詳しい人がいるものです。
内着に女性の付け下げと訪問着のお古をオクで手に入れていますが
これは細帯で絞めています。
昨夜はひときわ寒かったので、付け下げと訪問着を二重にしました。
綿入れでないと寒いんだなあ。
この先、あと2枚は着ないと真冬を越えられないような気がします。
4単衣ということになりますね(下にTシャツとトレーナーを着ていますが)
外出時は、半襦袢(+Tシャツ)、襦袢(2枚?)、袷、羽織り となるので
5単衣となりますね。
小氷河期の平安時代なら12枚重ねてもそれでも寒かったかもしれませんね。
さて、以下はおんなきものの帯に関する記述。
詳しい人がいるものです。
なので、細帯であろうが、男帯であろうが、半幅帯であろうが、
何でもいいんです。
私なんぞは着物の着方なんぞ、崩れて形無しになっているではないかと思うので、
好きなように着ればいいではないかと思うのです。
(紋付袴と振袖、留袖は例外)
安土桃山時代は細帯でした。今の男性の角帯くらいの太さで長さもそう長くはありません。
それ以前は紐だけです。
十二単は帯をしません。紐一本だけです。一番下に着ているものに細い帯を結び、どんどん着ていきます。
一枚着るごとに前の紐を外して、次の物を着ます。よって、脱ぐのは簡単なんです。
着物の丈自体が対丈といってくるぶしまでの長さしかありませんでしたので、おはしょりもしませんでした。
その後に、御公家様が着ていた長い着物を一般庶民も着るようになり、たくし上げておくために腰ひもを使うようになり、その後に帯で綺麗に着飾る時代が来ます。
采女(天皇に奉仕する女性)衣装がこの十二単をもっと豪華にしたものです。
おびの文化はまだまだです。
この着物を細くして帯にしたということもあったようです。
お太鼓は、駒形橋が出来た時に深川の芸者が考案した結び方です。黒羽織を着るのもこの深川芸者の正装でした。
当時は女性を「酒の奉仕の為」に雇うことを禁じられていたので「奴」という名前をつけて「男羽織」を着せてごまかしたのが由来です。
それまでは文庫結びというよりも一文字という結び方です。帯揚げ帯締めは使いません。
いいところのお嬢様や奥様だと文庫になります。また華やかに結ぶ場合は文庫にしました。場所や用事によって変えていたのです。
町人は金襴・緞子を買えないので、角帯を今の半幅帯と同じように使い、結んでいました。長さもないものです。
大奥では「縦矢結び」です。だらりの帯だと機敏に動けないためです。徳川時代になる少し前から太く長い帯が考案されました。まだ、大名の奥方か姫あたりが締めていました。それでも、だらりむすびです。何もやる必要がないからで、今の、着物にあたる「小袖」という着物の上に帯をしめ、打掛を羽織ります。これが「お引きずり」と呼ばれる裾に綿が入っているものです。今では花嫁と芸者・芸妓・舞妓さんしか着ません。日本舞踊や歌舞伎、能楽でも使いますが、少数ですね。
位がしたになるほど、簡素になるのはどこの文化でも同じで、お下がりは綿を抜き普通に端折って着ていました。
前結びは吉原などの「遊女」が締めた締め方です。
これは早くに逃げ出さないようにというためです。走れませんものね・・・・。
丸帯とは全体を円で織っていくもので、両方に柄が出来ます。金襴緞子というのはここから来ています。
袋帯は表裏と別に織り、二つを合わせて縫ったもの。
京袋帯は名古屋帯の長さしかありませんが一重太鼓しか出来ない長さの物。
現代では430センチ以上の物が袋帯として織られている長さになります。
名古屋帯については諸説ありますが、やはり名古屋女子学校の教諭が締めやすくするために最初から手先部分を折りかがっておく方法にしたとの説が有力です。
昼夜帯は、引き抜き帯とも呼ばれ、本当に引き抜いてしまうと柄が出ないのですが、一部分だけ柄が出るように町人が工夫して織ってもらった帯です。おびの一部にだけ柄があり、他は無地です。一部分だけでもお洒落をしたかったのでしょうね。
その後に、今の「全通」などが生まれました。
ほとんどは六通といって、六回柄が繰り返されているもので、そのほかは無地、そして腹に来る部分と手先だけに柄がでるようにして織ったものです。
昼夜帯だと無地部分が多いので、町人に人気でした。安いからです。今残っているのはほとんどが織の帯で、染帯は傷みやすかったり汚れてしまったりするので、あまり残されてはいません。
ちなみに、御止め柄や献上柄というのは、殿様に差し上げたものを町人が使用する際に「高価なものですよ」という意味合いで使われました。今でいうところのブランド品か皇室献上に似ていますね。
献上柄は博多帯に残っっています。
御止め柄は江戸小紋などに残されています。
織とずっと使って回答をしてきましたが、着物は本来は「織り」が先で、染が後です。
友禅柄などはずっとあとに出来たものではなく、桃山時代からありました。
当時の絵から小袖見本として現代にも残されています。
国技館横の日本文化館にいくとみることが出来ます。
帯の話、その結び方だけでも本一冊になりますから・・・・・この辺で失礼いたします。
参考になれば幸いです。
是非、着物を気軽に着てみてくださいね。
Posted at 2014/10/19 14:45:50 | |
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