だんだん、嫌な世の中になってきたのは何処でも同じ様でして、以前働いていた会社では、月に数回、”勉強” の宿題が来て、オンラインで数々のトレイニングをして、試験に合格しなければなりませんでした。これは最近では何処でもやっているらしく、内容は、他の従業員との付き合い方、会社の車両を運転する際の決まり、航空法と会社の対用方、麻薬禁止法、セクハラ・モラハラ対応からコンピュータの機密管理などなど。この忙しい時に、1時間近く時間を割いて、空港内で発生する油の混じった下水処理は如何やったらいいか、とか面倒臭いのは承知ですが、これ、殆ど社員の為に行なっているのではなく、万が一、会社が訴訟で訴えられた際、法的に法人を保護する目的で、弁護士が考案するものなのです。
それでもたまに、XXさんの電脳が感染したのでXXから来るEメールは全部削除して下さい、と言う連絡が来てたので矢張り騙されるのを防ぐのは難しいみたいです。
日本に行って数日すると、必ずと言っていい程、怪しいEメールが沢山送ってこられます。アマゾンのアカウントがロックされてます。兵庫県の水道局から請求書未払いの通知。アップルからのアクセス停止。ペイペイが不正に使われています。それらのタイミングが絶妙で、必ず日本に入国して3日目くらいから始まるんですね。最初の3日間はあちこちのインターネットにアクセスするので、自分のEメール住所を送るのが日本では普通になっているので、そこからEメールの住所を何処かの業者に売られている事は確かです。ぼくは会社にいた頃、散々訓練されてましたから、こう言った誘いを避けるのは結構得意なんですが、でも向こうさんも、もうちょっと考えた内容ので誘えばいいのと言うくらい、幼稚な内容で笑っちゃうのもありました。
騙されると言えば、最近の古い自動車の輸入販売。日本からも車検切れの車両が沢山来ていて、人気なのは軽トラックだったり、それか多分法人登録だった走行距離が極端に少なくて程度の良い高級車などが業者から売りに出てるのを見るのですが、知らない人相手に騙す業者も結構あり、先日見たのは、メルセデス・ベンツ6.9の日本仕様。日本仕様は北米仕様より欧州仕様をベースにしているのでパワーがある、と強調しています。ハテ。ぼくの記憶ですと、W116の6.9は確か日本には正規輸入されてなかった筈。何処かで混線していますね。笑。まあW116の日本仕様は排気ガス規制もなんとか触媒なしで乗り越えたみたいでしたが、北米仕様となると1977年から全車種モノリス・ハニカム式の触媒が2個(6気筒車は1個)付くので、床下の板金が全く別物で、触媒用の大きな窪みが2箇所、深くえぐられている他、ブレーキの配管も全く欧州仕様と違うのです。それにあの大きなバンパですね。W116も最初の一年は欧州仕様のと同じバンパでしたが、1974年から衝撃吸収バンパでした。殆どの人はあの大きなバンパを嫌い、欧州仕様に帰るのが定説なんです。何せ、あの大きなバンパ、一本40キロくらいの重さだったか、それが車体の一番先端と後端にぶら下げているのですから、走行性能に影響しないわけがありません。と、言いながら、最近はこのおっきなバンパがその時代を反映する小道具の一つとして認識していて、あのバンパを見れば ”あの頃” を思い出し背景にマッチするとチト涙が出そうになるんですね。なので闇雲に欧州仕様に改造しちゃうのもどうかと、歳をとるにつれて感じます。
これがそのとてつもなく重いバンパ。小型冷蔵庫くらいの重さです。コレが好きになるのは歳とったせい?
W116が最初に出た1973年はまだ小さなバンパでした。それにまだ当時はSクラスなんて言う呼び方はされてませんでした。
北米仕様の6.9の正規輸入車は名称がただの ”6.9" で、450SEL 6.9 ではありません。なのでトランクリッドは6.9のバッジだけ。
欧州仕様は450SELのバッジが左に。
北米仕様はただの ”6.9"
北米仕様6.9の見分け方は大きなバンパだけでなくこのトランクのバッジ、計器盤に貼ってある ”無鉛に限る” のステッカ(触媒仕様なので)。床下の2個の湯たんぽ触媒などが手掛かりになります。輸入されたのは1977年、1978年と1979年の3年間だけで、キャナダ・合衆国の合計で1,816台入ってきたそうです(その他グレイマーケットの個人輸入車両が結構な数入った)総生産数が7,380台(数百台はRHD車)欧州仕様よりかなり装備が限られていて、注文装備はサンルーフ、ヴェロアの座席、腰部強化の座席、座席暖房くらいで、マニュアル・エアコン(北米仕様は全て例のクライスラー部品を使った全自動エアコン)1978年から注文できたABS(LHDのみ)やらリクライニング式の後席やらは省かれていました。まあ当時のメルセデスの事ですから、コネがあれば注文装備の幅はもっとテーゲーだったかもしれませんが。
6.9の最後の生産車両が1979年暮れだったと記憶していますから、日本の経済バブルが弾けた頃、猫も杓子もこぞって6.9を輸入・販売していたらしいですが、その頃すでに型落ちで5、6年経った車両ですから、整備に非常にお金のかかる上、あの車体は錆びますからかなり怪しい個体が日本に渡り非現実的な価格で売られてたのかな、と想像してしまいます。今、何台残っているのかしら。。。
ご存知の通り、6.9はM100エンジンの改良型で12リッターも入る大きなドライサンプ式の潤滑系統が有名でしたね。何せ潤滑油の容量が2倍になったので、その分、交換時期も12,500マイルおきか年2回で済む、と歌っていました。
これがそのM100.985エンジン。北米仕様は低オクタンの無鉛ギャソリン対応の為圧縮比が8.0に落とされ、触媒、2次空気噴射、EGRの装備で出力が250馬力に落とされていました。
吸排気弁の自動調整装置が見えます。
あとコイルバネの代わりに懸架装置がシトロエンから特許料を払ったハイドロニューマチック式だったのが特異でした。基本的にはDSのそれを単純化した様な感じですが、油圧ポムプがタイミング・チェインで回しているヴェーン式だったり、シトロエンの油圧をいじっていた自分には興味があります。油圧のあぶらは何を使っているのかしら。五つある ”タマタマ” は560SELの後輪車高自動調整用のに似てますね。窒素が抜けても充填できなかったり、ゴムの壁膜が交換できなかったり。
1970年代のメルセデスはUSAで飛躍的に販売台数を増やした時期で、あの頃の、ある ”限られた” 人達の間で愛用され始めた頃でもあり、ぼくの想像ではかなりの数が各媒体に提供されてお茶の間のTVでの露出が増え (こう言うのをProducts Placementと言います)、一般大衆でも認知され始めました。それ以前はメルセデス・ベンンツ、一般の認識度は低かったと思います。
ピーター・ファークは大のメルセデス好きの俳優でしたからね。殺人の手がかりは残されたこの紙切れに描かれた数字。電話番号?港の埠頭番号?
いや、被害者から贈られたメルセデスの車種でした。コロンボ。シーズン7エピソード2、題名、”完全犯罪を企って” (Make Me a Perfect Murder)。
コロンボ。ほら、細いタイヤでしょ、現場に残されていたのも細いタイヤ。細いタイヤは高級欧州車に多いんだよね。巡査、なんでそんな事ご存知なんですか?コロンボ。いや、ぼくの車も欧州車なんだ。。と彼のプジョー403を指差すコロンボ。呆れる巡査。 シーズン4エピソード6、題名 ”精神状態は死の気持ち” (Deadly State of Mind)
1979年作、アラン・アルダとの共演喜劇で後にシリーズにもなった題名 ”In Laws" で有名な ”蛇行しろ!蛇行しろ!” の場面。メキヒコの田舎町の空港の場面、撮影はロスアンジェリースの沖合に浮かぶ小さな島、カタリナ島空港。
今でも殆ど変わってない。。
6.9は大ヒットになった影視、”RONIN” で一躍有名になりましたね。でもあれは多少コンピュータ・グラフィックでいじってあったらしいです。分かりにくいかも知れませんが6.9は小さな黒いチンスポイラが顎下に装備されてます。それはベルトで駆動される自動変速機用の補助油圧圧縮機の出っ張りを覆います。
自動車雑誌、Car and Driver の有名編集長、故デイヴィッドEデイヴィスJr氏が1977年に6.9をメルセデス広報部から頼まれてロスアンジェリースからニュウヨウクまで走った時の旅路記、題して ”磁石固定のCBアンテナが時速208キロですっ飛んだ” (The magnetic CB antenna blows off at 130) 全米の最高速度がまだ時速88キロだった時代です。今でも伝説的な記事です。コチラで読めます。
https://www.caranddriver.com/reviews/a15143513/mercedes-benz-450sel-69-archived-road-test/
その記事を現代でもう一回やってみようと2011年にガタピシの中古6.9で大陸横断を試みた、Car and Driver の記事はコチラ。
https://www.caranddriver.com/features/a15121123/1977-mercedes-benz-450sel-69-road-trip-feature/
矢張り雑誌は企画と記者の才能とセンスで決まります。
メルセデスが6.9を、燃料危機で悩む北米でどれだけ売りたがっていたかは多分に疑問で、キャタログの写真も3年間、全く同じ写真を使っていました。金が掛かっている上に 売れる台数も限られていたので、 ”ヘイロー・カー” としての役だけだったんでしょうね。ニュージャージーのライセンスプレートを下げているのは、当時の北米メルセデス・ベンツの本社が、マンハッタンからそう遠くない、ニュージャージー州北部、モントヴェールと言う所にあったからです。
不思議な事に、宣伝撮影する車両、合衆国は各州が一つの ”国” ですから、宣伝時にぶら下げるライセンスプレートもどの州にするか、結構頭を悩ませる筈なのですが。同じ独国でもBMWはオレゴン州だったり(なんの関係があったのか)。。
同じ番組が使い回されてます。
そのあとはニューヨーク州だったり。。
フロリダ州だったりと。これは当時の一番大型のBMW、E3型です。この1976年が最終で翌年から7シリーズに変わります。
E3型、最初は余り売れず、当時の輸入業車の大ボス、例のマックス・ホフマン氏が本社に、エンジンを2,800c cにして装備を若干省いた北米仕様を作ってくれと申し込み、完成したのがこれ、そして名称をバーヴァリアと命名し(Bavaria) BMWが数字で名称を使わなかった唯一の車種でした。これが結構ウケて販売台数を伸ばすと共に、次第に豪華化され3,000ccのエンジン、燃料噴射などが奢られました。
1976年、最終型。これにはサーマルリアクターが付いて有鉛ギャソリンを使えましたが、様々な弊害が起こり苦労していた時期です。
以前取り上げたかもしれませんが、この広告に出ているアメリカン航空の機長さん、実は第二次世界大戦時、爆撃機の操縦士として独国、占領時のフランスなどを爆撃してた人なのです。それが後日、敵国だった独国製の乗用車を購入するだけでなく、広告にも出ちゃうんですから、世の中は面白い物です。因みにぼくの友人で、ベルジャム育ちのモリース爺。彼のお父さんは、モリースがポーシャを買った時、良い顔をしなかったそうです。戦争時、独国軍に占領され苦しい思いをした事を今でも頭の中から離れなかったそうです。そのお父さんは頑なまでに米国車に乗っていました。当然ベルジャムで大排気量の米国車を持つとなると膨大な費用がかかりますが、アメリカ軍が来て、独国軍を撃退し、ベルジャムを開放してくれた事を今でも覚えているからだそうです。
そのBMWも米本社はメルセデスと同じ、ニュージャージー州モントヴェールにありました。そう言えばあの頃はスバルもニュージャージー州でしたね。多分税制で優遇措置措置があったんだと思います。BMWは当時の輸入元、例のマックス・ホフマンの建物を使っていました。ぼくも子供の頃、モントヴェール・ニュージャージー州と封筒に書いてキャタログを沢山請求したのを覚えています。
オーストリヤ生まれで戦争前夜の独国からナチのジュイッシュ狩りを逃れて米国へ移住したホフマン氏、戦後から欧州の考えられるあらゆる自動車会社の輸入元として非常に有名になり、彼の携わった自動車は、ヴォルクスワーゲン、メルセデス・ベンツ、ジャギュアに始まりBMW、アルファ・ロメーオからNSU、DKW、彼が口を開ければ自動車会社は耳を立てるくらいの大ボスで輸入自動車業界を牛耳るコワモテだったらしいですが、彼の強硬な方針に自動車会社の方でもハタハタ困っていたふしがあり、それを打開する為、BMWは1971年に1人の有能な経営者を雇います。その方が何を隠そう、あのボブ・ラッツ氏だったのです。実は彼も帰化した米国人で、生まれはスイスランドでした。バリバリの海軍・軍人で海兵隊に移りジェット戦闘機を飛ばしてた人です。モントヴェールの本社に通い出せば各方面から圧力がかかってきたのは想像に容易いです。ホフマン氏を追い出すのはそう容易い事ではなく、彼の業界またはホフマン氏取り巻きの、ニューヨーク特有の赤と白のチェッカー柄のテーブルクロスの暗いイタリヤレストランの奥で密会合させられたり随分脅かされたそうですが、そこはバリバリの海兵隊員。数年と数億円をかけてホフマン氏を事実上、業界から追い出しBMWを救い出したと、本で読みました。長い間使われた宣伝文句 ”BMW, the Ultimate Driving Machine" もラッツ氏が考案したらしいです。彼はBMWの後にフォード、GM、クライスラーのトップを経て引退したそうです。ホフマン氏は自動車を売るのはそう上手くはないが、契約書を作るのは天才だと言われたそうで、業界から追い払われる際、無数の訴訟を起こし、それも長年に渡って裁判が続く長期戦で結局企業側が折れる事が多く、実際に自動車輸入の儲けより、訴訟で買った儲けの方が多かったとも聞きました。BMWから追われてそう数年も経たない後、1981年に77歳で鬼門入りでした。
米輸入車業界の最強の重鎮だった、マクシミリオン(マックス)ホフマン氏。
ホフマン氏を ”撃墜” した、ボブ・ラッツ氏。彼が自家用機を飛ばしているある日、無線で迷子になったパイロットがいて燃料も無くなり助けてと無線で聞いたラッツ氏、下に何が見えると聞くと迷子のパイロットが、何か巨大なテストコースの上を飛んでいる、と応答してきて、ラッツ氏、そこは多分俺の会社の試験場だ。そこに着陸しなさい、会長として許可を与えるから、と迷子機はテストコースに無事着陸して無事だった、と言う談話がありました。
今日のそっくりさん。三菱ガラン・エターナ。
豪GMホールデンのXEファルコン。
冒頭の写真はロスアンジェリースで英国の有名人、デイヴィッド・ボウイーが持っていた450SELです。