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情熱開放のブログ一覧

2015年11月13日 イイね!

『人間不平等起源論』 第五

ぼちぼち次を書こう、ルソーの文明論について書こうとしたところ、ちょうどいい記事をネットで見つけた。

まさに文明こそ、人間の不幸である。人類の不幸の始まりである。



セックスのしすぎ、それとその人口増加を支える食糧増産の不幸。

どんどん人口を増やして、社会の発展と人間の社会的淘汰が始まった。



ルソーは言う。

「仮に、一人の人間が一生のうちにいろいろと発明をしても、自然状態では、それは彼一代で

消滅した。人類は何世代も世代を交代して、種としてはずっと年老いたけれど、

人間個人は、いつも赤ん坊だった」



すなわち、自然状態では、人間個人が見出したものは、社会がないので、次世代に引き継がれず、

常に一から始まるという人生であった。




今の社会のように、世襲の意味がないから、相続だの、親の七光りだの、お家柄なんて

無意味であった。だからこそ、「平等」だったのだ。

出発地点で平等。人生の始まりにおいて、平等。そしてこの世から去るときは、

彼生涯をかけて築いたものも、その人間と共に消え去るのだ。



これこそ「平等の条件」である。 現実の社会でも、イスラエルのように、幼少期から子どもを

親から離して育てることや、また相続というものを一切認めなければ、

平等を築くことができるというものを。




なぜ親から子へ相続することを認めるのか? これは議論してよいことである。「自明のこと」

ではないのだから。

(王権の世襲だけではないのだよ、不平等の原因は)




さて、ルソーは、人間個体の増加と「憐れみの感情」による社会の形成によって「不平等」が生まれたとする。



歴史に記述されるように、人類は、石器時代、青銅器時代、鉄器時代と経てきた。

これらの道具は、農業革命と、隣人の殺戮とその財産の収奪のために用いられた。




全く人類は、農業革命後、現代に至るまで、「経済」と「戦争」に縛られているのである。

この「より安定的な生産活動」こそ、蓄財の根拠となり、その蓄財は「所有」の概念を生じ、

ずるがしこく、力強いものは、隣の部族の財産を「力」で奪い取っていったのである。




なんという「不平等」



昨日までの、自然状態の平等世界が、あっというまに、争いの絶えない不平等な社会へと

転落していった。

その変化のなんと速いこと。




人類が文明を手に入れるまでの時間と、文明後の時間を比べてみよう。

奈落の底に転げ落ちる速度は幾何級数的に増大していることに気づくだろう。、
Posted at 2015/11/13 23:30:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2015年11月12日 イイね!

『人間不平等起源論』 第四

ここでひとつの疑問はありませんか?

オランウータンのように、全く孤立して自分の生存を欲求を満たすことのできていた状態で、

少し個体数が増えて他の個体を出くわすことが増えてきた、だからってなにも一緒に暮らさなくたっていいはずじゃあないですか。

なぜ貧しいながらも幸せに満ち足りた「自然状態」を脱して、群れとか集団とかグループとか「社会」を形成する必要があったんでしょうか?



ルソーはこういいます。

人間には元来、憐れみの感情があった。それは孤立して生存するときには見られなかったものであるが、

ひとたび他の個体と出くわすようになったとき、たまたまその個体の身になんらかの不幸が起こっていたとき

人間は、その憐れみの感情にしたがって、他者に手を差し伸べた。

それで次第に社会が形成されるようになった。

ルソーにいわせると社会とは『互恵を目的としたもの』なのである。





人間は、自然状態において、もとから自分自身で、自分の欲求を満たすことができた。

社会ができてからも、『憐れみの感情にもとづく、互恵的な関係』のもと、one for all all for one で

幸せに暮らしていたというのである。




ルソーにおける人類の黄金時代は、社会が形成された初めのころ、というのである。



それ以後、人類社会は堕落の道をひたすら歩む。

人間の手で作り出した不平等。しかし、それは人間の手ではもはやコントロールできないまでになる。
Posted at 2015/11/12 00:23:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2015年11月11日 イイね!

『人間不平等起源論』 第三

ルソーがディジョンのアカデミーに出した論文は、こうしたものだ。第三論文『社会契約論』に繋がる話でもある。


作業仮説として、人間が社会をつくって生活をする前の状態を想像する。

まあ、類人猿の社会を想像するといいだろう。

1)オランウータンは個体が孤立して生活する。発情期でもない限り、オスはメスに出会っても

発情するどころか、敵意を露に逃げ去るのだ。

となると、個体は自分の生存の欲求を満たすためには、自らの手ですべてを行う必要がある。

自然は当然に、個体一人ひとりにその能力を備えたと考えられる。

個体は、その生存に他者を必要としなかった。そんな状態ならば、平等や不平等という概念も存在しないだろう。

2)チンパンジーのようにヨコ社会的な対等な付き合いであればこれもまた、不平等は小さいものだろう。

病にかかったり、怪我をしたり、その偶発的な事象によって個体の寿命には些かの差別があったろうが、

それを問題にすることはできないだろう。

3)ゴリラのようなヒエラルキーのタテ社会ならどうだろうか…。ボスとその群れの個体の間にある不平等は。



1~3)ルソーはこのような議論はしない。

けれど彼のいう人間の自然状態は、社会を形成しない、

欲しいものは自分の能力の範囲で充足できるだけの

内部条件(筋力とか視力とか思考力とか・・・身体能力と精神力とか)と

外部条件(食料が十分にあるとか)に

問題となる差=不平等はないということ。



問題とは自己保存と種の保存。

すなわち、自分の寿命を全うすることと自分の遺伝子を残すこと、

これについて、問題となるような不平等は存在しなかった、と論じる。



しかし、次第に個体数が増えて、他の個体と接する機会が増えて、社会が形成されると、

人間の間の不平等が一気に増大するとルソーはいう。



どうでしょう。

孤立したオランウータン、ヨコ社会のチンパンジー、タテ社会のゴリラ。

それぞれの個体を見て、より不平等なのは、どの類人猿でしょうか?



Posted at 2015/11/11 23:31:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記
2015年11月10日 イイね!

『人間不平等起源論』 第二

人間は、平等ではない。

確かにその通りだ。



よく親は選べないというけれど、

生まれる時代、場所、も選べない。




寿命も違う。たとえ同じ遺伝子を持っていたとしても、たんぱく質の形成が異なる。

形質の発現も異なれば、能力も異なる。




自然(あるいは創造主。それが神であるかどうかは知らない)は、私たちを不平等に作った。




では、どのような不平等は、しかたがないと受けれいるべきで、

どのような不平等は、不当だとして抑制されるべきなのか。




より未開の社会に暮らす人間の方が、より文明の進んだ社会に暮らす人間よりも

平等が実現されていると、『直観』で理解できはしないだろうか。





ブラジル生まれの、フランスおよび日本の自動車会社のトップにいて、

10億/年の収入は、「許容される不平等」のうちにあるのか?




仮に彼の社員が1万人いるとして、彼の富をすべての社員に平等に分け与えられたら

10万/年のボーナスが支給される。




彼の金銭欲は、彼の1万人の社員からの年間10万の搾取で成り立つとしたら、

これは「善行」なのか、「悪行」なのか。





ルソーが、彼の第二論文と呼ばれたこの論文を書いた18世紀半ば、

ヨーロッパは絶対王政のほころびが、もはや修正などでどうにかなるものではない状態に

到達していた。




一休宗純が、足利義満の政治に対して、批判したものとは質の違う、社会的まとまりを持って、

「時代に対する懐疑」の感情が生まれようとしていた。

(絶対王政を否定するものだけでなく、肯定するものでさえ)




『自然法によって是認される不平等とは何か』

(人間の生存のために認められる不平等とは何か)





この世には、よく平和ボケなどと蔑まれることがあるのだが、

社会の不都合に目を向けない精神が現に存在すること、

それこそが、『平和ボケ』というものだろうと、僕は考えている。



Posted at 2015/11/10 00:28:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | republique francaise | 日記
2015年11月08日 イイね!

『人間不平等起源論』 第一

法学部において

『法の下の平等』について学んだし、教養のフランス語の授業では、『1789年フランス人権宣言』を学んだ。

「人間はみな平等である」 たとえ現状がそうでなくても、「不平等を解消する努力を行わなければならない」のである。




しかし

看護学部においては

『人間は、生まれるということ、そして死ぬということ以外は、不平等である』と言い放つのである。




私は驚いた。




社会において、最も評価される職業として伝統的には、

「医者」「法律家」「政治家」が挙げられるのであるが、

このうち、「医者」と「政治家」は不平等を礼賛しているようである。




しかし、実社会では、法律家が制定したさまざまの

「平等原則の法律」「不平等是正の法律」によって

放置しておけば、とんでもない格差を生みかねない社会を

「規制」「抑制」しているのは、皆さんがよくご存知の通りである。




にもかかわらず、「病人に対して平等に医療を提供する医療者」が

「人間は不平等だ」と肯定するのは、どうしたことか。




だから病人から巻き上げた金で、自宅に億という金を費やしたり、

高額車を乗り回したとしても、なんらの良心の呵責を感じずに済むのである。




政治家もまた、これに同じである。
Posted at 2015/11/08 21:33:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 雑記 | 日記

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