ぼちぼち次を書こう、ルソーの文明論について書こうとしたところ、ちょうどいい記事をネットで見つけた。
まさに文明こそ、人間の不幸である。人類の不幸の始まりである。
セックスのしすぎ、それとその人口増加を支える食糧増産の不幸。
どんどん人口を増やして、社会の発展と人間の社会的淘汰が始まった。
ルソーは言う。
「仮に、一人の人間が一生のうちにいろいろと発明をしても、自然状態では、それは彼一代で
消滅した。人類は何世代も世代を交代して、種としてはずっと年老いたけれど、
人間個人は、いつも赤ん坊だった」
すなわち、自然状態では、人間個人が見出したものは、社会がないので、次世代に引き継がれず、
常に一から始まるという人生であった。
今の社会のように、世襲の意味がないから、相続だの、親の七光りだの、お家柄なんて
無意味であった。だからこそ、「平等」だったのだ。
出発地点で平等。人生の始まりにおいて、平等。そしてこの世から去るときは、
彼生涯をかけて築いたものも、その人間と共に消え去るのだ。
これこそ「平等の条件」である。 現実の社会でも、イスラエルのように、幼少期から子どもを
親から離して育てることや、また相続というものを一切認めなければ、
平等を築くことができるというものを。
なぜ親から子へ相続することを認めるのか? これは議論してよいことである。「自明のこと」
ではないのだから。
(王権の世襲だけではないのだよ、不平等の原因は)
さて、ルソーは、人間個体の増加と「憐れみの感情」による社会の形成によって「不平等」が生まれたとする。
歴史に記述されるように、人類は、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と経てきた。
これらの道具は、農業革命と、隣人の殺戮とその財産の収奪のために用いられた。
全く人類は、農業革命後、現代に至るまで、「経済」と「戦争」に縛られているのである。
この「より安定的な生産活動」こそ、蓄財の根拠となり、その蓄財は「所有」の概念を生じ、
ずるがしこく、力強いものは、隣の部族の財産を「力」で奪い取っていったのである。
なんという「不平等」
昨日までの、自然状態の平等世界が、あっというまに、争いの絶えない不平等な社会へと
転落していった。
その変化のなんと速いこと。
人類が文明を手に入れるまでの時間と、文明後の時間を比べてみよう。
奈落の底に転げ落ちる速度は幾何級数的に増大していることに気づくだろう。、
Posted at 2015/11/13 23:30:25 | |
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