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情熱開放のブログ一覧

2020年07月26日 イイね!

スイスポ(もしくはプリウス)の絡む事故と、有馬の滝の事故と

ネットサーフィンをしていたら、

富士五湖での事故の動画ニュース。

4台が絡むとある。

対向車線にはみ出した一台が、対向車2台と。そこに後続車が。(後続車というからには加害の車の後続車だろう)

対向車1台目が炎上。ブルーシートに包まれているので、車種不明。ドア形状からセダン?

あとは対向車2台目と後続車。

グレーの車がはみ出した車?

プリウスが後続車(乗員の負傷が一番軽度であるから)

スイスポが2台目?



スイフトからスイスポが独立して、自動車保険の計算になって久しいが、

なんだか・・・。



二つ目。記事を転載。

神戸市消防局によると、26日午前11時20分ごろ、神戸市北区有馬町で「男性が滝の中に入って上がってこない」と通報があった。午後1時すぎ、40代くらいの男性が発見、救助されたが、心肺停止の状態という。

 同局によると、現場は有馬温泉の南東部に位置する瑞宝寺公園近くの太鼓滝。降雨により、滝つぼがかなり深くなっていたとみられる。男性は計4人で滝に来ていたという。



7月18日に芦屋から六甲をまたいで有馬まで行ってきました。

まさにこの滝。

帰宅後、確認しましたが、他の季節は、とても細い「つまらない」情景の滝なのですが、

この時期、特に今年は雨量が多いですから、落差は低いけれど、水量の多い豪快な滝でした。

僕も靴を脱いで裸足で川を歩いて滝つぼ近くまで行きました。

水中カメラで撮影し確認しましたか、滝つぼはかなりの深さで、立てるはずもなく、水流は複雑で勢いが良い。

入ったら最後、回転する水流に取り込まれて出て来れなくなる可能性が大いにあると考えて、無謀は止めました。

あまりに美しい水流だったので、動画にUPしようかと思いましたが、

youtubeに揚げるのが億劫でした。

そして、あんなにすばらしい場所を、広く知られるのがもったいなくもありました。秘密にしておきたかったのです。
2020年07月26日 イイね!

日本人の民度の低さについて

低俗なyoutuberの視聴数が相当になる等ではないか。

学術的な、もしくはそれを噛み砕いた娯楽的教養的な動画くらいが

よく見られたらいいのだけれど。



それ自体、日本人の民度の低さを如実にあらわしているように思えてならない。



コロナが押さえられない日本。

そりゃそうだ。

あれだけ、気軽に「もとの行動様式」に戻っていたら、

たまったもんじゃあない。


三密はだめって、あれだけ、いわれても、守れない。

だから、「校則」が必要なの?


くりかえすけれど、そうではなくて、自分で考える頭がないから。


で、コロナにかかりながら、あちこちに広めようとする

悪漢どもの多いこと。



低俗ぶりに言葉がない。




ところで、濃厚接触ってことが明らかでも、

客観的に照明できないとPCR検査を受けられないなんて、

大変なことだとおもうけれど、

どうなってるんだろう?
Posted at 2020/07/26 11:16:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 出口 | 日記
2020年07月26日 イイね!

備忘録2

テクノクラートとしての階級意識

 このような状況下で、持つことができる唯一可能な階級意識はテクノクラートである。いまや、あらゆる市民は医者であれ教師であれエンジニアであれコンビニ店員であれ、個人は何らかの「専門家」でなければならず(その職業がいわゆる専門性になじまない場合でさえ)、社会に対してはその専門性を通してのみ関わりあう。むしろ、そのような立場以外からの発言は無価値とされるのだ。すでに丸山真男が「タコツボ型」「実感信仰」などの概念によって論じた日本社会の問題が、また再びアクチュアリティを伴って現れてくるのだ。

 たとえば、環境問題への取り組みを企業に要請する市民はバカにされる一方、「そうすることができない業界の事情」を語る、企業の中の人に共感が集まる。グレタ・トゥーンベリがいくら世界の一流の環境学者や各国の政策担当者と意見を交換しようと、彼女は「素人環境活動家」として遇され、石油業界の中の人と称する匿名アカウントが持ち上げられるのが日本のSNSなのである。

 こうして、カント的な意味の公共性はなくなる。社会問題を解決するための、市民間の討議可能性も消失する。残るのは、社会問題をテクノロジーによって解決しようとする、ナイーブな(それだけに危険な)技術信仰である。
2020年07月26日 イイね!

備忘録1

有能/無能世界観を支える新自由主義

 有能/無能二元論の内面化は、新自由主義イデオロギーが通俗道徳化するにつれて強化されてきた。この通俗道徳のもとでは、人間は自由であり、自分の能力次第で何でもできるとされ、自己決定と自己責任のもとで、個人の市場価値をひたすら高めることを称揚される。

 個人の自由の追求は、元々は左派が要求してきたテーマでもあった。だが、前近代的な制度や不自由を押し付ける権威の打破の先にあるのが新自由主義であった。文芸評論家の絓秀実は、1968年革命の帰結が新自由主義改革だとしている。たとえば当時の学生は大学解体を訴えたが、まさに国立大学の独法化によって、大学は解体されたのである。

 我々は小学生のころから自由に個性を伸ばせと教えられる。21世紀の教育では、保守的な教師でさえ、個性などいらぬと言うわけにはいけない。だがもちろんそれを真に受けて、児童生徒は本当に自由に振る舞ってはいけない。それはあくまでも市場価値がある個性のことであり、最終的に自己啓発セミナーまがいのイニシエーションが求められる就職活動を経て、完成する個性のことなのだ。

 そうやって、自分自身の能力を特別な商品として売りつけることを当然のごとく規範化して「社会人」となっていく人々に、階級意識は育たない。「給料をあげさせるためにデモする暇があったら自己研鑽して自分の商品価値を高めよ」と言われてしまうのだ。

 元々日本は、実態がどうであったかにせよ、中産階級意識の高い国であった。だが「幸福な時代」が終わり、新自由主義経済の浸透で格差が急速に拡大していく中、労働者意識が再び勃興することもなく、新自由主義的個人だけが宙吊りのまま取り残されている。

 階級など存在しない、あらゆる個人は平等である。ただ勝者と敗者がいるだけである。そして勝者は努力した者のことであり、敗者は怠けた者である。したがって格差とは自己責任なのだ。このような価値観を内面化した者に、いかなる連帯が可能であろうか。自分が貧困なのは自分が無能であり価値がないからなのだから、団結して社会のほうを変えようとするのは道徳的悪なのだ。自分が弱者だと認めることは自分の無能を認めることになり、それならば自分にはまだ「チャンス」がある者として、誰の助けを借りないという選択を選ぶ方がまだましだ、となる。

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「気力はある。それもない?
とにかく疲れる。したいことはたくさんある。しかしすぐに疲れる。
3月14日からおかしい。いくら寝てすっきりしても、バッテリーが持たない。
これでは旅行どころではない。」
何シテル?   03/22 16:46
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