
日本の文化で遭遇する数々の不思議の一つにカラオケの選曲があります。何故かフランク・シナトラの ”マイ・ウェイ” が圧倒的な人気で多分何処の誰でも英語でスラスラ歌えるのには驚きます。”マイ・ウェイ” は歌詞の意味が三途の川を渡る前の終活の歌みたいで余り縁起が良いとは思わないのですが、日本では大人気ですね。
自分はフランク・シナトラの大ファンで俳優、謡唄い、総合娯楽の舞台で彼ほど有能で、カッコ良い人物は後にも先にも居ないと思ってます。余りにもその存在が我が国の文化では偉大すぎて、彼の名前を直接呼ばず、通称、"The 青い目をした奴” とか、”取締役会長” と没後21年経っても恐れられ尊敬されて居ます。
取締役会長と呼ばれて居たのは、まあ、その貫禄が泣く子も黙る、大きな組織の指揮を執る雰囲気満々の風格があったのと同時にフランク・シナトラは彼の経営するレコード会社の実際の取締役だったからでしょう。
その同じ取締役会長の肩書きを持った友人が元はフォード、後にクライスラーの会長だったリー・アイアコッカで、両人、何方もイタリア系移民の祖先を持つだけでなく、何かと色々な事に影響を与える地位であって、親交がありました。
クライスラーの高級ブランド、インペリアルは浮いては消え、消えては蘇り、それもクライスラーの会長が変わる度に復活するのが不思議で、アイアコッカが就任すると、途絶えて居たインペリアルの復活を命名、当時2扉のパーソナル・クーペのコードーバ・ミラーダ兄弟の豪華車として1981年に登場しました。
キャデラック・セヴィル、後に出るリンカン・コンチネンタルと同様、短期でしたけど一応流行ったフーパー調の後ろ姿で登場、インペリアルと言う名前を与えるんですから、豪華さも半端では無く、注文装備はサンルーフだけでした。車体自体もフッド、屋根など外装鉄板は下敷きになったコードーバやミラーダより厚めの鋼板が使われ、工場内では品質試験に試験を実地し、全車9キロの走行試験をしてから出荷。グローヴ・コンパートメント内にはマーククロスの革製書類入れとペン、鍵にはカーテイエー製の飾りが輝き、専用のコウモリ傘まで付いて来る念の入れよう。
そのインペリアル、最初の2年間に、これもアイアコッカの提案でナント、フランク・シナトラ仕様を発表します。
まさに取締役会長が取締役会長へ捧げた車ですね。この通称 F・S 仕様はフランク・シナトラの有名な青い目に合わせて内外装薄い青色に塗られていて、勿論最初から総注文仕様装備ですが、きわめつけは計器版中央に扉の付いた物入れが装備され、その中には持ち運びの出来るケースにフランク・シナトラの歌う曲が収録されたカセットテープの10巻が入っているんです。現在ではそのカセットテープの入ったケースはオークションなので非常に高価に流通されてます。
肝心なインペリアル車の方はと言いますと、やはり、これだけの高価格車が同じ廉価車が売られているプリムス販売店などのお客と一緒に整備を待たされるなんてのが、よく無かったのと、お馴染み、318キュービック・インチのV8に装備されたスロットルボデイーの燃料噴射装置の信頼性が著しく低く、終いにはクライスラー社はエンジンの保証と五万マイルまで上げて、不具合の車両、ほぼ全車、を普通のキャブレターに変換する羽目になり、その費用たるもの、部品代が3,500ドル、工賃が一台につき五十時間(報道発表の数値、実際にはそれよりか低い)これはインテークマニフォールドから排気管全長全てなどを総交換する大事業で、まあ、現在トヨタのタコーマの欠陥フレームの交換よりマシでしょうが、一台につき約一万ドルの費用が計上され大赤字。結局このインペリアルは3年間の総生産台数は一万七千台程度で全く利益は出ませんでした。
その10巻入っているカセットテープ、なんの曲が収録されていたのかは知りませんが多分、高い確率で ”マイ’ウェイ” も入っていたと存じます。エンジンの度重なる不具合で、この車ももう最後か、と嘆きながら聞くフランク・シナトラの終活曲、”マイ・ウェイ”。オーナーは複雑な心境だったんでしょうね。。。
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2019/04/24 12:02:20