どうも現行の政府の方針変更で、自動車などの排気ガス基準が緩くなる気配が出て来ました。
ぼくが自動車學校に通ってた頃は、排気の浄化の科目だけでも相当な時間をかけて教えられ、それに準ずる法律までみっちり叩き込まれたのを思い出します。
整備學校は自分の車両を実験台として修理したりしました。我が旦那仕様のフェアモント。ヴァイナル・トップ、外装メッキのトリム。おまけに2扉のセダーン型。非常に珍しい組み合わせでした。
1970年代にクリーン・エア・アクト (Clean Air Act of 1970) と言う法律の改訂案が発効し、技術が確定しないまま、排気基準だけが先行して設定され、業界が混乱した時を思い出しました。
当時、はっきりしていた事は、HOハイドロカーボン(炭化水素)、COカーボンモノキサイド(一酸化炭素)とNOxナイトロジェン・オブ・オキサイド(窒素酸化物)の基準がどんどん厳しくなっていく事。
それと同時進行で、有鉛ギャソリンの代わりに無鉛ギャソリンが導入される事でした。この二つの件は絡んでいるようで別件なのが本質でした。
厳しくなる排気ガスの対策には、基本的には多くの自動車製造会社が酸化触媒技術に走り、触媒には無鉛ギャソリンの使用が必須だったので、同時期に、有鉛ギャソリンが鉛公害の元とされて槍玉の矛先になり、政府が進めていた無鉛ギャソリンの導入にもマッチして、1974年の7月1日から、全米で全ての自動車給油施設で無鉛ギャソリンの提供が義務付けられました。
規制が格段に厳しくなる1975年からGMもフォードもほぼ全車で触媒が装備され、無鉛ギャソリンの使用が前提になり、大規模な公知が始まったので、皆は、触媒は1975年から義務付けられた、と今でも言われる事がありますが、実際は触媒は義務付けられた訳ではなく、触媒に頼らずに排気規制をクリヤする車種も結構ありました。
BMW、ポーシャ、三菱ダッジ・コルト、トヨータのランドクルーザーは、悪評高いあのサーマルリアクタを使い、ホンダは独自のCVCC、スバルは希薄燃焼と2次エア供給のSEEC−Tなどで、触媒を使わずに排気基準をなんとかクリヤしていました。
三菱・クライスラー、サーマルリアクタは確かMCA Jet が実用化されるまで使われた覚えです。
そのサーマルリアクタですね。火山噴火の如くの高温にならないと威力が発揮できず、まあ触媒もそうですが。まずチャンスがあれば点火時期を遅らせ排気温度を上げ(当然パフォーマンス・燃費が低下します)リアクタ内に未燃焼の燃料を送らなければならないので混合気も濃い目(さらに燃費悪化)。その上サーマルリアクタはある一定の条件下でしか燃やさないので、それを制御するセンサ、それが電子制御されるなんて夢にも思ってなかった時代です、全てヴァキュームとソレノイドで作動させ、EGRも制御は原始的な機械式。当然エアポムプもベルトで駆動させますから馬力の損出になりますし。でも一番の問題は熱害でした。兎に角サーマルリアクタの温度は尋常では無く、製造側がどれだけ耐久試験をしたか知りませんが、エミッション・コントロールの機構は当時から8年・128,000キロの保証が義務付けられてましたから、連中は遠くない先に三元触媒に移行するのは目に見えていたかもしれません。そのサーマルリアクタの熱害のおかげでエンジン・ルーム内のあらゆる樹脂類、配線類、オイルシール、各センサの端子、電気の絶縁、全てがあっというまにボロボロになる上、サーマルリアクタ本体も熱に耐えきれず割れたり、中の熱保護板が溶けたり割れたりして排気を塞いだり、しまいにはフッドの片側(排気側)の塗装は数年で剥げ落ち悲惨な状態になって行きました。その昔、1970年代後半のポーシャ911は買っちゃいかん、などと囁かれたのもこれが理由でした。
有鉛使えまっせ、CVCCならねと誇らしく見出しに。1978年型のシヴィックの広告。ホンダやスバルが触媒を使い始めたのは1980年に入ってからです。後で述べますが、車種と売られる州によっては触媒は装備されていないのに、無鉛ギャソリンを指定する不思議な現象が1970年代後半から始まっていたので、さらに混乱します。
初期型とその後のシヴィックの透視図。何が違うかって?初期型の前輪ブレーキが未だ、ドラム式なのです。
そう言えばシヴィックの前に来ていたN600。米仕様は後のバンパの下にスペヤタイヤを載せるタライが吊り下げられてました。
N600のスペアタイヤは普通ならエンジンコンパートメントの中にあるのですが、米仕様は何故かブレーキ・倍増装置がデンと座っていてスペアタイヤが入らなくなってた様です。あの軽量車両の制動装置は弱かったんでしょうかね。当然規制に引っかかった上の苦肉策だったんでしょう。
あの頃は触媒技術が未だ未熟だった上、人々は有鉛ギャソリンより高い値段の無鉛ギャソリンに根強い反感と疑いを持っていて、ホンダは、ウチのCVCCは昔からの有鉛ギャソリンで大丈夫さ〜、と広告を出し消費者を安心させ、シェヴォレイはBIG10と言う車種を特別に用意し、普通のハーフトンの車台にわざと頑丈な懸架装置やらブレーキを付け重量を増して、規制の緩い大型トラックとし、宣伝には安い有鉛ギャソリンが使えるので経済的ですよ、と謳っていました。
この雑誌の広告、一番下にごく小さい文字で、”読者クーポン4番目に丸を付けて下さい” と記されています。昔の雑誌はページの間に小さい葉書が必ず挟んであり、それに小さい数字がびっしり並んでいて、雑誌内の広告には、この様に ”何番に丸を付けてください” と書いてあり、その挟んでいるハガキに自分の欲しい資料の番号を丸で囲み、自分の住所氏名を書いてそのハガキを切り取って切っても貼らずに郵便箱に投函すると、その自分でまるで囲んで選んだ企業からキャタログやら資料が送ってくる仕組みでした。懐かしいです。。。
当時のギャソリン・ステーション。レギュラー(有鉛)、アンれデッド(無鉛)、スーパー(無鉛ハイオク)が一般的な表示でした。
一応GMは、触媒車に有鉛ギャソリンを入れても、燃料タンク一杯分なら触媒は大丈夫と公表してはいましたが、実際はどうだったのか。
まだ規制の緩かった頃。フォードはリンカン・マークIVの460立方インチ=7,500ccエンジン車、なんと触媒は片バンクだけにしか付いておらず、その上下流で左右のバンクが結合しているので、浄化された排気ギャスと浄化されてない排気ギャスがまじって後から放出されていたのですから、笑い話のネタみたいでした。
触媒が進行方向に向かって右側のバンクにしか付いていないのが判ります。モノリス型。
1975年型 このアポステリが、もうたまりませんね。
コザのBCストリート照屋楽器のお向かいに今も ”掛けてある” マークIV。後付けの後退灯からして正規輸入車と見ます。
どの燃料を入れるのか。もっと意識していないと大惨事になるのがヒコーキです。同じような外観の機体でも、レシプロ・エンジン(死語?)と、ジェットエンジンでプロペラを回すターボプロップと二種類のある機体って結構あり、それを知らず、燃料屋さんがターボプロップ機にジェット燃料の代わりに普通の航空ギャソリンを入れて、知らずに離陸後エンジンが壊れて墜落した例が幾つもありました。
後のヒコーキは、レシプロ・エンジンのビーチクラフト・クイーンエア。因みにこの伊藤忠商事の機体は一時期、熊本のネズミ講、天下一家で使われてた機体。あそこの親方は熊本でメルセデス・ベンツ600リムジンを乗り回していたそうです。
同じ胴体でもこちらはジェットエンジンでプロペラーを回すターボプロップ仕様。ビーチクラフト・キングエア。
我が国でも今だに有鉛ギャソリンが買えます。それは軽飛行機。100LLと言って、LLはLowLead(低鉛の事)水色に着色されていて直ぐわかります。飛行機が飛ぶ前に、必ず機体のあちこちからサンプルを取って、中に水が混じってないかを検査します。
軽飛行機は大概自分で給油します。セスナ機など高翼機はハシゴに登って翼の上まで思いホースを上げなければならないので難儀します。ぼくはボーイングの大型機でも僻地へ行くと給油するのは自分の役目でした。
以前、ルノーのジーゼルエンジンを搭載したウィニベゴのモーターホームに誤ってギャソリンを給油しちゃったと言うのを修理した事がありました。あの頃はAMCはルノーに買収されたので、ルノー製ターボジーゼルの載ったジープ・シェロキーなんかも北米で売られていました。
ウィニベゴ・レシャーロ。ルノー・トラフィックを改造しているので前輪駆動。
原型ルノー・トラフィック。
ホーランドの歌グループ、その名もジーゼル。ササリート・サマーナイト(Sausalito Summernight) と言う曲で瞬間的にも我が国で流行りました。一発屋、ワンヒット・ワンダー。ジーゼルの開放的な給油口?ササリートとはサンフランシスコは金門橋を渡った直ぐの所にある街です。
そのアルバムカヴァー(これも死語?)ロゴはプジョー504から来てます。
無鉛ギャソリンを使わなければいけない車両には、給油口の穴が0.95インチと小さくなり有鉛を使えない法律で、その上計器盤にも ”無鉛に限る”、の表示が義務付けられていました。現在は有鉛は買いたくても買えないので、この計器盤の表示義務は法律改正で無くなりましたが。
UNLEADED FUEL ONLY と記されています。これは法律で定められていました。1994年型カローラ。この法律が無くなるのは確か1997年からでしたっけ。無鉛ギャソリンの供給が止まったからです。
ややこしいのは触媒の付いてない車種でも無鉛を指定する時期が1970年代後半から1980年代中盤まで続き、これは無鉛になると潤滑油に鉛が混ざらなくなるので、オイル交換の間隔を伸ばせたり、鉛の煤が付かなくなるので点火栓が長持ちしたりと色々メリットがあったからでした。その上、同じ車種でもキャリフォーニア仕様は厳しい規制に対応する為に加州で売られる車種だけには触媒が付いたり(VWビートルがその例)1970年代後半になると、次第にウチの車は安い有鉛ギャソリンを使えまっせ、と言う宣伝が消えていきました。(確かホンダは1980年代に入ると一斉に触媒を全国仕様で採用しましたが、スバルはまだSEEC–Tを改良したりして、触媒なしで1983年ごろまで頑張っていた記憶があります。マズダのスポーツカー、RX7も初っ端から触媒は装備されていないのに指定燃料は無鉛ギャソリンでした)
1975年からGMやフォードで採用され始めた触媒技術。GMは自慢のペレット型、他社はモノリス型を採用します。ペレット型は文字通り、パチンコ玉状のボールが詰まっており、その間を排気が通過する際、触媒作用のお陰で排気が浄化されると言う仕組み。モノリス型は蜂の巣型のセラミック、または金属にコーテイングがされており、そこに排気を通して触媒効果を得ると言うモノでした。
触媒は高温度で初めて効果が出るので、エンジンには暖気を促する仕掛けが付加されたり、逆に減速時に混合気が濃くなり過ぎて、未燃焼のギャソリンが排気され触媒を過熱し過ぎてセラミックが溶けたりと、色々問題がありました。あの頃の自動車によく見られた排気温警告灯はそこから来てます。適切な混合気、排気温度の管理はほぼ全て、機械的に制御されていたので、細いヴァキューム菅がアチコチに走っていましたね。
これは比較的単純なルノー5のヴァキューム菅の配置図。R5は、加州仕様には酸化触媒が床下に吊り下げられ排気管に重さの負担がかかり、ゴムのブラケットがよく千切れました。49州仕様は単純なEGRとエアポムプの2次空気供給で乗り切っていました。2次空気はシリンダヘッド内に通路を作り、シリンダ一つ一つに鉄製パイプで空気を送って噴射していました。それとウェバー32気化器に色々仕組みが取り付けられ、アイドル時だけに燃料を供給するソレノイド、減速時に2次エア噴射を停止する装置、薄めの混合気ジェットやら複雑で、薄めの混合気を、GMデルコ製のブレーカーレス・イグニッションで火を飛ばします。この点火モジュールもよく壊れました。エンジンルーム左から出る排気管はフェンダ内側にある丸い穴から一旦ホイールハウス内に出て下方へ降りて、運転席側ドアのヒンジ下あたりから車体左側を沿うように後方へ伸びます。そのフロント左側フェンダの中にはレゾネータと言う太鼓状のマフラみたいな物が鎮座していて、これがまた高温の熱源になったみたいで、R5は皆、左フェンダが錆びているか、色褪せしているかが持病でした。
GMがペレット式を採用したのは、浄化作用が悪化した場合、触媒ケースの下にあるドレインプラグを開けて、中のペレットを簡単に出来ますよ、と言う話でした。実際にペレットを交換する専門工具が用意され、訓練書に解説と写真を見た事がありますが、結局実際にそれを実行している場面を目撃した試しは一度もありませんでした。
このペレット式には、制御不足で過熱し溶解する問題の他に、長い間走行すると、振動でこのパチンコ玉状のペレットが摩耗して、タマタマが徐々に小さくなり、しまいにはペレットを収納しているスクリーンから飛び出して、特に坂道などを登っている時に、火の玉如く熱せられた鉄球が排気管から鉄砲の球如くすっ飛んで来る事件が発生。慌ててGM側はマフラーカッターみたいな網を貼った装置を排気管の先端に付けたりして対応していました。
興味深いのは日本の自動車業界でペレット式を真っ先に採用したのがトヨータさんで、彼らも矢張り、排気浄化をどの装置を採用するのか多大に迷いがあった様子で、いろいろな種類のTCCを使っていましたが、結局触媒仕様に落ち着き、ペレット式を1980年代初期まで使ったあとは、全部モノリス式に変更した経歴がありました。トヨータが最初にモノリス式の触媒を採用したのが、1979年型のセリカ・スープラだったそうです。
1975年に我が国で始まった触媒車。ほぼ同時期に日本でも後を追いますが、欧州は凄く遅れていて、最初の触媒車が出たのが1985年、オペル・アスコーナでした。EUでは有鉛ギャソリンが完全廃止になるのは2000年に入ってからでした。何となく欧州は先進技術を何時も真っ先に導入していて、昔から安全装備なども充実していると思われがちですが、実際はその逆で、日本や北米に比べるとかなり遅れているのがぼくの経験から感じます。ヘッドレストは1969年。肩ベルト付きのシートベルトが1968年。衝撃吸収ステアリングが1968年。ラミネーテッド・ウインドシールドが1968年。扉の中に内蔵されている側面衝突時の補強財が1973年。2系統ブレーキ配管が1967年。欧州でこれらが義務化されたのはずっと後の事です。日本は米国の基準に追従していたので、殆どがこららに余り遅れを取らず採用されていました。
モノリス・三元触媒と燃料噴射と言う技術に辿り着くまで、初期の触媒装置の不具合から始まった怨念は長い間続き、1980年代に入っても触媒を取り外す連中が結構多かったのも悩みの種でした。触媒やら排気浄化装置を外すのは州法、連邦法を犯す、特にそれを商売でやると下手すれば牢屋行きになるのでおいそれとは出来ませんでしたが、それをかいくぐるためにある部品が飛ぶ様に売れた時代がありました。その部品とは、触媒を外した場所に繋げる中空のパイプで、これは触媒の代わりに取り付けて触媒の中身がが詰まっているかを判断する為の ”テスト・パイプ”、と言うのが謳い文句で、これを買ってテストした後は直ちに触媒を元通りに取り付けなさい、と注意書きがしてあるのですが、誰の目から見ても、触媒を取り外したまま走行する為のパイプとして売られていて、たまに新しいお客さんの持ち込んだ車両の下を覗くとその、”テスト・パイプ” が装着されっぱなし?になっているのを見かけた事がありました。州、または都市によっては排気検査が毎年ある場合は、再度、触媒を再装着していました。
ところで日本の文献でよく見かける、”マスキー法” と言われる法律、実際は無いんです。多分日本で作られた造語です。我が国で自動車業界の人間、それも今や56年前の出来事を知っている古い人に ”マスキー法” (Muskie Law?) と言っても100パーセント通じません。1960年代初期から始まった、自動車、工場など環境汚染全般に浄化を求む、クリーン・エア・アクト (Clean Air Act) の法律をスポンサーして、特に1970年から発効した自動車に絞った規制を実現に持ってきたのが、当時メイン州の上院議員、エドモンド・マスキー氏だったので、彼の名を使ったんだと察します。ですから、マスキー法は1970年の暮れに発令した、Clean Air Act of 1970年法 の事だと思います。念の為。
クリーン・エア・アクトの生みの親。
エドモンド・シクスタス・マスキー民主党議員。
没1996年。
自動車の安全性と排気ギャスの浄化。これだけ苦労してとてつもない技術の壁を破って今日までたどり着いたのに、この二つの件は、いくら宣伝しても販売台数も増えないし、自動車会社の株価も上がらないし。実態を少しでも知っている人にとっては悔しいところでもあります。
今日、最後の一枚。1970年代初めの、ロールス・ロイス、世界のロールス・ロイス宣伝キャンペインの一コマ。日本のロールス・ロイス。銀座の歩行者天国ですね。その中に乗り入れたシルヴァーシャドー。有名な写真家、与田弘志氏の作品です。初期のシルヴァーシャドーの自動変速機は4段変速でした。これはトークコンヴァーターが付いてない、ただの流体継ぎ手を使っていたので、力の増幅が得られず、従って4段変速で低速力倍増を得てたのでした。その後はシルヴァーシャドーは3段変速、トークコンヴァータ付きのGM、ターボハイドラマチックTHM400を英国で製作して載せていて、あちら製は組み立て精度が比較的に高いと謳われていましたが、その真相はいかに。
