
ご心配いただいた皆さん、ご支援いただいた皆さん、心からお礼申し上げます。
人の温かみを毎日感じつづける1週間でした。本当にありがとうございました。
事故現場となった山林の所有者の方のお宅を主催者の皆様と訪問し、正直な気持ちで誠心誠意お詫びを申し上げました。厳しくもあたたかいお言葉とともにお許しくださいました。感謝の気持ちで目頭が熱くなりました。
関係する大勢の方にご迷惑をおかけしましたが、多大なるご支援をいただいたおかげで、なんとか私自身のことを少し考え始めることができそうです。
一部、噂も広まり始めているようですが、
私が起こしてしまった事故の事実はここに記すとおりです。すべてありのままにご報告します。
今回の事故は、起こるべくして起こしてしまったと自覚し、反省しています。
棄権するか、全開アタックはさけるべきでした。
以下のとおり振り返ってみると、心のコントロールがぜんぜんできていない状態に陥っていたことは明らかです。
私自身の管理の甘さから、導かれるように事故につなげてしまいました。
1.睡眠不足。無理なスケジュールでのエントリー。
7月からの会社人事異動の影響で、直前一週間の平日は睡眠不足続きの厳しい生活リスムで過ごしていました。エントリーをするか否か、悩みましたが、参加を約束していた人がいたので、無理を承知で申し込みました。
金曜の仕事を定時退社すれば、3時間位は仮眠がとれると想定していました。
しかし、実際の帰宅は深夜。すぐに準備して、家を出発したのは翌午前2時のことでした。
朝のレッキ走行は7:30からですので、これに間に合わせるためには睡眠をとる余裕はありませんでした。(現地までの所要時間5時間超)
2.レッキ走行時に本番用のホイール(深溝タイヤ)のリムを曲げてしまった。
3.とにかく眠かった。走ってはいけない状態だった。
レッキ走行2回目を終えた後、パドックに帰るまでの移動ですら、途中で仮眠をとりたいと思う位、極限の眠さでした。
前々日の睡眠時間とあわせても48時間で2時間位しか寝ていません。
棄権すべきでした。
パドックに戻り昼食をとるとすぐに、死んだように約2時間シートを倒して寝ました。
4.出走直前の判断・・・しかたなく古いタイヤをリヤに履く。
リムが少し曲がった本番用のタイヤで走るか、正常なリムの使い古しタイヤ(浅溝)で走るか、出走の直前まで悩みましたが、この時点では路面が乾いていたこともあり、
最高速区間での万一のリム落ちを想像して恐ろしく思い、出走直前(寝起き)に、浅溝の使い古しタイヤ(現地までの転がし用)をリヤに履く選択をしました。
このことが、今回の事故時の挙動(きっかけ)に大きく影響を与えています。
そもそも、道具が万全でない状況で、コンペティション走行をしようという考えが常軌を逸していました。いままでこんな選択をしたことがありません。
思考力が大きく低下していたと思います。
5.スタート直前の大雨・・・リヤタイヤのことを忘れる
スタートラインに並ぶまでは、ワイパー不要な位の霧雨で路面は湿っているものの水流が生じるほどの雨は降っていませんでした。
私はリヤタイヤのことは意識からすっかり外れ、出走の瞬間に向け、意識を操縦のイメージに深く集中してスタートの時を待っていました。
しかし、私の出走の40秒前、突然、雨が激化しました。
ハイスピードワイパーでも視界が見えにくい程、激しい雨が降ってきました。
戸惑っている間に、スタート10秒前。
余計なことを考えずにいつもどおり走る覚悟を決め、スタートの一瞬を待ちました。
6.好スタート。挙動に不安なし。期待に胸が膨らむ。
いつもどおり丁寧にGをコントロールしてあげれば、雨であろうが何ら心配ないと過信していました。雨のR1Rには絶大な信頼を寄せていました。(使い古しを履いていることはすっかり忘れていました。)
コーナーが迫るたびに期待に胸を膨らませ、操る幸せを感じながら、雨の至福のドライビングを楽しみました。
過去、雨の峠道では好成績をあげてきた驕りがありました。
「GC8でも雨なら勝てる」「雨は得意だ」なんて、心の底では思っていました。
そんな驕りから、迷うことなく「全開走行」をしていました。とんだ勘違いです。
結果はご覧のとおりです。リヤタイヤにハイドロを起こし、コントロール不能で完全にコースアウト。3本の木に相次いで衝突して止まりました。
■事故直後
衝突した1本目の樹木が力を吸収して折れてくれたこと、回転しながら力が逃げる形で2本の木が支える形で受け止めてくれたことに加え、衝突の瞬間を目視しながら受身の姿勢で待つことができたことにより、幸いにも私自身はまったくの無傷で、衝突停止の瞬間から動くことができました。
出火の懸念もあることから、セオリーどおり直ちに電源を落としました。
車両が完全にコースアウトしていること、現場が最高速区間のブラインドイン側であること、路面状況が極めて危険であることから、無闇にコース上に降りることはやめ、次走車が停止してくれてから車両を降りる判断をしました。
次のクルマが同じラインで飛び込んでくることも想定し、ヘルメット・グローブ着用のまま助手席に身を移し、消火器を持って待ちました。
ちょうど、助手席に移ったとき、次の車両が猛スピードで駆け抜けていきました。
その後も相次いで車両が通過し、まったく私の車両に気付いた気配なく全力で駆け抜けていきます。
私は、このとき「ほっと」しました。
競技の進行に影響なく、各車両がゴールしてくれるかもしれない。と。
ラストゼッケンが通過してから、追い上げ車両が来たときにコースに出ようと決めました。
そうしてコースを見ていると、その後相次いで数台、私とまったく同じ場所でクラッシュが発生しました。私はその一部始終を目撃していました。
皆さん、クラッシュ時の判断が極めて適切でした。
いずれも、ぶつかると同時に現場から極力遠くに移動するように、迷わずアクセルを開けて離れたところで停止します。さすが、安全への心得が高い人たちだと思いました。
そのおかげで、高速区間での複数事故にもかかわらず多重事故は避けられました。
私がこんな状況に居ながら不謹慎ですが、その対処には感動し敬意を持ちました。
コース付近には私を含め数台の不動車両が停まり、競技は長い間、中断となりました。
致命的な私の車両以外は、大雨の中オフィシャルさん、参加者の方々が力を合わせてローダーで救出・撤去され、競技は再開されました。
■競技が終わるまでの間
レーシングシューズを履いたまま、雨でずぶ濡れになって呆然と立ち尽くしている私に、峠アタックはじめ、さまざまな峠競技でいつもお世話になっているSさんが、ご自身の大切なローダーを貸していただける旨、やさしく声をかけてくれました。
私は動転していて、この時、意味がよくわかっていなかったのですが、山から下ろすまで・・・ではなく、私が住んでいる神奈川まで、積載車を自由に使えるように預けてくれるという意味でした。信じられないくらいありがたいことです。
当日は、夕方からどうしても外せない予定があるとお聞きしていたのに、本当に申し訳なくありがたく思いました。
競技中は、他の事故メンバーとともにコース途中の待機所で待っていたのですが、私はいったいこれから何をしたらいいのかもわからず、ただ、大雨に打たれながら呆然としていました。
旅行を楽しんでいる妻には楽しい時間を少しでも長く過ごしてもらおうと考え、すぐには連絡しませんでした。
オリジナルボックスに連絡すると、すでに、他の人から連絡が入っていたようでした。
ありがたいことに、私の方針がかたまるまでの間、車両を預かっていただくことになりました。不動車両の保管をいったいどうしたらいいのか、路頭に迷うところでしたが、こうして速やかに搬送先が決まりました。
この待機時間の間、ただ皆さんにご迷惑をかけるわけにはいかない・・・と、自力でのローダーの調達を試み、複数件のレンタカー屋に電話しましたが、早くとも2日後。
積載車をその日のうちに速やかに貸してくれる業者はありませんでした。
Sさんが貸してくれて本当に救われました。
■競技終了後
2本目の競技終了後、地元のA自動車さん、主催者の皆さん、参加者の皆さんのご協力で、私の車両の引きあげ作業が始まりました。
私は自分の車両でありながら、何をすることもできず、おろおろするばかりでしたが、皆さんのご協力により、ついに車両が引きあがりました。
「どうか、自走できて欲しい」・・・そんな思い空しく、リヤタイヤに食い込んだフェンダーがタイヤをロックしてしまい、とても自走できる状況ではありませんでした。
A自動車さんは、ご親切に、私がSさんからローダーをお借りして戻ってくるまでの間、私の車両とすべての荷物を預かっていただきました。
雨が降る中、安全な場所に保管していただき、とても安心でしたし救われました。
ローダーで積みやすいように、広いところにインプレッサをまっすぐに停めておいてくれました。
Sさんは、当日クラッシュした別の車両を自社工場まで運ばなきゃいけませんので、一度、Sさん宅まで私が同乗し、別の車両を下ろした後、私がローダーをお借りして再び現地に戻ることとなりました。
オリジナルボックスまでの帰り道、冷静になって自分のクルマに直面し、撮影した映像です。
結局、事故発生後、その日の夜のうちにSさんのローダーにインプレッサを積み込み、その足で途中仮眠をとりながらオリジナルボックスまで運び、自宅に戻ってミラージュをローダーに積んで、再びSさんの松本までローダーを返しに行き、その日のうちにミラージュで自宅に戻るというスケジュールで、なんとか、事故翌日(日曜日)中にはすべての初期作業を終えて、帰宅できました。
事故直後の状況からは、月曜日の仕事への出勤(重要なミーティング)になんら影響なく対処できたことは、奇跡に思えます。
たくさんの人のご厚意に支えられ、最悪の事態を迎えることは避けられました。
ありがたいことです。
そこから後のことは、私のブログで毎日お伝えしてきたとおりです。
皆さんのお心に支えられ、一週間経った今、ようやく自分の「これから」のことを考えようという心の余裕(余地)が生まれてきました。
■今
ふと、競技時に持っていった荷物をみると、あの日の昼食時に買った、おいしそうな「きゃべつ」が、完全に腐っていました。
事故発生から一週間、自分の荷物の中身すら見るこころの余裕がありませんでした。
毎日の激務を終え、深夜に帰宅しても寝付くことができず、毎日毎日、ブログを書いたり動画を編集したりしていました。
ちょっと精神がおかしくなりかけていたかもしれません。
この週末、山林の持ち主様のお許しをいただいて、本当に心の緊張が解けました。
主催者の皆さんのたいへんなお心遣いとご配慮で、きちんと謝罪することができました。
正直な気持ちとして ほっとしました。。。。
これからは、少しずつですが、自分のこれからを考えて、前に進んでいきたいと思います。
この記事を以って、今回の事故の気持ちの整理とし、ブログも動画も少しずつ通常モードに戻していきます。
はやく新しいヘルメットを使いたいと思う日が来るといいな。
まずは、インプレッサをはやくキレイに整理しなきゃね。
みなさんありがとうございました。私は元気です。
やっと元気がでてきました。