或る女優が、自分の体験から親にはならない=子どもを産まないこ告白したようだが
「有名人の発言」は大なり小なり社会に広く伝播するおのだ。
僕も、自分や自分の親、それ以上のご先祖、その他親類、生活環境が嫌いで、
「自分の遺伝子は残さない」
ならば、
「婚姻する必要も無い」
ならば、
「恋愛も必要ない」
ならば、
「自立する必要もなければ、生きる必要も無い。長生きも無用」
しかし
「長生きも無用だが、生きない理由にも不十分」
何か間違って
「恋愛しても、結婚しても、子どもは産まない」
だから、
「セックスは必要ない」
しかし、
「パートナーが求めるのならば、それは仕方ない」
でも、
「避妊はしたくない」 (不自然だから)
(どう不自然か? セックスは交尾、交尾は子孫を残すためのもの。
妊娠を否定したセックスも否定される9(だって『論理的矛盾』だから。
端的に言えば、快楽目的のセックス、性的欲求を満たすだけのセックスというものは僕の辞書には無いから)
(セックス=妊娠・出産=結婚なわけ。極めて『古典的』)
だから、
「それもセックスをパートナーが求めるというなら、異性間の付き合いに必要というなら
不妊者を求める」
それでも、
「パートナーが子どもまでもほしがるというのなら、里親になる」
そんなこんなで、
いくら自分が嫌いで、遺伝子を残したくないとか、切り離せない人間関係が嫌で
その中に新たな構成員を迎えるのが嫌だといっても、
自然、そう性的欲求もあるだろうし、人間としての心の交流を求める欲求もあるだろうから、
パートナーを得ないこともなく、子も得ないことも無い。
まして、人間観察を行ううえでも、自分の人格を形成することに(良くも悪くも寄与した)教育とは何か
を考えるべく、「教育学」をはじめとして人文科学に手を澄めた。
それで、何がどうしたか、一子を得て、また一人手で育てているんだが、それらの学習で得られたものは
むすめの教育に大きく寄与していると思う。
ただ、その僕の努力を台無しにするのが、はやり「旧勢力」
口を挟むな、茶々を入れるな、と・・・
何が言いたいか。
女優は、「親になりたくない」といっている。
もし、間違って妊娠したときは、どうしたのだろう?
そして、親になりたくない、と思ったとして、人生を生きる上で、その「葛藤をどのように昇華したのか」
これを、広く世間に講じてほしかった。
なにしろ、「有名」というだけで、どんなくだらないことでも、マスコミは取り上げるのだから。
その影響力を利用して、「よきこと」を広めて欲しいものだ。
「女性の妊娠・出産の可否」だとか「少子化問題と女性の主体性の葛藤」という次元の
まだ上を行ってほしかったと思うのだ。
Posted at 2016/02/28 09:11:02 | |
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