2018年11月03日
「これじゃあ、授業つぶしですよ。おとうさん!」
担任が静止をする。
そんなこと知るものか。この50分。高が知れた授業。どれほどの生徒がまともに授業を聞いているというのか!
『お前ら! お前ら全員が加害者なんだよ。 先生!お前もだ! みんな揃って犯罪者だ!』
父親は教卓を拳で叩く。
『いいか、所詮人間なんてものは他人の気持ちなど理解できないものだ。
反省? そんなもの口ではいくらでも言える。 しかし行動が伴うのか? 笑っちまうよ』
『教育? そんなものに何の効果があるんだ? この中に善人もいるだろうが、ほんの一握り。
お前らの心の中に善性もあるだろうが、ほとんどは独善、自分がよければいいってものだ』
生徒はうつむいてただ聞いている。いや、聞いているふりをしているだけだ。
「うっとうしいおやじだ。お前の娘は「嫌」と一言も意思表示もしなかったじゃあないか。
もし担任とか訴えたとしても、所詮事なかれ主義の学校だし、社会だし、誰かが犠牲になって
うまく回って入ればいいだけのこと。死ぬなんて「ばか」のすることだよ。家に引きこもって
転校でもしてればいいんだ。
ま、このおやじのおかげで授業が吹っ飛んでラッキーだな。な、みんな、そうだろ」
『おい! お前! 聞いているのか!? 何を薄ら笑いしている!』
『いじめられたものの気持ちはいじめられたことのあるものにしか分かるものか。
想像力のないやつらに人の気持ちを考えろといたところで無駄なことだ』
『だから俺が教えてやるよ! お前ら全員、やってやるよ!』
父親は教室の扉の鍵をかけて、誰も出られなく、また入られなくした。
担任こそ、一瞬たじろいだが、生徒は誰も危機を感じていない。
『おれはここに鬱憤を晴らしに来たのではない。この事件が報じられて、この国のいじめられっ子と
その保護者のカタルシスになるつもりもない!』
『ただ俺は、娘の不安と恐怖と厭離の感情に気づけなかった自分が悔しいのだ!
俺は娘の供養に何ができるか来る日も来る日も考えた。学校も教育委員会も、加害者のやつらも
傍観者のお前らも! 何も許せるものはない!』
『お前らは全員、人一人の人生を狂わせた。狂わせたやつらが、のうのうと生きている。
何事もなかったかのようにいい大学に入っていい就職を得るだろう。 この違いは何だ!』
『俺は到底受け入れられない!』
この先どういう展開にしましょうか?
まケーサツ呼んで、ぶち破られて、逮捕ってことで。
あ、現実過ぎますね。
せっかくの、空想世界だったのに。
いじめだけではありません。
公害問題も、米軍基地も、植民地主義も(ほらほら外国人労働者がたんとたんと入って来ますよ。
人権国家日本、準備はいいですか?
(ほとんど苦笑ですわ)
繰り返される日本企業のごまかし報道。
「正義」を振りかざす内部告発者をぶった切る「会社の正義」
(嘲笑ですね)
文明の末期。人間は生きる価値を失うのですね。
すべては、AIの知性の中に書き込んでおいて、次の「まともな知性の時代」にまで引き継ぐことにしましょう。
知識人はその作業にこそ取り掛かるべきです。
何とかして「知性」を「知性」そのままに伝承するのは不可能です。
大衆に受け入れる形にしたところで、もう「知性」は破壊されています。
影でしかありません。その次には影もなくなってしまいます。
それを悲しんで西部邁氏のように死んではならない(でも、僕も80過ぎると自殺するエネルギーがないだろうから、それまでに自殺するなら自殺しないといけない。そういう心積もりもある。死に方を考えてこそ生き方が決まるのだよ。これでもフランスでは「さむらい」で通っている。日本人に話をすると皆が笑うのだが、そりゃあ腑抜けた日本人には到底わからないことだよ。諦めてる)
ローマが滅びるとき古代ギリシャから受け継いだその知性はアラブ世界に受け渡されました。
21世紀。西欧文明が滅ぶとき、その知性はAIの中に保存するのがふさわしい。
つくづくそう思うのです。
Posted at 2018/11/04 00:10:32 | |
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2018年11月03日
10月の娘の授業参観のあとの懇談会でアジった件の続き
担任の「運動会、合宿と続き、子供たちは疲労していないか」
から
「我が家は毎週末、登山に美術館巡り、疲労なんて」
「先生こそブラック労働で」
そして
「そもそも学校や先生は、子供たちの教育の目標をどこに置くのか、
理想の人間、理想の社会とは何か」
という問いかけ、
それを聞いていた母親3人のうちの2人がこそこそ耳打ちしながら退席、というところまで前項で書いた。
その続き。
退席した母親たちに「帰るんですか? 戻ってきます? 来ないでしょう・・・。
(僕の話だけでなく先生の話も)聞かないの? (兄弟のところへ行く人もいるけどね・・・)」
「世の中には弁護士資格を持ちながら教員免許を持つ人がいるんですね。
NHKのスクールロイヤーのドラマはよかったですよ。教育現場が法律の則らないなんて
おかしなことですよね。学校っておかしなところですよ。」
もう一人の母親も、もぞもぞし出した。1分もしないだろう。果たして、立ち去った。
「聞きたくない? ご意見あればどうぞ。」
これで、とうとう担任と二人きりになってしまった。
「先生、申し訳ありません。懇談会を潰してしまいました。先生が話すところを、僕が奪ってしまって。
それにしても、彼女たちは何かいうところがなかったんでしょうか。僕の話を静止してよい。
意見してよい。もっとはっきり意見を述べるべきだと思うけれど」
まだまだアジテーションは続きますけれど、これも
授業参観の授業がくだらないネット社会のいじめを取り上げた道徳の授業だったらからです。
「ネットの書き込みでいじめることについて」
担任がファシリテーターとなって、おしゃべりな生徒だけにしゃべらせるやつですよ。
おしゃべりなやつに「黙んなさい。他の人にも発言する権利や機会があるはずです」
なんて一言もなく進める道徳の授業って何だ?
最後に「ケーサツに相談して書き込み削除、生徒と保護者は謝罪」
「しかし被害生徒は学校に行きたくない」と。
さて被害者の心情はいかに? どう対応すべきか?
結局、コミュニティを変えないと、人間関係を刷新しないとどうしようもないので
(加害者生徒の態度に変化・・・この時代期待できますか? 本気の反省なんて誰にもない!)
被害者生徒が転校するってやつ。
まさに生徒の答えも「死ねばいい」。
エスケープゴート事件、今世紀後半、ものごつういですよ。予言しときますね。
さて、話はまだまだ続きます。
当然ですとも!
Posted at 2018/11/03 23:36:19 | |
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