ヨロブン(みなさん)
アンニョンハシムニカ?(お元気でしょうか?)
あと3ヶ月で今年も終わりです、、
昨日はアメリカの原子力空母の入港・配備で横須賀はバタバタしていたそうです。
ピーポーが走り回り、左翼の反対運動がシュピレキを上げて、さながらチベットかアフガンかと言う感じだったそうです。
東京湾浦賀水道は防大(情報元が某防衛大なもので、、)から一望出来るけど、さすがは10万トン空母!?
山が動いてるようだったそうです。(軍艦は純トン数なんで商船の排水トンの2倍弱はあるそうです)。
横須賀ベースはしばらくはデフ・コンが上がってるようですが、、
で、
新しくキティホーク (USS Kitty Hawk, CVA-63)の後継となったのは、
日本国初めて!!!
原子力空母となった ジョージ・ワシントン (USS George Washington, CVN-73)
当時のファーストレディ、バーバラ・ブッシュにより命名・・・日本では絶対ありえないと思いません???
日本で言うと総理大臣の奥様の鶴の一声で艦の名前が決まってしまうんですよ!!!・・・?
流石!?
自由の国アメリカ!!!!!・・・・・?
ニミッツ級航空母艦の6番艦。
艦名は初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンに因んで命名された。
アメリカ国外の基地を事実上の母港として配備される唯一の空母
実は日本ではこの空母の名前にかなり拘りと言うか偏見がありまして、、
歴代の横須賀就任の空母の名前にもかなり“すったもんだ”がありました。。
本当は 通常動力型のジョン・F・ケネディ(USS John F. Kennedy, CV-67) が横須賀基地に来るかもと言う計画になっていたのですが・・・以上の通り名前の???もあり保留となってしまったのです。。(まぢ)
色々と地元の方々には無理難題はあろうかとは思いますが、
アメリカ軍にはもう原子力エンジン搭載の空母しか在庫がございません(-_☆;)キッパリ☆!
小泉元総理のお膝元と言う事もありますが・・・(全く意味不明)
これ以上反対運動しても埒が明きません(;^_^A
。。てか、空母はもう日本に来ています・・・浦賀水道通過・・・(-_☆;)キッパリ☆!
どうぞ寛大なお心で出迎えてあげていただきたいと思っております(〃^)(*^-^*)ゞ
ジョージ・ワシントン (USS George Washington, CVN-73)
艦歴
1986年8月25日、ニューポート・ニューズ造船所で建造が始まる。1990年7月21日に当時のファーストレディ、バーバラ・ブッシュにより命名、進水し、アメリカ合衆国の216回目の独立記念日である1992年7月4日に就役した。
就役以来ジョージ・ワシントンは6度の地中海およびペルシャ湾配備を経験した。最初の配備が行われた1994年には、ノルマンディー上陸作戦50周年記念の背景として貢献した。2度目の配備が行われた1996年には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争における各勢力の指導者から成る共同軍事委員会による歴史的な会合のホスト役を果たした。ワシントンはさらにボスニア・ヘルツェゴビナにおける平和維持活動、デサイシヴ・エンデヴァー作戦で重要な役割を果たし、イラク南部の飛行禁止区域の警戒活動、サザン・ウォッチ作戦に参加した。
1997年10月から1998年4月まで行われた3度目の配備では、ワシントンは6ヶ月間のほとんどをペルシャ湾での巡航に費やし、イラクに対する国連武器査察団の支援を行った。
4度目の配備は2000年6月に始まり、ワシントンはアメリカ合衆国の軍事的プレゼンスの象徴として、ペルシャ湾で6ヶ月の活動を行う。ワシントン戦闘群は6月21日に出航し、地中海、インド洋およびペルシャ湾で作戦活動に従事した。戦闘群はペルシャ湾で、イラク上空に800回の出撃を行い、サザン・ウォッチ作戦を支援した。水上艦部隊は海上封鎖作戦を実施し、国連制裁に違反してイラクから密輸されようとした20,000トン以上の原油を阻止した。また、ユーゴスラビアの大統領選挙後に緊張が高まると、戦闘群は地域の安定に寄与した。
大西洋のワシントン、2002年2004年に地中海からインド洋に入りイラク戦争終結後の海上検査作戦などの警戒活動に行う。4月18日第131戦闘攻撃飛行隊のF/A-18Cがイラク北部のキルクークに潜伏するテロリストに対する精密爆撃と機銃掃射攻撃を実施。これはイラク戦争終結以降、空母による最大の攻撃作戦である。
本土に帰還後、2004年11月にはF/A-18E/Fの初めての発着艦テストを実施。
2005年度で予定していた通常動力型のジョン・F・ケネディ(USS John F. Kennedy, CV-67) の大規模整備が中止になったことで、燃料棒交換およびオーバ-ホールの時期が早まると見られている。
ジェームズ川でのワシントン
[編集] 横須賀配備
2008年4月7日、ワシントンは第17空母航空団 (Carrier Air Wing 17, CVW-17) および第8空母打撃群 (Carrier Strike Group 8, CSG-8) と共にノーフォークを出航し、南米を回ってキティホーク (USS Kitty Hawk, CV-63) とその任務を交代するため横須賀基地に向かった。
この巡航中、ワシントン戦闘集団はアメリカ南方軍による同盟諸国との演習に参加した。アメリカ海軍はブラジル海軍およびアルゼンチン海軍との共同作戦を実施した。4月22日、ブラジルのリオデジャネイロを初めて訪問した。
ワシントンがキティホークと任務を交代すると共に、第17空母航空団と第8空母打撃群は本国に帰還、厚木を拠点とする第5空母航空団と横須賀を拠点とする第5空母打撃群がその任を引き継ぐ。ジョージ・ワシントンは米国外の基地を母港とする初の原子力空母となる。アメリカ海軍は日本国民に対してその任務を説明するために、「CVN-73」と題されたマンガ冊子を発行した。
2008年5月22日の午前8時前、中南米を航行中にエアコンや冷蔵施設、予備ボイラー室がある船尾の一角で火災が発生。1名がやけどを負い、23名が長時間の消火作業により熱中症となった。原子炉の安全性には問題は無く、数時間後に乗組員によって鎮火された。ワシントンは5月27日にサンディエゴに入港、火災による損害の評価が行われた。原因は、適切な管理が為されていなかった油脂類にタバコの火が引火したものであり、ケーブル類に延焼したため鎮火に手間取ったとされている。7月30日には、この火災の監督責任を問い、艦長であったダイコフ大佐が更迭された。
この火災事故の影響により、当初6月上旬のハワイにおけるキティホークとの交代式の実施、7月末までのハワイ沖における環太平洋合同演習(リムパック2008)への参加、8月19日に横須賀入港・配備予定が延期となる。
修理を終えたジョージ・ワシントンは、8月21日(現地時間)にサンディエゴを出港し、キティホークとの交代式のためハワイに向かった。 9月25日朝横須賀基地に入港し、同基地を事実上の母港として配備された。
ちなみに9月末日までアメリカ海軍横須賀基地に配属になっていた キティホーク (USS Kitty Hawk, CVA-63) の情報を下記に記しますね♪
キティホーク (空母)
キティホーク (USS Kitty Hawk, CVA-63) は、アメリカ海軍のキティホーク級航空母艦(改フォレスタル級)の1番艦。艦名は、ライト兄弟が世界で初めて飛行機による有人動力飛行に成功した丘「キティホーク」に因む。その名を持つ艦としては2隻目。
2007年現在、コンスティチューションに次ぐ古参艦(オールドネイビージャック)である。
艦歴
キティホークは1956年1月27日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工し、1960年5月27日にニール・H・マッケルロイによって進水、1961年4月29日にフィラデルフィア海軍造船所で艦長ウィリアム・F・ブリングル大佐の指揮下就役した。
就役当時、ソ連は空母建造に乗り出していたためアメリカ政府は空母の運用を多角的に検証しており、就役間もないキティホークや同型艦アメリカに当時CIAが運用していたU-2A高高度偵察機の空母運用を前提とした実験を行いアメリカ政府の新たな空母戦略の尖兵となった。
西大西洋での整調後、キティホークは1961年8月11日にノーフォークを出航した。ブラジルのリオデジャネイロに寄港し、ブラジル海軍長官を乗艦させたキティホークはブラジル海軍の5隻の駆逐艦によるデモンストレーションを見学した後、10月1日にホーン岬を一周した。続いてチリのバルパライソへ向かい10月13日に到着、二日後ペルーに向かい10月20日カヤオに到着、ペルー大統領の表敬訪問を受けた。サンディエゴでは海軍作戦部長ジョージ・W・アンダーソン提督が11月18日に乗艦し、ヘンリー・B・ウィルソン (USS Henry B. Wilson, DDG-7) とブルーバック (USS Blueback, SS-581) による対潜デモンストレーションおよびトピカ (USS Topeka, CLG-8) とキティホークによるテリアミサイルのデモンストレーションを視察した。
キティホークは1961年11月23日、改修のためサンフランシスコ海軍造船所に入る。サンディエゴ沖での作戦活動後、1962年9月13日にサンフランシスコを出航した。キティホークは1962年10月7日に第7艦隊と合流し、ミッドウェイ (USS Midway, CV-41) と旗艦任務を交代した。
フィリピン共和国航空週間ショーに参加後、キティホークは1962年11月30日にマニラ湾を出航し、12月3日に最新兵器を視察する太平洋艦隊最高司令官のハリー・D・フェルト提督の訪問を受ける。12月始めに香港を訪問した後日本へ戻り、1963年1月2日に横須賀に到着した。続く2ヶ月間で神戸、別府、岩国を訪問、4月2日にサンディエゴに帰還した。
1963年6月6日、ジョン・F・ケネディ大統領が軍及び政府高官と共に乗艦し、カリフォルニア沖で行われる空母任務部隊(タスクフォース)によるデモンストレーションを視察した。ケネディ大統領はキティホーク任務部隊の兵士に対して、海を制することは安全と平和、最終的な勝利を意味すると語った。ケネディは後に、コンステレーション (USS Constellation, CV-64) に乗艦して同様のデモンストレーションを視察した蒋介石夫妻に対して「私は、私がキティホークへの訪問で受けた、これらの強力な空母と護衛艦隊が世界のあらゆる国の自由を維持を支援することに対する感動と同じように、あなたたちが感動したことを望みます。」との書簡を送っている。
カリフォルニア海岸沿い、ハワイ沖での一連の攻撃練習および戦術訓練に続いてキティホークは再び極東へ向かう。日本への航路の途中でキティホークはケネディ大統領暗殺事件の知らせを受ける。1963年11月25日の佐世保入港時、キティホークは半旗を掲げ、大統領の葬儀当日は礼砲を発射した。南シナ海を巡航し、第7艦隊との即応作戦活動でフィリピンへ向かった後、キティホークは1964年7月20日にサンディエゴへ帰還した。
[編集] ベトナム戦争
ピュージェット・サウンド海軍工廠でオーバーホール後、西海岸沿いで訓練を行い、キティホークは1965年10月19日にサンディエゴを出航、ハワイを経由してフィリピンのスービック湾に向かった。同所で戦闘準備を行った後ベトナムの沖合へ向かう。
1965年11月26日から1966年5月14日にかけて艦載機部隊は悪天候と激しい抵抗にもかかわらず、北ベトナムの軍事目標に対する攻撃を行い、キティホークは作戦活動を維持するための勇敢な精神、勇気、専門意識および献身的意識を示したとして海軍殊勲部隊章を受章した。
キティホークは1966年6月にサンディエゴに帰還し11月4日までオーバーホールと訓練に従事した。その後再び東アジア海域に展開し、11月19日に横須賀に到着、コンステレーションと交代して第77任務部隊指揮官デヴィッド・C・リチャードソン少将の旗艦となる。11月26日に横須賀を出航しスービック湾のヤンキー・ステーションを経由して、12月5日に艦載機部隊は北ベトナムに対し昼夜の境無く作戦活動を開始した。この時期キティホークにはウィリアム・ランドルフ・ハースト・ジュニア、ボブ・コンシダイン、ビリー・グラハム、ジョン・スタインベックといった多くのゲストが訪問している。キティホークは1967年5月28日まで極東での支援任務に従事し、その後スービック湾を出航、日本経由で帰国の途に就き6月19日にサンディエゴに到着、一週間後にロングビーチ海軍造船所でメンテナンスに入る。作業が完了すると8月25日にサンディエゴを出航、後の任務に備えて訓練を始めた。
ベトナム戦争中の1972年10月12日、トンキン湾のステーションに向けて航行中に100名以上の水兵が人種問題での騒ぎとなり、50名近くが負傷した。この出来事は後に議会で問題として取り上げられた。
[編集] 改修
1973年1月から7月にかけて、キティホークは母港をサンディエゴからハンターズ・ポイントへ変更した。1月14日に乾ドック入りし攻撃空母 (CVA) から汎用空母 (CV) への改修が始まる。「CV」への転換はもはや厳密には攻撃空母ではなく、対潜作戦が主な目的になることを示した。キティホークは汎用空母に転換された初の太平洋艦隊所属空母であった。
1988年から1991年2月にかけてフィラデルフィア海軍造船所にて寿命延長計画を実施。このため湾岸戦争には不参加。
1992年、93年のソマリア、イラクの空爆など中東における数々の作戦に参加。
[編集] 横須賀への配備
インディペンデンスとキティホーク
真珠湾、1998年キティホークはインディペンデンスと交代するため1998年7月6日にサンディエゴを出航した。厚木基地を拠点とする第5空母航空団 (Carrier Air Wing (CVW) 5) が歓迎のために着艦し、8月11日に新たな母港の横須賀基地に入港した。配備交代によりアメリカ本土以外を事実上の母港とする唯一の空母となる。横須賀配備の空母としては、3代目。
インディペンデンスが1998年9月30日に退役したため、キティホークはアメリカ海軍において2番目の古参艦となり、ファースト・ネイビー・ジャックの掲揚が認められた。
2001年のアフガニスタンに対する対テロ戦争では3分の1に満たない数の艦載機でパキスタン沖の北アラビア海に進出。アメリカ陸軍特殊部隊(デルタフォース)の支援のため陸軍の特殊作戦ヘリコプターを搭載。この作戦の詳細は一切公表されていないため謎に包まれている。
2003年、横須賀基地において大規模修理。空母で初めてRAMを搭載。
2007年10月26日 北海道室蘭港崎守埠頭(さきもりふとう)に寄港。来年の退役を前に、道内最後の一般公開が催された。
2008年5月12日、キティホークは最後の前方展開任務を終了し、交代準備のため横須賀基地に帰還した。
2008年5月28日、退役準備のため、横須賀を出航しハワイに向かう。8月7日、NASノースアイランド(カリフォルニア州サンディエゴコロナード)に着岸。アメリカ国内で、退役予定。
2008年9月25日、後継艦に決定したニミッツ級原子力空母6番艦ジョージ・ワシントンが、横須賀港に入港。
[編集] 本艦の退役後の後継艦問題
2008年に退役予定である本艦の後継艦については、配備予定のニミッツ級が原子力空母である事に対しての日本側一部世論の反対に配慮してか、当初、本艦の退役時期の延期、通常動力空母のジョン・F・ケネディの極東回航等の代案が取り沙汰された。 しかし、いずれの案を取ったとしても、どちらの艦も艦齢が高いことから、近い将来、原子力空母配備の賛否を迫られる事は間違いが無いと思われていた。
2005年10月27日には、米政府よりニミッツ級配備で日米が合意したとの発表がなされた。どの艦を充てるかについてはアメリカ海軍がジョージ・ワシントンの配備を決定したと、2005年11月18日ロイター通信によって報じられた。同時に海軍当局の話として、被爆国である日本の国民感情に配慮し、原爆投下命令を下した大統領から命名したハリー・S・トルーマンは候補からはずされていたとも報じている。
2008年2月22日のThe Weekly StandardのWEBニュースにおいて、アメリカは最新モデルのF/A-18E/Fを65機購入する事を条件に、インドに対して退役したキティホークを無料で供与する用意があるとの報道がなされたが、インド海軍のスレーシュ・メータ大将によれば、「これはメディアによって作成された単なる悪戯」であり、またアメリカ海軍広報のクレイ・ドス大尉にれば「海軍はどのレベルでも検討していない」とのことで、インド、アメリカ双方によって公式に否定されている。
ちなみに・・・キティホーク (空母)は、、
「ハロー・キティー」には何ら関連ありませんので。。
念の為・・・(*>ω<)o"クーーッ