2020年11月23日
今年の紅葉は、早くに冷えたので
早くに始まり、途中気温が上ったので、長く続いた。
その結果、矢は苦に色づいた葉は既に堕ち、
反対に、まだ色づかない葉もあった。
奈良公園はそういう状態だった。
その感動を共感できないのは空しかったので、
娘に写真を見せた。
そういうことで、人生もまた、一人ではつまらないものだ。
しかし、僕は伴侶を見つけらないでいる。
たくさん求めすぎているのだろう。
Posted at 2020/11/23 02:19:41 | |
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ドメスティック遍路 | 日記
2020年11月23日
東大寺二月堂。
お水取りの。
これを娘の小学校は通信に、「お水取りで有名な三月堂」と写真の解説に書いてあったので、
このずれを指摘した。法華堂=三月堂
舞台があるのが二月堂。
観覧する広場があるのは三月堂の前だが、仏事は二月堂で行われる。
田舎の学校の先生は、この程度だな、しかしまだ小学校の先生は気はよかったな。
そう考えながら散策。二月堂の裏手から登る階段がある。
一組の老カップルに出会ったくらいで、誰もやってこない。
不動堂のある方向であるが、そちらからも誰も来ない。
そういう辺鄙な場所の奥に谷間があって、ぽつんと一軒家がある。
そこは、境内の地図にも書かれている、なんとか地蔵 のある場所で
四辻になっている。さらに登る道がある。
ぶなの黄色い落ち葉が当たり一面にしかれている。
葉のない枝の間から心地よい午後の日差しが差す。
登ろう。水道局の貯水池の工事中とある。
それなら道があるはずだ。
赤い楓も見える。
途中、ちょうどいい高さに、蔓が輪を作っていた。
首をかける。僕には低すぎた。
しかし、面白いなと思った。
工事現場の目印か?
自殺するなら、どういう手を使うか。
首を絞める。やっぱり自力では無理だとわかる。
薬物? 一酸化炭素?
何かにぶつかるというのがいいか。一瞬で脳震盪を起こして、その先記憶と意識なく、一瞬で・・・。
傘を差して舞えば見えない状態で電柱にぶつかった2年前を思い出してみる。
突然の衝撃に、理解するまもなく倒れたな。
顔面だけ(頭だけ)を強打したのだが、さて全身となるとどうだろうか。
御巣鷹山などを想像してもみる。助かった人はどうだっただろう。
何も2名だけが生き残ったのではない。多くの人が救助を待てずに絶命したはずだ。
そうした人たちは、どのような苦しみを感じただろうか。暗闇の中で。
暗闇。
何かにぶつかるにしても、目に見えていると恐怖が高まるだろう。
何かに包まれよう。全身。そのほうが、そのあとの「処理」しやすいだろう。
何に包まれるか。
トリコロールの布。それがいい。人生最後、フランスに包まれよう。
自由こそ、わが人生に欠けていたもの!
そういえば、ギロチンの際には、処刑者の不安を和らげるために
(ギロチン自体が、人権に則った最良の死刑、処刑の方法と考えられ、考案された代物だったな)
頭に袋をかぶせたな。
それはいいかもしれないが、
首が折れるというのは、想像だにするに恐ろしい。
全身で受け止める?
脳天直下にする?
いやあ、睡眠剤を飲んで、練炭火鉢だろうか。
酩酊の後、転落か?
太宰のように相棒を探すか?
女にするか?
ここくらいにしよう。
思考の過程を明らかにしたものを
書きすぎると削除されよう。
なら旅の前半は楽しかったなあ。
住職や園長さん、寺男。かきすがの女将。
楽しく話ができた。
娘と二人きり。
田舎の病院。
足りないのが、大人の会話。
政治経済を話せる、外人先生もいなくなった。
(外国の文化のいいところは、普通にそういう会話ができること。
日本人にはできないこと)
(政治と宗教は会話から外せ、といわれるが、理性が十分にあれば、
そういうネタで話をしても、ぜんぜん問題は称しないということを
日本人は学ばない。
なぜなら、日本人は所詮極東の思想で、世の中には答えはひとつしかない、
と考えているからだろう。
自分と反対の意見を言う人がいて、それも同じだけ存在理由がある、価値がある
と知らないからだ。
ああ、やだやだ。
僕は心広く、世間は心狭く。
日本社会では、心広い人は損をするので、ますます狭い人間が増えるばかりだ。
つまらないものばかり流行るなあ。
TVも見なくなったが、ようつべも、もう飽きてきた。
同じことの繰り返し。
それでも再生回数を稼げるだなんて。
あんなの宝くじのようなものだ。
額に汗水して稼ぐほうが、精神にも肉体にもいいことだな。
最終、女衒まがいで、再生回数を増やすのが堕ちだしな。
あれで、60まで再生回数を取れるのだろうか。
早期リタイヤを考えているのだろうか。
広告主って、ばか?
あんな広告が、儲かっているということなのだろう。
ようつべ。
ほとんど~~な人のためのツール。
そう思うと、なんだか。
いっそ、中世のほうが、たくさん後世に残ることをやっていたなと思う。
大衆に富を分け与えた結果、何も残らない
シロアリの大群のように木をむさぼって、破壊しては
次の木に移るみたいなことばかりで、
何の生産なのか。
ここまで急速に、阿呆社会になるとまで
考えていなかった。
女は見た目が泣ければ生き残れないだろう。
男は金がないと生き残れないだろう。
ただそれだけの時代になったような気がする。
Posted at 2020/11/23 00:40:57 | |
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コロナ | 日記
2020年11月23日
500/7800000=0.06%。
これが現在の大阪の、コロナにかかりながら外出している人口比率である。
1万人に6人がコロナと判定されるのである。
10万人に60人。
ちょっと奇病、という状態である。
10万人に一桁なら、普通「稀な病気」といわれるであろう。
しかも致死率は低い。
そういうコロナの感染をみんなはどう考えているのだろう。
インフルエンザの罹患率と比べて欲しい。
ほんとうに、見えない敵に怯えているのだということを。
大丈夫か?
自分で調べているのか?
致死率が100%なら、僕も驚くよ。ほんと。
50%でも、これはやばい病気だな、と思う。
感染対策をしなければ、簡単にかかる風邪だもの。
たかが風邪なのに、半分の死ぬんだ、なんてことになったら、驚くよ。
しっかりと感染対策をしなければ。
しかし、実際はある程度の感染対策もあって
(間違った感染対策もあって、(的外れ。過剰というよりも的外れ。効果のないことをしていたり、足らないことをしていたり)
この数字になっている。
田舎なら、もっと確率が低い。
で、わかっている原因を見れば明らかに、
「会食」と「自宅」「職場」でクラスターが発生しているのだ。
市中に出かけて、三密にいて、もらう。
それを家庭と職場でばらまく、こういう構図だ。
「コロナが心配ならば、でかけなければいい」
これを普通の声でいった。
「感染というものをわかっていない」
そう電車は、窓を開けているので、お外と同じに近いということを。
病院でも、マスクをしていれば15分以下の患者との接触は
濃厚接触とはみなさない、のであるから
電車の短時間乗車なら、濃厚接触にはならない。
まあ、マスコミは事実を伝えない。
不安を煽って数字を稼ぐだけ。
今年はインフルは流行らないだろう。
そういう医者もいる。僕もそう思う。
これだけ感染対策していれば、インフルは流行らないだろう。
なのに、予防接種だ~!と騒ぐ、政府とマスコミ。
インフルが流行る原因は?
心配する医者もいるが、科学的に言えば、感染症は押さえ込まれているはずだ。
不思議だなあ。
法律を知らない法治国家の国民にも、もう飽き飽きしてきたが
(こちらから、おさらばする以外に方法がないとわかっているが)
感染症や感染対策を自己学習もしないで、ただ人を貶めればそれでいいと思っているやからも(実際に行動はしないけれど、心の中でそう思っている人間も含めて)いて。
僕だって、第三波という数字に「いらだつ」よりも「あきれ」ている。
なぜ感染拡大するのか?
旅行のせいか?
せい、はある。
大仏殿前では、小学生の修学旅行だけでなく、
たかだか大仏を見るために、密に行列を組んでやってくる高齢者がほとんどだが、若者もいる集団を見かけた。
これか。gotoで感染する人たちというのは。
ツアー旅行の道中、1日中顔を突き合わせ、密室のバスに乗る。
こんなことできない。できるはずもない。
他人との接触は、極短時間に終えるべきだ。
15分以下なら濃厚接触にはならない。
この取り扱いを知らないのだ。
15分以上接しない。この基準をマスコミは報道しない。
Posted at 2020/11/23 00:15:37 | |
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コロナ | 日記
2020年11月23日
ノーマスクで咳き込んだときの反応をまとめれば、面白い人間観察になるのではないかということを。
これを実験するときは、PCRなどをして陰性であることを証明しておかないと、
煩いことになりそうだなとも考えた(へずまりゅうのようにはなりたくない)。
それにしても、咳=コロナ感染とは
いかにも短絡的な発想だ。
ここで咳をする人間に優しく声をかけられる人間は、
死後に、極楽か天国に行ける可能性が高いはずだが、
だ~れもそうはしない。
現代人には、もはや過去も未来もないので、そうした考えにすら至らないのだろう。
咳き込む。朝の近鉄の小学生のように立てばいい。これが穏便な行動か。
優しい人は、声をかければいい。
折ざまに逃げるようにして、暴言と暴力で対応するのは、間違いだ。
ノーマスク=感染 でもなけれは、
咳=感染でもない。
岸和田を出て人が入れ替わった。
左には相変わらず人がいるが、顔を左に背けている。
右側2席は空席となった。
前には、新たに若者3人が座り、マスクはしているが大声で話している。
これはどうだろうか?
こういう例は、いつも人が少ない最終便を狙っているが、毎回出会うのである。
今回は違うが、集団の酔っ払い。これは、危険だな、と思うが、そのままにしている。
マスクなしで静かにしている個人と、
マスクをしているが、大声で話す集団。
どちらがリスクがあるか。
しかし、まあ酔っ払いの男性集団に文句を言う人はいないだろうな。
後が怖いだろうからな。コロナよりも恐ろしい結果が見えているだろうから。
そういう意味では、僕は「よわっちい」と見られたのであろうとも考える。
しかし、折際というのも、これもまた、相手の弱さであろうとも考えた。
Posted at 2020/11/23 00:14:26 | |
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コロナ | 日記