2018年05月13日
職場でも、同年代の子供をも育てる親は幾らか存在する。
しかし、彼らとは特段そのことについて話をしない。
話が合わないのは目に見えているから。
私は、子供時代に施された教育方法が間違っていると考え、
万が一にも自分が親になったときには(というのも、吃音や高学力に対する修理の不理解や、
私の意思を無視した過度の期待によって、人生は終わったもの、その言葉通り、自殺が私にふさわしいものだ、少なくとも私の遺伝子は私の世代で終わりとし、未来に残すべきではないと考えていたのだから)
正しく子供を導けるように、教育理論をかじっておこうと考えた。
多くの親が、まったく教育理論に無関心で、何を元に子育てをしているのか、まったく理解不能ななかで、
私は、この世を生き抜く基本的な能力を身につけるようにと、子供に接している。
子どもの発達に応じたものを選んで子供に施している。
赤ん坊にふさわしいおもちゃは、親が喜ぶものではなくて、彼らが理解できる範疇で、
そして何より一番に考えなければならないのは、安全である。大人ほどの理解力などはない。
視力自体が不確定で(目が悪いとかではなく、光を十分に受けるだけの網膜の発達や伝達する視神経、
理解する脳の発達・・・そんなことを考えれば、触覚に頼る彼らの行動、触覚といえども手指の動作は未発達、同じく感覚能力の未発達を考えれば、
本来、口唇や舌、頬粘膜だけが、乳首を咥えるという、唯一の生命維持行動だけが突出して
発達してるのだという、赤ん坊に対する理解ができていれば、
彼らが何でもかんでも、手にしたものは口に運んで、それがどういったものかを理解する
唯一といっていい手段であるということを、理解しない大人がどれほど多いということを
私は嘆く。
自分が送ってきた時代のことをすっかり忘れているようでは、自分の遺伝子を残すことは怪しいものだ
にもかかわらず、多くの親はそうしたことに目も向けず、たとえばスマホを遊び道具にしたりする。
何を目的として、結果はどうなるのか、子どもは何を受け取るだろうか、子どもの「畑」に何の種を受けることになるのか、
考えもしない大人がどれほどいるのか。
戦前の軍国主義教育が廃絶されて、そしてそののちに世間に蔓延った教育法とは何か?
人の親は、それを語ることができるのか?
私は子どもの自立、いや自律を主眼においている。これは親の自由の確保のためでもある。
子どもが独り立ちできれば、親も自由になるからである。もちろん、子どもも自分の意志で
自由に行動ができるのだ。
私のむすめは、またひとり大阪市立美術館に行ってきた。
天王寺あたりはややこしいところがあるので、あまりほっつき歩かないで、
行っても茶臼山くらいにしておけと(真田の碑があるので。決して徳川の碑はない。それが大阪のだから。大阪城を丸裸にして火あぶりにしたした恨みは晴れないものだよ。最近は大阪人も馬鹿になって江戸や徳川に対する恨みを忘れているのだが。その気概が大阪人を元気付けていたはずなのに)
てんしばではイベントがあったらしく、色々見てきたようだ。お昼は何にするのかと思ったら、
案の定、天王寺の駅そばだった。ほんと久しぶりだよね。閉店の22時までに天王寺に降り立つことはないからね最近は。
その間、僕は自由。そう自由だったな。
大人の時間を過ごすことになった。
愛車紹介にあるC70の整備をと考えたが、むすめがいないとできないこともあるので、
日日の買い物を済ませたり、色々用事で穴埋めをしておいた。
東京の美術館、博物館もなかなか数が多くて見切れないが、近畿だって、
あちこちに散らばってある。
いま東京で開催されている、横山大観の展覧会は、次に京都に巡回してくるので、
どうやらそれを見に行くようだ。それはお父さんだって見たいが、
おとうさんは、自由をそれに使わず、別の自由に使うつもりだよ。
もう私たち親子は、別々の道を歩こうとしている。
むすめは歴史や文化を愛している。人工よりも自然を愛している。
自分の内なる自然と対話して、自分の進む道を選び取るといい。
お前の人生に対して、私はなんらの責任を取るつもりはないからね。
どうだいむすめよ。もう、他の同級生なんか、子どもに見えてしかたないだろう。
幼稚すぎるだろう。
お前は、既に新聞を読むし、国会中継を楽しむし。
むすめよ、君は正しい。
残念なことに多数のほうが間違っているんだ。
だから、日本など飛び出してしまえ!
日本を変えるには一生かかっても・・・
日本人の多くは未だに「中学生の精神能力」なのだよ。
おおいに悲しめ。悲しむべきだ。
Posted at 2018/05/13 01:56:33 | |
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わたしがおしえてあげるわよ | 日記
2018年05月13日
人間とは、よほど楽天的に作られているらしい。
そうでなければ、わざわざ苦労ばかりする、特に死の恐怖に耐えられない
よわ~い精神を持ち合わせながら、この世に生まれてくるのだから、
それはよほど、不都合な事実には目を背けながら、知らぬ存ぜぬを決めてかかれるような、
図太い神経がなければ、人生の早い時点で神経を病むか、自殺しているのが落ちである。
賢ければ賢いほど、そうなるものだろう。
一つ前のブログでまったくいいねがつかないというのは、
そうした人間の特性、不都合な真実には目を隠すという、無意識的拒否態度が現れたものだと思われるんだな。
人間とは本当に神が創ったものではなく、冥王が作ったものとしか思えないもだが。
皆さんはどう思われるか?
わたしは、プラトンほどではないが、イデアを求めようとしたことがあるのだ。
そうのような行為をした人は少ないのだろうな。
うちに抱えた矛盾とか、二律背反の事象とかを、背負いながら生きた人(特に実在する、現存するものに)に出会ったことは本当に少ないものだ。
原理は分からないのに、何かしら快楽を与えてくれるものを
手に入れて、やんややんやと喜んでいるだけの、車道楽の戯言のようにしか見えないのが
みんからブログの類であるが、
みなさんはどう思われるかな?
Posted at 2018/05/13 01:01:22 | |
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車一般 | 日記