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JetBoyのブログ一覧

2026年01月06日 イイね!

70年代、北米のメルセデスとBMW

70年代、北米のメルセデスとBMW




だんだん、嫌な世の中になってきたのは何処でも同じ様でして、以前働いていた会社では、月に数回、”勉強” の宿題が来て、オンラインで数々のトレイニングをして、試験に合格しなければなりませんでした。これは最近では何処でもやっているらしく、内容は、他の従業員との付き合い方、会社の車両を運転する際の決まり、航空法と会社の対用方、麻薬禁止法、セクハラ・モラハラ対応からコンピュータの機密管理などなど。この忙しい時に、1時間近く時間を割いて、空港内で発生する油の混じった下水処理は如何やったらいいか、とか面倒臭いのは承知ですが、これ、殆ど社員の為に行なっているのではなく、万が一、会社が訴訟で訴えられた際、法的に法人を保護する目的で、弁護士が考案するものなのです。

それでもたまに、XXさんの電脳が感染したのでXXから来るEメールは全部削除して下さい、と言う連絡が来てたので矢張り騙されるのを防ぐのは難しいみたいです。

日本に行って数日すると、必ずと言っていい程、怪しいEメールが沢山送ってこられます。アマゾンのアカウントがロックされてます。兵庫県の水道局から請求書未払いの通知。アップルからのアクセス停止。ペイペイが不正に使われています。それらのタイミングが絶妙で、必ず日本に入国して3日目くらいから始まるんですね。最初の3日間はあちこちのインターネットにアクセスするので、自分のEメール住所を送るのが日本では普通になっているので、そこからEメールの住所を何処かの業者に売られている事は確かです。ぼくは会社にいた頃、散々訓練されてましたから、こう言った誘いを避けるのは結構得意なんですが、でも向こうさんも、もうちょっと考えた内容ので誘えばいいのと言うくらい、幼稚な内容で笑っちゃうのもありました。

騙されると言えば、最近の古い自動車の輸入販売。日本からも車検切れの車両が沢山来ていて、人気なのは軽トラックだったり、それか多分法人登録だった走行距離が極端に少なくて程度の良い高級車などが業者から売りに出てるのを見るのですが、知らない人相手に騙す業者も結構あり、先日見たのは、メルセデス・ベンツ6.9の日本仕様。日本仕様は北米仕様より欧州仕様をベースにしているのでパワーがある、と強調しています。ハテ。ぼくの記憶ですと、W116の6.9は確か日本には正規輸入されてなかった筈。何処かで混線していますね。笑。まあW116の日本仕様は排気ガス規制もなんとか触媒なしで乗り越えたみたいでしたが、北米仕様となると1977年から全車種モノリス・ハニカム式の触媒が2個(6気筒車は1個)付くので、床下の板金が全く別物で、触媒用の大きな窪みが2箇所、深くえぐられている他、ブレーキの配管も全く欧州仕様と違うのです。それにあの大きなバンパですね。W116も最初の一年は欧州仕様のと同じバンパでしたが、1974年から衝撃吸収バンパでした。殆どの人はあの大きなバンパを嫌い、欧州仕様に帰るのが定説なんです。何せ、あの大きなバンパ、一本40キロくらいの重さだったか、それが車体の一番先端と後端にぶら下げているのですから、走行性能に影響しないわけがありません。と、言いながら、最近はこのおっきなバンパがその時代を反映する小道具の一つとして認識していて、あのバンパを見れば ”あの頃” を思い出し背景にマッチするとチト涙が出そうになるんですね。なので闇雲に欧州仕様に改造しちゃうのもどうかと、歳をとるにつれて感じます。

これがそのとてつもなく重いバンパ。小型冷蔵庫くらいの重さです。コレが好きになるのは歳とったせい?


W116が最初に出た1973年はまだ小さなバンパでした。それにまだ当時はSクラスなんて言う呼び方はされてませんでした。


北米仕様の6.9の正規輸入車は名称がただの   ”6.9" で、450SEL 6.9 ではありません。なのでトランクリッドは6.9のバッジだけ。

欧州仕様は450SELのバッジが左に。


北米仕様はただの ”6.9"


北米仕様6.9の見分け方は大きなバンパだけでなくこのトランクのバッジ、計器盤に貼ってある ”無鉛に限る” のステッカ(触媒仕様なので)。床下の2個の湯たんぽ触媒などが手掛かりになります。輸入されたのは1977年、1978年と1979年の3年間だけで、キャナダ・合衆国の合計で1,816台入ってきたそうです(その他グレイマーケットの個人輸入車両が結構な数入った)総生産数が7,380台(数百台はRHD車)欧州仕様よりかなり装備が限られていて、注文装備はサンルーフ、ヴェロアの座席、腰部強化の座席、座席暖房くらいで、マニュアル・エアコン(北米仕様は全て例のクライスラー部品を使った全自動エアコン)1978年から注文できたABS(LHDのみ)やらリクライニング式の後席やらは省かれていました。まあ当時のメルセデスの事ですから、コネがあれば注文装備の幅はもっとテーゲーだったかもしれませんが。

6.9の最後の生産車両が1979年暮れだったと記憶していますから、日本の経済バブルが弾けた頃、猫も杓子もこぞって6.9を輸入・販売していたらしいですが、その頃すでに型落ちで5、6年経った車両ですから、整備に非常にお金のかかる上、あの車体は錆びますからかなり怪しい個体が日本に渡り非現実的な価格で売られてたのかな、と想像してしまいます。今、何台残っているのかしら。。。

ご存知の通り、6.9はM100エンジンの改良型で12リッターも入る大きなドライサンプ式の潤滑系統が有名でしたね。何せ潤滑油の容量が2倍になったので、その分、交換時期も12,500マイルおきか年2回で済む、と歌っていました。


これがそのM100.985エンジン。北米仕様は低オクタンの無鉛ギャソリン対応の為圧縮比が8.0に落とされ、触媒、2次空気噴射、EGRの装備で出力が250馬力に落とされていました。


吸排気弁の自動調整装置が見えます。


あとコイルバネの代わりに懸架装置がシトロエンから特許料を払ったハイドロニューマチック式だったのが特異でした。基本的にはDSのそれを単純化した様な感じですが、油圧ポムプがタイミング・チェインで回しているヴェーン式だったり、シトロエンの油圧をいじっていた自分には興味があります。油圧のあぶらは何を使っているのかしら。五つある ”タマタマ” は560SELの後輪車高自動調整用のに似てますね。窒素が抜けても充填できなかったり、ゴムの壁膜が交換できなかったり。


1970年代のメルセデスはUSAで飛躍的に販売台数を増やした時期で、あの頃の、ある ”限られた” 人達の間で愛用され始めた頃でもあり、ぼくの想像ではかなりの数が各媒体に提供されてお茶の間のTVでの露出が増え (こう言うのをProducts Placementと言います)、一般大衆でも認知され始めました。それ以前はメルセデス・ベンンツ、一般の認識度は低かったと思います。

ピーター・ファークは大のメルセデス好きの俳優でしたからね。殺人の手がかりは残されたこの紙切れに描かれた数字。電話番号?港の埠頭番号?


いや、被害者から贈られたメルセデスの車種でした。コロンボ。シーズン7エピソード2、題名、”完全犯罪を企って” (Make Me a Perfect Murder)。


コロンボ。ほら、細いタイヤでしょ、現場に残されていたのも細いタイヤ。細いタイヤは高級欧州車に多いんだよね。巡査、なんでそんな事ご存知なんですか?コロンボ。いや、ぼくの車も欧州車なんだ。。と彼のプジョー403を指差すコロンボ。呆れる巡査。 シーズン4エピソード6、題名 ”精神状態は死の気持ち” (Deadly State of Mind)



1979年作、アラン・アルダとの共演喜劇で後にシリーズにもなった題名 ”In Laws" で有名な ”蛇行しろ!蛇行しろ!” の場面。メキヒコの田舎町の空港の場面、撮影はロスアンジェリースの沖合に浮かぶ小さな島、カタリナ島空港。

 
今でも殆ど変わってない。。


6.9は大ヒットになった影視、”RONIN” で一躍有名になりましたね。でもあれは多少コンピュータ・グラフィックでいじってあったらしいです。分かりにくいかも知れませんが6.9は小さな黒いチンスポイラが顎下に装備されてます。それはベルトで駆動される自動変速機用の補助油圧圧縮機の出っ張りを覆います。


自動車雑誌、Car and Driver の有名編集長、故デイヴィッドEデイヴィスJr氏が1977年に6.9をメルセデス広報部から頼まれてロスアンジェリースからニュウヨウクまで走った時の旅路記、題して ”磁石固定のCBアンテナが時速208キロですっ飛んだ” (The magnetic CB antenna blows off at 130) 全米の最高速度がまだ時速88キロだった時代です。今でも伝説的な記事です。コチラで読めます。


https://www.caranddriver.com/reviews/a15143513/mercedes-benz-450sel-69-archived-road-test/

その記事を現代でもう一回やってみようと2011年にガタピシの中古6.9で大陸横断を試みた、Car and Driver の記事はコチラ。


https://www.caranddriver.com/features/a15121123/1977-mercedes-benz-450sel-69-road-trip-feature/

矢張り雑誌は企画と記者の才能とセンスで決まります。

メルセデスが6.9を、燃料危機で悩む北米でどれだけ売りたがっていたかは多分に疑問で、キャタログの写真も3年間、全く同じ写真を使っていました。金が掛かっている上に 売れる台数も限られていたので、 ”ヘイロー・カー” としての役だけだったんでしょうね。ニュージャージーのライセンスプレートを下げているのは、当時の北米メルセデス・ベンツの本社が、マンハッタンからそう遠くない、ニュージャージー州北部、モントヴェールと言う所にあったからです。


不思議な事に、宣伝撮影する車両、合衆国は各州が一つの ”国” ですから、宣伝時にぶら下げるライセンスプレートもどの州にするか、結構頭を悩ませる筈なのですが。同じ独国でもBMWはオレゴン州だったり(なんの関係があったのか)。。


同じ番組が使い回されてます。


そのあとはニューヨーク州だったり。。




フロリダ州だったりと。これは当時の一番大型のBMW、E3型です。この1976年が最終で翌年から7シリーズに変わります。


E3型、最初は余り売れず、当時の輸入業車の大ボス、例のマックス・ホフマン氏が本社に、エンジンを2,800c cにして装備を若干省いた北米仕様を作ってくれと申し込み、完成したのがこれ、そして名称をバーヴァリアと命名し(Bavaria) BMWが数字で名称を使わなかった唯一の車種でした。これが結構ウケて販売台数を伸ばすと共に、次第に豪華化され3,000ccのエンジン、燃料噴射などが奢られました。




1976年、最終型。これにはサーマルリアクターが付いて有鉛ギャソリンを使えましたが、様々な弊害が起こり苦労していた時期です。


以前取り上げたかもしれませんが、この広告に出ているアメリカン航空の機長さん、実は第二次世界大戦時、爆撃機の操縦士として独国、占領時のフランスなどを爆撃してた人なのです。それが後日、敵国だった独国製の乗用車を購入するだけでなく、広告にも出ちゃうんですから、世の中は面白い物です。因みにぼくの友人で、ベルジャム育ちのモリース爺。彼のお父さんは、モリースがポーシャを買った時、良い顔をしなかったそうです。戦争時、独国軍に占領され苦しい思いをした事を今でも頭の中から離れなかったそうです。そのお父さんは頑なまでに米国車に乗っていました。当然ベルジャムで大排気量の米国車を持つとなると膨大な費用がかかりますが、アメリカ軍が来て、独国軍を撃退し、ベルジャムを開放してくれた事を今でも覚えているからだそうです。


そのBMWも米本社はメルセデスと同じ、ニュージャージー州モントヴェールにありました。そう言えばあの頃はスバルもニュージャージー州でしたね。多分税制で優遇措置措置があったんだと思います。BMWは当時の輸入元、例のマックス・ホフマンの建物を使っていました。ぼくも子供の頃、モントヴェール・ニュージャージー州と封筒に書いてキャタログを沢山請求したのを覚えています。

オーストリヤ生まれで戦争前夜の独国からナチのジュイッシュ狩りを逃れて米国へ移住したホフマン氏、戦後から欧州の考えられるあらゆる自動車会社の輸入元として非常に有名になり、彼の携わった自動車は、ヴォルクスワーゲン、メルセデス・ベンツ、ジャギュアに始まりBMW、アルファ・ロメーオからNSU、DKW、彼が口を開ければ自動車会社は耳を立てるくらいの大ボスで輸入自動車業界を牛耳るコワモテだったらしいですが、彼の強硬な方針に自動車会社の方でもハタハタ困っていたふしがあり、それを打開する為、BMWは1971年に1人の有能な経営者を雇います。その方が何を隠そう、あのボブ・ラッツ氏だったのです。実は彼も帰化した米国人で、生まれはスイスランドでした。バリバリの海軍・軍人で海兵隊に移りジェット戦闘機を飛ばしてた人です。モントヴェールの本社に通い出せば各方面から圧力がかかってきたのは想像に容易いです。ホフマン氏を追い出すのはそう容易い事ではなく、彼の業界またはホフマン氏取り巻きの、ニューヨーク特有の赤と白のチェッカー柄のテーブルクロスの暗いイタリヤレストランの奥で密会合させられたり随分脅かされたそうですが、そこはバリバリの海兵隊員。数年と数億円をかけてホフマン氏を事実上、業界から追い出しBMWを救い出したと、本で読みました。長い間使われた宣伝文句 ”BMW, the Ultimate Driving Machine" もラッツ氏が考案したらしいです。彼はBMWの後にフォード、GM、クライスラーのトップを経て引退したそうです。ホフマン氏は自動車を売るのはそう上手くはないが、契約書を作るのは天才だと言われたそうで、業界から追い払われる際、無数の訴訟を起こし、それも長年に渡って裁判が続く長期戦で結局企業側が折れる事が多く、実際に自動車輸入の儲けより、訴訟で買った儲けの方が多かったとも聞きました。BMWから追われてそう数年も経たない後、1981年に77歳で鬼門入りでした。

米輸入車業界の最強の重鎮だった、マクシミリオン(マックス)ホフマン氏。


ホフマン氏を ”撃墜” した、ボブ・ラッツ氏。彼が自家用機を飛ばしているある日、無線で迷子になったパイロットがいて燃料も無くなり助けてと無線で聞いたラッツ氏、下に何が見えると聞くと迷子のパイロットが、何か巨大なテストコースの上を飛んでいる、と応答してきて、ラッツ氏、そこは多分俺の会社の試験場だ。そこに着陸しなさい、会長として許可を与えるから、と迷子機はテストコースに無事着陸して無事だった、と言う談話がありました。


今日のそっくりさん。三菱ガラン・エターナ。


豪GMホールデンのXEファルコン。


冒頭の写真はロスアンジェリースで英国の有名人、デイヴィッド・ボウイーが持っていた450SELです。
Posted at 2026/01/07 08:22:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年12月26日 イイね!

帰宅・年末

帰宅・年末












ほぼ1ヶ月、目の回る様な量の用事を済ませてやっと帰宅すれば、凄い雨。家族に聞けば先週からずっと雨で、ホノルル・マラソンも随分雨が降ったとか。その点、今回の日本は、ほぼ毎日良い天気に恵まれ助かりました。

赤坂迎賓館。建物の中の撮影が禁止だったのが残念でしたが、中々の見応えでした。


また迎賓館を背後に。BMWの宣伝。多分1975年くらいでしょうかね。旧態化した大型のE3はほぼ北米仕様と見られます。フェンダー・ミラーに苦労していますね。茶色のE12は遥かに現代風に映ります。後の建物は東京・丸の内の東京海上火災ビルデイング。そう、あのGメン75の本拠地です。丹波哲朗さん、かっこよかったな〜。それにしてもこの前期型と思われる日本仕様、フェンダのターンシグナルのレンズ、いすゞフローリアンのにそっくりだと思うのはぼくだけか。。 




おお、素晴らしい状態のホンダCB750。それに改造されていないのは奇跡か!その後で皆並んで買っている宝くじも当たるかも!


これも素晴らしい状態の1990年代後半、キャデラック・デヴィル・コンコース。車輪一つ改造されてない所が素晴らしや。今見てみると、意外と小さく見えるのは寂しい所。この辺りから、キャデラック史上3番目の悪評だった、例のノーススター・エンジンを積んでいたのが気にかかる所。(因みにキャデラック最悪のエンジンは可変シリンダだったV864、その次がオールズモビル製のジーゼルV8)


灯火類も左側通行専用の高価な奴だったんでしょうね。


紅葉も綺麗な晩秋の国会議事堂。周辺では怪しげな反政府らしき人達が自分達を撮影していて、警備も巡回していました。ぼくはそれが理由ではなくて。。。


国会議事堂のお向かいにある、日本標準点。その後に聳え立つ電子基準点。これを見たかったんですよ。。


多分その国会議事堂近辺で撮影されたのかしら。1975年型シェヴォレイのインパーラ、あの素敵な時代はこの様な自動車が日本でもあちこちで走っていたんですね。


これが電子基準点の説明。


那覇行きの日っぺり便は旧型室内で個人画面はおろか、電源も無し。その代わり電網は通じましたが。向かい風強く飛行時間、3時間弱。


今年の富士は降雪が少ない様に見えます。上には今年最後の満月。この機はボーイング777の長胴仕様の300型機。翼右上面に黄色い突起があるので300型と分かります。300型はボーイング777でも唯一、翼の上に脱出する非常口が付いていて水上脱出以外の際にこの非常口を開けますが、すると気体で展開する脱出滑り台が主翼後方に出てそこから滑り降りるんですけど、その際、機体側からロープをこの黄色い突起に結んで誘導の際の手助けをします。なので普通胴体長の777には翼上脱出口がないので、この黄色い突起もありません。驚く事に日っぺり仕様の777、国内線300型はなんと514座も載せるんです。同じく日っぺりの巨人機エヤバスA380が520座ですから、殆ど変わり無いわけですな。規程で非常時の際はこれだけのお客さんを90秒で脱出させなければならないのですから、想像しただけでも目が眩みます。


コザも最近になって再開発とかで、昔からの建物がどんどん壊されていき、手遅れの前に撮影しておかないと、焦ります。この建物も道路拡張で既に隣り数軒は解体されました。


沖縄ではまだオジーらが古いトヨタのセダーン車、特にクラウンですね、を大事に乗り続けているのをよく見かけます。でもこの新車と間違える程の輝きのクレスタは最近富山から移住してきた個体。


これまた珍しい、三菱イクリプスの無蓋仕様。LHD。この車が、見渡す限りトウモロコシ畑の、イリノイ州ど真ん中の田舎で作られたとは、多分この所有者は知らないでしょう。


誘われて小禄空港の航空祭へ。宿から見た曲芸飛行の練習。


非常な賑わいで、報道は3万人が観にきたそうです。既にギョーカイから離れたとは言え、ぼくが行ってみると、どうしてもあちこちの ”アラ” が目に付き、委託業者の監査に行った様な心持ちで、結局30分くらい見て回っただけで退散しました。


糸満の電照菊。


しょうへいくんに睨まれて。。。


ワンにも睨まれて。。。


小禄空港の新しい管制塔。でも長期計画ではこの辺りに総合旅客ターミナルを作るらしい。。。その頃、ぼくはニライカナイか。。


帰りは快適、同じく日っぺりの777でも標準胴体長の200型機。新型機内装備で電網もバッチリ。


個人画像に色々な情報を表示できるので、パイロット気分に。大型画面です。追い風でなんと対地速度、時速1,070キロ!東京まで1時間半で着きました。


このボーイング777型機が最初に就航した1995年、最初に飛ばしたユナイテッド航空、その時、丁度コロラド州デンヴァーにあるユナイテッド航空の訓練所をぼくの雇用主が間借りしていて、訓練を終えて帰宅に乗せてもらったのが、この最新型だった777型機。エコノミークラスにも今から見れば、おもちゃみたいな小さい個人画像が備え付けてあって、キャビン・クルーが、”飛行中、お客が誰も席を立たなくなったので仕事が楽になったわ” と言っていいたのが印象的でhした。(しかし暫くしてこの個人画像は全て取り外されましたが)。


でも機内で動画を見られる様になったのはずっと昔の話で、ぼくの知る限り、1964年にアメリカン航空がアストロヴィジョンと言って9インチの小型画像機を座席の間に取り付けたのが最初だと記憶しています。このPV100型小型画像機は当時、資金繰りとクロマトロンの技術開発の困難で四苦八苦していた、品川ソニーの画期的な製品で、一台何百万円もするこの小型画像機の大口発注が後に出るトリニトロンの開発費に注がれたのは想像できます。アメリカン航空とパンナムに採用されたこの画像機(地上からの電波を見るのではないので、テレヴィジョンではありません、単なる画像再生装置です)は、あらかじめ編集されたテープをキャビン・クルーが再生機にかけて各自で観覧すると言う物で、その番組の制作と配布する会社もソニーが立ち上げ、毎週コピーを作り各航空会社に配給し、そこでも利益を上げていたそうですが、結局この2インチ、オープンリールテープの扱いが非常に難しかったそうで、本来なら一回の配給で40回の放映を企んでいたのですが、実際は数回の放映で磁気ズテープがタズタになって戻ってきてが悩みの種だったとのこと。でもこの小型画像・録画システムは医療、スポーツ、警備その他の幅広い、それまでは考えもつかなかった分野に広がり世界を変え、特に東京オリムピックでの報道に使われて一躍有名に。蛇足ですが、アメリカン航空は一時期、操縦室の離着陸時の様子を生中継で客室で見られるサーヴィスがあったのですが、乗務員組合の反対に出会って長続きしませんでした。

この小型画像のもう一つの謳い文句は、それまでは飛行中の娯楽は機内中央の幕に映し出される影視やらの番組をみんなで同時に鑑賞していたので、仕事に専念したいビジネスマンや、休みを取りたい忙しい人には不評で、この各席に取り付けられた画像なら、イヤフォンで鑑賞するので、皆が邪魔されず好きな事をできる、と言うのが売りでした。


これが世界を変えた品川ソニーの9インチ画像の小型映像機。


ジャネットも小型画像見て、移動中。
Posted at 2025/12/27 19:00:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2025年12月08日 イイね!

師走の空

師走の空今年最後の満月と冬富士。

例年に比べて降雪が少ないように見えます。

登録番号477。また同じクルマをあてがわれました。




初めて乗りました 新型タクシー。座席に座って真っ先に思ったのがKP60 パブリカ スターレットの低グレード。座席の座面の厚さともっちり感がそっくりです。トヨータは廉価版になる程優れた座席を用意するのは何故か。。。でもこのタクシー、客室が必要上以上に嵩がありもったいない気が。貨物仕様を出したら良いのに。。



那覇マラソン チバリヨ〜



日産自動車 追浜工場 昔はお向かいの丘から試験場が丸見えでした。戦時中はここ滑走路だったんですね。



どう見てもブラニフ航空のジャムボジェット。ウチの機体がこのリヴリーで彼らにリースされてました。人呼んで 空飛ぶ巨大カボチャ。






Posted at 2025/12/08 07:41:24 | コメント(1) | トラックバック(0)
2025年11月18日 イイね!

11月

11月










ご無沙汰しております。筆無精、お許し下さり候。

書こう、書こう、と焦りながら思えば11月も半ば。その上、明日から日本へ1ヶ月。親の納骨がありまして、横浜の教会へ行かねばらぬのですが、その教会がユーミンが結婚式を挙げた所らしく、我が家の先祖が住んでいた場所の界隈なんです。

それから、沖縄へ1週間。今回は格安切符だったので日程がバラバラなんですが、まあ、はっさ ちゃーすがや〜。

これ、若い頃シカーゴで乗っていたBMW、E21シリーズと呼ばれていたヤツですね。素直な車でしたが、操縦性にクセがあり、最も簡単にオーヴァーステアになりスライドしながらカーブを曲がりました。お湿りに滅法弱く、雨が降ると後ろ足に神経を使ったものです。


この頃のBMWは排気ガス浄化に触媒の必要がなく、レギュラー燃料を使える、サーマルリアクターなる、恐ろしく高温になるピッザの釜みたいなのを排気マニフォールドに抱えており、これは意図的に濃い混合気を遅れた点火時期で熱く燃焼させ、排気に出ていった燃え残りの混合気に空気を吹きかけ再燃焼させると言う、ドエライ装置を付けていて、濃い混合費なのでそれでも悪い燃費の所、点火時期を遅らせて悪燃費に輪をかけた上、エヤポンプも駆動背ねばらない上、エンジンルーム内は趙高温にさらされ、樹脂類、ゴム類の部品が数年でボロボロになり、吸気漏れ、燃料漏れ、高温に耐えられなくなったシリンダヘッドの亀裂、おまけに高温で内側からフッドが焼け右側だけが塗装が剥げたり、散々なものでした。


この320は前期型と後期型があり、後期型はサーマルリアクタを止め、三元触媒とフィードバックのラムダゾンドのKジェトロニックに改良され、排気量を1,800ccに縮めながらも、同じ320の名称で再登場し、信頼性が格段に向上しました。

これに懲りず、ぼくは530も一時期持っていて、こやつはエンジンがバラバラのを買ってきてクランクシャフトから組み直しましたけど、これもサーマルリアクタの呪いを受けていて、こちらは320のKジェトロニックとは違い、Lジェトロニックを使っていたので、燃料噴射のインジェクタの配線なんかがボロボロでしたね。


この530も確か1980年からサーマルリアクタを止め、同じくKジェトロニックとラムダゾンドを使った三元触媒に変更され、同時に排気量が2,800ccに落とされ完成度が遥かに良くなり、次の形になるまで一番バランスの良い5シリーズとなりました。

そのウチ、このサーマルリアクタの件についてはもっと詳しく書きたいのですが、このシステムを使った、ポーシャの911、ダッジ・コルト、トヨタはランドクルーザー、それにマズダのロータリー ナドナド。各社、その使い分けが非常に興味あった所です。


と、今日はBMWの話題で誤魔化しました。来月、帰宅したら、VWの続きを書きますので、それまでまたお待ちを。


Posted at 2025/11/19 17:41:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年09月30日 イイね!

合衆国のVW文化、その5 カーマン・ギア

合衆国のVW文化、その5 カーマン・ギア















戦後の西独国の貧困ぶりはかなり酷かった様で、おまけにそれから中々脱出できなかったのは、日本が同じ敗戦国なのに、驚異的な経済成長を遂げたのとはかなりの差があるます。これが単に国の政略だったのか、はたまた人民の文化の違いかは、卒業論文のネタにしても面白いくらいの内容があります。

その独国の貧困時に、連中は1人でも、人力で漕がなくて済み、雨や雪にも濡れずに、通勤やらお買い物に使える、イセッタやらメッサーシュミットやらの、モータースクーターに屋根の付いた様な移動手段をやっと作っていた時代です。なのに何故か、BMWはV8エンジンを搭載した高級車の502やら、メルセデスも首相コンラッド・アデナウア氏の名称で有名だった、銀めっきてんこ盛りの趙高級車W186を世に出していたのですから、誰が買っていたのか。不思議な話です。庶民が革靴が高価で手に入らず、木靴を履いていた時代ですよ。。。

メルセデス、W186。まだ六気筒。


BMWは既にV8エンジン。


VWが戦後、ビートルのブレーキがやっと機械式から油圧式に進化した頃。実用車としたは全く反対の性格の、屋根の無いコンヴァーチブル形状車を既に製造していたのも不思議でした。。単純、質素、廉価で鳴らすビートルが、洒落たコンヴァーチブルで、遅夏に幌を下ろして、家族一家でピクニックに行く、などと言う光景は、1949年頃、果たして誰が想像したのか。

同じ頃、北米は戦後の好景気で自動車業界も躍進の時代が続き、格好は派手に。機構は革新的にの、何でもござれの古き良き時代でした。その頃、自動車のデザイナー、ヴァージル・エックスナー氏はクライスラーに雇われ、Forward Look (前進ルック)と言う、過激的な空まで届くテイルフィンの聳え立つスタイリングの自動車を推し進めます。テイルフィンが盛んになる前夜、エックスナー風のデザインの盗撮画像を見たGMの巨匠達はひっくり返る程驚き、デザインチームに全てのやり直しを命じたと言う談話があった程です。


これはエックスナー氏のデザインが最先端になる前夜の図。まだ皆、ずんぐりむっくり感が残る車種が幾らか見えます。1956年。


よく年、1957年から、本格的に前進ルックが始まります。”突如、世の中は60年代に!” この1957年のプリムスの前照灯、四燈式に見えますが、実は内側の2燈は補助燈です。四燈式前照灯が解禁になったこの年に、ある州ではまだそれが認可されておらず、製造側は苦肉の策で四燈式に見せかけたり、標準で2燈式、注文装備で四燈式と、混乱期があったのでした。因みに四燈式が違法だった州は、オレゴン、キャリフォーニア、北と南ダコータ、ミネソータ、ウィスコンシン、アーカンサー、テネシー、アラバマ、北キャロライナとメイン州。ハワイは未だ ”州” に格上げされていなかったので不明です。。。


1950年代、自動車製造各社、デザイン競争が非常に重要になってきて、各社首脳は欧州に視察に行くのでした。この頃、アメリカ合衆国は英国から独立して180年、まだ若かった頃です。主に欧州から来た移民は多分三世代目くらいでしょうか。よって彼らの母国、イタリヤでもフランスでも英国でも、先祖の国の文化には馴染み深い感があるだけでなく、憧れる心情があったのは、後々、イタリヤの移民だったフォード・クライスラーのアイアコッカ氏がイタリヤ製のブランド名やらイタリヤ系の取り巻きに凝るのも理解できます。

それが今や、世界中の移民が集まって来た我が国、今大概の米国人は自分達の先祖が何処から来たとか、知っていても興味を示さずの、世の中になりました。と言うのも、長い間、多民族が徐々に混じり合い、それがいたく普通になって来て、あい、ぼくはアイリッシュとイタリアンだけど、キューバとヴィエトナムの血も入っているとお爺ちゃんが言ってたぜ、などと言うのが一般的になったからです。なので、先祖の母国の文化、流儀に固執したり、憧れる風習は殆どなくなっちゃったんですね。まあそれが良いか悪いかとは別にして、最近の無国籍的な自動車のデザインを見ていると、なんか合点してきます。それまでは、自動車の宣伝殺し文句に、欧州を彷彿さえる名前などが盛んに使われたのですが、今じゃさっぱり、そう言った類の言葉が使われなくなりました。やれ、ユーロピアン・ハンドリングだとか、オートバーンの雄とか、昔は必ず使われた宣伝文句だったんですがね。。

アメリカ式快適性、欧州式操縦性。モンテ・カーロは両方を備えています。


フォードは20年以上、静粛性の比較にロールス・ロイスを引き合いに出すのが好きでした。実際に60年代後半のフォードのフルサイズ車には静粛性を向上させる様々な工夫がされていました。


欧州から愛を込めて。GMでもオールズモビルは特に欧州を意識して宣伝が展開されてましたね。例の、インターナショナル・シリーズもそうでした。


1970年前半から1990年代中盤まで続いたこの、”インターナショナル” シリーズのキャンペイン、後半になるともう殆ど意味を失っていたのに、わざわざこのエンブレムを貼り付けていたのは古い社員達の意地か。。。






戦後暫くは、英国が自動車の技術で最先端を走っていたとすれば、自動車のデザインはやはりイタリヤが一番よ、と言うのがその頃は流行っていて、GM、フォード、クライスラーは皆、イタリヤの架装会社やデザイン事務所にデザインを依頼したり、共同事業が盛んになったのです。まだその頃は親、またその親が欧州から移住して来た事を意識していて、心の底には先祖の文化の憧れや哀愁を感じていた人が多かったんですな。

キャデラックはその頃からピニン・ファリーナとの関係があり、キャデラック・エルドラード・ブロウハムをピニン・ファリーナのテユリン工場で、文字通り手作りで生産した期間がありました。


クライスラーは、デザイン試作車などをギア社に依頼していた関係で、少量生産の特殊車、インペリアル・クラウン・リムジンをイタリアで作らせていました。このリムジンは多分、当時キャデラックより上を行く、非常に販売台数が限られた特殊車で、有名な所有者としては大富豪のフランク・ロッカフェラー氏、ケネディ大統領夫人のジャクリーンさんも、大統領没後も愛用していました。

今じゃリムジンなんぞは高校生の卒業パーティーとか、空港の送迎やら随分格が落ちましたが、むかしゃリムジンと言えばドスの効いた、特権階級が乗り回す特別な乗り物って言う印象でした。なので最近の大袈裟なアンテナ付けたり、ど肝を抜くほど延長した下品な車体の白いリムジンを見ると、デージがっかりします。

後に副大統領になるネルソン・ロッカフェラー氏のインペリアル・クラウン・リムジン。ロッカフェラ一族と言えばスタンダードオイル(エクソン・モービル)シテイーバンクなどなど。。。興味深いことに、ロッカフェラー・一族はジュイッシュ系じゃ無いんですよね。ロッカフェラー・一族の1人、結構最近亡くなられたデイヴィッド・ロッカフェラー氏はチェイス・マンハッタン銀行の重役で、癌を患っていたイランの国王、モハメッド・レザ・シャー氏が宗教革命で追放された時、極秘裏にシャー氏をテキサス州の病院で治療する事に関わり、結局それがバレてテヘランのアメリカ大使館人質事件と言う大問題になったのでした。。。。(そのシャー国王の逃亡先のパナマからカイロへ逃亡した際に使ったのがぼくの昔の勤め先でした。ああ、話題が脱線、脱線)。

ニューヨーク州知事・副大統領のネルソン・ロッカフェラー氏のインペリアル・クラウン・リムジン。イタリア・ギア社製。


ジョンFケネデイ大統領ジャクリーン夫人のインペリアル・クラウン・リムジン、第二世代型。彼女はホワイトハウスを去ってからもこのインペリアル・クラウン・リムジンを常に近いところに置いていたとか。




不思議な事に、以前、ピニン・ファリーナはキャデラックの車台を使って、1961年にキャデラック・ジャクリーン・クープと言う展示車を作っているんです。名前の如く、ジャクリーン夫人をイメージしたそうです。


ぼくは何故かこの美しいハードトップ車を思い浮かべます。。。話によるとデザインは当時、Bertoneに所属していたジウジアーロ氏だそうです。


でもこのキャデラック・ジャクリーン、矢張りピニン・ファリーナの作、内装は当時のセドリックに似てます。



話が全く違う方向に進んでいます。ごめんなさい。

その、クライスラー・デザイン部門のヴァージル・エクスナー氏はクライスラー社の計画の一環として、イタリヤを見てきなさいと言われてギア社を訪れた際、イタリア人のデザイナー、ルイジ・セグレ氏と親友の関係になります。ルイジ・セグレ氏は第二次世界大戦中、反ナチ軍に志願して米軍と一緒に戦った強者。英語も流暢で、エックスナー氏と直ぐ仲良くなったんでしょう。



エックスナー氏はデトロイトに帰ってきたあと、ギア社での少量生産を前提としたクライスラーの特別車、5つのデザイン提案車を出します。K310。C200。SS。デ・ソート・アドベンチャアーそれとデ・エレガンスです。結局何もデザイン勉強の提案だけに終わり生産には至りませんでしたが、これがきっかけで、インペリアル・クラウン・リムジンの生産契約が統括されます。

K310。


C200。


SS.


DeSoto Adventurer.


D'Elegance





時を同じくして、ビートルの生産が順調に伸びて、経営陣は例によって最先端の技術と格好を備えた、”ヘイロー・カー” (以前ネタにしました)を考え始めます。丁度その頃、ビートルのコンヴァーチブルの受託生産をしていた、オスナブルックの架装会社、カーマン社の代表、ウィルヘルム・カーマン氏が事業拡大に、ビートル以外の車種を作れんかと模索していました。それらと同じタイミングで、イタリヤのギヤ社、ルイジ・セグレ氏の上司のマリオ・ボアノ氏も、事業拡大の世界的展開を目論んで上記の様にクライスラーとの事業を進めていた時です。この3社の目的が徐々に統合し合うんですね。一説によるとウィルヘルム氏とボアノ氏は同業者故の顔見知りで、このVW車台を使った異端車種を作る先行計画を具体化し、まとまった所でウオルフスバーグのVW本社に提案したとか。

実際にデザインの筆を取ったのは大ボスのボアノ氏だ、いや、セグレ氏だと色々な意見が出ている様ですが、結局エクスナー氏がデザインした、五つのデザイン提案車の一つ、デ・エレガンテがカーマン・ギアの基になった、と言うのが現在の定説で、その頃には既にクライスラーから解雇されていたエックスナー氏は、VWから出たカーマン・ギアを見て、彼のデザインをセグレ氏がよくまとめてくれて、非常に満足だったと感慨深く語ったそうです。

それにしても独国ナチを相手に戦ったセグレ氏が、その独国製の自動車のデザインをしたとは、歴史は面白いものですね。

ここまでがカーマン・ギアの開発背景のハナシでした。次回はそのカーマン・ギアの機械的な事を少し書いてみようと思います。
Posted at 2025/10/01 12:28:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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