
社交的で賑やかだった。
競馬で大勝するとすすきので女に大判振る舞いでブイブイやっていた。
いわゆる彼女も絶えず3人はとっかえひっかえの怖いものなしだった時、
一回り以上も年下の「豊子」と知り合った。
彼女は東京で離婚をし3歳の娘と帰郷し
娘を母親に預け一人がむしゃらに働いていた。
母親とまだ幼い弟達の生活も彼女が面倒をみていた。
彼女と恋に落ちるのには時間はかからなかった。
今までの女達に彼女は自分で現金を持って手を切らせた。
当然妻のいる家にも押しかけもう二度と悦郎が帰れない状況にした。
そんな愛し方の強い豊子だ。
二人で暮らし始めた部屋は、豊子の幼い娘と母親の住んでいる近くにした。
その娘は悦郎のことを「寿司屋のおじちゃん」と呼んでいた。
妻が離婚に同意しないまま何年も豊子と暮らしていた。
豊子の娘が小学校5年生の頃「皆お父さんとお母さんと暮らしているのに
どうして私は近くに住んでるけど一緒に暮らせないの?」と
言ってきた言葉を期に、悦郎は新築のマンションを購入し
豊子と豊子の娘と3人暮らしを始めた。
そこから豊子は娘に悦郎のことを「お父さん」と呼ばせた。
息子しかしらない悦郎は「お父さん♪お父さん♪」と
なつく娘がかわいくてしょうがなかった。娘も3歳で父親を
なくし祖母に育てられいるわけだから「父親」を知らない子だ。
しかし、もっと彼女らを幸せにしてあげようと思い込む力が
偽造証書作成に走った。かなり儲かり高級マンションに
移り、外車を2台を乗り回す生活だった。
逮捕状が出たのは娘が中学2年になった時だった。
豊子に「すまん・・・俺は時効の7年間、逃げる」と伝え
偽名を使った逃亡生活が本州で始まった。
豊子と籍を入れていなくてよかったと思った。
残された豊子と娘のマンションには警察が遠慮なく入り込み
家具には「差し押さえ」の紙が貼られた。
中学2年の娘はその突然の風景、出来事をどう感じたことか・・・
豊子は「藤壮」というアパートに娘と引越し、
飲食店を経営しやはり自分の母親や弟達に仕送りを続けた。
そこの飲食店で知り合った個人経営の社長と付き合い時々
娘が寝ている藤壮にこっそり連れてきて逢瀬を過ごしたりしていた。
そんな数年が経ち、その社長の会社が倒産、
また豊子は男のために借金返済のためがむしゃらに働く。
気がついたら、まったく干渉なく放任していた娘が
妊娠し結婚することになりそれを期に豊子は男と籍をいれた。
誰も気がつかず悦郎の逃亡生活は8年が過ぎていた。
悦郎は時効の7年が済んだあと東京板橋にマンションを借り
家政婦を雇い女と暮らしていた。金に不自由はなかった。
しかしすべて尻拭いをさせた豊子と中学生だった娘が気になって
リサーチしたところ豊子は再婚・娘も結婚していたことを知った。
それからさらに1年後、やはり故郷札幌に悦郎は帰った。
円山で高級マンションを借りた。
娘の連絡先もリサーチしていたのでおそるおそる連絡してみると
「お父さん!今すぐ行く!どこに行けばいい?」と10年ぶりの娘の発した言葉に
涙がこみあげて苦しかった。
それから娘とまたつきあえるようになった。
しかし糖尿病を患い悦郎は男としてのそれを失っていた。
それと同時に女も居なくなった。
喉に異物を感じる、声がかすれてきた。
ほとんど声が出なくなったときようやく病院へ訪れた
「この異物を取ってくれないかな?声が掠れてかっこう悪いんだよ」
検査入院となり医者は
「とても難しい手術になるので家族を呼んでください」と話した
悦郎は、家族という言葉にしばし悩んだが、
息子夫婦たちがいる。
息子達が来て医者と話したようで悦郎に息子達が伝えたことは
やはり「難しい手術になるからしない方がいいって」とのこと。
あ、、もう手の施しようがないということだと
心の中で察知した。喉頭がんか?
自分の状態を自分の本当の娘ではないが娘には
知らせないで欲しいと伝えた。
しかし連絡がとれなくなった娘は心配して探す。
病名は知らされていなかったが入院してることを知り
幼い子供を連れて悦郎の前に現れた。
娘には逢うたび何万円もこずかいを渡し金持ちの自分を
現していた悦郎にとっては、今回の見舞いの帰りに
3万くらい「ありがとう」と渡したいところだが、、、
悦郎にはもう一銭も所持金はなかった。
それどころか娘から「お見舞い」と書いた現金を
もらうことになる。それがどれだけ助かったことか・・
思わず「助かったよ」と情けない言葉を発してしまった。
「お父さん、年越しも病院?」と聞く彼女に
「いや、外泊して息子夫婦のところで過ごすよ」と
心配かけたくない一心で伝えると娘はにこっと笑って
安堵な表情だった。
そして一厘の花を娘は牛乳瓶を洗って飾っていってくれた。
エレベータまで実は起き上がること自体辛かったが無理して元気を装い
彼女を送った。「また、くるからね!」の言葉にじーんときた。
それからすぐ病院から「大晦日はどうします?」と聞かれた。
何もない・・しかしなんの美徳なのか・・
「息子夫婦に年越しを一緒にしようと言われているので
外泊の手続きをしてください」と言った。
外泊するその日、掃除員が、娘がもってきてくれていた一輪挿しを
「枯れているから捨てますね」と触った瞬間
「触るな!」と、
いつも穏やかな悦郎がかすれた声で怒鳴った。
病室にいた看護師が慌ててその場を和ませたとき
「いやぁ申し訳ない。娘がまた来てくれたときに、新しい花を
飾ってくれるからそれまでこれは取っておきたくね・・・」と
そしてもやは車椅子を使用しなければ歩けないほどの
衰えだった。
タクシーを呼んでもらい自分のマンションにひとりで帰った。
当然誰もいない。食べるものさえない。
もう悦郎は疲れていた。
布団に横たわるとそこから一歩も動かなかった。
トイレにも行けなかった。
自分の輝かしかった人生を振り返っただろう・・・
そして今、自分は誰にも助けを求められず
このまま・・・
悦郎の息子から悦郎の「死」を娘は知らされた
奇遇にも悦郎と同じ8月15日生まれの豊子の娘は
何もしてあげれなかった。最後は孤独死に至らせたしまった
後悔に号泣した。
通夜・告別式は悦郎の息子二人と豊子の娘聖羅と聖羅の娘の
4人だった。
腐敗していた孤独死の姿はミイラのように全身包帯で巻かれていて
顔すら拝むことができなかった。
そのミイラの包帯の顔を
撫ぜながら
「お父さん。。ごめんね。。。」と
嗚咽で泣き崩れた豊子の娘聖羅だった。
一輪挿し・・